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幼少期
母の思い
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やっとあの異常に重い木刀に慣れた今日この頃、今度は母様に台所に呼ばれた。
「涼ちゃん!」
「はい何でしょうか?」
「御側付の修行も大事だけどね、家事ができるのも大切なの!」
「はあ、」
「だからね、今日からは家事の手伝いもしてもらうわ!」
うわぁ、と顔を引き攣らせる僕に母はどこか勝ち誇ったような顔をしている。今の修行プラス家事は……辛い。御側付を目指すのを辞めさせようと母様も父様も必死だ。翡翠に比べてあからさまにあたりがキツイ。 それだけ僕がわがままを言っているということなのだろうが、過保護だ。
……簡潔に言おう、僕は家事をなめていた。かつての自分の体とは感覚が違うのだ。特に料理。これが想定外の力仕事だった。
とりあえず包丁が地味に重い。少し持つくらいなら問題ないんだけど永遠片手に包丁片手に野菜で皮をむき続ける状態はかなりキツい。我が家にはピーラーはないのだ。しかも刃物なので気を抜けない。うっかりして怪我をしようものなら武道の方にも影響が出てしまう。気力体力ともに大いに削られた。ところで母様と父様は必死過ぎて間違いなく僕が三歳児であることを忘れている。やることなすことナンセンスだ。
裁縫も不器用な僕にとっては拷問だった…。まず糸が針の穴に通らない、そこから。あれはものすごいイライラする。この世には糸通しという便利なものがあるのにこの家にはない。解せぬ。
そんなこんなで苦戦した分を武道でストレス発散している。武道の方が得意なので家事より断然楽だ。
家事の一環として庭掃除をしていたある日、
「もしかしてあなたが涼ちゃん?」
門の辺りから声をかけられた。
振り向くと母様にも負けず劣らずの黒髪美人さんが立っていた。
「…はい、僕が赤霧涼ですが?」
「ふふふ、千里さんの言う通り男の子になったのね。」
コロコロと上品に笑う。千里さん…ということは母様の知り合いのようだ。
「母様なら今は留守ですよ。何か御用があればお伝えしますが……お名前を伺っても宜しいですか?」
「あら、ごめんなさい。名乗るのを忘れてたわ。私は白樺雲雀っていうの蓮の母親よ、よろしくね。今日は千里さんじゃなくて貴方に用があるの。」
白樺の方、しかも現婦人。名前しか知らなかったし血筋の方でもないから気づけなかった…。
「失礼しました。お初にお目にかかります、改めまして赤霧涼と申します。それで僕に用とは……?」
直すことを諦めた慇懃な挨拶をするが雲雀様は特に驚かなかった。
「嘉人さんの言う通り、礼儀正しい子ね…。光さんと千里さんから御側付について反対されてるそうね?」
どうやらこちらの事情は完全に筒抜けらしい。となると、雲雀様も恐らく母様から説得を頼まれたのだろう。
「はい。両親は建て前としては目指すことを認めていますが、何かと理由をつけて止めるように仕向けています。」
ならば特に隠すことはない。相手の出方を窺おう。
「ふふふ、もう完全に建て前だって気がついてるなんてなかなか聡いわね。でも、それを私にいっても良かったのかしら?千里さんたちに言うかもしれないのよ?」
「仰って頂いて構いません。建て前と理解した上で黙って修行していると分かれば此方の意志も伝わります。それに雲雀様が仰らなくても、今まで通りなのでなんら問題はありません。」
相手が誰であろうと自分の不利益になるようなものは漏らさない。作り笑顔で押し切る。揺さぶりをかけても無駄ですよ、という表示。
「本当に賢い子ね、娘に欲しいわ。」
「恐縮です。しかし買いかぶり過ぎでは?」
「そんなことないわよ?…まあ遊びはこれくらいにして、本題に入りしょうか。」
柔和な雰囲気は掻き消され、雲雀様も恐ろしいほど美しい作り笑いを貼り付ける。
「どうしてそんなに御側付になりたいの?」
やはりそれか。一番に聞かれると思っていた質問。
「先日お会いしたときに是非お守りしたいと思ったからです。」
特に隠し立てすることなく話す。少しでも嘘を交えればボロが出る。そんなリスキーな方法は取りたくない。
「それだけ?どうしてそれだけのためにそんなに頑なになれるの?たった一度会っただけの人間の為にそこまでしたいと思う?」
矢継ぎ早に質問を浴びせられる。母様や父様のそれとは違い、あくまで冷静な態度。適当なことを言って丸め込むのは難しいだろう。
「それだけです。それだけでは足りませんか?」
「足りない、とは言わないわ、でも蓮と話したのはほんの少しの間だけ。嘉人さんから内容は聞いたけど、蓮とはまともな会話にはならなかったでしょ?貴方は蓮を嫌っていてもおかしくないのにどうしてあの子の為に?」
思わず言葉に詰まる。蓮様と話した内容は嘉人様にとっても雲雀様にとっても鬼門になり得る。下手にそれについて話せば彼女が更に傷つく可能性もある、が誤魔化しが効くような相手だとも思えない。
「…蓮様は生きることを諦めているフリをしているようでした。だからこそ、僕は彼に生きてほしいと思ったんです。そして僕はそんな彼の助けになるよう、守りたいのです。」
思っていることを自分の都合の悪い部分だけ伏せて話す。嘘はついていない。
さあ、吉と出るか凶と出るか。
「……そう、貴方になら蓮を任せられそうね。私は貴方に反対しない。寧ろ応援するわ。子供らしくないあの子には子供らしくない貴方が合うのかもね。」
どうやら地雷は踏まずに済んだらしい。
ホッと一息吐いた。
「本当はね、すごく心配だったの。」
「心配、ですか。」
「ええ、一度会っただけの女の子が蓮の御側付になりたがってるって聞いて。」
「…ですよね。」
当然だろう。ただでさえ身体の弱い子供を弱い女の子が守なんて言い出したら笑えない。そう思うと建て前だとしても目指すことを許してくれている両親に感謝しなくてはならない。
「いいえ、多分貴方が思ってる理由とは違うわ。」
雲雀様はクスクスと笑う。
「私が心配してたのは赤霧の子が蓮に一目惚れでもして、御側付になりたがってるんじゃないかって。」
「一目惚れ、ですか?」
「ええ、一時的な感情であの子の側にいたい、なんて理由だったら絶対に認められない。三歳児の一目惚れなんて風が吹けば掻き消えるようなものでしょう?」
……僕に同意を求められても困る。一目惚れどころか恋一つしたことがない。『好き』という感情でさえいまいち理解できない。
「僕は知り合い自体少ないのでなんとも言えませんが……。もし僕が一目惚れだったらどうするおつもりでしたか?」
すぅっと目が細められる。美人のこういう表情は物凄く怖い。
「そうね…まあ今日貴方に声をかけた理由の一つだけど、もし一目惚れなんてこといったら私の持つ全ての語彙を以て潰させてもらうつもりだったわ。例え小さな子供には通じないような言い回しを使ってでも拒否されているって気がつくくらいに。」
大人げないでしょう?と微笑む雲雀様。
その顔は白樺の方ではなく、一人の母親の顔だった。
「いえ、それは当然だと思います。それに子供相手にそこまでできるのは素敵だと僕は思いますよ?」
それほどに自分の子を大切に思っていることですから。
そう言うと静かに笑い、良い子ね、と呟いた。
「でも僕も一目惚れみたいなものですよ?」
事実、僕は彼を見て全てを忘れる程に見とれていた。
「そうかも知れないわね。でもきっと貴方のそれは惚れた腫れたの類ではないでしょう?」
「……何故そう言い切れるのですか?」
雲雀様は僕達と蓮様が会ったときその場にはいなかったし、何より僕等は今日初めて会って会話を交わしたのだから。
「……嘉人さんから聞いたわ、貴方が言った言葉と蓮の様子を、全て。」
思わず身が硬くなる。地雷ではないと分かっていても進んで話そうと思える話題でもない。
「私は今まで、蓮は生きることを望んでないのだと思ってた。外に出られなくて辛くても、起きることさえままならないときも、決して喚いたり、癇癪をおこすことのない、静かで聡い子だと思ってた。」
悲しげに視線が落とされる。その目には悲しみと後悔の色が見えた。
「あの子が生まれてから三年経つけど私達は普通の会話をすることも出来なかったわ。あの子はいつも諦めたような顔をしていて…私は何も言えることがなかった。でも、」
雲雀様が僕の目線に合わせるようにしゃがんだ。
「でも貴方は初めて会ったときに悲観するあの子に言ったそうね、『望むなら生きられる』と。……ずっと一緒に居たのに、私がただの一度も言えなかった言葉。……嘉人さんは言っていたわ、貴方の言葉を聞いたあの子は確かに、生きたいという意志があったって。私が一度も見られなかったそれを貴方は見つけ出した。」
親として失格ね…という雲雀様に罪悪感が芽生える。
違う。
違う。
貴方が悪いんじゃない。僕がほんの少し未来を知っていたから言えたんだ。
手に持っていた竹箒をぎゅっと握り締めた。
「それに貴方は蓮の為に性別まで捨てた。…綺麗な髪なのに切っちゃうなんて勿体無いわ。」
肩につかない程短くなった僕の髪を惜しむように指に絡めて解いた。
「それもけじめの一つに過ぎません。両親を頷かせるためと僕の自己満足ですから。」
「貴方の意志は硬くて純粋……何より、貴方にはものを見る目がある。私は貴方に御側付になってほしいわ。貴方になら蓮を任せられる。」
まるで、自分には出来ないというような自嘲的な声色に胸が痛んだ。
「必ずご期待に沿えるよう精進します。」
頭を下げた。
何としてでも就いてみせる。
「ただ、一つ言わせて頂けますか?」
「どうぞ、何かしら?」
すぅっと息を吸う。
「僕は蓮様の為に御側付になりたいとは思っていません。彼に言った私の無責任な言葉を裏打ちするために御側付になりたいのです。僕は僕の為に彼の御側付になることを望んでいるのです。」
僕は彼を励まそうとしてあの言葉を言った訳じゃない、無責任で残酷であるという自覚を持った上で言ったのだ、ということを遠まわしに告げる。
雲雀様は一瞬息を飲んだがすぐにフワリと微笑んだ。
「そう……。でも私は貴方にこれだけは言いたいの。」
そう言って私を抱きしめて
「ありがとう、蓮に希望をくれて、本当にありがとう……!」
泣きそうな声で呟いた。不安になり、雲雀様の顔をみるがその目には涙は浮かんでいなかった。
ああ、この人は、本当に強い人だ。
私は何も言えず、ただされるがままでいた。
「取り乱しちゃってごめんなさいね?」
「いえ、そんなことは、」
さっきの雲雀様が取り乱した内に入るならうちの両親は常に乱心してることになる。
「ふふ、貴方と話してると貴方が子供だって事を忘れちゃうわ。」
ヒヤリと汗が流れる。
まあ精神年齢的には蓮様より雲雀様の方が近い。一瞬、子供であることを疑われたのかと思ったが、そんな様子はなくて安心した。
「僕なんかは無駄に知識があるだけの頭でっかちな子供でしかありませんよ。」
いくら知識が有っても、経験が伴っていない分、何を言っても言葉は軽くなってしまう。この世界での僕の経験はとても浅い。
「…貴方とは良い友達になれそう。何かあったら言ってね。私に出来ることなら協力するわ。」
「ありがとうございます。だとしたら僕の初めての友達は雲雀様ですね。」
「ふふふ、それは光栄ね。」
さっきまで白く輝いていた日は、もう空を赤く染めていた。
もうすぐ、冬が来る。
「涼ちゃん!」
「はい何でしょうか?」
「御側付の修行も大事だけどね、家事ができるのも大切なの!」
「はあ、」
「だからね、今日からは家事の手伝いもしてもらうわ!」
うわぁ、と顔を引き攣らせる僕に母はどこか勝ち誇ったような顔をしている。今の修行プラス家事は……辛い。御側付を目指すのを辞めさせようと母様も父様も必死だ。翡翠に比べてあからさまにあたりがキツイ。 それだけ僕がわがままを言っているということなのだろうが、過保護だ。
……簡潔に言おう、僕は家事をなめていた。かつての自分の体とは感覚が違うのだ。特に料理。これが想定外の力仕事だった。
とりあえず包丁が地味に重い。少し持つくらいなら問題ないんだけど永遠片手に包丁片手に野菜で皮をむき続ける状態はかなりキツい。我が家にはピーラーはないのだ。しかも刃物なので気を抜けない。うっかりして怪我をしようものなら武道の方にも影響が出てしまう。気力体力ともに大いに削られた。ところで母様と父様は必死過ぎて間違いなく僕が三歳児であることを忘れている。やることなすことナンセンスだ。
裁縫も不器用な僕にとっては拷問だった…。まず糸が針の穴に通らない、そこから。あれはものすごいイライラする。この世には糸通しという便利なものがあるのにこの家にはない。解せぬ。
そんなこんなで苦戦した分を武道でストレス発散している。武道の方が得意なので家事より断然楽だ。
家事の一環として庭掃除をしていたある日、
「もしかしてあなたが涼ちゃん?」
門の辺りから声をかけられた。
振り向くと母様にも負けず劣らずの黒髪美人さんが立っていた。
「…はい、僕が赤霧涼ですが?」
「ふふふ、千里さんの言う通り男の子になったのね。」
コロコロと上品に笑う。千里さん…ということは母様の知り合いのようだ。
「母様なら今は留守ですよ。何か御用があればお伝えしますが……お名前を伺っても宜しいですか?」
「あら、ごめんなさい。名乗るのを忘れてたわ。私は白樺雲雀っていうの蓮の母親よ、よろしくね。今日は千里さんじゃなくて貴方に用があるの。」
白樺の方、しかも現婦人。名前しか知らなかったし血筋の方でもないから気づけなかった…。
「失礼しました。お初にお目にかかります、改めまして赤霧涼と申します。それで僕に用とは……?」
直すことを諦めた慇懃な挨拶をするが雲雀様は特に驚かなかった。
「嘉人さんの言う通り、礼儀正しい子ね…。光さんと千里さんから御側付について反対されてるそうね?」
どうやらこちらの事情は完全に筒抜けらしい。となると、雲雀様も恐らく母様から説得を頼まれたのだろう。
「はい。両親は建て前としては目指すことを認めていますが、何かと理由をつけて止めるように仕向けています。」
ならば特に隠すことはない。相手の出方を窺おう。
「ふふふ、もう完全に建て前だって気がついてるなんてなかなか聡いわね。でも、それを私にいっても良かったのかしら?千里さんたちに言うかもしれないのよ?」
「仰って頂いて構いません。建て前と理解した上で黙って修行していると分かれば此方の意志も伝わります。それに雲雀様が仰らなくても、今まで通りなのでなんら問題はありません。」
相手が誰であろうと自分の不利益になるようなものは漏らさない。作り笑顔で押し切る。揺さぶりをかけても無駄ですよ、という表示。
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「恐縮です。しかし買いかぶり過ぎでは?」
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柔和な雰囲気は掻き消され、雲雀様も恐ろしいほど美しい作り笑いを貼り付ける。
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やはりそれか。一番に聞かれると思っていた質問。
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「それだけ?どうしてそれだけのためにそんなに頑なになれるの?たった一度会っただけの人間の為にそこまでしたいと思う?」
矢継ぎ早に質問を浴びせられる。母様や父様のそれとは違い、あくまで冷静な態度。適当なことを言って丸め込むのは難しいだろう。
「それだけです。それだけでは足りませんか?」
「足りない、とは言わないわ、でも蓮と話したのはほんの少しの間だけ。嘉人さんから内容は聞いたけど、蓮とはまともな会話にはならなかったでしょ?貴方は蓮を嫌っていてもおかしくないのにどうしてあの子の為に?」
思わず言葉に詰まる。蓮様と話した内容は嘉人様にとっても雲雀様にとっても鬼門になり得る。下手にそれについて話せば彼女が更に傷つく可能性もある、が誤魔化しが効くような相手だとも思えない。
「…蓮様は生きることを諦めているフリをしているようでした。だからこそ、僕は彼に生きてほしいと思ったんです。そして僕はそんな彼の助けになるよう、守りたいのです。」
思っていることを自分の都合の悪い部分だけ伏せて話す。嘘はついていない。
さあ、吉と出るか凶と出るか。
「……そう、貴方になら蓮を任せられそうね。私は貴方に反対しない。寧ろ応援するわ。子供らしくないあの子には子供らしくない貴方が合うのかもね。」
どうやら地雷は踏まずに済んだらしい。
ホッと一息吐いた。
「本当はね、すごく心配だったの。」
「心配、ですか。」
「ええ、一度会っただけの女の子が蓮の御側付になりたがってるって聞いて。」
「…ですよね。」
当然だろう。ただでさえ身体の弱い子供を弱い女の子が守なんて言い出したら笑えない。そう思うと建て前だとしても目指すことを許してくれている両親に感謝しなくてはならない。
「いいえ、多分貴方が思ってる理由とは違うわ。」
雲雀様はクスクスと笑う。
「私が心配してたのは赤霧の子が蓮に一目惚れでもして、御側付になりたがってるんじゃないかって。」
「一目惚れ、ですか?」
「ええ、一時的な感情であの子の側にいたい、なんて理由だったら絶対に認められない。三歳児の一目惚れなんて風が吹けば掻き消えるようなものでしょう?」
……僕に同意を求められても困る。一目惚れどころか恋一つしたことがない。『好き』という感情でさえいまいち理解できない。
「僕は知り合い自体少ないのでなんとも言えませんが……。もし僕が一目惚れだったらどうするおつもりでしたか?」
すぅっと目が細められる。美人のこういう表情は物凄く怖い。
「そうね…まあ今日貴方に声をかけた理由の一つだけど、もし一目惚れなんてこといったら私の持つ全ての語彙を以て潰させてもらうつもりだったわ。例え小さな子供には通じないような言い回しを使ってでも拒否されているって気がつくくらいに。」
大人げないでしょう?と微笑む雲雀様。
その顔は白樺の方ではなく、一人の母親の顔だった。
「いえ、それは当然だと思います。それに子供相手にそこまでできるのは素敵だと僕は思いますよ?」
それほどに自分の子を大切に思っていることですから。
そう言うと静かに笑い、良い子ね、と呟いた。
「でも僕も一目惚れみたいなものですよ?」
事実、僕は彼を見て全てを忘れる程に見とれていた。
「そうかも知れないわね。でもきっと貴方のそれは惚れた腫れたの類ではないでしょう?」
「……何故そう言い切れるのですか?」
雲雀様は僕達と蓮様が会ったときその場にはいなかったし、何より僕等は今日初めて会って会話を交わしたのだから。
「……嘉人さんから聞いたわ、貴方が言った言葉と蓮の様子を、全て。」
思わず身が硬くなる。地雷ではないと分かっていても進んで話そうと思える話題でもない。
「私は今まで、蓮は生きることを望んでないのだと思ってた。外に出られなくて辛くても、起きることさえままならないときも、決して喚いたり、癇癪をおこすことのない、静かで聡い子だと思ってた。」
悲しげに視線が落とされる。その目には悲しみと後悔の色が見えた。
「あの子が生まれてから三年経つけど私達は普通の会話をすることも出来なかったわ。あの子はいつも諦めたような顔をしていて…私は何も言えることがなかった。でも、」
雲雀様が僕の目線に合わせるようにしゃがんだ。
「でも貴方は初めて会ったときに悲観するあの子に言ったそうね、『望むなら生きられる』と。……ずっと一緒に居たのに、私がただの一度も言えなかった言葉。……嘉人さんは言っていたわ、貴方の言葉を聞いたあの子は確かに、生きたいという意志があったって。私が一度も見られなかったそれを貴方は見つけ出した。」
親として失格ね…という雲雀様に罪悪感が芽生える。
違う。
違う。
貴方が悪いんじゃない。僕がほんの少し未来を知っていたから言えたんだ。
手に持っていた竹箒をぎゅっと握り締めた。
「それに貴方は蓮の為に性別まで捨てた。…綺麗な髪なのに切っちゃうなんて勿体無いわ。」
肩につかない程短くなった僕の髪を惜しむように指に絡めて解いた。
「それもけじめの一つに過ぎません。両親を頷かせるためと僕の自己満足ですから。」
「貴方の意志は硬くて純粋……何より、貴方にはものを見る目がある。私は貴方に御側付になってほしいわ。貴方になら蓮を任せられる。」
まるで、自分には出来ないというような自嘲的な声色に胸が痛んだ。
「必ずご期待に沿えるよう精進します。」
頭を下げた。
何としてでも就いてみせる。
「ただ、一つ言わせて頂けますか?」
「どうぞ、何かしら?」
すぅっと息を吸う。
「僕は蓮様の為に御側付になりたいとは思っていません。彼に言った私の無責任な言葉を裏打ちするために御側付になりたいのです。僕は僕の為に彼の御側付になることを望んでいるのです。」
僕は彼を励まそうとしてあの言葉を言った訳じゃない、無責任で残酷であるという自覚を持った上で言ったのだ、ということを遠まわしに告げる。
雲雀様は一瞬息を飲んだがすぐにフワリと微笑んだ。
「そう……。でも私は貴方にこれだけは言いたいの。」
そう言って私を抱きしめて
「ありがとう、蓮に希望をくれて、本当にありがとう……!」
泣きそうな声で呟いた。不安になり、雲雀様の顔をみるがその目には涙は浮かんでいなかった。
ああ、この人は、本当に強い人だ。
私は何も言えず、ただされるがままでいた。
「取り乱しちゃってごめんなさいね?」
「いえ、そんなことは、」
さっきの雲雀様が取り乱した内に入るならうちの両親は常に乱心してることになる。
「ふふ、貴方と話してると貴方が子供だって事を忘れちゃうわ。」
ヒヤリと汗が流れる。
まあ精神年齢的には蓮様より雲雀様の方が近い。一瞬、子供であることを疑われたのかと思ったが、そんな様子はなくて安心した。
「僕なんかは無駄に知識があるだけの頭でっかちな子供でしかありませんよ。」
いくら知識が有っても、経験が伴っていない分、何を言っても言葉は軽くなってしまう。この世界での僕の経験はとても浅い。
「…貴方とは良い友達になれそう。何かあったら言ってね。私に出来ることなら協力するわ。」
「ありがとうございます。だとしたら僕の初めての友達は雲雀様ですね。」
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