薬膳茶寮・花橘のあやかし

秋澤えで

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紫苑とハーブのクラムチャウダー  2

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 大人の話だからあっち行ってろ、と橘に店からつまみ出され、飛梅とともに山の中へと分け入っていた。

 「びっくりした……」
 「縛兎、仕事の時は怖いからねぇ」
 「仕事って、何してるの? 縛兎さんは見た目人間ぽく見えたけど、妖?」

 今まで会った妖の中では一番人間に違い気がした。目鼻の数は人間と同じで、大きな牙があるわけでも、鋭い爪があるわけでもなかった。奇抜な点と言えば赤い髪と深い青色の目だが、髪を染めてカラーコンタクトでもすれば見た目を真似ること自体は容易だろう。

 「縛兎は地獄の獄卒。死んだ人間、亡者たちの呵責をしてるんだ」
 「じ、地獄……、じゃあさっき聞こえてきた大王って、閻魔大王のこと?」
 「そうだね。閻魔大王は溶けた銅を飲まなきゃいけないから食道が荒れるの。だからこの花橘に薬をもらいに来たり、薬膳のレシピを聞きに来たりするんだ」
 「……銅で爛れた食道って、もう漢方とか薬膳で何とかなるレベルじゃなくない?」

 食道が荒れるって程度じゃすまないだろうに。もっとも地獄の王たる大王だからその程度ものともしないのかもしれないが。想像するだに恐ろしい。ただ自分の死後会うだろう地獄の王に少し興味が沸いた。厳めしい顔をしながらも胃痛に悩まされているのだろうか。

 「あの世とこの世は自由に出入りできるものなの?」
 「モノによるかな。私は妖の中でも生きた人間に対して害はないから出入り自由だけど、生きた人間を食べる送り狼の伊地知や死者の妄執の梓乃は地獄へ行ったらもうこの世へは戻らせてもらえなさそう。生きた人間も原則死ぬまでは地獄へ入れないし、逆に死んだ人間はこの世へは戻れないよ。特別な許可を得た生者とお盆の死者が例外だね」

 意外とものによって事情が違うようだと相槌を打つ。人外は全部あの世のもので、その一部がこの世に現れてきている、くらいの認識だったが随分と違うらしい。存外システマチックだ。

 「ちなみに完全フリーパスなのが神様と神獣。誰も規制できないくらい特別だからね。天国も地獄も現世も好きなように闊歩できるよ。神様は何やっても特例中の特例。誰も咎められない」

 ふと私が初めて見た神様のことを思い出した。
 天咲さま、という男の姿を神様だった。蓮をいくらでも作ることができて、最近妻を娶ったと話し、彼女のことを溺愛している神様。

 「4月ごろ、天咲さまって神様が来てたけど、その神様の奥さんはどうなるの? 結婚したらそのひとも神様の扱いになる?」

 なんとなしに効いたが、飛梅は幼い顔に苦渋の表情を浮かべた。

 「特別の特別。神様と結婚したら神様の所有物になるの。天咲さまのしたことは普通の妖だったら捕まっちゃうようなことだよ」
 「捕まっちゃうようなこと? 普通に誰かと結婚しちゃいけないの?」

 飛梅は微かに周囲を見回して、声を低めた。

 「天咲さまがお嫁にもらった相手は生きた人間だった。生きた人間じゃ不都合だったら、自分で殺してその魂を嫁にもらったの」
 「えっ……」
 「昔はそういうこともたくさんあったけど今は時代が時代だからね。それでも神様のすることだから誰も口出しできないの」

 あれほど溺愛し、妻のことを心配していたはずの天咲さま。環境が変わって体調が優れない、と言っていたがすべて自分のせいではないか。

 生きた人間を見初めて、殺して、娶った。
 全身に冷や水を浴びせられた気分だった。

 「そんな自分勝手な……」
 「神様だからね、の一言で片付いちゃうの。数千年も生きてる神様の倫理観に期待しちゃいけない。何が悪いとも思ってないんじゃないかな。自分の手元にいれば死んで地獄へいくこともないし、永遠に一緒にいることができるし、飢えることも貧することもないってね。人の価値観と神様の価値観はどうにもできない壁がある。神様はいつだって身勝手だ」

 そのとき突然すぐ脇の草むらからがさがさと音がした。飛梅が肩を跳ねさせる。それはそうだ。今の今まで私たちは神様の悪口を言っていたのに等しいのだ。短い時間を生きるものとしての苦情にも近いが、そんなこと神様にとっては知ったことではないだろう。

 飛梅が草むらに飛び掛かるのをひやひやしながら見送った。もしそこにいたのが神の遣いや何かだったら、最悪天咲さまの遣いだったなら大惨事だ。けれどその遣いを捕まえたところで私たちにできることはないんじゃないんだろうか。

 天咲さまに黙っていてもらえるような賄賂は何かと頭を巡らせた。

 「ベニちゃーん、ただの野兎だったよ」

 草まみれになりながら出てきた飛梅は一匹の野兎を抱えていた。

 「……それ、野兎に化けた何かとかじゃない?」
 「違うよ。神性も何もないから本当にただの兎。人畜無害な兎さんだよ」

 忙しなく鼻をひくひくと動かす茶色の野兎は確かにただの兎に見えた。神の遣いにも神にも見えない、が神性かどうとかはあいにく私にはわからない。小さな額を指先で撫でると温かく、生きた兎であった。

 「可愛い、連れて帰りたい……」
 「ロゼンに怒られるよ。兎って野菜齧りそうだし、うちの高麗人参とか被害を受けそう」

 ペットにしたいところだが、この兎は野生の兎。勝手に飼ってはきっとまずいだろう。そして居候の分際で兎を拾ってきたらいよいよ橘に店を追い出されそうだ。

 「……待って、この子後ろ脚怪我してる」

 飛梅に胴を掴まれながらだらりとしている後ろ脚の一本から血が滲んでいるのが見えた。

 「嘘、気づかなかった」
 「……手当だけでも花橘でしていかない? このまま帰しても弱って死んじゃうかもしれないし」
 「そうだね。一瞬だけならロゼンも怒ったりしないよね」

 兎を連れたまま店へ戻ろうとしたとき、今までおとなしく抱えられていた野兎が飛梅のことを強く蹴りつけた。もともと小さな子供の姿をした飛梅が抱えるには大きすぎる兎だ。あっという間に両腕から飛び出していく。

 「いったぁ! あ、兎逃げちゃう!」

 文字通り兎は脱兎のごとく逃げ出した。けれど片足は引きずったままだ。

 「飛梅、私あの子追いかけてくるよ! 私なら抱え込めるし、最悪スカートで包めば連れてこられるから!」
 「わ、わかった、ベニちゃんはあの子追いかけて! 応援に縛兎連れてくるね!」
 「え、なんで縛兎さんを」
 「なんでって、逃げるものを捕まえるのが上手だから」

 地獄で逃げ惑う亡者を捕まえ殴りつける縛兎の姿が、一瞬にして脳裏を駆け抜け背筋が冷たくなった。
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