ある伯爵と猫の話

秋澤えで

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本編

子攫いと兵団長

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 見慣れたはずの街の景色も、人の視点で見るとまるで違います。巨大であった建物は普通の大きさに、はるか遠くだった空も手が届きそうなくらい近くなっています。スイスイ、と青い空を、一羽の鳥が横切りました。


 「鳥さん鳥さん!私人間になれたんです!」
 「これは驚いた。君はもしかしてぱいにゃんかい?」


 空を横切ったナイチンゲールがぐるりと空を回って戻ってきました。驚いた驚いたと、歌うように言います。お喋りなナイチンゲールは午前中に質問をした方の中の一人でした。


 「あの伯爵様とところへいくのかい?」
 「ええ!人間になれたんですもの!これで伯爵とお話ができます!危機をお伝えすることができます!」


 寄り道している暇はありません。少しでも早くお伝えしたいのです。きっと早く知ることができれば裏切り者も誰かわかり、視察のお仕事も恙なく行えることでしょう。
 いつものように門をくぐろうとすると普段何も言わず頭を人撫でしてくれる兵士さんに止められてしまいました。


 「こらこらお嬢ちゃん、勝手に入っちゃだめだよ。」
 「伯爵様とお話をしたいんです!」
 「駄目だ駄目だ、伯爵はお忙しい。それに勝手に屋敷に入ろうとしちゃいけないだろ?何か話したいことがあるならお母さんにでも聞いてもらいな。」
 「いえ!伯爵様じゃないとダメなんです!」


 あっという間につまみ出されてしまいました。
 血の気が引きます。人間になれれば、クラウス様とお話ができるようになれば万事解決するとばかり思っていましたが、とてもそう簡単にはいきそうにありません。
 今の私の姿では、誰にもぱいにゃんだと気づいてもらえず、クラウス様にお伝えするどころかお屋敷に入ることすらままならないのです。他の人に伯爵様の危険をお知らせすることもできるかもしれませんが、きっと誰も本当のことだとは思ってくれないでしょう。


 「お嬢さん、お嬢さん。今の君は人間の女の子で、伯爵と一緒に暮らすぱいにゃんじゃないんだ。」
 「鳥さん、それじゃあどうすれば良いんでしょう?どうすれば伯爵に危機をお伝えすることができますか?」
 「可哀想なお嬢さん。とりあえず、もう少し人間らしくしよう。こっちにおいで。人前で私と話していると周りの人に怪しまれてしまうよ。」


 そう言われてハッとします。そう言えばバラさんも言っていました。伯爵や人間は、私だけでなく他の鳥や犬、植物の方々とお話ができないのです。今人間の姿をしている私がこのナイチンゲールと話しているのはきっと周りの人間たちにとってとてもおかしなことなのでしょう。
 慌てて人気のない路地に飛び込みます。ナイチンゲールにはおりてきてもらって、声を小さくして話します。


 「まず君の名前だ。ぱいにゃんと名乗ってはいけない。今の君は猫じゃないからね。……そうだ、シロという名前にしよう。ぱいにゃんとは白い娘という意味だ。東の商人たちが話しているのを聞いたことがある。」
 「シロ、シロ。覚えました。今の私の名前はシロ。」
 「それからそうだね。君は伯爵を守りたいんだね。」
 「ええ、もちろんです。」
 「けれど今の君が誰にそれを言っても誰も信じてはくれない。だからきっと君自身が彼を守るしかないんだ。」


 誰も信じてくれないのは悲しいことです。しかし人間の私に知り合いも信頼できる人もいません。


 「そうだ、兵士として潜りこむのはどうだろう。君くらいの年頃なら男の子か女の子か一見わからない。少年のフリをして護衛の中に入れてもらおう。」
 「そうですね、きっとそれなら何とかなります。それに護衛ならきっとその時、伯爵様のお傍にいられるでしょう!」


 名案です。伯爵のお傍にいる兵士さんたちはたくさんいます。きっと私が紛れ込むこともできるでしょう。少しでも逞しい男の子に見えるよう、ナイチンゲールの言う通り身なりをできるだけ整えてみます。


 「髪を結わえて、顎を引いて。それからキリッとした顔、……そうそう上手。凛々しい人間の男の子に見えるよ。」
 「そうですか?それならよかったです。でも護衛に入れてくれるでしょうか。兵団長のマルコ・アルディーロさんが入隊の許可をしているのですが、彼が駄目だと言ったらきっと入れません。」


 アルディーロさんはこの伯爵領の兵団長です。しばしば猫じゃらしで遊んでくれる気のいいおじさんです。一見普通のおじさんに見えますがその実とても厳しい方です。お仕事とあればいつものようなのんびりとした対応はしてもらえないでしょう。おそらく突然訪問したところで門前払いを食らうのが目に見えてしまいます。


 「そうか、じゃあ策を立てないといけないね。」

 ナイチンゲールと二人、何とか兵士として入れてもらえる方法はないかと頭をひねりました。




 あれから1時間後。私は一人ドキドキしながら狭い路地に潜んでいました


 「今日彼は非番で街を歩いてる。そこに君が勝負を持ち掛けるんだ。そこで彼に君の実力を見せつけて、入隊をお願いすればきっと大丈夫だ。」


 ナイチンゲールはそう言っていましたが、私の実力は足りるのでしょうか。猫歴は数年ありますが、人間歴はまだ数時間程度です。ようやく5本指で物を持つことになれ、二本足での歩き方に慣れ始めたころです。猫らしく跳躍力やすばしっこさが残っているのが幸いですが、兵士たちを束ねるアルディーロさんと勝負するのはやはり心許ないです。何度も訓練の場面を見て来ましたが、アルディーロさんはとても強いのです。簡単にはいきません。勝つことはできなくとも、少しでも使える男の子だと判断してもらいたいです。


 「シロ、シロ、もうすぐ彼がここを通りかかるよ!」
 「わ、わかりました!わたし、いえ僕頑張ります!」


 空から偵察してくれるナイチンゲールの知らせに、路地で拾った小型のナイフを握りしめます。タイミングや名乗りを外してはいけません。もし最初で間違えてしまえば私はただ兵団長を襲った無法者となってしまいます。


 「……僕、僕ひとり?」
 「…………、」
 「そこの君だよ。白い髪の僕。」
 「……え、僕ですか?」

 心を落ち着けながら待っていた私に突然話しかけてきたのは路地の奥から出てきたおじさん。もうすぐアルディーロさんが来てしまうので、このおじさんとお話ししている暇はないのですが。


 「申し訳ありません。今から僕は用事があるので、お話ししている時間は、」
 「僕、一人なんだね。」


 ああどうしましょう。今私は人間の言葉を話しているのですが、どうしてか彼と意思の疎通がうまくできません。何か話し方が間違っているのでしょうか。全くこのおじさんは私の話を聞いてはくれません。
もうすぐアルディーロさんが来てしまいます。


 「おいしいもの食べたくない?」
 「大丈夫です。」


 ああ硬いブーツの音が近づいてきます。表通りをアルディーロさんが歩く音です。
 こちらは困惑を隠しもしないというのに、おじさんはそれを察することもなく執拗に話しかけてきます。


 「いいところ連れてってあげるよ。」
 「間に合ってます……、」


 できれば伯爵様のお屋敷に行きたいのですが、と考えていると、奥からさらに男の人が出て来ました。一人から三人に増えたおじさん。


 「おいで、痛いことしないから。」


 ふと、これはまずいのかもしれない、と思います。あとから出てきたおじさんの手には人一人入るくらいの麻袋があります。そう言えば、ここ最近伯爵様が街の犯罪について憂いておりました。


 「子攫い……?」
 「……っちぃ、」


 私が呟くと同時に舌打ちをした男たちは私に向かってきました。
 どうやら最近問題になっていた人攫いです。子供ばかりを狙う彼らの標的はどうやら私のようでした。これはアルディーロさんに勝負をお願いしている場合ではないようです。


 「シロ、シロ!?逃げて!危ないよ!」
 「いけません、彼らはクラウス様を悲しませている人たちなのです。」


 ナイチンゲールが慌てていますが、彼らのせいで伯爵様は困っているのです。ここで私が逃げて彼らの行方が分からなくなり、また攫われる子がいればクラウス様はもっと悲しむことでしょう。少しでもあの方のお役に立てるなら、勇気などいくらでもわいてきます。


 「どうかここでお縄についてください。」


 袋を持って襲い掛かってきたおじさんの顔を思いっきり引っ掻き、前のめりになったその肩を踏み台に高く飛びます。猫らしい跳躍力が健在なのがよく確認できました。この程度のおじさん倒せないなら、きっと私はアルディーロさんに認めてもらうこともできないでしょう。


 「っぎゃあ!おい!そっち行ったぞ!つかまえろ!」
 「おとなしくしてくださいませ。」


 人間の姿でもよく跳べます。屋根の上ほどまで跳んで、怒りながら見上げている男の人のお顔に片足で着地します。何かがつぶれるような感覚が足の裏にありますが、悪いことをしている人なので仕方のないことなのです。片足で乗ったままもう一人の男の人の顎も蹴り上げます。どこまで攻撃したらこの方々が倒れてくれるのかわかりませんが、きっと蹴り続ければいつかは倒れてくれることでしょう。


 「仕方ねえ、多少乱暴にしてでも捕まえろ!こういう色の奴はよく売れる!」
 「子供を攫って売っているのですね。」


 悪いことです。それはとても悪いことです。子供は親の宝です。きっと子供たちのご両親はとても悲しみ、胸を痛めていることでしょう。お金のために、親から子供を奪うなど、あってはならないことです。それに子供たちもとても辛いでしょう。私も家族とはぐれてしまったときはこの世の終わりかというくらい悲しかったのです。


 「あなた方は悪い人です、とても。」
 「うるせえ!」


 子供を悲しませ、親を悲しませ、そしてクラウス様を悲しませる彼らは許されざる悪人たちです。
 耳を聳てますと、路地の奥からもう一つ二つほど足音がしてきます。どうやらこちらに向かってきているようで。これ以上この狭い路地に人が増えてしまいますと、困ります。私一人逃げる分には問題ないのですが、あまり多いと倒すのが難しくなってしまいます。
 すると隙があったのでしょう、左足を一人に捕まれ、地面にぶつけられました。


 「ぎにゃん!!」
 「手間かけさせやがって……!高く売れてくれねえとわりに合わねえな畜生。」


 顔を近づけたその首元に噛みつき、ひるんだところを空いている手で引っ掻きます。しかしもう大きな麻袋が近づいています。普段よりも身体が大きく硬いせいで左足にかかった手から抜け出すことができません。


 「シロ、シロ!もう少し頑張って!助けが来るよ!」
 「なんだあれ、うるせえ鳥だな。」
 「助け……?」


 鼻がつぶれて血まみれになっている男の人がナイチンゲールを見上げます。
 すると男の人が吹き飛びました。


 「は……?」
 「おうおうなんだぁお前ら。子供相手に寄ってたかって。俺今日非番なんですけどー。仕事増やさないでほしいんですけどー。」


 片足を上げた兵団長マルコ・アルディーロさんその人がいました。煙草をくゆらせ、いつもの隊服は着ていませんが、人を蹴りとばすブーツの硬さは変わらないようです。


 「そこの少年、こいつらオトモダチ?」
 「いえ、初対面です。わた、僕はよく売れそうなので捕まえたかったようなのです。」
 「ほうほう、それはよくねえなあ。それもイチェベルク公の領地で?人攫い?人身売買?……舐め腐ってやがるなあ?」
 「はい、よくないです。とても悪い人たちです。」


 私を抑えていた手が離れ、男の人たちは走って逃げだそうとします。兵団長のことを知っていたのか、それとも強者を見た時の本能でしょうか。しかし逃がせば伯爵様がまた悲しみます。自由になったところで手近な男の人の足を引っかけ転ばせました。


 「少年、少年もういいぜ。俺がやるから安全なとこでちょっと待ってな。」


 兵団長が銜えていた煙草を捨てて走り出しました。

 しばらく路地の奥から断末魔のような叫び声が断続的に聞こえ、安心しました。兵団長なら彼らをきっと捕まえてくれるでしょう。クラウス様の憂いが一つ減ります。待っている間に爪や足についた血をぬぐいました。


 「よ、少年待たせたね。」
 「いえ、彼らを捕まえていただきありがとうございました。」
 「助けてくれてありがとうじゃないんだねえ。」


 帰ってきたアルディーロさんは行きと変わらず気だるげですが、両手両足が赤くなっています。腰に剣は刺さっているのですが、抜く必要もなかったようです。殴る蹴るなどの制裁を受けたようですが伯爵を悲しませた彼らには当然の報いでしょう。


 「だって彼らは伯爵を悲しませた人たちです。僕だけでは捕まえることができなかったのです。」
 「お前さん捕まえようとしてたのかあ。最近の子はアグレッシブだなぁ。」


 結構あいつらすでにボロボロだったもんな、とつぶやく彼に少し誇らしくなりました。捕まえることはできませんでしたが、結果的に彼らは悪さができなくなったので問題はありません。きっと私のした足どめは伯爵様のお役に少しは立てているでしょう。


 「シロ、チャンスだ!」
 「あ!えと、」


 ナイチンゲールに言われ本来の目的を思い出します。私は兵団に入れてもらわなければならないのです。少しは役に立つところを見せることはできました。計画とは変わってしまいましたが、やるしかありません。


 「お、どうした少年。どっか痛いとこでもあったか?」
 「いえ、痛いところはないので大丈夫です。えと、マルコ・アルディーロさん!」
 「お、俺のこと知ってんのかい?」
 「僕を兵団に入れてください!伯爵様のお役に立ちたいのです!」
 「ほーお?」
 「えと、ちゃんと戦えます!小さいかもしれませんが、高く飛べますし、耳も鼻もいいです!大きな敵にも向かっていけます!」


 にやにやと笑うアルディーロさんは何を考えているかわかりません。しかし今は兎に角自分を売り込むのです。使える奴だと思われなくていけません。ナイチンゲールに教わったようにきりっとした顔を作ります。


 「お前さん、名前は?」
 「シロと申します!」
 「犬猫みてぇな名前だな。年齢は?」
 「年齢、」
 「隊にゃなあ、13歳以上じゃあねえと入れねぇんだわ。」
 「じゅ、13歳です!」


 正確な年齢はわかりませんが、きっと、それくらい、かもしれません。心の中で付け加えます。この見た目がどれくらいの年齢に見えるかわかりませんが、そこは甘めにつけていただけるとありがたいです。


 「13歳、ねえ。実は15歳からなんだわ。だからあと2年後においで。」
 「15!15歳です僕!!」
 「さっきと言ってること違ぇけど?」
 「正確な年齢はわかりませんがそれくらいです!ちゃんとお役に立ちますから!」
 「ふぅん。まあ、いいや。」


 必死の言葉に、無情にもアルディーロさんは後ろを向いて歩きだしてしまいました。心配そうにナイチンゲールが空を旋回します。


 「シロ……、」
 「お願いします!」
 「んあ?来ねえの?」
 「え……?」
 「いいよ。おいで。さっきのでまあまあ使えるのはわかったし。襲われてるってのに俺と普通に話してた、あの豪胆さは嫌いじゃない。戦う上で大事な基礎は相手を恐れないこと、冷静でいること。悪い奴だからって鼻の骨へし折っても飄々としてるの、悪くないよ。」
 「あ、ありがとうございます!」
 「ん、それと明確な年齢制限もないから問題ないよ。」


 もう一度おいで、と言ったアルディーロさんを跳ねるように追いかけました。
 かなり適当なことを言われていたようですが、兵団に入れるのならそれに越したことはありません。
 「シロ!シロ頑張ってね!伯爵を助けれらると良いね!」
 ナイチンゲールの激励を聞きながら、アルディーロさんにばれないように手を振りました。
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