56 / 107
5章
51話「春の兆しと不穏な影」
しおりを挟む
冬の名残が去り、グランツ砦にも春の訪れがはっきりと感じられるようになった。
砦の石壁には朝日が差し込み、まだ冷たい風が野に残る雪をそっと溶かしていく。
村の子どもたちの笑い声、畑で土を耕す音、朝の食堂で漂うパンの香り――
すべてが穏やかな“新しい日常”の始まりを告げていた。
ノクティアは窓辺に立ち、春の光に目を細めていた。
砦の庭には冬を越した花々が新芽を伸ばし、小さな蕾が膨らみ始めている。
その光景に、ノクティアは微笑みながらも胸の奥に淡い痛みを抱えていた。
(春がまた来た。この場所で、みんなと一緒に迎えられたこと――本当に、奇跡みたい)
けれど同時に、最近感じる身体の違和感が、彼女の心にわずかな影を落としている。
* * *
「ノクティアさん、おはようございます!」
明るい声とともに、エイミーが食堂から駆け寄ってくる。
すっかり砦の“看護師さん”として頼りにされる存在になったエイミーは、今日も忙しそうに包帯や薬草を運んでいる。
「おはよう、エイミー。朝から元気そうね」
「はい! 今日はみんなで花壇に新しい苗を植えるんですよ。ノクティアさんも、ぜひ……」
誘われるまま、ノクティアは中庭へ出る。
そこでは、子どもたちが手や顔を泥だらけにしながら、土を掘り返していた。
「ノクティア様、お花咲かせるの手伝って!」
小さな手に導かれ、ノクティアもしゃがみこむ。
春の土の匂いが、ほんの少しだけ彼女の心の痛みをやわらげてくれる。
「この場所が、もっときれいになったらいいね」
「うん! ノクティア様のお花、ぜったいきれいに咲くよ!」
その無邪気な声に、ノクティアも素直に笑い返す。
* * *
一方、砦の塔の上ではカイラスとレオナートが村の様子を見下ろしていた。
カイラスは春風に髪をなびかせ、遠くの山並みに目を細める。
「……春は好きだが、油断はできないな。雪解け水で道がぬかるんで、商人の往来も減っている。村の備蓄も心配だ」
「団長、村から“疫病”のうわさも入っています。春祭りまでに何か対策を……」
「エイミーやノクティアに相談しよう。あいつらの知恵と癒しの力は頼りになる」
そんな話をしながらも、カイラスの目は無意識に中庭で子どもたちと戯れるノクティアに向かっていた。
* * *
昼には、村から使者がやってきた。
「昨夜、森の端で“魔物の影”を見た」という不穏な報せだった。
「まさか……この辺りで魔物が活動するのは久しぶりだな」
カイラスは警戒を強めるが、ノクティアの表情はどこか落ち着いている。
「きっと大丈夫よ。みんなが気をつけていれば、何も起こらないはず」
だがその返事に、レオナートもエイミーもどこか胸騒ぎを覚えた。
* * *
その夜、ノクティアは一人、自室で静かに手紙を広げていた。
手紙には、王都の医師からの筆跡でこう書かれている――
「余命は、今のままなら春を越せるかどうか――」
ノクティアは静かに目を閉じる。
(怖くないと言えば嘘になる。でも、私は――)
砦の壁の外では、夜風に揺れる花の蕾。
子どもたちの寝息、カイラスや仲間たちのあたたかな気配。
(この場所で、みんなと共に、最後の春を――)
ノクティアはそっと手紙を仕舞い、静かに祈る。
「どうか、みんなが幸せでありますように。
この春が、誰にとっても優しい季節になりますように――」
* * *
翌朝、砦では春祭りの準備が本格的に始まった。
花壇には新芽が芽吹き、広場には色とりどりの旗が飾られる。
子どもたちが「ノクティア様も来て!」と呼びに来る。
ノクティアは微笑みながら彼らのもとへ向かう。
(私は、まだ“今”を生きている。
この場所で、やれることをやろう)
砦の春――
花と笑顔と、小さな不安を抱えて、新しい物語が静かに幕を開けようとしていた。
砦の石壁には朝日が差し込み、まだ冷たい風が野に残る雪をそっと溶かしていく。
村の子どもたちの笑い声、畑で土を耕す音、朝の食堂で漂うパンの香り――
すべてが穏やかな“新しい日常”の始まりを告げていた。
ノクティアは窓辺に立ち、春の光に目を細めていた。
砦の庭には冬を越した花々が新芽を伸ばし、小さな蕾が膨らみ始めている。
その光景に、ノクティアは微笑みながらも胸の奥に淡い痛みを抱えていた。
(春がまた来た。この場所で、みんなと一緒に迎えられたこと――本当に、奇跡みたい)
けれど同時に、最近感じる身体の違和感が、彼女の心にわずかな影を落としている。
* * *
「ノクティアさん、おはようございます!」
明るい声とともに、エイミーが食堂から駆け寄ってくる。
すっかり砦の“看護師さん”として頼りにされる存在になったエイミーは、今日も忙しそうに包帯や薬草を運んでいる。
「おはよう、エイミー。朝から元気そうね」
「はい! 今日はみんなで花壇に新しい苗を植えるんですよ。ノクティアさんも、ぜひ……」
誘われるまま、ノクティアは中庭へ出る。
そこでは、子どもたちが手や顔を泥だらけにしながら、土を掘り返していた。
「ノクティア様、お花咲かせるの手伝って!」
小さな手に導かれ、ノクティアもしゃがみこむ。
春の土の匂いが、ほんの少しだけ彼女の心の痛みをやわらげてくれる。
「この場所が、もっときれいになったらいいね」
「うん! ノクティア様のお花、ぜったいきれいに咲くよ!」
その無邪気な声に、ノクティアも素直に笑い返す。
* * *
一方、砦の塔の上ではカイラスとレオナートが村の様子を見下ろしていた。
カイラスは春風に髪をなびかせ、遠くの山並みに目を細める。
「……春は好きだが、油断はできないな。雪解け水で道がぬかるんで、商人の往来も減っている。村の備蓄も心配だ」
「団長、村から“疫病”のうわさも入っています。春祭りまでに何か対策を……」
「エイミーやノクティアに相談しよう。あいつらの知恵と癒しの力は頼りになる」
そんな話をしながらも、カイラスの目は無意識に中庭で子どもたちと戯れるノクティアに向かっていた。
* * *
昼には、村から使者がやってきた。
「昨夜、森の端で“魔物の影”を見た」という不穏な報せだった。
「まさか……この辺りで魔物が活動するのは久しぶりだな」
カイラスは警戒を強めるが、ノクティアの表情はどこか落ち着いている。
「きっと大丈夫よ。みんなが気をつけていれば、何も起こらないはず」
だがその返事に、レオナートもエイミーもどこか胸騒ぎを覚えた。
* * *
その夜、ノクティアは一人、自室で静かに手紙を広げていた。
手紙には、王都の医師からの筆跡でこう書かれている――
「余命は、今のままなら春を越せるかどうか――」
ノクティアは静かに目を閉じる。
(怖くないと言えば嘘になる。でも、私は――)
砦の壁の外では、夜風に揺れる花の蕾。
子どもたちの寝息、カイラスや仲間たちのあたたかな気配。
(この場所で、みんなと共に、最後の春を――)
ノクティアはそっと手紙を仕舞い、静かに祈る。
「どうか、みんなが幸せでありますように。
この春が、誰にとっても優しい季節になりますように――」
* * *
翌朝、砦では春祭りの準備が本格的に始まった。
花壇には新芽が芽吹き、広場には色とりどりの旗が飾られる。
子どもたちが「ノクティア様も来て!」と呼びに来る。
ノクティアは微笑みながら彼らのもとへ向かう。
(私は、まだ“今”を生きている。
この場所で、やれることをやろう)
砦の春――
花と笑顔と、小さな不安を抱えて、新しい物語が静かに幕を開けようとしていた。
20
あなたにおすすめの小説
元悪役令嬢、偽聖女に婚約破棄され追放されたけど、前世の農業知識で辺境から成り上がって新しい国の母になりました
黒崎隼人
ファンタジー
公爵令嬢ロゼリアは、王太子から「悪役令嬢」の汚名を着せられ、大勢の貴族の前で婚約を破棄される。だが彼女は動じない。前世の記憶を持つ彼女は、法的に完璧な「離婚届」を叩きつけ、自ら自由を選ぶ!
追放された先は、人々が希望を失った「灰色の谷」。しかし、そこは彼女にとって、前世の農業知識を活かせる最高の「研究室」だった。
土を耕し、水路を拓き、新たな作物を育てる彼女の姿に、心を閉ざしていた村人たちも、ぶっきらぼうな謎の青年カイも、次第に心を動かされていく。
やがて「辺境の女神」と呼ばれるようになった彼女の奇跡は、一つの領地を、そして傾きかけた王国全体の運命をも揺るがすことに。
これは、一人の気高き令嬢が、逆境を乗り越え、最高の仲間たちと新しい国を築き、かけがえのない愛を見つけるまでの、壮大な逆転成り上がりストーリー!
追放された悪役令嬢が前世の記憶とカツ丼で辺境の救世主に!?~無骨な辺境伯様と胃袋掴んで幸せになります~
緋村ルナ
ファンタジー
公爵令嬢アリアンナは、婚約者の王太子から身に覚えのない罪で断罪され、辺境へ追放されてしまう。すべては可憐な聖女の策略だった。
絶望の淵で、アリアンナは思い出す。――仕事に疲れた心を癒してくれた、前世日本のソウルフード「カツ丼」の記憶を!
「もう誰も頼らない。私は、私の料理で生きていく!」
辺境の地で、彼女は唯一の武器である料理の知識を使い、異世界の食材でカツ丼の再現に挑む。試行錯誤の末に完成した「勝利の飯(ヴィクトリー・ボウル)」は、無骨な騎士や冒険者たちの心を鷲掴みにし、寂れた辺境の町に奇跡をもたらしていく。
やがて彼女の成功は、彼女を捨てた元婚約者たちの耳にも届くことに。
これは、全てを失った悪役令嬢が、一皿のカツ丼から始まる温かい奇跡で、本当の幸せと愛する人を見つける痛快逆転グルメ・ラブストーリー!
傍若無人な姉の代わりに働かされていた妹、辺境領地に左遷されたと思ったら待っていたのは王子様でした!? ~無自覚天才錬金術師の辺境街づくり~
日之影ソラ
恋愛
【新作連載スタート!!】
https://ncode.syosetu.com/n1741iq/
https://www.alphapolis.co.jp/novel/516811515/430858199
【小説家になろうで先行公開中】
https://ncode.syosetu.com/n0091ip/
働かずパーティーに参加したり、男と遊んでばかりいる姉の代わりに宮廷で錬金術師として働き続けていた妹のルミナ。両親も、姉も、婚約者すら頼れない。一人で孤独に耐えながら、日夜働いていた彼女に対して、婚約者から突然の婚約破棄と、辺境への転属を告げられる。
地位も婚約者も失ってさぞ悲しむと期待した彼らが見たのは、あっさりと受け入れて荷造りを始めるルミナの姿で……?
婚約破棄で追放された悪役令嬢、前世の便利屋スキルで辺境開拓はじめました~王太子が後悔してももう遅い。私は私のやり方で幸せになります~
黒崎隼人
ファンタジー
名門公爵令嬢クラリスは、王太子の身勝手な断罪により“悪役令嬢”の濡れ衣を着せられ、すべてを失い辺境へ追放された。
――だが、彼女は絶望しなかった。
なぜなら彼女には、前世で「何でも屋」として培った万能スキルと不屈の心があったから!
「王妃にはなれなかったけど、便利屋にはなれるわ」
これは、一人の追放令嬢が、その手腕ひとつで人々の信頼を勝ち取り、仲間と出会い、やがて国さえも動かしていく、痛快で心温まる逆転お仕事ファンタジー。
さあ、便利屋クラリスの最初の依頼は、一体なんだろうか?
金喰い虫ですって!? 婚約破棄&追放された用済み聖女は、実は妖精の愛し子でした ~田舎に帰って妖精さんたちと幸せに暮らします~
アトハ
ファンタジー
「貴様はもう用済みだ。『聖女』などという迷信に踊らされて大損だった。どこへでも行くが良い」
突然の宣告で、国外追放。国のため、必死で毎日祈りを捧げたのに、その仕打ちはあんまりでではありませんか!
魔法技術が進んだ今、妖精への祈りという不確かな力を行使する聖女は国にとっての『金喰い虫』とのことですが。
「これから大災厄が来るのにね~」
「ばかな国だね~。自ら聖女様を手放そうなんて~」
妖精の声が聞こえる私は、知っています。
この国には、間もなく前代未聞の災厄が訪れるということを。
もう国のことなんて知りません。
追放したのはそっちです!
故郷に戻ってゆっくりさせてもらいますからね!
※ 他の小説サイト様にも投稿しています
追放された悪役令嬢は、辺境の谷で魔法農業始めました~気づけば作物が育ちすぎ、国までできてしまったので、今更後悔されても知りません~
黒崎隼人
ファンタジー
公爵令嬢リーゼリット・フォン・アウグストは、婚約者であるエドワード王子と、彼に媚びるヒロイン・リリアーナの策略により、無実の罪で断罪される。「君を辺境の地『緑の谷』へ追放する!」――全てを失い、絶望の淵に立たされたリーゼリット。しかし、荒れ果てたその土地は、彼女に眠る真の力を目覚めさせる場所だった。
幼い頃から得意だった土と水の魔法を農業に応用し、無口で優しい猟師カイルや、谷の仲間たちと共に、荒れ地を豊かな楽園へと変えていく。やがて、その成功は私欲にまみれた王国を揺るがすほどの大きなうねりとなり……。
これは、絶望から立ち上がり、農業で成り上がり、やがては一国を築き上げるに至る、一人の令嬢の壮大な逆転物語。爽快なざまぁと、心温まるスローライフ、そして運命の恋の行方は――?
追放先の辺境で前世の農業知識を思い出した悪役令嬢、奇跡の果実で大逆転。いつの間にか世界経済の中心になっていました。
緋村ルナ
ファンタジー
「お前のような女は王妃にふさわしくない!」――才色兼備でありながら“冷酷な野心家”のレッテルを貼られ、無能な王太子から婚約破棄されたアメリア。国外追放の末にたどり着いたのは、痩せた土地が広がる辺境の村だった。しかし、そこで彼女が見つけた一つの奇妙な種が、運命を、そして世界を根底から覆す。
前世である農業研究員の知識を武器に、新種の果物「ヴェリーナ」を誕生させたアメリア。それは甘美な味だけでなく、世界経済を揺るがすほどの価値を秘めていた。
これは、一人の追放された令嬢が、たった一つの果実で自らの運命を切り開き、かつて自分を捨てた者たちに痛快なリベンジを果たし、やがて世界の覇権を握るまでの物語。「食」と「経済」で世界を変える、壮大な逆転ファンタジー、開幕!
大自然を司る聖女、王宮を見捨て辺境で楽しく生きていく!
向原 行人
ファンタジー
旧題:聖女なのに婚約破棄した上に辺境へ追放? ショックで前世を思い出し、魔法で電化製品を再現出来るようになって快適なので、もう戻りません。
土の聖女と呼ばれる土魔法を極めた私、セシリアは婚約者である第二王子から婚約破棄を言い渡された上に、王宮を追放されて辺境の地へ飛ばされてしまった。
とりあえず、辺境の地でも何とか生きていくしかないと思った物の、着いた先は家どころか人すら居ない場所だった。
こんな所でどうすれば良いのと、ショックで頭が真っ白になった瞬間、突然前世の――日本の某家電量販店の販売員として働いていた記憶が蘇る。
土魔法で家や畑を作り、具現化魔法で家電製品を再現し……あれ? 王宮暮らしより遥かに快適なんですけど!
一方、王宮での私がしていた仕事を出来る者が居ないらしく、戻って来いと言われるけど、モフモフな動物さんたちと一緒に快適で幸せに暮らして居るので、お断りします。
※第○話:主人公視点
挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点
となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる