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第9話 王太子殿下、茶番

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 そのまましれっと王宮の外へ行こうとする王太子を押しとどめ、私たちは王宮の端にある温室にいた。今は冬だというのに室内には色とりどりの花が咲き誇っている。王妃の趣味で作られたこの温室は、限られた者しか入ることができない。

 そんな温室に王太子と二人きり。もうこれは噂してくれと言っているようなものだ。



 早々に立ち去りたいところだが、白い丸テーブルの上に三段のアフタヌーンティーセットが運ばれてきた時から、イスとお尻がくっついて離れなくなってしまった。不思議―。





 「本当は街の中でもよかったんだけどね。せっかくいろいろなお店があるんだから」

 「やめてください。私にまともな護衛はできませんよ?」





 使用人たちは紅茶を注ぐと早々に温室から出て行った。甘い花の香りが紅茶から立ち上る。これはもう冷める前に飲んであげないと失礼じゃないだろうか、と思いつつも物憂げな顔をする王太子より先に紅茶を飲むのは憚られた。たとえ熱々のスコーンが私に食べられるのを待っていようとも。

 これ本当に自分で言うことではないが私が相談相手でいいのか。





 「カトレア、君恋をしたことはあるかい?」

 「はあ、恋、ですか」





 憂いを帯びた声色に対して馬鹿みたいな返事をした。

 突拍子もない、いや時期としてはそうとも言えないかもしれない。この王太子は間もなく結婚することになっているのだ。

 しかしあいにく、恋、と言われて思いつくものは何もなかった。





 「ありませんね」

 「即答だね? 年頃なんだから言い寄られることもあったりするんじゃない?」

 「ありませんね。そもそも私はいつも必死です。私は魔法棟の中で一番弱いし、才能もない。自分の有用性をアピールしてないと居場所なんてなくなってしまいます」

 「その居場所が雑用係だとしても?」

 「雑用係だとしても。私が雑用を熟すことで、ほかの人の仕事のサポートになるならそれは立派な肩書です」





 たとえ雑用係だとしても、最低限の矜持はある。魔法使いになったのだから、魔法使いとして雇われているのだから、魔法を使って人の役に立ちたいのだ。そのための努力は惜しまない。師であるシモンのメンツのためにも。





 「男爵令嬢でしょ? 政略結婚とか」

 「男爵令嬢だからですよ。男爵位レベルが政略結婚の引き合いに出されることはありません。それこそ、成金の男爵家とかでもない限り、もっと上の爵位のおうちの問題じゃないですか?」





 至極当然の返事をして紅茶を啜る。

 デルフィニウム男爵家は旧く高貴で重要な血筋でもなく、広大な領地をもっているわけでもなく、膨大な資産を持っているわけでもない。となれば相手にする家などないだろう。もし若い娘が欲しい悪趣味な上級貴族がいたとしても、うちの母は娘を変態に売り渡すような人でなしではない。





 「胸が張り裂けそうな思いに駆られたことは?」

 「ないですね」

 「その人のことを思うと夜も眠れない、とか」

 「ないですね」

 「無性にその人に会いたくなる」

 「ないですね。……スコーン食べてもいいですか?」





 次から次へと投げつけられる恋の病の主症状を聞きながらスコーンを半分に割る。かすかな湯気と漂うバターの香りに唾を飲み込んだ。余計なものを入れず、媚びない正統派スコーンだ。そのまま食べるか、クロッテドクリームをつけるか、オレンジのジャムをつけるか、悩ましい。





 「じゃあその人の言葉にドキドキする、とかはないの?」

 「……あー」





 一瞬、一人の顔が浮かぶ。

 早死にする未来を変えるため必死な私の人生に、一番の変化を与えてくれた人。良くも悪くも私の特別な人ならいる。





 「ないわけでは」

 「えっ、だれ⁉」

 「お師匠」

 「そういう先生怖いみたいなのじゃない」

 「違いましたか。……迂遠なこと言ってないで、話したいことがあるなら話してしまってはどうですか?」





 さっきから遠回しだが、本当に私の話が聞きたいわけじゃない。そういった経験が自分にあるからそれを話したいだけなのだ。

 これには人払いをする理由も頷ける。こんな話を聞いたら余計な画策をする者もいるだろう。

 割ったスコーンにクリームを載せてかじりつく。予想通り、最高においしい。噂されるのは嫌だし、ぐだぐだと相談を受けるのは好きではないが、その報酬にこのアフタヌーンティーが付いてくるなら何度でもどこへでも着いて行ってしまいそうだ。





 「殿下は恋をしてるんですね。じゃあ舞踏会なんてしてないで、その人と結婚すればいいじゃないですか」

 「あけすけだなあ」





 指についたクロッテドクリームを舐めて砂糖をたっぷり溶かした紅茶を啜る。

 あけすけ、あけすけで表向きはスコーンに夢中になっているように見えるだろうが、私は今大いに動揺している。



 王太子殿下は恋をしているんだと。



 じゃあうちのシンデレラはどうなるんだ。





 「……どんな、人なんですか?」

 「美しい、子なんだ」





 自分で言ったのにアドニスは一瞬腑に落ちなさそうな顔をした。しかしすぐに口を開いた。





 「ああ、見た目の話じゃない。ええと、なんと言えばいのかな……。彼女はいつも上等とは言いがたい服装だったし、着飾るような余裕もないようだった」





 まるで熱に浮かされるように、白昼夢を見るように語る。





 「けれど彼女の見ているものは、いつだって美しかった。君たちのように妖精や魔法を見られるわけじゃない。でも彼女の見る景色は、動物は、日常は、どれも輝いていた。僕が漫然と過ごす日々を、彼女は大切に抱いていた」





 もはや私の相槌など求めていないだろう。不満げになっているだろう表情を隠すことなく、2段目の皿からマドレーヌを取った。香ばしいバターの香りと爽やかなオレンジピール。上流階級の匂いだ。





 「でも求婚しなかったんですね」

 「ああ、彼女の身分ではさすがに認められないことくらいわかっていた。僕が想うだけでも、彼女にきっと多大な影響を与えてしまう。だから言えなかった」





 ゆっくりと咀嚼する。砂糖漬けのオレンジピールはほんの少し苦かった。

 身分差。

 それは絶対的なもので、よほど覆しがたいものだ。だが最低限、爵位さえ持っていれば可能性はゼロではない。王太子の言っているのは貴族ですらない。上等な衣類もなく、着飾る余裕もない、ということは裕福な商人の娘ですらない。

 日夜王宮からいなくなっては、愛する平民の元へと通っていたのだろう。こんな事実を知ったら王も王妃も頭を抱えることだろう。





 「側妃や愛妾じゃダメだったんですか?」

 「彼女を一番にできないのに、どうして幸せにしてあげられる?」





 不満げに鼻を鳴らした王太子に雑に謝る。その姿勢には感嘆した。潔癖、と表現するのも違う気がしたが、独特な考え方ではある。

 たとえ側妃や愛妾だとしても、それはこの国で最上級と言っても過言では生活水準で暮らすことができるだろう。食うに困らず着るに困らず、王太子が自分を愛してくれる。これほど恵まれた環境、ほかにない。

 けれど彼はそれを「幸せ」とは呼ばない。





 「それで、彼女は」

 「突然いなくなったんだ」





 アドニスの顔から表情が抜け落ちる。初めて見るそれに一瞬呼吸の仕方を忘れた。いつも完璧な表情を浮かべているのに、たった一人の娘を想って、こんな顔をするのか、と。どこの馬の骨とも知れない娘がそれほどまでの影響力を持つのか。





 「いくら探してもない。彼女が住んでいた地区に行っても、もう影も形もなかった」

 「……引っ越した、とかですか」

 「かもしれない。近所の住民に聞いて回ったんだ。するとある住民が快く教えてくれた。……彼女は身なりの良い男に連れていかれた、と。でも彼女に頼れる親類はいなかった。ならば彼女を迎えに来たのはいったい誰だったのか。彼女はいったいどこへ行ったのか」

 「……ありそうなのはどこかの子のいない貴族の養子に取られた。貴族の家の働き口を紹介された、なんてところですかね」





 あえて騙されて人攫いや人売りに拐かされた、という可能性は口にしなかった。どうせ行方などわからないのだ。わざわざ最悪な可能性を提示してやる必要もない。そんなことアドニスだって考えただろうから。





 「だから集めることにしたんだ。同じ年くらいの貴族の娘を、すべて」

 「え、」





 単調な声色。けれどその口調は激情を押さえつけるような力強さがあった。





 「みんな馬鹿だと思うだろう? でも僕にはこれ以外に彼女を見つけ出せる方法を思いつかなかったんだ」





 自嘲する彼に、いつのも悠然とした様子はない。





 「周囲は喜んだよ。僕にもようやく結婚する気ができたんだって。だからこんなバカげた舞踏会だってやる気になった。もうどんな相手でもいいから、僕に婚約者をとりつけたかったんだろう」





 それは、いっそ彼らしくもない、非理性的な選択だった。

 ただ彼自身も理解しているのかもしれない。いなくなった人間を見つけ出すなんてほとんど不可能なことくらい。良い貴族に拾われて、貴族の娘になっているなんて、そんなのは少女の夢見るお伽噺だ。この世界はそんなに優しくはできてない。





 「……それじゃあこの舞踏会は、茶番じゃないですか」





 思わず口から零れたのは、本来言うはずのない言葉だった。

 目を丸くする王太子にやってしまったと臍を噛む。どうして余計なことを言ってしまったのだろう。適当に「見つかると良いですね」とでも言えばよかった。けれどその表情からしてももはや聞き間違いや言い間違いだなんて誤魔化しはきかない。



 だがこれでは本当に茶番だ。これに付き合わされる令嬢たちも、貴族たちも、時間の無駄としか言えない。

 この日のために、散々準備してきた私たち、デルフィニウム家も。

 前回とは違うのだ。私が魔法使いになったように、王太子はシンデレラでない平民を好きになった。それだけの話。それだけの話だが、私たちにとって未来が絶たれた思いなのだ。

 アドニスがシンデレラに惚れ、愛さない限り、私たちに平穏はない。





 「怒ってるの? カトレア」

 「……いえ、怒っているわけでは、」

 「怒ってるよ」

 「呆れてるだけです」





 どこか楽し気に顔を伺うアドニスに何が楽しいのかと舌打ちする。けれどおかげで理不尽な怒りは少し萎んだ。未来のことなど確定ではない。何より人生1周目であるアドニスは何も知らないのだ。そんなことを彼に言っても仕方がないことだ。





 「カトレアは舞踏会には出ない予定だよね」

 「ええ、でも私の姉と妹は出るので」

 「ああ、姉妹がいたんだね……あれ、君って妹居たっけ?」

 「……父の庶子です。父が先日事故で死亡して、それから見つかったんです」

 「それは……大変だね」





 いろんな意味で、と付け加えられ先ほどとは違う意味でげんなりする。状況は重々理解していたし、今更過ぎることなのだが、改めて自分の口から説明すると心にダメージを追う。

 何が悲しくて私は実父の浮気相手との子相手に良い姉ムーブしてるんだ。自分の未来のためですね。わかります。





 「今、世のご令嬢たちは殿下と結婚できるかもしれないという希望を抱いているんです。街のどこもが華やぎ、誰もが浮足立っています」

 「希望、ね。誰もが浮足立つわけだ」

 「そもそもの種を蒔いた殿下が皮肉を言わないでください」





 誰もが、必ずしも令嬢だけではない。すべての貴族が今、彼の無為なわがままに振り回されているのだ。希望も恋も欲望も、入り混じり、混沌と化している。

 茶番だとは、誰も知らないのだから。





 「……殿下にとっては、唯一の希望であると同時に、訣別の儀式のようなものかもしれません。ですが、それに付き合うのは、心のある臣民です。幼気な少女たちです」

 「でも何も間違っていないだろう? 幼気な少女たちの一人は、必ずその夢を手に入れることができる。王家の者として名を連ねればありとあらゆるものが手に入る。王妃にでもなれば大抵のことは思いのままさ」

 「それで、あなたはその一人は幸せにしてあげられるんですか?」





 青い瞳が明確に揺らいだ。戸惑ったように開きかけては閉じる唇に、意地悪を言い過ぎたかと反省する。



 1番にしてあげられないと幸せにできるとは言わなかったアドニスは、1番という王太子妃の座に誰かを座らせたとして、幸せにしてやる気があるのか、と。

 答えは否だ。今の彼に、伴侶となる誰かを幸せにしてやる気はまるでない。ただ王太子妃の座に着くことだけでも光栄に思えとでもいうような尊大さすらうかがえる。飄々とした彼の常にはない態度だ。彼は今この瞬間も、平静ではない。





 「それは、わからない……」





 ようやく口から出た言葉は、まるで迷子のように頼りない声色だった。





 「僕はいったい、誰と結婚するんだろうね」

 「それは殿下の決めることですか、誰も誰を選べとは強要しないでしょう。あなたが選ぶ、それだけです」

 「舞踏会の日に1度会っただけで? 数多いる、さして違いもわからない令嬢たちの中から? それで選ぶなんて」

 「その舞台を作ったのは誰でもない殿下ですよ」





 栗のタルトにフォークを突き刺した。固めのタルト生地を貫通してフォークと皿が嫌な音を立てる。けれど呆然としている彼はそんな私の無作法も気にならないようだった。ほっくりと甘いクリームが口の中に広がる。





 「殿下が始めた茶番です。あなただけはその舞台から降りてはいけません」





 茶番であれど、莫大な金額があちこちで動いている。風が吹いて桶屋が儲かるように、その効果はあちこちに波及し、年頃の貴族令嬢とその家族だけにとどまらない。もはや国全体でのイベントと化し、気運は王太子特需と言っても過言でもない。

 どんな心持でいようとも、期日には皇太子妃を選ばなければならないし、結婚しなくてはならない。愛しもしない伴侶を据えることを割り切れるほど、アドニスは冷徹ではない。

 自分で始めた茶番が今、そしてこれからのアドニスの首を絞めるのだ。





「……僕は、どうかしてたね」

「ええ、あなたの周囲の誰もがそう思っているでしょう」

「手厳しいなあ、カトレアは」

「まあ今回は」





 どこか憑き物が落ちたような王太子は、晴れやかであると同時に疲れ切っていた。ようやく目の前に何があるのか、自分が何をしでかしたかを正しく理解したのだ。仕方がないだろう。





「……それから、さっきの言葉を撤回します」

「さっきの言葉?」

「私は怒っています、少しだけ」





 けれどそれは私が優しくしてやる理由にはならない。





 「もし、私の姉や妹を、あなたが選ばれたならと思うと、怒らずにはいられません。どうして幸せにしてやる気のない相手に、私の家族を嫁がせなければならないのでしょう」

 「それが、君の家にとってプラスになるとしても?」

 「ええ、たとえ理屈で理解しようとも、私の中で苛立ちは燻ることでしょう」





 タルトのかけらをかみ砕く。やわらかいバターの香りとは裏腹に、私の心はざらついていた。

 理解はしている。王太子に見初められ結婚するなど、光栄というほかなく、下級貴族であるデルフィニウム家にとっては突如降ってわいた栄誉だ。家長もおらず不安定な我が家にとっては身に過ぎた救いの手になる。

 けれど、その結婚相手が、家族を愛さず、すでに影も形もない誰かを想い、幸せにしてやる気も毛頭ないと知ったなら、手放しには決して喜べないだろう。

 それはまるで、金と地位と名誉の生贄のようではないか。





 「あなたにとって、掃いて捨てるほどいる有象無象でも、その有象無象を愛する人はいるんです」

 「……それが自分の父親の浮気相手の子でも?」

 「……たとえあの子でも」





 深いため息とともに、言葉を絞り出した。

 無理に言った言葉でも、体面を繕うためでもない。まごうことない本心だった。たとえあの子でも。

 忌々しい恥の子。平穏を壊した悪魔。悍ましい畜生を従える蛮族。私たちを死に至らしめる死神。

 それでもシンデレラは、ただの10代の少女なのだ。





 「邪気のない少女の未来に、暗雲がかかるというなら苛立ちだって生まれます」

 「ははは……君は全く。根が善人というか、生きづらいというか」





 そのスペックならきっといくらでも楽に世渡りができるだろうに、と笑いながら王太子は冷めてしまったスコーンにクリームをつけた。だがその言葉、そっくりそのまま返したい。





 「……恨みましたよ。怒りましたよ。それでも、毎日一緒にいる、欠片も悪気のない女の子相手に怒り続けるのは無理がありました。だって、あの子が私たちに危害を加えようとしたわけじゃない」

 「怒るなら男爵にって?」

 「お父様は恨みますね」





 すっかり気が抜け、僅かばかりの気恥ずかしさは紅茶とともに流し込んだ。





 「ねえ殿下」

 「なんだい?」

 「うちの妹ってばかわいいんですよ。いっつも笑顔で、声も鈴みたいで。髪はふわふわのプラチナブロンドで、瞳はアイスブルー。私たちの誰にも似てなくても、つい愛でたくなるくらいに」





 嘘じゃない。事実だった。

 もしあの子が父の不義の子でなかったなら。もしデルフィニウム家にこなければ。もし私たちの死因でなかったなら。

 きっと私は手放しに、そう思っただろうから。





「だからきっと、殿下は私の妹を見初めますよ」

「随分妹さんを勧めるね」

「恨んでた私がそんな風に思うくらい、あの子はかわいいんですよ。だからきっと、殿下もあの子を幸せにしてあげたくなるに違いありません」





 薔薇の咲き誇る庭に目を向けた。

 私は前回の人生で、いったい殿下がシンデレラの何に惹かれたのかを知らない。どうしてシンデレラを選んだのか、どうして舞踏会を開いたのか。今回の人生は全く違うものを歩んでいる私としては、当時の王太子のことが全くわからない。



 舞踏会に遅れてきたシンデレラと踊り始めてから、彼は彼女の手を放すことはなかった。何が琴線に触れたのか、有象無象をかすませるほど彼女が

輝いて見えたのか。私は何も知らない。



 だがあの一夜のあと、国中を探して回っていたアドニスは、きっとシンデレラを幸せにしてやろうと思っていたに違いない。





 「きっと殿下はそう思いますよ」

 「自信がすごいなあ。ふふ、うん、そっか。……少しだけ楽しみになったよ」





 ほんの少しだけ、楽しそうに彼は笑った。





 「紅茶飲んでください、冷めちゃいますよ」

 「うん、そうだね、ありがとう。……ねえカトレア。もしも舞踏会で、僕の探す彼女が見つからなかったなら、その時は別の誰かを選ばなきゃならない」

 「ええまあ。そうしたのは殿下ですし」

 「ならその時のために根回ししておくか、ある程度為人を知っている人をあてにするのが妥当だよね」





 ナッツの入ったクッキーをポイポイと口へ放り込みながら、言葉にすることで自分の考えを整理するように彼は聞いた。





 「そうでしょうね。幸い上流のご令嬢方なら幼少期からかかわりもあって為人もよくご存じでしょう」





 落ち着きを取り戻した王太子は目の前に立ちふさがる、自分で積み上げた問題に取り組む気になっただろう。上流貴族の面々を思い浮かべながらクッキーを手に取った。

 上流貴族の令嬢たちは、私もそう関わりがあるわけではない。デルフィニウム家としては関与はゼロだ。あくまで宮廷魔法使いとしてかろうじて一方的に知っている程度。だが上流である侯爵家や伯爵家というのは、本来なら最も王太子妃の座に近い場所に位置している。こんな誰も想像しなかった舞踏会さえなければ、王太子妃候補となるのは順当な立場だ。何なら妃教育すらもしかしたら受けているのかもしれない。





 「そのあたりの方々ならだれでもきっと喜んで結婚してくれるでしょう」

 「うーん、でも彼女たちなんだか怖いしなあ。彼女たちといるとなんだか気が休まらない」

 「もし聞かれたら刺されそうなことを言いますね」

 「まあ彼女たちから見たら僕は“アドニス”ではなくて“王太子”なんだろうさ。僕は狩られるものに等しい」

 「わがままですねえ」

 「僕の言葉をわがままで済ますのは君とシモンくらいだよ」





 だんだん扱いが雑になっている自覚はある。だが私もそもそもこの王太子と話すのも飽きてきた。よく考えると彼とこんなに長時間話すのは初めてな気がする。普段は脱走先から王宮までを一緒に歩いているだけなのだ。こんな風にお茶会をするのも初めて。ゆえにただ話すだけのこの時間にも飽きがきたのだ。





 「君は舞踏会には参加しないんだよね。どうして?」

 「仕事がありますし。ああいうキラキラしたのに今更参加するのも気が引けます」





 クッキーをかじりながら目をそらす。実のところ、一番いやなのは普段の自分の姿を知っている宮廷魔法使いの皆に、貴族令嬢しているところを見られたくないのだ。今更猫かぶっているところを見られれば、後日どれだけ笑いものにされることだろうか。





 「実は割と気心が知れていて、遠慮なく僕にものを言ってくれる貴族令嬢がいるんだけど」

 「へえ、割と理想的ですね」

 「紫の瞳がきれいだと思ってたんだ」





 紫の瞳。この国では希少な色で、本来まれにしか見られない。それを持つのは魔法使いだけだ。妖精や魔法を目視することを許された瞳。





 「へえ、じゃあ魔法が使える、」

 「うん。魔法が使えて、気心が知れて、僕にも歯に衣着せぬもの言いをする貴族令嬢が一人いてね」

 「……そろそろさぼりすぎてる気がするんで、仕事に戻りますね。お菓子と紅茶ごちそうさまでした。おいしかったです」

 「まだチョコレートムースがあるよ?」

 「じゃあそれは俺がもらおうか」





 突然乱入してきた声に思わず肩をはねさせる。





 「お、お師匠、いつの間に」





 何も後ろ暗いことはないはずなのに声が固くなる。がっしりと後ろから両肩を掴まれその場から離脱することを阻まれる。





 「やあシモン。忙しかったんじゃないの?」

 「忙しくて悪かったな。だが俺の代わりにこいつを連れて行ってもできることなんてないだろう」





 ひどい言われようだが、シモンの言う通り、シモンの代わりに私ができることなどなにもないのでお口にチャックしておく。さらに言えばシモンの雰囲気が、魔法に失敗した私を怒鳴りつける前のそれに似ているため、刺激しないよう自分は石像だと言い聞かせた。





 「いや、とても参考になったよ。カトレアと話すと落ち着くし、なんだか勇気ももらえる。まあ今回は横っ面張られた気分だけどね」

 「俺の部下が無礼を働いたみたいで悪かったな」





 椅子から立ち上がることも振り向いてシモンの顔を見ることもできない。ギリギリと力の入る彼の両手に私の肩が悲鳴を上げる。これ以上煽ってくれるなと、そんな願いを込めてアドニスを見るがウィンクを返されただけだった。だめだ、この王太子何もわかってない。意思の疎通が困難すぎる。





 「もし舞踏会で結婚相手を見つけられなかったら、カトレアに結婚してもらおうかなって」

 「はいぃ……⁉」





 初耳すぎる爆弾をさも当然のように投げつけてきた。

 私は違う。私は違うだろ。

 いい血筋でもなければ、素晴らしい教養もない、平々凡々な私に王太子妃など務まるわけもない。何よりやたらといい笑顔の彼は完全に私たちをからかいにきている。いやむしろシモンが近づいているのを見つけて私にこんな話を振ったのではないか。

 普通の大人なら、王太子にからかわれても本気にしない。むしろ気にかけてもらってると喜ぶところ。頭の固いものであってもせいぜい苦笑にとどめることだろう。



 だがしかし、私の後ろに立つこの宮廷魔法使い筆頭、天才最強お師匠は一般常識に欠け、社会性も低ければ煽り耐性もとんでもなく低い。

 そして今、私が最もシモンの立っている場所に近い。

 つまり彼がいまキレた場合十中八九私は巻き込まれることとなる。ド畜生。





 「いい度胸してるなあ、アドニス」

 「お、お師匠、殿下を呼び捨てとか、」





 焦りすぎてどうでもいい指摘をしてしまう。頭のどこか冷静な部分で今自分はいまだかつてないほど混乱していると観測した。





 「アドニス。こいつは俺のだ」





 けれど降って来たのは怒鳴り声じゃない。苛立ちは孕んでいるが、落ち着いている。

 両肩にかかっていた手はそのまま私の胸の前に降りてきて、私を隠すように覆いかぶさった。





 「こいつは俺の弟子で、俺の後輩で、俺の部下で、俺の嫁だ」





 息が私のつむじに当たる。低い声が直接鼓膜を震わせるように私の身体の中に響く。目の前にいるはずのアドニスが今どんな顔をしているかもわからない。





 「こいつは俺のだ。お前になどやるものか」





 軽口に軽口で対応しているなら、どれだけ気が軽かっただろうか。

 だがその声色が、決して笑い飛ばせるものではなかった。





 「……おら、行くぞカトレア。菓子はうまかったか? さぼってたぶんきっちり働け」





 あ、と思う間もなく背中からぬくもりがなくなると、今度は腕を掴まれあれよあれよと温室の出入り口へと引っ張られていく。





 「は、はい! あ、殿下! お菓子とお茶ありがとうございました! おいしかったです!」

 「こっちこそ、話を聞いてくれてありがとう。勉強になった。またお茶に呼ばせてもらうよ」





 まだ王太子が話している途中だというのに、振り向くどころか足も止めないシモン。遠のいていくアドニスの声と掴まれた二の腕にため息をつく。双方のあまりの傍若無人さに胃痛がしそうだ。

 何よりシモンの足が止まってこちらを向いたとき、どんな顔をすればいいのか。らしくもなく火照っているだろう顔を俯かせながら、再び小さなため息をついた。
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