【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました

東野あさひ

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4章

32話「血塗られた逃亡者」

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 砦を包囲する黒鉄の傭兵団は、夜が明けるにつれて、その輪をじりじりと狭めていた。
 北門から見える彼らの装備は、辺境の盗賊などとは比較にならないほど重厚で、旗の下に集う兵の数も、私たちの想像を遥かに超えていた。

 「カイラス、全員配置につかせて。魔導障壁は私が調整する」

 私は自身の魔力を結界に注ぎ込む。砦をぐるりと囲む魔法陣が、低く鈍い光を放つ。
 その隙間を、慌ただしく動き回る兵士と住民たちの声が埋め尽くしていく。
 誰もが、これまで感じたことのない恐怖と、張り詰めた覚悟を胸にしているのが伝わってくる。

 「ノクティア様、砦の中で何かが――」

 南門警備のエイミーが、血相を変えて駆け寄ってきた。

 「何か?」

 「さっきから、難民の中の男の人がひとり……変なんです。さっき応急手当してたんですけど、ふいに兵舎のほうに走り出して――それで、見失いました」

 私は眉をひそめた。
 避難民の数は二十名ほど、子どもも老人も混じる小さな集団。だが、そんな状況で“走って逃げる”とはどういうことか。

 (もしかして……)

 砦内の動揺が広がる前に、私はカイラスに状況を伝えた。

 「難民の中に、不審な動きの男がいる。兵を二人、私に貸して」

 「わかった。油断するなよ」

 私はエイミーと、近くの兵士二人を従えて、砦の兵舎棟へ向かう。
 普段は活気のある兵舎も、今は緊張と沈黙に包まれている。
 その奥――乾いた足音が響いた。

 「……いた!」

 エイミーが小声で指をさす。
 壁際の物陰、身をかがめた中年男が、何かを懐から取り出そうとしていた。

 「止まりなさい! 砦の兵士として命令します!」

 私の声に、男は一瞬びくりと肩を震わせたが、振り返った顔はすでに“理性”を失っている。

 「どいてくれ……頼む、邪魔をするな……」

 その手には、刃物。
 周囲の兵士が身構え、私も防御結界を展開する。

 「その刃物を捨てて。私たちは敵じゃない、あなたを傷つけるつもりはないわ」

 「……敵じゃない? ふざけるな。俺は……俺は殺されるんだ!」

 男は怯えきった目でこちらを見た。

 「黒鉄の連中は、逃げ出したやつは全員殺すんだ。砦に紛れ込んだことがバレたら、俺だけじゃなく、みんな……」

 私は瞬時に悟る。
 この男は、“ただの避難民”ではない。黒鉄の傭兵団に関わる何かを知っている、もしくは――

 「あなたは、彼らの仲間?」

 「違う! ……いや、違った。だけど俺はもう……」

 彼の震える声の裏には、深い絶望があった。

 「お願いだ。かくまってくれ。ここから逃げたいだけなんだ……!」

 (本当に、ただの被害者なのか。それとも――)

 私は迷う。
 もしこの男が黒鉄の傭兵団の“内通者”だったとしたら、砦の中から破滅が始まる。
 だが、今この瞬間、助けを求めている命を見捨てることも、私にはできなかった。

 「とにかく、刃物を下ろして。あなたも皆と同じく、守るべき“人”よ。
 ただ、真実は全部聞かせて。でなければ、みんなが危険に晒される」

 男は泣きながら刃物を落とし、床に崩れ落ちた。

 「……黒鉄の連中は、逃げた者を追い詰めて、見せしめにする。だから俺は……」

 「わかった。もう十分よ」

 私は魔力で男を鎮静させ、エイミーに手当を任せる。
 彼が持っていた刃物と荷物を調べると、小さな布袋がひとつ――その中には、黒鉄の傭兵団の紋章が刻まれた鉄貨が数枚。

 (やっぱり……)

 男は砦の地下牢へ隔離することにした。
 だがその直後――

 「ノクティア様! 南門で爆発音、敵が門を叩いています!」

 兵士の悲鳴にも似た声が響く。

 「敵襲――!」

 私は判断を一瞬で下す。

 「エイミー、男を牢に。負傷者は医療棟へ! 全員、配置につけ!」

 砦の鐘が鳴り響き、空気が一瞬で緊迫感に包まれる。

 南門へ走ると、すでに門扉が火を吹いていた。
 爆発の衝撃で、厚い扉の蝶番が歪み、煙がもうもうと立ち上る。

 「何があった?」

 「敵が門の下に爆薬を仕掛けて――!」

 兵士たちが必死で防御陣形を組む。
 魔導障壁はまだ健在だが、直接の爆発には無力だ。

 (黒鉄の傭兵団は、魔法だけでなく技術と力で攻めてくる……)

 私は防御魔法を展開しながら、門の隙間から敵の動きを読み取る。
 黒鉄の鎧が反射する朝の光――彼らの顔は鉄兜に覆われ、表情もわからない。

 「門を守れ! ノクティア様がいるぞ、怯むな!」

 兵士たちの叫びが砦内に響く。
 私は自分の魔力が確実に減っていくのを感じながら、次々と治癒・防御の魔法を繰り出す。

 だが、状況は悪化するばかりだった。

 「負傷者! エイミー、こっちへ!」

 エイミーが薬品を抱えて走り寄る。

 「もう……もう、手当が間に合いません……!」

 血に染まった布、壊れた鎧、折れた槍――
 兵士たちの命が、目の前で一つ、また一つと消えていく。

 私は必死で彼らを治癒するが、全員は救えない。
 砦の医療棟は叫びと呻き声に満ち、混乱の中、エイミーも涙を流しながら奮闘していた。

 その時だった。

 「……あ、あの男が!」

 牢から逃げ出した男が、何かを握りしめて南門へと走っていく。
 私は咄嗟にその後を追った。

 男が南門の影で立ち止まり、鉄貨を門の前に投げつけた瞬間――
 門の向こうから、黒鉄の傭兵団の一人が小さな合図を送った。

 「まさか――!」

 私は直感的に魔力を全開にして障壁を張る。

 次の瞬間、南門が内側から爆発した。

 激しい衝撃、焼け焦げた風。
 叫び声、崩れ落ちる石、瓦礫の雨――

 目の前で兵士の一人が倒れ、男も爆風に巻き込まれた。

 私は崩れそうな門柱の下から這い出し、全身の力を振り絞って声を張り上げる。

 「全員、持ち場を死守! 敵はすぐそこまで来ている! 負傷者は後退、前衛は下がるな!」

 その間にも、黒鉄の傭兵団の先遣隊が南門の破壊口から雪崩れ込んできた。

 カイラスが剣を手に現れ、前衛を立て直す。

 「ノクティア、大丈夫か!」

 「私は平気。でも……!」

 砦は混乱と恐怖で満たされていた。
 敵の攻撃は予想以上に苛烈で、内通者による爆破という“裏切り”の衝撃は、兵士たちの士気を一気に下げていた。

 「敵の目的はノクティア様だ! 絶対に守れ!」

 レオナートが叫び、エイミーが負傷者を引きずる。

 私は内心、呪いたいほどの怒りと無力感に震えていた。

 (誰かが、誰かを裏切る。こんな現実が、まだこの世界にあるのか)

 黒鉄の傭兵団は、容赦なく砦内を制圧しようとしていた。
 彼らの冷徹な行動と、仲間の命が音を立てて失われていく現実。

 私は魔導士として、ただの“奇跡”だけでなく、
 “人を守る”という重さ――その現実を、全身で受け止めるしかなかった。

 その日、グランツ砦は、血に染まった。
 ノクティアという名の少女もまた、かつてない恐怖と無力の淵で、ひたすら叫び続けた。

 「――まだ、終わっていない! ここで止まるものか!」

 何もかもが崩れかける夜明けの砦で、私は再び立ち上がった。
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