薬膳茶寮・花橘のあやかし

秋澤えで

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鬼女と小金の胡麻団子 8

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 壁に掛けられたランプが洞穴の中を照らす。蒸し暑い夜だが穴の中は少しひんやりとしていて快適だった。思ったよりずっと生活感がある。テーブル、椅子、本棚、食器棚、妖でも人間でも衣食住のうち住についてはあまり差がないのかもしれない。

 洞穴の奥の奥、私たちのものではない息遣いが聞こえてきた。
 奥は大きな部屋のようになっている。毛布や布団、クッションが敷き詰められ、どこもかしこも柔らかく、カラフルだった。そして積み上げられたクッション、所狭しと置かれた人形やぬいぐるみの中に、男の子がいた。

 「悠希だ……」

 声色低く橘が呟く。
 小学生くらいの男の子がぬいぐるみに囲まれ眠っていた。双子と言われればなるほど、と言えるくらいに悠希と瑠奈はよく似ていた。確認する間でもなく、彼が瑠奈の双子の弟だと断定する。

 「ふふふ可愛いでしょう? 肌はぷにぷにしてて、歯もまだまだ小さいのよ。舌ったらずでお喋り好き。泣くと両目が解けちゃうんじゃないかってくらい泣いちゃうのよぉ」

 起こさないように、と注意しながら、それでも梓乃は愛おし気に悠希の頭を撫でた。
 怪我をしている風にも極端に痩せているようにも見えない。見たところ健康体、五体満足であったことに息をつく。

 「……よく眠ってる、可愛い子ですね」
 「ええ、ええ、食べてしまいたいくらいかわいい子」
 「食べて、しまうんですか?」
 「え、うふふふ、馬鹿ねえ。食べるわけないでしょう。たとえよぉ、たとえ」

 おかしなこと聞くのね、と笑う梓乃に私は笑い返せなかった。
 なんと言えば梓乃が悠希を返してくれるのか、まったく見当がつかなかったのだ。彼女はもう自分が悠希の母親だと思い込んで疑わないでいる。どうしたって私たちが彼女から子供を奪い取るという方法しか選べない。けれど手段を選ばず奪い取れば、間違いなく私たちは彼女に敗北する。人間と鬼の力の差は埋められない。

 「その子の、名前はなんていうんだ?」

 一瞬、梓乃の動きが止まった。

 「……そうね、まだ考えているのぉ。この子の気に入る名前をつけてあげたいから」
 「その子の名前は悠希だ」

 梓乃の顔から感情が抜け落ちた。

 「その子の名前は羽田悠希。町内の小学校に通う小学3年生。家族構成は4人家族で、双子の姉がいる。そして今、両親も姉の瑠奈も、悠希のことを探している」
 「違うわ、この子はもう私の子よぉ」
 「いいや、その子はお前の子供じゃない」
 「この子は家族に捨てられた、そこを私が拾ったの。なら今のこの子の家族は私じゃあなぁい?」

 梓乃は私たちから悠希の姿を隠すように覆いかぶさった。赤い目は薄暗い洞窟の中で爛々と光り、橘を剣呑な色で見つめていた。

 「だってこの子、いらないって言われちゃったのよ? 大好きな家族だったのに、いらないって言われて捨てられてしまったの。可哀想、可哀想な子。でももう何も怖くないわ。私はずっとこの子の母親になるもの。絶対にいなくなったりしない、家族に」

 取られてなるものかと言うように悠希を掻き抱く姿に息をのんだ。愛と、慈しみと、憐れみと、私たちに対する憤怒。知らず知らずのうちに下がりそうになる両足に力を入れて踏みとどまった。
あれほど優しく温かいと思っていた梓乃が、今はこんなにも恐ろしい。

 「きっとここにいた方が幸せだわぁ。私なら、この子を一番に可愛がるもの。誰よりなにより大事にして、枯れることのない愛を注ぐわ」
 「……自分の子を、絞殺したお前がか?」
 「え……」

 ぐわり、空気が揺れた。びりびりと空気が震え、目の前の鬼女が、梓乃が大きく膨らんだ。誰の顔かわからなかった。十代の娘にも、老女のようにも見える。けれどその表情は一様にに「憤怒」だった。

 「自分の子さえ、絞殺したお前が、この脆い弱い子供を守り育てることができるのか。ああ、いや、絞殺以外にもしてるだろうな。あらゆる方法で、お前は自分の子供たちを殺した」

 神社に立ち入ることのできない、人を殺した妖。罪を犯した母親たちの成れの果て。
 鬼女梓乃、罪を犯した母親たちの集合体。彼女たちの犯した罪はみな同じ。

 子殺しだ。

 けれど橘の言葉はあまりに鋭く、残酷だ。

 「私だからよぉ。わたしはもう間違えない。愛した我が子を傷つけない。壊さない。私たちは真綿に包んで愛してみせる」
 「その子を愛する奴が、探していてもか。双子の片割れが、泣いているのに、お前はその子を取り上げるのか」
 「聞いてたわぁ。あの子はこの子にいらないと言ったの。両親だって、いらないって。なら私がもらったっていいでしょう? 彼らにはまだ一人子供がいるわ、私にはもう誰もいないのに……!」

しがみつくように、奪われてなるものかと抵抗するように、梓乃は悠希に縋りついた。

 「お前は二人子供がいたら片方がいればもう片方は他人にやってもいいと思えるか?」
 「でもいらないって言ったわ! この子がどれだけ傷つくか考えないまま! この子は山に捨てられた! どれだけ苦しくても、子供を捨てていい理由はないわ!」
 「梓乃、」

 半狂乱になるにつれて、鋭かった橘の声はかすかに緩む。糾弾するような声色ではなく、痛ましいものを見るような、梓乃を悼むような声色に。

 「梓乃、どの子供の話をしている?」

 悠希は『山に捨てられて』などいない。神社の傍で喧嘩をし、山の方へ走っただけなのだ。
 梓乃ははっとして口を噤んだ。目の色から剣呑さよりも戸惑いが勝っているのを感じた。それでも、不安定になる自身を支えるためかのように、悠希の身体を抱きしめた。

 母親の集合体、という意味がようやく少しわかった気がした。
 梓乃の中身はたくさんの母親たちの悲しみと怒りと後悔でいっぱいなのだ。いつどんな経験をしたか、何をしてしまったのか、混ざり合ってしまうほどに。もう悠希がどういう経緯で自分の手元へ来たかもわからないでいる。悲しく、苦しい人だ。

 「自分で山に捨てた子供がいたか、山に捨てられた子供を拾い、殺したか」
 「違う、違うっ……この子は私が、」
 「口減らしのために自分の子供の首を絞めたか。飢饉に襲われ嬰児を喰ったか。困窮し子供を売り渡したか。人柱として生きたまま埋めたか。世話をせず放置し、死なせたか。躾と称して水に沈めたか」
 「知ってる、だからうるさい、黙って! 私はもう間違えない! 今度こそ最後まで……!」
 「梓乃、お前は病んでいる」

 淡々と追い詰めていく橘の言葉に梓乃はとうとう泣き崩れた。けれど決して悠希からは離れない。掻き抱いたまま、滂沱する。
 殺しても殺しても、子供を求めてしまうのはきっと育てられなかった罪悪感からだろう。憧れ続けた理想の親子像があるからだろう。行き場を失った愛があるからだろう。けれど今ここにあるのは煮立ち、淀み、凝り固まった執着だ。どこまでいっても独りよがりな執念だ。

 「……梓乃さん、その子はあなたの子供ではありません。悠希くんの家族が、双子の片割れが彼のことを探しています。捨てられてなんかいません。その子にはその子の家族がいるんです」

 どこにも行けなかった感情も、飲み込めなかった後悔も、我が子を殺してしまった記憶も、捨てることなく忘れることなく、綯交ぜにして梓乃という一人に集約する。
 それがどれだけ苦しく、辛いことか。

 「その子を家族の元へ帰してください。あなたが本当に悠希くんのことを愛しているなら、それが一番良いことだって、梓乃さんにもわかるでしょう?」

 赤い目が私のことを睨み上げる。梓乃は怒っていた。子供を奪おうとする私のことを。煮えたぎるような熱く鋭い目。私は決して逸らさなかった。

 「……あなたに何がわかるの。母親になったことのない、大人ですらないあなたに」

 絞り出すような呻き声に眉を下げる。そのセリフはずるい。意見する条件がそれだというなら、私は彼女に対して今何も言えなくなってしまう。

 「私は母親になったことはありません。大人にも、まだなれていません。でも私はまだ人の子供です」

記憶は戻ってなどいない。幼いころの思い出もなければ、母親の姿もわからない。けれど何もわからないわけじゃない。

 「……何が、言いたいの」
 「あなたは母親として間違ってる」
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