薬膳茶寮・花橘のあやかし

秋澤えで

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宵の狸とパンケーキ 3

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 「それ、漬物か何かですか?」

 橘の持っていた大きなガラス瓶を指さす。しっかりと金具で固定された瓶はピクルスが入っていそうに見えた。

 「いや、薬膳酒だ。この時期になるとよく売れる」
 「薬膳酒、お酒ですね。養命酒とかですか?」
 「ああ、養命酒もその類だ。養命酒は桂皮や紅花とか多くの薬草を使って作る。ここで作ってるのは基本的に単酒だ。単酒の方が効果を絞れて扱いやすい」

 ほかにも見てみるか、と呼ばれ店の奥の倉庫へ向かう。開店時刻まではまだ余裕があるから大丈夫だろう。
 橘が木の引き戸を開けると中から冷気が溢れだした。
 「さっむい……!」

 まだ秋だというのに倉庫の中は冬のように寒く、首をかしげる。倉庫はどう見ても木造の小屋だ。冷蔵庫のような空間の維持は石でできた氷室でもなければ難しいんじゃないだろうか。遮光カーテンを開けていくと倉庫の中の棚の中にずらりと瓶が並んでいた。

 「すごい量ですね!」
 「ああ、薬膳酒に関しては定期的に欲しがる奴が多い。酒飲みの妖は少なくないうえ、秋から冬にかけてはさらに宴をする機会も増える。それにここに置いてあるもんすべてが酒じゃない」

 指さした先には同じような瓶があるが、そこには乾燥され茸や葉が入っている。

 「通常なら薬膳酒はすべてこの倉庫で管理するところだが、店頭に置いてないと初心者が手を出しにくい。もうすぐ祭りだし、寒くなると体の温めるために薬膳酒を勧めることもある」
 「それでお店の方に瓶を並べてたんですね」

 橘に指示されいくつかの瓶を慎重に抱える。どれもこれも重いうえにガラス瓶だという緊張感がある。
 けれど倉庫から出て瓶を眺めると日の光を反射させどれも地面に色とりどりの光を落とした。よく見れば瓶の中に何が入っているかがわかる。乾燥させた薬草が入っていると何の薬草かまではわからないが、今私が運んでいる瓶の底には輪切りにされたレモンが沈んでいるし、赤い薬膳酒の中脱色したイチゴが浮かんでいる。酒、ということもあり未成年である私は飲めないのだろうが、果実酒は思わず唾を飲み込んでしまうほどおいしそうに見える。

 店の中でも直射日光の当たらない棚に瓶を並べていく。薬膳を扱うお店の棚にいろいろな瓶が置いてあると理科の実験室や魔女の工房のような怪しさが出るのではないかと思ったが予想に反し、どこか上品ささえ感じさせた。行ったことはないけれど、おしゃればバーにもこんな感じでお酒が置かれているんじゃなかろうか。

 「そういえば、さっきお祭りって言ってましたけど、この時期にもお祭りってあるんですか?」

 祭りと言えば先日山の麓の芦原神社で行われていたはずだ。とんでもなくバタバタしていたせいで祭りらしいことと言えば帰りがけに焼きそばやたこ焼きを買って食べたことくらいだろう。

 「ああ、それは」
 「ごめんくださーい!」

 橘の声を遮るのは準備中という看板を出してあるはずの玄関の方から飛んできたものだった。一瞬どうするかと橘に視線で指示を仰ぐが、彼は特に逡巡することもなく玄関を開けて客を出迎えた。

 「まだ営業時間外だぞ」
 「いいじゃないですか、二人がいるのはわかってましたし。それにほら、もう数分もすれば営業時間じゃないですか。大丈夫ですよ」
 「大丈夫かどうかを決めるのはあなたじゃなくて橘さんだよ、宵満月」

 遠慮なく花橘に入って来たのはここの常連で、近くの山に住む化け狸の宵満月だ。大きくふさふさな尻尾、丸く茶色の耳にももう私は驚かない。華やかな着物にかわいらしい簪をつけた彼女は私と同じくらいの年齢の外見をしている。

 「また薬膳酒か」
 「うん、二日酔いに効くお酒と紹興酒。パパったら馬鹿じゃない? 二日酔い予防のためのお酒を飲むって……二日酔いが嫌ならそもそもお酒飲まなきゃいい話でしょ。しかもついでに紹興酒も買ってこいだなんて、輪にかけて馬鹿だと思いません?」
 「化け狸の酒好きはもう治せるものじゃない。狸に酒瓶は必須装備だ」
 「だとしても普通娘に買いに行かせます!? 信じらんない!」

 ぷりぷりと怒る宵満月を、まるで嵐が過ぎ去るのを待つように橘は聞いていた。いやおそらく聞いてなどいないだろう。彼女が起こっているのは常の事だ。彼女はいつも文句を言いながらも律義に花橘へお使いに来ている。
 彼女の父親はこのあたり一帯の狸の長だ。四国の有名な狸の息子で、今は信楽と名乗っている。

 「そういえば今日はお付きの二人はどうしたの?」
 「ネジレメとナガレメ? 撒いてきたわ。あの二人がいるとどこへ行くにも息が詰まるんだもん」

 いつも彼女はネジレメとナガレメという川獺の兄弟が傍についている。宵満月は族長である信楽の一人娘。おいそれと放任しておいて万が一のことがありでもしたら、と必ずお付きの者がつけられているのだ。今頃二人はいなくなったお嬢様に胃を痛めていることだろう。

 「一人で行かせるのは心配、とでも言うなら私におつかい行かせなきゃいいじゃない。ていうかネジレメとナガレメも一緒に行かせるならむしろあの二人にお使いお願いしたらいいじゃない。私が行く意味!」
 「なんの用も言いつけなかったら、暇だとかなんだと言って街に降りていきそうだからだろう。信楽さんは他人の街にお前が下りていくことを心配している」
 「それもですよ! ほかの狸たちは人間に化けつつ人間の街で生活してたりもするのに私には街に降りていくことも許さないなんて理不尽だわ!」

 そう言うや否やとみるみる彼女の丸い耳と尻尾が消えていき、10秒後にはただの着物を着た少女となった。

 「人間にだって上手に化けれる。それなのに私の仕事と来たらこういう正体がバレても問題ないお使いと竹細工とかの工芸品作り! しかも人間に売りに行くのは別の狸! これじゃあ笠子地蔵に出てくるおばあさんと変わらないわ!」
 「ほら、紹興酒と鬱金酒、椎茸酒。鬱金酒は飲む前、椎茸酒は二日酔いの時に飲め」
 「あ、どうもです」
 「あとどうしても大事な用があって二日酔いを治す必要があれば花橘へ来い。その時は症状に合わせて処方する。その代わり軽症の時はここへ来ないで大人しくしてるように。いちいち付きやってられん」
 「小言はパパに直接言ってください。それと薬の方はまた今年も月祭りでお世話になるかも」
 「月祭り?」

 そういえば宵満月が店に入って来る直前、橘が祭りの話をしようとしていた。

 「ええ、ベニちゃんは初めてね。毎年秋になると月見の宴をするの。まあ祭りって言っても月を見ながら飲み食いして歌ったり踊ったりするくらいだけどね。それでそのときもう、みんな本当にたくさん飲むのよ。だから毎年花橘に薬膳と薬膳酒お願いして、場合によっては祭り後に薬もお願いしてるの」

 恥ずかしい限りだけどね、とほとほと呆れたように宵満月が呟いた。どうも宵満月はその酔いつぶれる一員ではないらしい。見た目こそ少女の姿だが彼女たちにとって見た目年齢なんてものは些事だ。化けを専売特許とする狸ならなおさらのこと。そもそも人間社会を生きていていない彼女たちにとって未成年飲酒禁止なんて概念があるかどうかも怪しいが。

 「月祭りっていうのはここ一帯の狸たちでやってるの?」
 「昔は狸だけだったらしいけど、私が子供のころから近くの狐たちも一緒にやってるし、貉とか川獺とか、人を化かす系統の獣は自由参加みたいになってるわ。特に狐なんかパパたちと仲が悪かったはずだけど、なんだか族長の五社のおじさまと意気投合しちゃったみたいで……今は楽しく飲み比べとか化かし合いとかしてるわ」

 五社、という名前から何とか記憶を引っ張り出す。私は話したことがないが、橘が対応していたはずだ。大狸の信楽に負けず劣らずの大男の姿をしていた。何となく上品な着物を着て涼しい目元をしていたのを覚えている。まごうことない狐顔で、狸よりもふさふさな銀色の尻尾をしていた。

 「で、まあそういうわけで、これからの時期花橘は忙しくなる。今年はベニも戦力に数えてるからな。きりきり働いてくれ」
 「できる限り頑張りますけど、期待しすぎないでくださいね」

 月見をしながら動物たちが酒を飲みご馳走を食べ、歌って踊るなんて昔話にありそうな、どこか長閑でメルヘンな雰囲気を想像するが、そんなものは早々に捨てておく。とりあえず宴の中心があの大狸の信楽と、白狐の五社だ。それだけでスケールが違う。人間の姿に化けても大男なのだ。素の姿ではどれほどの大きさなのか想像もつかない。それもそれぞれ狸と狐を従えてくるとあらば宴会場の狸狐密度はとんでもないことになる。それも酒が入ってあと引く二日酔いになるのを前提としているなら、宴も酣という時分には大惨事となっていることはたやすく想像された。

 そしてそれらの面倒を押し付けられる橘の姿と、その手伝いに駆り出される自分の姿も容易に目に浮かぶ。

 「しんどいだろうが年一番の書き入れ時だ。祭りのときの羽振りの良さは人間も妖もかわらん。狸も狐もとにかく数が多い。花橘には大量の宴会料理を受注される。ベニ、何品かお前に作ってもらうことになる」
 「え、作らせてもらっていいんですか?」

 今まで私に任せてもらえていたのはお茶と本当に簡単なお菓子だけだ。食事の系統は作らせてもらったことはない。

 「ああ、猫の手も借りたいくらいに月祭りはてんてこ舞いだ。それに酔っぱらいは練習台にちょうどいい。どうせ味なんかわかるものか」
 「それ主催者の娘である私の前で言っちゃいます? まあ返す言葉の一つもないんですけど」

 そんなことより、と宵満月が身を乗り出す。

 「ベニちゃんがやってくれるなら、私、街の人間が食べてるようなおしゃれなもの食べたいわ! カラフルなお料理とか可愛いお菓子とか!」

 丸い目が私を覗き込む。期待に溢れた目だ。以前から思っていたが、宵満月は人間の街に対する憧れが強い。信楽狸もさぞ苦労していることだろう。

 「橘さん」
 「いいぞ。メニューはお前に任せる。だがあまり非効率的なものは避けろ。量産できるものが良い。何か思いついたら言ってくれ。試作していく」

 にわかに喜びとも興奮ともつかない感情が込み上げてきた。
 これまでは基本的に橘が作る姿をただ見ているだけだった。けれどそれを今度は自分ができると思うとワクワクしてきてしょうがない。なによりこの居候している花橘の中で、仕事を任されるのが嬉しいのだ。まるで期待されて、頼られているようで。

 「私頑張りますね! お祭りに花を添えられるようなメニュー考えますね!」

 花橘の看板に泥を塗らないような働きを見せなければ、息巻いた。そうしてようやく、橘から受けた恩のほんの一匙でも、返していけるような気がしたのだ。
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