30 / 59
紫苑とハーブのクラムチャウダー 2
しおりを挟む
大人の話だからあっち行ってろ、と橘に店からつまみ出され、飛梅とともに山の中へと分け入っていた。
「びっくりした……」
「縛兎、仕事の時は怖いからねぇ」
「仕事って、何してるの? 縛兎さんは見た目人間ぽく見えたけど、妖?」
今まで会った妖の中では一番人間に違い気がした。目鼻の数は人間と同じで、大きな牙があるわけでも、鋭い爪があるわけでもなかった。奇抜な点と言えば赤い髪と深い青色の目だが、髪を染めてカラーコンタクトでもすれば見た目を真似ること自体は容易だろう。
「縛兎は地獄の獄卒。死んだ人間、亡者たちの呵責をしてるんだ」
「じ、地獄……、じゃあさっき聞こえてきた大王って、閻魔大王のこと?」
「そうだね。閻魔大王は溶けた銅を飲まなきゃいけないから食道が荒れるの。だからこの花橘に薬をもらいに来たり、薬膳のレシピを聞きに来たりするんだ」
「……銅で爛れた食道って、もう漢方とか薬膳で何とかなるレベルじゃなくない?」
食道が荒れるって程度じゃすまないだろうに。もっとも地獄の王たる大王だからその程度ものともしないのかもしれないが。想像するだに恐ろしい。ただ自分の死後会うだろう地獄の王に少し興味が沸いた。厳めしい顔をしながらも胃痛に悩まされているのだろうか。
「あの世とこの世は自由に出入りできるものなの?」
「モノによるかな。私は妖の中でも生きた人間に対して害はないから出入り自由だけど、生きた人間を食べる送り狼の伊地知や死者の妄執の梓乃は地獄へ行ったらもうこの世へは戻らせてもらえなさそう。生きた人間も原則死ぬまでは地獄へ入れないし、逆に死んだ人間はこの世へは戻れないよ。特別な許可を得た生者とお盆の死者が例外だね」
意外とものによって事情が違うようだと相槌を打つ。人外は全部あの世のもので、その一部がこの世に現れてきている、くらいの認識だったが随分と違うらしい。存外システマチックだ。
「ちなみに完全フリーパスなのが神様と神獣。誰も規制できないくらい特別だからね。天国も地獄も現世も好きなように闊歩できるよ。神様は何やっても特例中の特例。誰も咎められない」
ふと私が初めて見た神様のことを思い出した。
天咲さま、という男の姿を神様だった。蓮をいくらでも作ることができて、最近妻を娶ったと話し、彼女のことを溺愛している神様。
「4月ごろ、天咲さまって神様が来てたけど、その神様の奥さんはどうなるの? 結婚したらそのひとも神様の扱いになる?」
なんとなしに効いたが、飛梅は幼い顔に苦渋の表情を浮かべた。
「特別の特別。神様と結婚したら神様の所有物になるの。天咲さまのしたことは普通の妖だったら捕まっちゃうようなことだよ」
「捕まっちゃうようなこと? 普通に誰かと結婚しちゃいけないの?」
飛梅は微かに周囲を見回して、声を低めた。
「天咲さまがお嫁にもらった相手は生きた人間だった。生きた人間じゃ不都合だったら、自分で殺してその魂を嫁にもらったの」
「えっ……」
「昔はそういうこともたくさんあったけど今は時代が時代だからね。それでも神様のすることだから誰も口出しできないの」
あれほど溺愛し、妻のことを心配していたはずの天咲さま。環境が変わって体調が優れない、と言っていたがすべて自分のせいではないか。
生きた人間を見初めて、殺して、娶った。
全身に冷や水を浴びせられた気分だった。
「そんな自分勝手な……」
「神様だからね、の一言で片付いちゃうの。数千年も生きてる神様の倫理観に期待しちゃいけない。何が悪いとも思ってないんじゃないかな。自分の手元にいれば死んで地獄へいくこともないし、永遠に一緒にいることができるし、飢えることも貧することもないってね。人の価値観と神様の価値観はどうにもできない壁がある。神様はいつだって身勝手だ」
そのとき突然すぐ脇の草むらからがさがさと音がした。飛梅が肩を跳ねさせる。それはそうだ。今の今まで私たちは神様の悪口を言っていたのに等しいのだ。短い時間を生きるものとしての苦情にも近いが、そんなこと神様にとっては知ったことではないだろう。
飛梅が草むらに飛び掛かるのをひやひやしながら見送った。もしそこにいたのが神の遣いや何かだったら、最悪天咲さまの遣いだったなら大惨事だ。けれどその遣いを捕まえたところで私たちにできることはないんじゃないんだろうか。
天咲さまに黙っていてもらえるような賄賂は何かと頭を巡らせた。
「ベニちゃーん、ただの野兎だったよ」
草まみれになりながら出てきた飛梅は一匹の野兎を抱えていた。
「……それ、野兎に化けた何かとかじゃない?」
「違うよ。神性も何もないから本当にただの兎。人畜無害な兎さんだよ」
忙しなく鼻をひくひくと動かす茶色の野兎は確かにただの兎に見えた。神の遣いにも神にも見えない、が神性かどうとかはあいにく私にはわからない。小さな額を指先で撫でると温かく、生きた兎であった。
「可愛い、連れて帰りたい……」
「ロゼンに怒られるよ。兎って野菜齧りそうだし、うちの高麗人参とか被害を受けそう」
ペットにしたいところだが、この兎は野生の兎。勝手に飼ってはきっとまずいだろう。そして居候の分際で兎を拾ってきたらいよいよ橘に店を追い出されそうだ。
「……待って、この子後ろ脚怪我してる」
飛梅に胴を掴まれながらだらりとしている後ろ脚の一本から血が滲んでいるのが見えた。
「嘘、気づかなかった」
「……手当だけでも花橘でしていかない? このまま帰しても弱って死んじゃうかもしれないし」
「そうだね。一瞬だけならロゼンも怒ったりしないよね」
兎を連れたまま店へ戻ろうとしたとき、今までおとなしく抱えられていた野兎が飛梅のことを強く蹴りつけた。もともと小さな子供の姿をした飛梅が抱えるには大きすぎる兎だ。あっという間に両腕から飛び出していく。
「いったぁ! あ、兎逃げちゃう!」
文字通り兎は脱兎のごとく逃げ出した。けれど片足は引きずったままだ。
「飛梅、私あの子追いかけてくるよ! 私なら抱え込めるし、最悪スカートで包めば連れてこられるから!」
「わ、わかった、ベニちゃんはあの子追いかけて! 応援に縛兎連れてくるね!」
「え、なんで縛兎さんを」
「なんでって、逃げるものを捕まえるのが上手だから」
地獄で逃げ惑う亡者を捕まえ殴りつける縛兎の姿が、一瞬にして脳裏を駆け抜け背筋が冷たくなった。
「びっくりした……」
「縛兎、仕事の時は怖いからねぇ」
「仕事って、何してるの? 縛兎さんは見た目人間ぽく見えたけど、妖?」
今まで会った妖の中では一番人間に違い気がした。目鼻の数は人間と同じで、大きな牙があるわけでも、鋭い爪があるわけでもなかった。奇抜な点と言えば赤い髪と深い青色の目だが、髪を染めてカラーコンタクトでもすれば見た目を真似ること自体は容易だろう。
「縛兎は地獄の獄卒。死んだ人間、亡者たちの呵責をしてるんだ」
「じ、地獄……、じゃあさっき聞こえてきた大王って、閻魔大王のこと?」
「そうだね。閻魔大王は溶けた銅を飲まなきゃいけないから食道が荒れるの。だからこの花橘に薬をもらいに来たり、薬膳のレシピを聞きに来たりするんだ」
「……銅で爛れた食道って、もう漢方とか薬膳で何とかなるレベルじゃなくない?」
食道が荒れるって程度じゃすまないだろうに。もっとも地獄の王たる大王だからその程度ものともしないのかもしれないが。想像するだに恐ろしい。ただ自分の死後会うだろう地獄の王に少し興味が沸いた。厳めしい顔をしながらも胃痛に悩まされているのだろうか。
「あの世とこの世は自由に出入りできるものなの?」
「モノによるかな。私は妖の中でも生きた人間に対して害はないから出入り自由だけど、生きた人間を食べる送り狼の伊地知や死者の妄執の梓乃は地獄へ行ったらもうこの世へは戻らせてもらえなさそう。生きた人間も原則死ぬまでは地獄へ入れないし、逆に死んだ人間はこの世へは戻れないよ。特別な許可を得た生者とお盆の死者が例外だね」
意外とものによって事情が違うようだと相槌を打つ。人外は全部あの世のもので、その一部がこの世に現れてきている、くらいの認識だったが随分と違うらしい。存外システマチックだ。
「ちなみに完全フリーパスなのが神様と神獣。誰も規制できないくらい特別だからね。天国も地獄も現世も好きなように闊歩できるよ。神様は何やっても特例中の特例。誰も咎められない」
ふと私が初めて見た神様のことを思い出した。
天咲さま、という男の姿を神様だった。蓮をいくらでも作ることができて、最近妻を娶ったと話し、彼女のことを溺愛している神様。
「4月ごろ、天咲さまって神様が来てたけど、その神様の奥さんはどうなるの? 結婚したらそのひとも神様の扱いになる?」
なんとなしに効いたが、飛梅は幼い顔に苦渋の表情を浮かべた。
「特別の特別。神様と結婚したら神様の所有物になるの。天咲さまのしたことは普通の妖だったら捕まっちゃうようなことだよ」
「捕まっちゃうようなこと? 普通に誰かと結婚しちゃいけないの?」
飛梅は微かに周囲を見回して、声を低めた。
「天咲さまがお嫁にもらった相手は生きた人間だった。生きた人間じゃ不都合だったら、自分で殺してその魂を嫁にもらったの」
「えっ……」
「昔はそういうこともたくさんあったけど今は時代が時代だからね。それでも神様のすることだから誰も口出しできないの」
あれほど溺愛し、妻のことを心配していたはずの天咲さま。環境が変わって体調が優れない、と言っていたがすべて自分のせいではないか。
生きた人間を見初めて、殺して、娶った。
全身に冷や水を浴びせられた気分だった。
「そんな自分勝手な……」
「神様だからね、の一言で片付いちゃうの。数千年も生きてる神様の倫理観に期待しちゃいけない。何が悪いとも思ってないんじゃないかな。自分の手元にいれば死んで地獄へいくこともないし、永遠に一緒にいることができるし、飢えることも貧することもないってね。人の価値観と神様の価値観はどうにもできない壁がある。神様はいつだって身勝手だ」
そのとき突然すぐ脇の草むらからがさがさと音がした。飛梅が肩を跳ねさせる。それはそうだ。今の今まで私たちは神様の悪口を言っていたのに等しいのだ。短い時間を生きるものとしての苦情にも近いが、そんなこと神様にとっては知ったことではないだろう。
飛梅が草むらに飛び掛かるのをひやひやしながら見送った。もしそこにいたのが神の遣いや何かだったら、最悪天咲さまの遣いだったなら大惨事だ。けれどその遣いを捕まえたところで私たちにできることはないんじゃないんだろうか。
天咲さまに黙っていてもらえるような賄賂は何かと頭を巡らせた。
「ベニちゃーん、ただの野兎だったよ」
草まみれになりながら出てきた飛梅は一匹の野兎を抱えていた。
「……それ、野兎に化けた何かとかじゃない?」
「違うよ。神性も何もないから本当にただの兎。人畜無害な兎さんだよ」
忙しなく鼻をひくひくと動かす茶色の野兎は確かにただの兎に見えた。神の遣いにも神にも見えない、が神性かどうとかはあいにく私にはわからない。小さな額を指先で撫でると温かく、生きた兎であった。
「可愛い、連れて帰りたい……」
「ロゼンに怒られるよ。兎って野菜齧りそうだし、うちの高麗人参とか被害を受けそう」
ペットにしたいところだが、この兎は野生の兎。勝手に飼ってはきっとまずいだろう。そして居候の分際で兎を拾ってきたらいよいよ橘に店を追い出されそうだ。
「……待って、この子後ろ脚怪我してる」
飛梅に胴を掴まれながらだらりとしている後ろ脚の一本から血が滲んでいるのが見えた。
「嘘、気づかなかった」
「……手当だけでも花橘でしていかない? このまま帰しても弱って死んじゃうかもしれないし」
「そうだね。一瞬だけならロゼンも怒ったりしないよね」
兎を連れたまま店へ戻ろうとしたとき、今までおとなしく抱えられていた野兎が飛梅のことを強く蹴りつけた。もともと小さな子供の姿をした飛梅が抱えるには大きすぎる兎だ。あっという間に両腕から飛び出していく。
「いったぁ! あ、兎逃げちゃう!」
文字通り兎は脱兎のごとく逃げ出した。けれど片足は引きずったままだ。
「飛梅、私あの子追いかけてくるよ! 私なら抱え込めるし、最悪スカートで包めば連れてこられるから!」
「わ、わかった、ベニちゃんはあの子追いかけて! 応援に縛兎連れてくるね!」
「え、なんで縛兎さんを」
「なんでって、逃げるものを捕まえるのが上手だから」
地獄で逃げ惑う亡者を捕まえ殴りつける縛兎の姿が、一瞬にして脳裏を駆け抜け背筋が冷たくなった。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。
目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。
「あなたは、どなたですか?」
その一言に、彼の瞳は壊れた。
けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。
セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。
優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。
――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。
一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。
記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。
これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】
かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。
名前も年齢も住んでた町も覚えてません。
ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。
プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。
小説家になろう様にも公開してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる