臆病なカモは暗殺されたくないのです

秋澤えで

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初舞台に上りまして

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 す、と引かれた障子の先、ほの暗い廊下に五尺四寸ばかりの人影。総髪に厳めしい角ばった顔が挙げられた。

 多摩、試衛館道場主、近藤勇。

 見た顔であった。それはおれとしての記憶においても、芹沢鴨としての記憶においても。

 何度も写真などで見たことのある顔。そして京の道中、宿の手配で手違いを起こし、危うく野宿しかけた原因でもある男だ。その際、顔を合わせた。


 「これはこれは近藤くん。……まあとりあえず座るといい。野口、近藤くんに杯を、」


 平間と飲み比べをしていた野口を手で呼び、酌をさせる。部屋に入った近藤はひどく所在なさげで、顔を強張らせて腰を下ろした。

 がちがちに緊張した近藤は戸惑いながら杯を受け、飲み干す。本当はのみたくもないだろうに、と思いながらおれは升にはいった水を飲んだ。

 肩に力が入り、逸らすことなく視線がこちらを向いているため、よく目が見えた。先ほどの新見のように彼は困惑し、訝しんでいる。

 当然だ。京に上る道中、宿が手配されていなかった時、芹沢鴨は街で「暖を取るため」などと称し盛大なたき火をした。たき火、というとそれほど問題ないかとも思われるが、大問題だ。火事は殺しよりも刑が重い。殺しでは死刑にならないこともあるが、火事を起こせば江戸では極刑だ。

 清川八郎の集めた浪士組が火事を起こしたなどとあれば、全体の汚名となりうる。
 そしてもし火事になったとすれば、大元は近藤の手違いにあるのだ。

 要するに、近藤への当てつけだ。

 結果、近藤は芹沢に対し地面に頭を付け謝罪した。己のミスとはいえ、この上ない屈辱であっただろう。我がことながら、屑だ。

 さて、そんなとても良いとはいえない邂逅をした芹沢鴨と近藤勇。それが今日、部屋を訪れれば何事もなかったように迎え入れられるどころか、歓待ともいえるような扱いを受けている。
 さぞ困惑しきりだろう。


 「それで近藤くん、なにようで?」
 「芹沢先生、一つ、お話がありまして。」
 「ほう、聞こう。」


 それとなく水を向ければようやっと口を開いた。
 ここで近藤が何を話しだすか、それはすべて知っている。


 「先生は、清川八郎をどう見ますか?」
 「清川をか?」


 着地点は決めてある。だがどうやってそこまで持っていくか。
 小さな座敷の猿芝居。今の役者はおれと近藤。脚本を持つは土方。


 「大した御仁だろう。幕府の名を、金を借りてだがこれほどの浪人を集め、好きに使おうというのだ。頭の切れる、小僧だ。」


 口の渇きを、緊張をごまかすように水を口に含む。ここからが猿芝居の本番なのだから。
 想定外だろう。傲慢高慢な男がこうして年下の男を褒めるのだ。芹沢鴨という男は、めったに人を褒めたりはしない。その男が惜しむことなく褒めるのだ。

 近藤はこう思うだろう。
 芹沢鴨は清川八郎を高く買い、気に入っている。そして清川の論に賛同していると。
 予想通り、近藤は色を変える。


 「で、では芹沢先生は清川について、」
 「だが、弁が立ちすぎ、幾重にも策を巡らせる男だ。信用に値するとは言えん。近藤くん。君は清川の小僧をどう見る?」

 「わたしは、清川は不誠実である。この浪士組を好きに使うのも、大公儀の信頼に対する大いなる裏切りだと考えています。」
 「ああそうだろう!」


 声を張るとびくりと身体を揺らす。

 近藤に渡された脚本は『水戸天狗党という看板を得るため、芹沢鴨をその気にさせる』というものだ。近藤の言に賛同させ、そしてハリボテの神輿に担ぎ上げる。想定する話の流れは、田舎者と近藤を軽んじる芹沢に対し弁を弄し、世辞を使って取り入れることだ。

 言ってしまえば、芹沢は完全に聞き地蔵と化し、それを混同が説得する。近藤はそう土方に告げられているはずだ。

 ならばその根本をひっくり返してしまえばいい。


 「清川の小僧は天下の幕府、大公儀の信用を裏切り、その名と金を好き勝手に使い、お上も我ら浪人たちをも騙しているのだ!」
 「ま、まさしく!」


 酒に弱い近藤に酒を飲ませ判断を鈍らせた。もともと嘘もつけない愚直な男なのだろう、哀れに思えるほど座における機転が利かない。脚本にないアドリブ、役者は平然と芝居を続けなければならないのだ。

 この劇で、舞台を降りることは許されない。


 「揚句尊王攘夷という言葉を振りかざし、さも己が正しいかの如く振る舞ってみせる!その言は悉く、己が矮小さを隠し、浪士たちの目をくらませるための陳腐な隠れ蓑に過ぎない!」
 「その通りで!」
 「尊王攘夷と宣ってみせるが、結局は今の幕府に対して反旗を翻すに同じ!その実は、天子様ですら己の欲がために利用しようとする天下の大逆賊である!」


 完全に座はおれの独壇場となった。なんとかよいしょに切り替えてみの置き場を得た近藤に口角を上げる。与えられた脚本をひっくり返しゼロに戻すのはここまでだ。


 「……近藤くん、君もまた清川に思うところがあるのだろう。このまま清川についていくまい。」
 「ええ、ええ、もちろんです。清川とはここで袂を分かつ所存で。」
 「ではどうするおつもりだ。騙すような形とはいえ清川によって我々は上洛した。再び東に戻られるか。」


 冷や汗をかく近藤を真正面から見据える。
 暴れ馬の手綱を持つ御者の気分なのだろう。だが違う。この場においておれこそが、猿の縄をもつ猿回しなのだ。


 「……我々は、京に残留しようと考えています。」
 「おお!奇遇だな、我々もそう考えていた!」


 一瞬、静かに周りでことを伺っていた新見たちがどよめくがそこは流石というか、特に異を唱える者はいない。ある程度は予想していたのだろう。


 「新たに党を立ち上げ、本懐の通り幕府の手足となって京都の守護にあたるのだ。」
 「党、ですか。しかし、」


 ちらりと平山達に目を向ける。


 「皆までいうな。わかっている。我々には如何せん人数が足りない。ここにいる新見たち、水戸出の者達を合わせてもたった五名。これでは党にはならん。」
 「では!」
 「故に京で人を募る。何十、いや何百という者を集め組織を作るのだ。この時勢、道場で徒にその力を燻ぶらせるものも少なくはない。十分な人数を集めるに、そう時間はかかりはしないだろう。」


 何一つ仲間である水戸人に話してはいないが、そこはわかったように頷きあう。芹沢鴨が突拍子もないことは今に始まったことではないのだろう。破天荒具合には感謝する。


 「京には長州や薩摩の不届き者が多くいるという。倒幕を唱える者の一掃に、これほど向いた舞台はない。なにより、京で浪士組が発足しお上から認められれば、不届き者を成敗できる上に天子様をその御膝元で守ることもできる。これこそ理想の尊王攘夷だろう。」


 まさしくまさしく、そう感服しきりというように相槌を打っていた近藤だが、ここまで聞いてハッとしたようだった。だがもう遅い。酒で血色のいい顔色が青くなる。


 そうこれでは武州組が困るのだ。土方の立てた脚本はこれですべて泡となった。
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