臆病なカモは暗殺されたくないのです

秋澤えで

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  八木源之丞の屋敷に記憶をたどりながら戻ればちょうど廊下に出ていた新見と鉢合わせる。


 「芹沢先生、お加減はどうですか?」
 「あいや、問題ない。しばらく歩いて、頭が冴えた。」
 「まだ顔色はよくないようですが、気付けの酒は、」
 「酒は、いい。」


 途端に目を丸くする新見に内心苦笑いをした。芹沢鴨は常に酒気を帯びていると言っても過言でないほどの酒好きでよもや酒を断るとは思わなかったのだろう。


 「先生、まだご気分が、」
 「酒を呑むわけにはいかんのさ。」
 「……そう、申されますと?」


 声を低め囁くように言う。


 「このあと一人、来客がこの部屋を訪れる。」
 「誰ぞとお約束をしておいででしたか。」
 「いいや、約束はしておらん。ただわかるのだ。」
 「わかる?」

 「ここだけの話、おれには未来が見えている。」


 心配そうな顔から困惑したような顔になる新見に喉の奥でクツクツと笑った。ここで訝し気な顔をしないあたり、芹沢鴨という男は身内には慕われていたらしい。
 これは一種の賭けに近い。


 「しばらくした後に、男が部屋に来る。」
 「どちらで?」
 「無名の道場主、多摩の田舎から出てきた近藤という男だ。おれたちと同じこの八木屋敷に寄宿している。」
 「はあ、確か6番隊の8人連れで。」


 返事ともため息にもとれる言葉を吐く新見。常に酔っているような男の言うことをどこまで真に受けるか持て余しているのだ。


 「そいつはおれに、いやおれたちにある話を持ち掛けてくる。その話を聞くって時に酩酊しては話にならん。」
 「……それは、油断ならない男ということでしょうか。」
 「いいや、近藤は違うだろう。……奴が来ればわかる。」


 ニヤニヤしながら戸惑う新見を廊下に置き去りにして部屋に入った。


 わざわざ新見に「未来がわかる」などと気を疑われるようなことを言ったのには理由があった。

 これからおれ、芹沢鴨は全身全霊で死亡フラグを折りにいく。

 正直、新選組も作らず幕府を裏切る気を見せる清川にもついていかず水戸に帰りたい。田舎に引きこもって明治維新が終わるまでひっそり暮らしたい。だがそうは問屋がおろさない。

 まず間違いなく、近藤と土方は芹沢を担ぎ上げようとするだろう。芹沢を、と言うより芹沢の立場を、だ。芹沢鴨、本名を木村継次という。芹沢の実の兄は木村伝左衛門といい、水戸徳川家の京都屋敷に公用方として詰めている。そして公用方は、福島、いやこの時代で言う会津藩の京都守護職松平容保公と親交がある。

 簡単に言うと、京都に浪士組として旗を上げるために、芹沢のコネを使って松平公に浪士組結成の願いを出して公式に幕府に籍を置きたいのだ。

 京に残り旗本となりたい彼らはおれを決して逃がしはしない。

 きっと彼らにおれは芹沢鴨ではなく、幕府の名を得たネギを背負うカモに見えているだろう。彼らが欲しいのはおれが背負っているネギだ。何としてでも利用しにかかるに違いない。


 さて、超逃げたいのに逃げ場がない。

 しかも不幸なことに江戸から出てきた試衛館の近藤一派と芹沢一派の寄宿する屋敷は同じ。突撃しない理由がない。

 今は逃げ出せない。

 なのでとりあえず、近藤派が満足するまで力を貸そう。
 それからしばらく新選組にいて、大政奉還が起きた後の鳥羽伏見の戦いのときにどさくさ紛れて逃げ出そう。そうしよう。

 当面のおれの目標は、邪魔になってから暗殺しようとする近藤派を牽制し、のらりくらりとかわし続けることだ。


 彼らはおれを利用するために手段を選ばない。
 ならばおれも生き残るために手段を選ばない。

 幕末に関する知識で生き残ってみせる。

 常に一手、二手先に行動し、殺されないように、頑張る。


 「芹澤先生、おかえりなさい!どこに行ってたんです?」
「何、少し外の空気を吸いにいっていただけだ。」


どかりと畳に腰を下ろすとあとを追った新見も側につく。親しげに盃片手に寄ってきた野口健司を片手で制す。


「清川の件。俺たちは決断しなくてはならん。」
「……斬りますか。」
「そう急くな。急けば損じる。」


一瞬で締まった空気に平山五郎が真っ先に殺気立つ。


「まだだ。早計に決してはならん。これから時代は大きく動く。慎重に潮を読まねば、おれたちに未来はない。」


殺気は萎むが、静かに興奮、高揚と言った感情が空気に漏れ出す。


「今は好き勝手に動いてなんとかなる時世ではない。故に策を弄すは必然。……俺は、この芹澤は好き勝手にやってきた。だがそれももう終わりだ。京に上ったからには男として武士として旗をあげ、功をなさねばならん!もはや水戸の無頼漢木村ではない!今は京の芹澤だ!」

「多かれ少なかれ様変わりもしよう。お前らの意に沿わんこともあるだろう。だがあえて言う。俺についてこい!俺についてくれば必ずこの動乱の世に台頭させてみせよう!」


わっと声が上がる。そのどれもが賛同の声で、俺は鷹揚に頷いた。

早い話、前の俺とは性格違うし臆病かってくらい慎重に真面目になるけど、お前らは好き勝手しないで俺についてこい、問題起こして無駄な死亡フラグ立てるんじゃねぇぞ。という演説である。

たとえそれが黒であろうと、おれが白と言えば白。それくらいの忠誠にも近いようなものが必要だった。

何となくそれっぽく言ったが内心ビクビクだし、正直自分が何言ってるのかもあやふやだ。……決して平山にビビっていたわけではない。殺気だって目をギラつかせてたからとかでは、断じてない。


それに嘘はいってない。俺についてくればほぼ全員死ぬはずだったこの芹澤派全員を死なせないようにできる。むしろこいつらが死んだらいよいよ俺が詰む。芹澤親衛隊(仮称)、いざとなったら肉壁にすらなってくれると信じてる。

そもそも芹澤たちが殺される原因となったのは、京での傍若無人な振舞い、ただそれだけである。落ち度を作らなければ、会津藩から殺害命令は降りないはずだ。近藤派から疎まれ謀殺されない限りは。


「新見、」
「はい、そろそろ来るぞ。」


ピリリとした空気はなくなり緩みかけていたが、隣にいた新見に耳打ちする。

『俺についてくれば必ずこの動乱の世に台頭させてみせよう』という言葉は先に新見に言っておいた、未来がわかる、ということを匂わせるためだ。他の奴らは単に自信がある、気概があると捉えるだろうが、新見は違う。

 新見はこれから新選組において身の振り方を間違えてもらっては困るのだ。

 理不尽なことも言いつけることとなるだろうが、確実に指示に従わせ、なおかつ下手に疑心を疑わせないために、新見にだけは真偽判断しがたい与太事を吹き込んでおくのだ。


 夜はふけ、宴もたけなわになる。平山、野口、平間には酒を呑ませるが、注がれる杯は嘗めるだけ、一応と、新見にもそれとなく杯を置かせる。


 酒など大して入れていないというのに、身体は言いようもない高揚感に包まれていた。

 芹沢鴨に関しては好きでもなんでもないし、特にこれと言った感慨もない。

 だがこの、あれほど自分が調べまくり資料を読み漁っていた歴史の中に、今自分が存在する。歴史的な現場に立ち会うどころか、当事者として存在するのだ。嬉しいとも感動とも違う、表しがたい興奮がそこにはあった。


 これからあの新選組の局長、近藤勇が姿を現すのだ。

 明らかに確信して障子の向こう側を気にする俺に感化されためか、新見がどこか尻の座りが悪そうにそわそわとしだす。

 ふ、と障子に一つ影が差した。


 「夜分遅く、失礼いたします。多摩、試衛館の近藤と申します。是非芹沢先生に拝謁したく、」


 来た。

 にい、と口角を上げ笑う俺に、新見は驚愕に目を見開かせた。

 さて筋書きの決まった猿芝居、始めようではないか。
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