臆病なカモは暗殺されたくないのです

秋澤えで

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芹沢鴨になりまして

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 「我々の本懐は、近く上洛せらるる将軍の護衛などではない。真は天子様をお守りし、尊王攘夷をの先駆けたらんとするところにある。」


 新徳寺本堂にて、清川八郎はそう宣言した。
 本堂に集められた浪士たちはざわざわと言葉をひそやかにかわしあう。仰々しい清川の言葉からその真意を量り取ることは難しい。
 そんな浪士たちの中、おれは気を抜けば開いて閉じなくなりそうな口をムッと、引き結んでいた。


 「我々は天朝の兵として働き、攘夷断行の先鋒とならん。」

 「……芹沢先生、これは、」
 「まあ待て新見くん。」


 隣に座る新見錦の言葉を遮る。朗々と己の考えを、尊王攘夷の志を語る清川八郎に眉を寄せながら、持っていた鉄扇でパシリ、と掌を打つ。


 「……うむ、」


 これは一体どういうことだろうか。

 ついさっきまでおれは教室で数学のテストを受けていたはずだ。
 毎度のことながら半分程度しか回答が埋まらず菩薩顔で試験終了時間を待っていたはずだ。いや、確かあまりのわからなさに睡魔に襲われた。


 そして目を覚ませば何やら志を持った男たちの一員なう。


 これは一体どういうことだろうか。

 おれは健全な男子高校生である。名前はもうある。

 隣にいる大男は新見錦。おれは初対面であるはずなのに、この男のことを知っていた。知らないはずのことなのに、思い出そうとすればスルスルと身に覚えのない記憶が蘇ってくる。

 おれは善良な男子高校生である。生粋の幕末オタクで司馬史崇拝者でもある。
 ゆえに新見錦のことは知っている。だが彼の写真は残されていないはずだしなによりおれと会話をしたこともない。


 さて現状を把握しようではないか。

 寺の本堂で演説をする清川八郎。
 おれの様子を伺う新見錦。
 さきほど呼ばれた『芹沢先生』
 そしておれの腰には到底模型には見えない刀、手には上等な鉄扇。思考に耽るように顎に手をやればごつごつとした骨格。


 あ、これはあれだ。

 おれ、芹沢鴨になってるわ。


 「……ふん、馬鹿馬鹿しい。」


 口を開けば勝手に飛び出す傲慢な言葉。

 いや、うん。本当に馬鹿馬鹿しい。

 何がどうあっておれは芹沢鴨になってんの?さっきまで数学のテストやってたじゃん?歴史のテストですらないぞ。なんで芹沢鴨?幕末好きだけどタイムスリップするほどじゃないぞ。

 なんとか記憶を遡ろうとするが、やはり記憶は数学のテストで終わっていて、それよりも何か思い出そうとすると出るわ出るわ、芹沢鴨としての記憶。


 本当に馬鹿馬鹿しいことこの上ない。


 おれ芹沢鴨に憑依したっぽい。


 ざあ、と血の気が引くのを感じた。
 なんでよりにもよって芹沢なんだ。

 おれは自他ともに認める幕末オタクである。
 中学のときに友達に勧められた時代小説で新選組にどっぷりはまり、攘夷派や幕府派も関係なくひたすら幕末関連図書を読み漁っていた。

 ちなみに好きな幕末の偉人は土方歳三、坂本龍馬、吉田稔麿。
 嫌いな偉人は岩倉具視、徳川慶喜、伊東甲子太郎、そして芹沢鴨。

 そう、おれは芹沢鴨が嫌いだ。

 京都での散々な傲慢な立ち振る舞い。酒池肉林とは言わないが欲望に忠実で非理性的な野蛮な男。水戸出身であり学に通じているが激烈な性格。

 嫌な奴、そんなイメージだ。

 新選組の小説を読むとき、芹沢鴨が新撰組内の近藤一派によって暗殺されるシーンはかなりスカッとしたし、かっこいい!とか思っていた。
 しかし今のおれからすればかっこいいもクソもない。

 清川八郎が浪士を募り京に集まる。そして清川は浪士たちをつれ尊王攘夷派となるが、芹沢鴨や新見錦、近藤、土方たちは京都残留組として福島、会津藩の松平容保お預かりの浪士組となる。

 それから数ケ月後、芹沢一派は近藤派によって暗殺される。

 いや、早えよ。展開が早い。京都に来て数カ月で身内に暗殺されるとか、笑えない。

 芹沢鴨が殺されるのは良いけど、おれが殺されるの、笑えない。
 土方さんとか大好きだけど、まかり間違っても殺されたいとかそういうベクトルじゃない。
 っていうかもし幕末に来るなら近藤派がよかった!絶対そっちの方が楽しい!
 天然理心流なら京都にいる間は確か討幕されるまでは無事だし、そこからなら逃げおおせることもできる。

 だがおれは芹沢鴨。生き延びるとかそういうレベルじゃなくて、死亡フラグしかない男。

 芹沢鴨になって数分。すでに詰んでる。
 すでに詰んでるというかどう転んでもどうにもならない気がする。

 やばい。

 死にたくない。


 「……新見、おれは少し外に出てくる。平山達には適当に言っておいてくれ。そのうち戻る。」
 「わかりました。……顔色が良くないように見えますが、大丈夫ですか?」
 「清川の言ってることを考えりゃあ素面でいれまい。」


 がやがやと声の渦巻く部屋から一人出る。おれのあとを追おうとした隻眼の男、平山を新見がうまい具合に引き留める。

 せかせかと外に出ると、夜が深い。寺から数分歩いただけで暗闇に染まる。明かりなどない。現代でならあり得ないほど澄んだ空気にこれでもかと広がる星空。

 夢なら覚めろ。鉄扇で指を叩けばぶつり、と皮膚が切れぼたぼたと血が垂れる。
 痛い。

 じわじわと広がる痛みと熱。間髪入れずにすっぱいものが喉をこみ上げ、草むらでにしゃがみ込む。土の匂いに吐瀉物の匂いが混じる。

 何があったのかわからない。
 なんでおれが芹沢鴨なのか。

 適当に生きてきて、特別良いことも悪いこともしなかった。

 それなのにこれから一年と立たないうちに殺される男に憑依させるっていうのはちょっと理不尽じゃないか神様。


 みっともなく吐き散らし、知らず涙が浮かぶ。

 果たして芹沢鴨と言う男はプレッシャーや絶望感で嘔吐したことがあっただろうか。泣いたことがあっただろうか。嫌いだったかの男のことを、おれはあまり詳しく知らない。ただ新選組創立の時、その権力と血を買われ、使い潰された。有用だったから使われ、邪魔になったから殺された。


 「ふざけるなっ……、」


 無意識に懐から手拭いを出し、口元を拭う。

 もしかしたら、死ねばもとに戻れるかもしれない。死んだらあの教室に戻っているかもしれない。

 だがそれでもおれは殺される覚悟など到底できない。

 今は芹沢鴨でも、おれは善良な男子高校生だ。
 史実通り殺されても仕方ないよな、なんてとても割り切れない。

 死ぬことは、恐ろしい。
 理屈ではなく、本能だ。これからおれは芹沢鴨として殺される。だが、


 「絶対ぇ生き残ってやる。」


 史実と違おうと、未来が変わろうとそんなことはどうだっていい。


 おれは絶対に死んでなどやらない。


 おれは一介の男子高校生だ。特殊能力もなければ突出した頭脳も武力もない。
 だが今の芹沢鴨たるおれは違う。

 記憶を探れば水戸学は染みついている。身体は武人で技術も覚えている。なによりおれは未来を知っている。

 新選組の未来のことを考えると、芹沢鴨には死亡フラグしかない。どうあっても近藤派によって暗殺される。

 それならば知っている限りの死亡フラグを全力で叩き折ってやろう。


 「おれは、生き残ってやる。」


 豪胆であったという芹沢鴨と、臆病なおれとじゃ天と地ほどの差がある。


 だが歴史において言えることがある。
 偉業を成すのは豪胆であり、器の大きな人間だ。

 だが戦場で生き残るのは臆病な人間なのだ。

 使い潰されてくれる気などさらさらない。

 カモはカモなりに画策するのだ。
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