恋人以上、恋愛未満

右左山桃

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1章 そんな風に始まった

32 ふたり、望んだもの

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警察署を出る頃、時刻は3時になっていた。
被害届を作って、自分の話せることは全て柊さんに話した。
早く捕まって欲しいけれど、あとのことは警察に委ねるしかない。

雅が母に私を送っていくと申し出てくれたので、雅とタクシーに乗って家に帰る。
ふたり、交わした言葉はほとんど無かったけど、雅は私の手をずっと握っていてくれた。
平静を装っている雅の手から時折震えが伝わってきて、おかしいかもしれないけど、それで私もやっと”怖い”という感情を自覚した。


――もっと、普通は…………。
怒ったり、ショックを受けるんじゃない? 傷ついたりとか。


なんとなく、雅に会った頃に言われた言葉を思い出す。
今更ながらに、それはこんな気持ちなのかと思った。

私のボロアパートに帰ってくる。
お財布からお金を出そうとして、お札が抜かれていたことを思いだした。
動きが止まった私を尻目に、雅は「いいよ、いいよ。大丈夫」と言いながら、お金を払ってくれた。


「……今日はずっと美亜の傍にいるから」


雅も私と一緒にタクシーから降りた。
そろそろ朝が近い。
緊張が解けたら、どっと疲れが押し寄せて、体は気だるく眠かった。


「……ありがとう……」


雅の好意を素直に受け取る。
雅が傍にいてくれたら、嫌なことは一時的にでも全部忘れて、暖かい気持ちで眠ることができる気がする。
走り去ったタクシーを見送って、もう一度アパートを見上げた。
古く建てつけの悪い窓、何のセキュリティもない上に、前の持ち主から変わっていない鍵。
人気のない通りにひっそりと佇むこのアパートは、確かに治安がいいなんてお世辞にも言えないけど。
もっと安全な所に引っ越して……それで……。


「……本気なの? 母の前で言ったこと……」


私が尋ねると、雅は少し間を置いて「本気だったよ」と答えた。
そして、「でも俺が美亜にできることは……ここが限界だと思ってる……」とも言った。


「ずっと悩んでた。俺のしていることは正しいのか。美亜を苦しめてるだけなんじゃないのかって……。美亜にとっての幸せってなんなのか、ずっと考えてた」


面倒くさい、と避けてきたこと。
私の幸せなんて、私自身がまともに考えたことがなかった。


「ひとりが平気な人なんか、きっといない。美亜が寂しがってることもわかってたし、放っておくことが正解だとは、どうしても思えなかった」

「寂しがってた……? 私が?」

「美亜はもう、大分麻痺しちゃってるけど……」


私が立ち止まった時も、諦めてしまった時も、雅はずっと私に手を伸ばし続けてくれた。
拒絶された相手にそれを続けることは、傷つく覚悟と、どれだけの気力と体力が必要だったんだろう。
殻に閉じこもって考えることを辞めていた。あの時の私よりも、雅はずっとずっと辛かったのかもしれない。


「ごめんなさい……」

「美亜は、今でも俺が同情で付き合ってると思ってるの?」

「え?」


チカチカと点いたり消えたりする街灯の下。
数秒の沈黙の後で、雅が溜息をついて遠くを見つめた。


「……美亜はどう思ってるの?  俺だけが一緒にいたいと思っても、思いが一方通行だと、それは全部独りよがりな我儘になるんだよ。俺は美亜が手を伸ばしてくれなきゃ、もうこれ以上そっちへは行けない」

「私は今まで、私に付き合わせることは、雅が可哀想だと思ってた」

「俺がしたくてしてきたことが、なんで可哀想になるの?」

「私は雅に、何も返してあげられないかもしれない。雅は私と一緒にいても馬鹿をみるだけかもしれない」

「自分でとった行動の責任くらい、最後まで自分でとるよ」

「私、恋愛感情がわからない……」

「それはもう知ってる」

「……じゃあ……」


どうすればいいのかわからなくて、私は眉根を寄せて雅を見た。


「美亜は俺と一緒にいたい? この質問にだけはちゃんと答えて。俺は一緒にいたいよ」


瞳を覗きこまれる。
私の些細な感情の変化さえも見逃さないようにしている、真剣な雅から目を逸らすことができなかった。


「…………っ」


見つめ合っている間の緊張感。
ストレートな雅に、じわじわと恥ずかしくなってきて胸が詰まる。

私なんかと一緒にいて、何の得があるんだ、何が楽しいんだ。
他に女の子なんて、もっと良い子だって……どこにでも……たくさん……。

たくさん……。
いつものようにそこまで考えた。

だけど、ごめんね。
その言葉は、どうしようもなく。


「雅の優しさに甘えても……つけこんでもいいの?」

「甘えてもつけこんでもいないよ。美亜は俺に望まれてここにいるんだから。俺だって一緒にいるのなら美亜に望まれて一緒にいたい」


どうしようもなく、嬉しくて。 
全ての気持ちの中で一番の気持ちを優先したら、どう足掻いても、きっとここに帰ってくる。


「一緒に……いたい……」 


だって、こんなにも嬉しくて。
”ひとりで平気”は、私にはもう無理だ。


「……傍に……いて……」


緊張して、上手く声が出なくて焦った。
それでもどうしてもちゃんと伝えたくて、私は雅の袖を掴んで、精一杯言葉を紡いだ。

放っておかないで。
ここにいて。
私を望んで、必要として。


「一緒にいたい」


その声は、はたして。
震えていたかな、掠れていたかな。

雅が私に求めていたものが、もしも何かあったとするなら。
そのひとことだけ、だったのかもしれない。 
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