薬膳茶寮・花橘のあやかし

秋澤えで

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鬼女と小金の胡麻団子 9

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 「あなたは母親として間違ってる」

 瞳孔の開いた目が恐ろしかった。大きな角が、鋭い牙が、恐ろしかった。けれど決して目を逸らしてはいけない。私はこの子のために「母親」と向き合わなければならなかった。

 「あなたが子供を愛するというならなぜその子を物のように扱うんですか。いらないと言われていたからもらってもいい、だなんて」
 「でも捨てられたなら誰かがもらってやらなきゃいけない。この子は誰かに守られていないと生きていけない。こんな小さな手で、短い脚で、一人で生きていくなんてできない」
 「ならどうして、彼を眠らせたままにしているんですか」

 正当だと言い張るならその子の口からここにいたいと、梓乃とともにいたいと言わせればいい。それをしないのは、拒絶されることをわかっているからだ。この数日間できっと、梓乃はこの子に拒絶された。涙で目が溶けてしまうんじゃないかというほど泣いて。

 「その子を愛すると言うなら、意見を口からきいてください。大事にすると言うなら、その子をものではなく一人の小さな人として扱って下さい」

 梓乃は唇を噛み締め、厚い唇からジワリと血が滲んだ。

 「それができないなら、梓乃さんの感情は愛情ではありません。愛の皮を被った支配欲です」

 子供は親のために存在しているわけじゃない。産んだのは母親だ。けれど生まれた瞬間から一人の人で、誰かの所有物じゃない。たとえ人の手を借りないと生きていけないとしても。選択する権利があり、自分の意思を表示する権利がある。そのすべてを奪おうとするなら、それは愛でも躾でもなく、親の自己満足に他ならない。愛も思いやりも、自身の贖罪に子供を巻き込む大義名分にはなりえない。

 「その子の双子の姉が、悠希くんのことを探しています。喧嘩してしまったことを、怒りのままにひどい言葉を投げつけてしまったことを、彼女は泣くほど後悔しています」

 些細なことだっただろう。まさか連れ去られ会えなくなるなんて思ってもなかった。運が悪かったのだ。瑠奈と悠希は偶然喧嘩をした。そしてその場所が山の近くだった。偶然にもその山には鬼女が住んでいた。たまたま悠希は山の方へと走って行ってしまった。
 すべては運が悪かった。それだけの話だった。

 「あなたも、後悔していたんでしょう?」

 環境に恵まれず罪を犯した梓乃。不運が重なり自身の言動が原因で弟を失いかけた瑠奈。けれどまだ瑠奈は取り返せる。後悔では終わらせられない。生きている限り、取り返しのつかないことはない。

「お姉さんっ!」

 突如として幼い声が洞穴の中に飛び込んできた。

「瑠奈ちゃん……!?」

 芦原神社で飛梅たちと残るよう言いつけておいたはずの瑠奈が洞穴の中へと入ってきた。バツの悪そうな飛梅もそれに続く。

 「飛梅! なんで連れてきた!?」
 「ご、ごめんて! でも瑠奈ちゃんがやっぱり自分も行くって言ってきかなくて……」

 瑠奈が近づかないよう制止しようとしたところで、私を睨みつけていた梓乃がぐりんと瑠奈の方を見た。瑠奈が声にならない悲鳴を上げた。
 けれど彼女は踵を返さなかった。両足で地面を踏みしめ、悠希を抱える梓乃を睨みつけ、渾身の声で叫ぶ。

 「返して、悠希を返してよ!」

 恐ろしいだろう。逃げてしまいたいだろう。それでも踏みとどまって、声の限り叫ぶのは、ただ一人の弟のためだからだ。

 「……いらないと、いらないと言ったのはあなたよぉ? 手放したなら、この子とあなたはもう他人でしょう?」
 「他人じゃない!」

 食らいつくように、反論なんて許さないように叫んだ。次から次へと大粒の涙が転がり落ちる。けれど彼女は決して怯まない。

 「悠希は私の家族、私の弟、私の双子! 私の大事な家族を返しなさい!」

 静かな空気を叩きつけるように瑠奈の声が洞穴内に響いた。
 その瞬間ふ、と悠希の薄い瞼が開いた。少しだけ眠そうに瞬きをする。けれど泣きながら自分のことを見る瑠奈を見た途端、ぱっと立ち上がって走り出した。

 「瑠奈っ!」

 勢いのまま抱きついた悠希に瑠奈がたたらを踏む。二人してわんわんと泣き出しその場に崩れ落ちた。悠希は一度たりとも、梓乃を振り返ることはなかった。

 「苦しいか、梓乃」
 「…………」
 「本当に一時でもあの子供のことを愛していたというなら、追い縋るな」

 梓乃は返事をすることなく、ただ抱き合い泣き崩れた双子のことを見ていた。



 泣き疲れ糸が切れるように眠ってしまった二人を橘が抱え、飛梅が足元を照らすように懐中電灯の明かりをつけた。
 洞穴の入り口からは風の音と虫の鳴く声が聞こえる。それに対して洞穴の中はひどく静かだった。梓乃は一言たりとも言葉を発さず、部屋の奥で座り込んでまんじりともしなかった。生気もなく意思もなく、虚ろだった。彼女の傍らにはもぬけの殻になったクッションでできた寝床が残されていた。
 このまま去ってしまってもいいだろう。鬼に攫われた男の子は救出され、あとはこの二人を送り届ければめでたしめでたし、大団円だ。けれどきっと、それだけで終わってはいけない。

 私は踵を返し、梓乃の前に膝をついた。

 「梓乃さん、どうかいなくなってしまわないでください」

 何となく、彼女がいなくなってしまうんじゃないかと思ったのだ。
 どこかへ行ってしまうのか、それともどこかへ身を隠してしまうのか。このまま別れたらもう二度と、彼女と会えないような気がして。

 「あなたのすべてが間違っていたわけではないんです」
 「……じゃあなに? 私に何が残っているっていうのぉ? もうベニちゃんもわかってるでしょ? 私は人殺し。可愛い可愛い、愛するはずの子供たちを殺した女。ただの一人も育てることもできなくて、産んで、殺して、ただそれしかできなかった私に、間違ってない部分なんてないわぁ。私は、生きてちゃダメだった、私は生んじゃダメだったの」

 ようやく口を開いた梓乃の口調はひどく幼く、拙い。子供が暴力から身を守るように、梓乃はうずくまり、身を縮こまらせた。

 「あなたが子供を愛してたのは、本当でしょう?」
 「さっき言ったじゃない、私の愛は、支配欲だって……」
 「ええ、ですが、それだけじゃないでしょう。あなたは確かに愛してた。自分が生んだ子供たちを、自分で拾った可哀想な子たちを」

 まるっきり嘘なわけじゃない。
 彼女の心は善なるものだった。憐れみ、慈しみ、愛する。その感情の発露は、何も間違ってない。

「あなたの優しさや愛は、偽物ではないでしょう? ただ環境が悪かった、状況が悪かった、そんなこともあるでしょう? あなただけが、あなたのすべてが悪いわけじゃない」

 きっと何もない平和な時代なら、豊かな時代なら我が子を殺さずに済んだだろう。もし人から助けを得られる環境なら、彼らを大人にすることもできただろう。もしもの世界なんてないけれど、それでも、彼女だけが悪かったわけでは決してない。

 「そうじゃなきゃ、きっとあなたは後悔なんてしてない。何十年、何百年たっても自分のことをそうやって責め立てたりはしないでしょう?」

 彼女は自分を責め続けている。きっと罪も罰も放り投げた人だって、もとより罪悪感などない母親もこの世にはいるはずだ。
 ここにいて、鬼女になり果てたこの母親は、今も罪も贖いも消せないでいる。

 「梓乃さん、あなたはきっと愛せていた。子供たちのことを愛していました。それは絶対、間違いじゃない。愛がなければ罪悪感なんてない」

 膝をついて、蹲る彼女の頭を撫でる。髪をかき分けて出てくる角は、大きく鋭い。顔を覆う両手は大きく、その爪はなんだって簡単に引き裂くだろう。嗚咽を漏らすその口の牙は、あっという間に獲物の首を折り千切るだろう。
 強く美しく、恐ろしい鬼だ。
 けれど今私の目の前にいるのは力なく、自らの罪に苦しみ、罪悪感にのまれた痛々しい人だった。

 「ねえ梓乃さん、また花橘に来てください。まだ私、わからないことがたくさんありますけど、いっぱい勉強して、梓乃さんにご飯とかお菓子、作りますから。今度は梓乃さんのために」

 赤く恐ろしい目が見開かれ、もの言いたげに私を凝視した。言葉を疑うように、縋るように。

 「だから、花橘に会いに来てください。ここにずっと一人でいるのは、寂しいでしょう?」

 橘は梓乃に、病んでいると言った。きっとそうなのだろう。彼女の根本は人を傷つけ、食らうものじゃない。ならば少しずつ治していって、いつか彼女自身のその自責の念を薄れさせることができるんじゃないだろうか。子供を見て、攫ってしまいたい、手元に置きたいと願いのではなく、ただ隣人として大人として、見守り慈しむ。そんな風に思えるんじゃないだろうか。
 梓乃は返事をしなかった。ただただ顔を伏せて、泣いていた。
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