あの夕方を、もう一度

秋澤えで

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完全に太陽が顔を出し、夜を払う。使い慣れた長期遠征用の背嚢に荷物を詰めているとようやく着替えたカルムクールがおれの手元を覗きこんできた。


「なんか忘れてるもんとかはないか?行っちまったら半年帰ってこれねぇぞ?」
「わかってる。それにたった半年だ。忘れてもさして問題ない。」
「だからそういう問題じゃあねぇって……、」


大げさにため息を吐くカルムクールをしり目に荷物の最終確認をする。半年間の実地訓練と言っても内容は長期遠征の練習のようなものだとカルムクール部隊の仲間から聞いていた。訓練学校を出たばかりのひよっこの寄せ集めのため上官からのフォローがある前提らしい。おれにはこの半年は時間を浪費しているようにしか思えない。これならばこのまま今の部隊にいた方が力を付けられるだろう。しかしながら新兵である以上、この実地訓練を終えなければ正式な入隊とは呼べず、目標である将官など夢のまた夢である。最終目標が将官であるゆえだが、実りの少なそうな半年にため息を吐きたくなった。


「入隊自体は式の後からになるが、次に会うのは戻ってくる時になるだろうから、今入隊祝い渡しておくな。」


今まさに家を出ようとしたときに呼び止められ、目を瞬かせた。促されるままに手を出すとそこに置かれる小さな箱。ちらりと表情を見て、開けてほしそうに見えたため、その場で箱のふたを取る。


「ピアス……?」
「ああ!お守りみたいなもんだ。」


よくよく見てみると銀色の龍が琥珀色の石を抱えているデザインだった。どこかで見たことのあるようなモチーフに首を傾げる。


「星龍会のモチーフだ。最近は信仰が薄れてるが一応メタンプシコーズ王国の国教で、街の中にもちょこちょここのモチーフがあったりするぞ。」


そこまで言われて合点が行く。
星龍会は唯一神を巨大な龍としている龍はその手で土を集め、その足で土を踏みしめ大地を固め、恵みの涙を流した。そして真実と罪を秤に乗せ両方を併せ持つ人間を作り大地に置いた。国を作り上げた龍はその翼で舞い上がり星の元へと上っていった。龍に作られた人間たちは龍の住む星へと死後帰り、そこで生まれながらに持つ罪を清算しなければならない。この国には手、足、涙、秤、翼五つの『神龍の宝』という神宝が今も存在する。

別に信徒でもないおれが知っているのは大雑把なことだけだった。聖典もあるようだが興味もなく目を通したこともない。だが革命軍と星龍会はかかわりが深かった。アンタス・フュゼ率いる旧革命軍は、一度政府の樹立を目論んでいた。メタンプシコーズ王国から見て西に位置する宗教都市ドラコニアに新政府を築いた。宗教都市ドラコニアは星龍会の聖地であり、下火になっていたドラゴン信仰の再興を条件に、革命軍に全面協力を示した。その結果、ドラコニアでは大火炎の戦いが起こりメタンプシコーズ王国からドラコニアという年は消滅した。星龍会から支援を受けていたとはいえ、革命軍メンバーのほとんどが無神論者だった。もしこの国を守る神がいるのなら革命が必要になる前にこの国を救ってくれただろうに、と。


「……おれとお揃い嫌だったか?」


どうしてくれよう、と指先で転がしていると不安げな声を掛けられる。そういえば、と顔を上げると彼の耳にも同じデザインのものが見えた。見たことがあると思ったのはどちらかと言えば彼のピアスの方かもしれない。ドラコニアに何度か足を運んでいたものの、戦いに参加することを固く禁じられていたおれやメンテ達、若いメンバーはほとんどかかわりがない。唯一メンテを窓口に星龍会信徒のパトロンとつながりがあったらしいが、おれはよく知らなかった。


「別に。カルムさんとお揃いが嫌とか、デザインが嫌ってわけじゃない。でもおれ今ピアスホールない。」
「えっ!?アルマこの前ラパンにピアッサーで空けられてなかったか?」
「いや……、ピアッサー片手に迫られたけど、あの人に任せたら穴空けるだけで済まない。耳ごと持ってかれる。」


先日ピアッサーを持ったラパンに何の脈絡もなく追い掛け回されたため全力で逃げたのだが、どうやらカルムクールの悪意なき差し金であったらしかった。昔からとにかくラパンに嫌われているが、ここ数年は任務中にうっかり殺されかけることがなくなり、訓練でも害意はあるものの殺意は感じられないので気を抜いていたが、よほどの用事があるか、喧嘩を売るかでしか声を掛けない彼がピアッサーを手に引き攣ってもはや笑顔と言えない形相で迫ってきたため、何か命を取られそうになることをしたかと行いを振り返ったが、心当たりがありすぎて何だかはっきりしないままに逃げ回っていた。あの形相は、大好きなカルムクールが大嫌いなおれを気にかけているのが心底気に入らない、という顔だったようだ。


「ラパンできなかったならそう言えよ……。」
「あんたも人に、というよりあの人に頼むのが間違ってるんだ。それにことあるごとに害を成そうとする人間に耳を貸せるほどおれはボケてない。」


最近仲良くしてるように見えたけど、と呟くが、それはカルムクールの見間違いだ。おれにはラパンと仲良くした記憶など微塵もない。いつだってカルムクールに忠実な副官はおれを退役させようと躍起になっている。


「……まあ、耳につけなくても、持っておくから。」
「そうか!帰ってきたらつけてやるからな!」


ピアスを背嚢に仕舞うと途端に相好を崩す後見人に居心地の悪さを感じた。
受け取りはする。だがおれはとてもそれを耳に置く気にはなれなかった。


「時間、大丈夫か?」
「ん、まだ余裕ある。遅れそうになったら屋根伝いに行くから問題ない。そっちの方が早いし。」
「アルマ……お前そんなことしてるから近所の人から黒猫とか黒蜥蜴とか呼ばれんだぞ……。」


初めて聞いた、と目を丸くするおれにカルムクールは肩をすくめた。噂が本人には届かないのはどうも事実らしい。まだ成長期の途中である身体は身軽であり、薄い屋根でも踏み抜くなどというへまはしない。しかし周りの人間からすればひやひやさせられる事案なのだそうな。


「じゃあ、半年頑張って来いよ!無理はすんな。一人で突っ走ろうとするな。それなりにで良いから同期の連中と仲良くしろよ?」
「それさっき聞いた。分かってる。それと、」


口を継ごうとして口ごもる。何を言おうとしたのか察したらしいカルムクールはにやにやとしながらおれの方を見てくる。ムッとしながらも、言わなければ機嫌を損ねることは必至な上に、歯に何か挟まったような心地で半年過ごさなくてはならないよりはマシだった。


「……『いってきます』」
「おう!『いってらっしゃい!』」


どんな顔をしているか本人すら自覚できないが、見送る彼にからかわれては堪らないと、急ぐでもないのにパッと駆けだした。

ここ数年で見慣れた街が視界を流れていく。

アルマ・ベルネット、メタンプシコーズ王国軍正規入隊。

10年先で待つ敬愛すべき総長に、一歩近づくことができた。
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