あの夕方を、もう一度

秋澤えで

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終局開幕最終章

やり直し革命譚 4

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 何かが胸からせり上がってくるのを感じた。
 それは現実を突きつけられたがための精神的負担なのか、それとも逃げ道を示されたことへの安堵の息なのか、判断がつかなかった。
 協力が得られず、総長を助けるべきでないといわれ絶望しているのに、私の胸には誤魔化しようのないほどの安堵があった。

 逃げてはいけないと思っていた。私にはやらなくてはならないことがあると、心から思っていた。
 逃げ出すための免罪符はすでに与えられた。
 私は弱い。
 私がいても意味がない。
 私には器がない。
 私が逃げたところで、だれも困りはしないのだ。


 「ハン、どうするか腹は決まったようだな。」
 「それは……、」
 「とっとと諦めろ。もうここまで来ちまえばお前らにできることはねえ。恨むなら浅慮なメンテの小僧を恨みな。」


 その言葉にふと思う。
 あの人は本当に浅慮だったのだろうか。
 罠にかかってしまった。そんなことが彼にあるだろうか。彼は誰よりも革命軍のことを思っていた。先代の遺志を継ぎ、数知れぬ同士をまとめ上げ、世のために奔走してきた彼が、本当に謀られて断頭台になっているのだろうか。

 そもそもヒルマの件だってそうだ。私たちにとってヒルマという人間は警戒するに値する人間だった。にも拘わらず彼は彼女を傍に置き続けた。
 私と同じ、軍から出奔した裏切り者。
 私は自ら望み革命軍に志願し、中将として持っていた情報と知識を売り込んだ。しかし彼女はどうだろう。彼女は情報局に所属していたため、持っている情報は確かに多く正確かもしれない。けれど彼女は軍に所属してわずか数年、行ってしまえば情報局の末端だ。そんな彼女の持っている程度の情報で、果たしてメンテはそんなにも彼女のことを重宝するだろうか。
 いやいつかにメンテは言っていた。ヒルマは”預かりもの”であると。”涙を流す者”からの預かりもの。話に聞く限り、”涙を流す者”は軍部関係者だ。
 彼はおそらく”涙を流す者”に会いに行ったのだろう。

 この大事なタイミングでなぜ、と考えても私にはわからない。
 そこで”涙を流す者”に謀られたのか。

 いやそれではわからない。”涙を流す者”は軍部の人間でありながら革命軍に味方しているはずだ。それなのにメンテを処刑しようとはしないだろう。油断させて、という手である可能性もあるが、それでは仕込みがあまりにも長すぎる。もっともはやくメンテを殺す機会は何度でもあったはずだ。


 「彼は、彼は浅慮なんかじゃありません。」
 「あ?」
 「なんの意味も策もなく、仲間を危険さらすような方では決してありません。」
 「ほおん?」


 じろりとにらむように私を見下ろすトルペに思わずたじろぐ。何も言われなくともわかる。浅慮ではない、ならばなんの意図をもって、メンテは王国軍に拘束されたのか。


 「じゃあなんだ。奴はお前らに何を求めてる。考えがあるとして、残った革命軍にどんな意思を残してきてる。助けに来させるのか、待機させて一人で何かするのか、それとも自分が囮になって別口から襲撃させるのか。何かさせたいことがあるなら、お前らに何か指示の一つくらい出してんだろ?」
 「それは……貴方に協力を仰ぐように、とだけ。」
 「糞餓鬼め……。俺はお前らを止めるし手も貸さねえ。それくらいあの餓鬼もわかってるだろうに。」


 あの人は、本当は私たちにどうしてほしかったのだろう。このドラコニアでトルペさんに会い、助力を得られる可能性を彼は感じていたのだろう。ではどのような事由があればどのような言葉があれば彼は動いてくれるだろうか。 
 深くため息をついて、トルペは少し困ったように言う。


 「……何も俺はお前たちに反対してるから手を貸さねえわけじゃねえ。俺だってもとは革命軍で王政府を倒す気概もある。……何より、この街見ればわかるだろ。あんだけ暴れた結果が、これだ。確かに革命軍に甚大な損失を受けながらも王政府の力を削れた。だがここにいる人間たちもことごとく巻き込まれて死んだ。革命軍に協力した星龍会は街ごと殺された。見てみろ。あのテントの傍で走り回ってる兄妹は、父親が星龍会の熱心な信徒で革命軍に多額の資金援助をしていた。そして殺された。橋の下にいる二人の子供が見えるか。あの二人は宗教都市に流れ着いた浮浪児だった。ドラコニアの孤児院で保護されていたが、院長もシスターも火災から子供を逃がそうとして、一人残らず焼け死んだ。」


 憂いの色など知らぬように駆け回る兄妹がいた。橋の下で身を寄せ合う髪の長い少女と白い髪の少年がいた。片腕を失いながらも瓦礫を運ぶ男性がいた。顔の半分を包帯で覆った女性が小さな泣く子供をあやしていた。
 傷つけられながらも、必死で生きている人がいた。


 「俺には責任がある。こんな惨状を作り出した、数少ない生き残った人間として、ここにいる奴らが真っ当に生きられるような状況を作らねえといけねえ。……正義を振りかざし宗教を利用し、巻き込んで踏みつけた罪を贖わなくちゃいけねえ。せめて自分たちが、少しでも正しいことをしている人間だってぇ思うためには、ここで死んでいった仲間の罪を少しでも雪ぐためには、俺たちや王政府のことを恨み憎みながらも自分の人生を送れるだけ立ち直らせなきゃならねえ。それが俺の、前時代の革命軍としての責任だ。」


 何か話そうとするのに咽喉が焼き付いたように痛み、何も言えなかった。強面の大男は今にも泣きだしそうな顔で、けれど強い意志をもって言った。
 初めて、ドラコニアと先代革命軍との関係を知った。これまで気にしたこともなく、てっきり星龍会と革命軍の思想が自然にあったものだと思っていた。けれど実際は、資金繰りのために革命軍が星龍会に近づいた、革命軍が戦いなど知らない落ちぶれかけた教会を巻き込んだのだ。それは決して正義の徒とは呼べない所業だった。
 大事のためなら小事のことなど。それは王政府と何も変わらなかった。アンタス・フュゼどて、先代総長とてこのような事態の一つくらい想像がついただろう。


 「巻き込んだとしても、一般人に被害が出たとしても、教会の助力が必要だと信じて疑わなかった。そのためなら口先で信徒を語ることなんざ屁でもなかった。……お前みたいな奴からすりゃ反吐が出る話だろうが、忘れて良いことじゃねえ。生存者が、知ってるやつがほとんどいねえからってなかったことにしていい話じゃねえ。ここにいる奴らがまともに生きられるようになったとして、あの戦いを忘れて良いわけでも正当化していいわけでも、仕方がなかったと嘯いていいわけじゃねえ。許されることじゃねえが、ここにいる奴らが生きられるような環境を作るのが、俺が通すべき筋ってやつだ。俺はここにいる奴らをおいてどこかへ行くわけにはいかねえ。」


 トルペ・アルミュールは筋と言った。誰かが決めたわけでも命令したわけでもなく、ただ自分がこうすべきだと自ら課した道理だと。
 そこまで言われてしまえば、もう協力してくれなどいえなかった。厚顔無恥に、指示されたからといって頼み込んでいた自身が恥ずかしい。

 ふと、彼が市民を守ることを筋とするのなら、私の通すべき筋とは何だろう、と考えた。
 きっと今まで一度たりとも考えたことがなかった。いつだって、その場の考えと感情と、可能性で生きてきた。できそうだからする、良さそうだからする。何か覚悟して、ことにあたったことがあっただろうか。
 私が、”すべき”こととは、

 『君がいるだろう?』
 『大丈夫、できるよ。』
 『君なら大丈夫だよ。』

 メンテは、トルペ・アルミュールからの助力を求めるために、私をドラコニアに来させたわけではないのかもしれない。


 「……事情も知らず、無理を言って申し訳ありませんでした。」
 「おう……わかりゃ良いんだわかりゃ。お前もあきらめるなりなんなり、身の振り方決めた方がいいぞ。戦うにゃ向いてねえ。学があんならどっかの村や町で教師をするのも良い、物腰も柔らけえしやれることはいろいろあんだろ。」
 「いえ、私は戦います。私は、メンテさんを助けに行きます。」
 「あ゛あ゛?」


 目を見開いて鬼のような形相で見下ろす彼は、もう怖くはなかった。目の前の大男はただ単純に私のことを、革命軍のことを案じている。


 「私は一時とはいえ、メンテさんに革命軍を任されました。私は彼に大丈夫だと、私ならできるといわれました。私はそれにこたえなければなりません。」
 「そんなもんお前に押し付けるための世辞だろ。本気で言ってると思うか?本当に手前にできると思ってんのか?」


 本当に、トルペの言うとおりだった。 
 私は戦うのに向いていない。集団を率いるようなカリスマ性もなければ責任を全うできるだけの器もない。誰よりも、私は私の凡庸さを知っている。
 どこまでも、なあなあに生きてきた人生だった。


 「私は、安易な理想により、王国軍を裏切りました。理想だけを見て、尊敬すべき方を殺しました。……理想しか見ようとしなかった私には、覚悟なんてまるでありませんでした。」


 綺麗に取り繕われた世界だけを見てきた私は、責任から期待から逃げ続けてきたのだろう。追い詰められるまで気が付かなかったほどには。


 「私は私のしたことに責任を取らなければなりません。」


 周囲の人は私のことを生真面目で清廉潔癖と評価した。だが実際は現実から逃げ、できる範囲のことしかせず、失敗からも責任からも逃れ続けてきた卑怯者だ。


 「私がいたところで、きっと何も変わらないでしょう。私がいたところで何も救うことなどできないでしょう。凡百な私では、きっとできない。」


 理想を追って、善意の人を殺した私はもう、逃げてはいけない。
 誰が逃げてもいいといっても、できることなど何もなくても、もう逃げることだけは赦されない。
 ほかでもなく綺麗ごとを口にし続けた私が、許さない。


 「薄っぺらな正義だったとしても、そのために人ひとり殺したならば、私はその正義に準じなければなりません。それで私のしたことが正当化されるとは思いません。けれどせめて私は、その死んだ人に報いるため、道理を通さなければならないのです。」


 それが、卑怯者の私がせめて正義を名乗る者として通すべき、通さなければならない道理ではないだろうか。


 「……手前のその道理ってぇ自己満足のために、仲間を死にに行かせるつもりか?」
 「そんなつもりはありません。ただ死人が出ることは防げないでしょう。それこそここでの戦いに次ぐ大きなものになる。ですがそれは避けようもないものです。」
 「手前が退けば、革命軍の奴らがみんな退くとは思わねえのか。……一人助けるために何十人もそれ以上も死ぬのを止めてやろうって気はねえのか。」 


 仲間のほとんどを戦いで失った彼だからこその言葉だろう。正義のためにと世のためにと、たくさんの命が浪費されるところを間近で見てきたからこそのものだ。けれどももう私の腹は決まっていた。


 「思いません、思えませんよ。いったい誰がぽっと出、それも裏切り者の私の言うことに従ってくれると思いますか?私は私の人徳のなさも能力のなさも知っています。……そして何より、皆がメンテさんのことを助けに行きたがっていることを知っています。総長を見捨てようとする私の言葉に、いったい誰が耳を傾けようとするでしょう。」


 革命軍は烏合の衆だ。ただ一つ、世の中をひっくり返し悪政から逃れることを目標とした。生まれも違えば職も違う、育ちも違えば年齢も違う。全く異なる人間たちが、ただ一つの目標をもって集ったのが革命軍だ。そして今、皆共通の目標がもう一つある。


 「革命軍の誰もが、総長の奪還を願っています。私にできることは、ほとんどありません。しかし何もできないわけではない。私にできるのは、私がすべきことは、彼らが求める総長奪還の先導をすることです。」
 「……お前に奴らがついていくか?」
 「いいえ、ついてくることはありません。私はただ、彼らが進む方向に立つだけです。……軍部にいたからこそ、隊の配置を知っています。総統の考えることもすべてではありませんが把握しています。私は彼らをまとめ上げるのではなく、目的達成のための道具として彼らのために動くのです。」


 カリスマ性なんてない。ならば私は自身の有用性を仲間に知ってもらわなければならない。大軍の中から、王国軍の本拠地から誰よりなにより注目され、警戒される人間を生きたまま奪うという勝率などたかが知れている作戦を決行する。そのための最も効率のいい、最も勝率の高いルートを示し、確保することが私にできることで、私にしかできないことだ。


 「どのようなことがあろうとも、仲間の望むために、仲間の望む結果を勝ち取るためのサポートをすることが、私がすべきことです。」


 メンテはきっとすべてをわかっている。
 必ず仲間たちは自分を助けに来ることを。
 ドラコニアにいる手袋のもとを訪れれば彼によって引き留められることも。
 軍を裏切ったにも関わらず、大した覚悟のない私のことも。
 すべてはきっと、彼の掌の上なのだろう。
 ならば私たちは、私たちの思うままに行動すればいい。
 それすらもメンテは知っているはずだから。


 「うっ……なんだそれ、トルペさん!メンテ・エスペランサの奪還に協力してやってください……!ドラコニアには俺がいますから大丈夫です、行ってやってください……、」
 「っなんだ手前ェはあ!!今までどこ行ってやがったリナーシタァ!」


 テントの脇から突然現れたのは黒いフード付きのマントを羽織った長身の男だった。あまりのことに驚く私をおいてトルペが烈火のように怒鳴り散らす。リナーシタと呼ばれた男は鼻声、いやかすかに涙声だった。


 「いきなりいなくなりやがってっ、」
 「や、なんか昔の知り合いが近くにきてるって噂を聞いて……、」
 「一声かけていかねえか!」
 「すいません!」


 ふと男が小脇に何かを抱えていることに気づく。何か荷物のように見えたが、それはもぞもぞと動いていた。いや動いている、というよりも激しく動こうとする何かをリナーシタがその腕で押さえつけているのだ。


 「……その小汚ェのはなんだ。」
 「前の部下です。」
 「勝手に拾って来てんじゃねェ!捨ててこい!なんで匿われてる奴が拾いもんしてんだ!」
 「ちゃんと俺が面倒見ますから!……、ちょっと暴れないで、ステイステイ、」


 抱え込まれている小汚い何かは依然として動き続けるが、先ほどの今にも飛び出そうとするような勢いはない。しかし代わりにそれは顔を上げた。
 淀んだ緑色の相貌が私を確かに射抜いた。


 「あ、貴方は……!」


 フード隙間から、リナーシタの弧を描く口元が見える。


 「腕は確かですよ。任された仕事はきっちり熟しますし、生真面目です。」
 「生真面目な奴が何でこんなに血生臭ぇんだよ。そんな物騒なもんドラコニアに持ち込むな。」


 しっし、と顔をしかめて追い払うようなしぐさをするが、緑の両目は私からそらされることはなかった。
 その見た目は私の記憶のものからは程遠い。いや、それほど仲がいいわけでも友人でもない、せいぜい知人程度の間柄だった。
 その目が何を言いたいか、明らかだった。


 「……そうだ。こいつの話にそんな感動したってんなら、お前らが行ってこい。」
 「えっ、テールプロミーズにですか?」
 「おお、アサシオン広場だ。知ってんだろ。メンテ・エスペランサがそこで処刑される。革命軍に加勢してこい。それなりにお前もそれも腕は立つだろ。」


 少し困ったように空を仰いで、「それじゃあ行ってきますよ。」と彼は事もなさげに言った。


 「ただまあ死ぬな。お前は生かしておいて使い道があるからここにいるんだぞ。」
 「心配してくれてありがとうございます。」
 「心配してねえお前耳ついてんのか!?こっちにも都合ってもんがあるんだよ!」


 怒鳴るトルペと朗らかに笑うリナーシタと呼ばれた男。その柔和さは、メンテを彷彿とさせた。

 『あそこには正義の権化みたいな人もいる。』

 メンテの言っていた意味を、ようやく理解した。


 「勝手に話聞いてて悪かったな。でもお前の覚悟はよくわかった。いろいろ思うところはあるだろうが、メンテ・エスペランサ奪還、頑張ろうな。」


 緑の目にさらされながら、対照的に握手を求める彼に、激し眩暈を覚えた。


 「……トルペさん、これは、いったいどういう……。」
 「はっ、メンテの餓鬼に聞きゃわかる。すべては”最後の涙”にするためだ。」


 真意などわからない。何もかもがわからない。
 ただ私は何か大きな舞台に上げさせられた役者であることを理解した。
 きっと私たち役者は、理想のハッピーエンドのために駆け回るのだ。
 台本を持たない私たちは、ただただ自らの信じる道を走るだけだ。
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