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『カベドン』は押しかえされると、新しい扉が開くらしい

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私は王子に気づかれぬよう細心の注意で茂みに隠れつつ尾行した。双眼鏡を使いながら、スケッチブック片手に尾行という……人生で大切なものを落としてしまった気分だが、仕方がない。



(50m以上は近づけないな……)



 距離があるが武に長けた王子や護衛がいるのだ。近距離だと気が付かれる可能性がある。というか双眼鏡片手にスケッチするところを見つかりたくない。私の社会的地位にかけて。



 まぁ会話は唇と私の並外れた地獄耳でよめるので問題ない。社交界では噂に敏感でなければいけないのだ。これぐらい私にとっては処世術の一つにすぎない。



「マリー? 大丈夫かい? 元気がないようだけど」



 王子が心配そうにローズマリー様を見ている。ちなみにマリーとはローズマリー様の愛称だ。



「だ、大丈夫ですわ」



 大丈夫じゃない。手と足がカチコチ状態で歩いていらっしゃる。誰が見ても挙動不審だ。



「だが耳まで赤い。もしかして熱があるんじゃ? 顔をよく見せて」



 熱を心配してか、王子はローズマリー様を顔を覗き込むように見た。



「ひっぃぃぃ近い!! 熱はありません、大丈夫ですっ」

「だが心配だ。残念だけど今日はここで切り上げよう」



 王子が残念そうに元来た道を帰ろうとしたときだ。あんなに恥ずかしがっていたローズマリー様が突然、人が変わったように王子の服を引っ張った。



「王子、あの木!!!! 似てませんか?」

「え? 似ている?」



 王子がきょとんとした顔をする。私もきょとんだ。だがローズマリー様の顔は王子には目もくれず、真剣に木を見つめている。



「ええ。似てるんです。『乙女の木』に。リリーがいれば……再現できたのに」



 乙女の木!! 



 たしかその木に乙女が祈ると、親密度の高い『オシ』が告白してくると言っていたあれか。



「リリーとはフィンレイ男爵令嬢のことだろうか?」



 フィンレイとはリリーの苗字だ。



「ええ。王子と彼女がいれば、あの木の下で素晴らしい情景をみれたのですが」

「なぜフィンレイ男爵と私なのかな? 君とではなく」



 王子が優し気な声でローズマリー様に言う。どうやら王子はローズマリー様をお気に召しているようだ。可愛いからな。



「え! まさか王子、協力していただけるのですか?」

「僕にできることならかまわないよ。一緒に情景とやらを見よう」



 さすが王子だ。ローズマリー様の謎の申し出にも一切躊躇ちゅうちょせず、優しく手を差し出すとは。まさに紳士の鑑かがみだな。私が王子だったら協力なんて嫌な予感しかしないが。



 まぁいい。さぁ、ローズマリー様、その手をとるんです!! 美男美女が手を取り合う姿、想像するだけでロマンチックな展開ですよ。



 と思ったのに、ローズマリー様は王子の手を男らしくガシっと掴むと、うっとりすらせず全力で木に向かい始めた。王子が「おや?」とした顔でついて……いや、連れ去られていく。



 やがて例の木の所につくとローズマリー様は、慎重に木を確認し始めた。ぐるぐると回り「この角度でやれば再現できる!」と呟いている。王子付きの騎士が「ご不安でしたら安全を確かめましょうか?」と声を掛けたが、ローズマリー様はやんわりとお断りになった。



 拒否された騎士は不審な顔をしていたが、私は電撃が走ったかのように、ローズマリー様の意図がわかってしまった。



 『スチルタイム』準備をしろだな?



 案の定、ローズマリー様は木を指さすと、クチパクで『アルカディア』と言われた。合図だ。私はこっそりとスケッチしやすい位置へと移動した。あくまで双眼鏡から見える位置の。



 描く時間は一瞬しかない。



 なぜなら王子は長い時間、じっとはしてくれない。まさか描かれる対象になっているとは思っていないのだから。つまり私は『マリー様が望む一瞬』を脳内に焼き付けスケッチブックに描かなくてはならないのだ。



 【描き手とは、腕の筋肉と脳細胞のすべてを使い、黄金の妄想を形にする使命がある】



 自分でも何を言っているのかよくわからないが、そう説明されたので言っておく。



「では王子、合図したらここに、ドンっと音を立て、片手をつけてくださいませんか? 世間一般で言う『壁ドン』をしたいのです」

「かべどん……? 聞いたことがないが」



 王子の顔が、あきらかに動揺していた。その気持ちは痛いほどわかる。



「私が身長158cmぐらいの女性を想定して立ちますから、視線はこのあたりにお願いします。合図したら木をドンと叩き、手を付けたまま私を見てください」

「それは構わないが……まるで君をこの木に追い詰めるような仕草じゃないか」

「そうです。追い詰めてください」



 王子の顔が固まった。だがローズマリー様は真剣だ。『スチル回収』の為なら、あの方は恥ずかしい感情すら吹っ飛ぶのだろう。さすがハエでいいと言うだけの事はある。



「……わかった。僕らはまだ婚約したばかりだが、君がいいというなら」



 何かを悟ったかのように王子は了承すると、護衛騎士に下がるよう目くばせした。どうやら王子は真剣に『カベドン』にお付き合いしてくださるようだ。



 ローズマリー様はさっそく例の木にもたれかかった。158cmを想定し少しかがんだ状態だ。おそらくリリーの身長に合わせてるのだろう。ドレスを作るとき「リリーの身長は公式で158cmなの」と言ってから。どういう公式か謎だが。



「これでいいだろうか?」

「はい。あとここで「もう逃がさない」と言ってください」



 ローズマリー様の言葉に王子がゴクリと唾をのんだ。王子の顔が真っ赤だ。対するローズマリー様は全然だけど。これに一体なんの意味があるのだろう。



 は……!! まさかこれが『レディーの嗜たしなみ』というやつか?



 『カベドン』という謎のワードで相手を翻弄ほんろうさせハートをつかむ。なんだ傍観したいとか言ってたくせに。ローズマリー様ったらやるじゃないか。



 ただし、それを描けって神経はわからん。



 王子は覚悟を決めた顔をするとドンっと木に片手をつけ──



「マリー、もう逃がさない」



と仰った。それもローズマリー様の耳元で囁ささやくようにだっ!。



 うわぁぁぁぁ見てるだけで恥ずかしい。



 だが私の手は高速に動いていた。これもローズマリー様に教えていただいた信仰の一つ。



『推しの色香に惑わされ、手を止めてはならぬ。貪欲なまでに形にしろ。新刊を落とす事だけはしてはならぬ』である。



 なんの新刊かは不明だが。



 私は全神経を集中させた。



 心を、筋肉を、脳細胞のすべて稼働させて。



 スケッチブックには王子の愛し気な顔、キラキラとした謎の輝き──そしてありもしない薔薇の花びらが舞い散った。



 自分でいうのもなんだか芸術性の高い作品ができたと思う。



 でも本当は王子と木の間にいるローズマリー様が描きたい。描くなといわれてなければ……くそぅ。本当にハエでいいの?



「マリー……」



 とうとう王子が『カベドン』ポーズに耐えきれず、ローズマリー様の顔にご自分のお顔を近づけた。



 こ、ここで口づけが入るのか! わぁぁぁ!! おめでとうございます、ローズマリー様ぁぁぁぁぁ。もう禁止されても知るものかぁぁ。私はローズマリー様も描く。私を止めれるものはおらん~~。



「まってくださいっ!」



 ドンっとローズマリー様は王子を押し返した。動揺のあまり目がぐるぐるになっておられる。押し返された王子は「え?」とした顔で固まっていた。そして私も固まった。



「すまない……てっきり誘われたとばかり」



 王子がそう言うのも無理はない。私もそう思ったから。



「ご、ごめんなさい。ちょっと宇宙へ逝ってしまって」

「……僕こそすまない。気が急いてしまったようだ。それにしても『カベドン』とは奥が深いのだな」



 さすが王子。宇宙とか言われて押し返されたのに、お優しいな。



「し、失礼な事をしてしまって申し訳ございません」

「いや……それにしても宇宙か。くくっ面白いかえしだな」



 あれ、なんか口調が変わってないか? 王子?



「ああああぁ、申し訳ございません。宇宙と言ったのは言葉のあやで。まさかお怒りですか? 処刑がお望み?」

「処刑??……くくくくっ処刑って。そんなに虐めてほしいの?」



 王子が肩を震わせて笑っている。私も違う意味で震えているが。



「処刑なんてしないよ。ただ『カベドン』で新しい扉が開いたようだ……。次・は囁き方に注意するとしよう。君が宇宙に行かないように」



 ニコリと微笑みながら、ちゃっかり『次』とおっしゃる王子。気のせいかな……笑顔なのに目が狩人のようにギラギラしてるような。紳士な王子が、まさかね?







 その後、王子はローズマリー様に頻繁にお会いになるようになった。ローズマリー様が大好きなクッキーやら花やらを添えて。



 そのたびにローズマリー様は震えておられたのだが。はずかしいのだろうか。



 まあいい。これでもうローズマリー様はフラグだの処刑されるだの言わなくなるだろう。



 と思っていたのだが。



「シェリー大変!! この世界は『裏アルカディアの乙女』かもしれないの。王子の目がなんかやばくって。リリーがいたから表と思い込んでいたわ。悪役令嬢が主人公なんだけどね、王子と推しが全員、色々とやばいの。サイコだったりヤンデレだったり。とにかく一緒に逃げて~」



 またわけのわからない母国語を。



「逃げるってどこにです?」



 私は大きくため息をつく。



「どこでもいいわ。シェリーも逃げるのよ。セットで餌食にされるから」



「またそれですか」



 お嬢様の『フラグ病』はまだまだ続きそうだ。









  









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