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小学生
ぼくと彼
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「こんにちは、あのちょっと話を……。」
「……。」
「えっと、一緒に、」
「……。」
「すいません、それ取ってもらえませ、」
「……。」
なんでこんな風になったんだろうか。
いつからこんな風になったんだろうか。
ぼくに見えていないものは、存外多いのかもしれない。
「蓮様ー。」
「どうした?って珍しいな、涼が倒れこんでるのって。」
夏になるといつも蓮様が溶けかけている畳に僕は今倒れこんでいる。
「なんか最近翡翠に話しかけると無視されてる気が……。いや、むしろ明確に避けられてるんです……。」
そう、以前いつ翡翠と話しただろうかと考えてから、家にいるときに何度か話しかけようとしているのだが、ことごとく無視され目を合わせてもくれないのだ。
「……翡翠って誰だ?」
「……僕の双子の兄ですよ。覚えていませんか?昔一度会ってるんですけど。」
よく考えてみたら、蓮様と翡翠が会ったのは三歳の時の顔合わせの一回きりだ。すぐ隣に住んでいるのに全く会わないのは少し不自然な気もする。
「……知らん。」
「知らんって……確か翡翠は二年三組でしたね。もしかしたら学校ですれ違ったことくらいはあると思います。」
「無視されるっていつからだ?そもそも何か心当たりとかは無いのか?」
心当たり……。
心当たりも何も、一番最近話したのはいつだっただろうか?
ここ最近の記憶を遡っていく。確か最後に話した内容は……。
「……ありますね。」
あった。心当たり。
五歳の時の勝負。あの時僕は翡翠に勝ち、そして彼を怒鳴り付けた。
「あれだ……!」
「何があったんだ?何かあったなら謝って仲直りすればいいんじゃないか?」
「……いえ、何とは言いませんが……謝罪ですか……。」
流石に蓮様の御側付きを決める時の勝負が原因だなんて本人には言えない。しかも内容がなかなか殺伐としていたので尚更言いづらい。自分の知らないところでそんなことが行われていたなんて知らなくていい。
「謝罪……。」
謝罪。
するならば何をだろうか?あの時はやりすぎた、とか。いや、本気でやらなければいけない勝負だったのだからやりすぎも何もない。じゃあちょっと言い過ぎた、とか?いや、多分今の僕でも同じことを翡翠に言うだろう。あの往生際の悪い態度はいただけない。
「……無理ですね。僕悪くありませんし。」
「……子供か。」
僕がきっぱりと言うと蓮様は呆れた声をあげた。僕はまだ子供だ。ぴっちぴちの小学二年生だ。
「らしくもないな。そういうことはあっさり折れる大人な対応だろ。冷めてるのがお前の通常運転なのに。」
「男にはどうしても譲れないことが時にあるのですよ。」
「男ですらない。」
「男より男らしくが僕のモットーです。」
「そうかよ。……そう言うのは俺よりも四ツ谷とか忠志に聞いたらどうだ?」
「……日野は入ってないんですね。」
「当然だろ。拓真に聞くくらいならエナガに聞いた方がマシだ。」
もはや定位置となった蓮様の頭の上でエナガがピュイっと鳴く。言ってみろ!とエナガの声が聞こえた気がした。
でも蓮様の言う通りかもしれない。喧嘩なんてしたこともない僕や蓮様より人づきあいの上手そうな二人に聞いた方が良いかもしれない。前村なんて喧嘩の仲裁とかしてそうだし、四ツ谷もなんだかんだで人との軋轢を生んだりしない。
「てなわけで二人に聞きたいんですが、どうしたら良いですかね?」
「「謝れ。」」
「……。」
学校が終わった下校前の教室で黒海と前村に聞くと二人の意見は寸分狂わず一致した。
「一回謝れば済む話なんじゃないか?それは。」
「俺も、そう思う……。潔く、謝った方が、良い。」
「俺も!俺もそう思う!」
「君には聞いてませんよ、日野。」
なんかこういう状況は珍しい。割と僕はいつも窘めたり諌めたりする側なのだが。それだけ今回の件は『赤霧涼』らしからぬ事態なのだろう。
「……でも僕悪くありませんし。」
「悪くなくても、謝れば、済む。」
「らしくないな、涼……。なんか理由があるのか?」
前村の言葉にチラリと蓮様の方を窺う。ぼかして言えば蓮様には気づかれないだろうか。
「……その時に僕は翡翠の言ったことがどうにも往生際が悪くて、つい怒って、いや叱りつけた方が正しいかな?とにかくまあ、正しいと思って叱りつけたことを今更になって謝ったらそれを撤回することになっちゃいますし……。」
しどろもどろになりながら簡潔に必要な部分だけ伝える。伝わっているか怪しいが、これ以上話してしまえば蓮様に感づかれてしまう。
「今でも自分は間違ってないと?」
「はい。ひとかけらも。」
胸を張って答えれば四ツ谷にため息をつかれた。何故だ。
「そう言えばだけどさ!涼がその兄貴と喧嘩したのっていつだ?」
「……今僕らが七歳だから、二年前ですね。」
「「「……。」」」
一瞬皆黙り込んだ。
「諸葛……実の双子の兄と、二年間一度も、話してないのか……?!」
「はい、そうなりますね。」
「……それは知らなかった。そんなに長かったのか。」
「ちょっと兄弟喧嘩にしては長すぎないか?」
「……いや、そもそも喧嘩してるっていう意識がありませんでしたね。」
話してないことに気付いたのが去年の春、気づいてからも一年も放置していた。
「一緒の家に、住んでるんだろ……?話す機会、なかったのか……?」
「わざわざ話す用がありませんでした。五歳になってからは蓮様の屋敷に入り浸ってましたし。」
「なあなあ俺さ!」
「日野、発言するときは手を上げなさい。」
「はいっ!」
僕がそう言うと日野は手をまっすぐ上にあげて発言を許されるのを待っている。
日野はこういう素直なところがあるから憎めないのだろう。みんなからの愛されキャラだ。
「はい、なんですか日野君?」
「俺聞いたことあるぜ!赤霧翡翠は涼のことが大っ嫌いだって!」
「「「「…………。」」」」
予期しなかった日野の報告に全員言葉を失う。
「……拓真、それ本当か?」
「おう!去年一組のやつが赤霧翡翠にお前の弟凄いな、とか言ったらしいんだけど、そいつ殴られたって聞いた!」
「諸葛の兄貴……過激だな……。」
「日野、ありがとうございます。今からちょっと翡翠を殴りに行ってきます。」
「「待て待て待て待て!!」」
僕が席を立とうとすると両腕に前村と蓮様がしがみつく。
「お前も負けず劣らず過激だな!?」
「涼!早まるな!」
「二人とも止めないでください。武道を行く者が自分の一時の感情で素人にこぶしを振るうなど言語道断。一度締めあげなければなりません。」
「お前は本当に男らしいな!!」
「諸葛、武士。カッコいい……!!」
「八雲も恍惚としてないで止めろ!蓮も左手離すなよ!?」
右腕に前村、左腕に蓮様、腰に黒海がしがみつき自分の席に戻された。
「今兄貴のところ行って殴ったら二年前の二の舞だろ。」
「ああ、そうか、すいませんつい身体が勝手に……。」
「涼!今から行くなら援護するぞ!」
「拓真は、ちょっと黙れ……。」
「にしても……僕翡翠にそんなに嫌われてたんですね…。」
正直なことを言うと、二年前の発言などとっくに時効だと思うのだが。僕の発言は間違っているわけではなかったのだから、そんなに根に持つことないだろうに…。
「……でももしも俺が双子で、兄貴か弟が涼みたいなやつだったら、嫌だな……。」
蓮様がふと、そう呟いた。
「え?」
「まあ、それは分かるな。辛いわ。」
「うん……結構キツイと思う。」
日野だけは首をかしげているが黒海と前村は蓮様の呟きに賛同した。
「……何でですか?」
「そりゃあ……。」
前村はちょっと言いづらそうに目を逸らし、黒海や蓮様と目くばせする。
「諸葛は、その兄貴と、自分を、比べたこと、ある……?」
「翡翠と、僕をですか…?まあ見た目くらいなら客観的に比べたことくらいはありますよ。」
自分の状況を理解し始めたころに確か比べた。
「何を比べて、どう思った…?」
「ええっと…僕はつり目気味なので翡翠みたいにたれ目だったらもうちょっと女の子らしく見えたんじゃないかな…とか思った覚えがあります。……まあ今じゃつり目の男顔で良かったと思ってますよ。」
ぺチペチと自分の顔をたたく。我ながらこの顔は使えるから嫌いじゃない。
「顔以外は…?」
「ない、ですね。昔から翡翠に大して興味ありませんでしたし。」
僕がそう言うと三人とも複雑そうな顔をしていた。
「……弟、いや妹か、こんな兄弟を持つその翡翠ってのがいい加減可哀そうになってきた……。」
「ああ、これじゃあ、な。」
「うん……友達としては、良いと思うんだけど……。」
「何でですか?」
日野も分かっていないようで僕と顔を見合わせる。まさか何かが分からなくて日野と顔を見合わせる日が来るとは思わなかった。
「あー、さ。俺一回そのお前の兄貴見たことあるんだけどさ、多分お前と似たような赤髪のやつだろ?顔見たことあるけど普通に整った顔してるし、マラソンだってお前に次いでの二位だったって聞いた。……別にあいつに欠点があるわけじゃねぇんだよな。」
「うん……兄貴の方も、かなりハイスペック……。」
「でも、涼には勝てないんだよな翡翠は。」
三人は心得たように話しだす。
「……自分の方は兄なのに、兄弟、しかも妹に何をしても勝てない。これはあくまでも俺の勝手な想像だけどな、自分より女子に人気がある、顔だって良い、勉強もできる、運動もできる、性格も穏やかで良い、それでいて一本気。……自分だって人並み以上にできるのにいつだって妹の日陰になる。両親だって出来の良い妹の方が可愛いに違いない……とか、考えてるかもしれないぜ?」
「……両親からは圧倒的に翡翠が可愛がられてますよ。」
唇をちょこっと尖らせて反論を試みる。
「それに僕だって完璧になるためにいろいろしてますし、翡翠に勝つためにそれこそ血が滲むくらいの努力をしてます……。」
「そう!そこなんだよ!」
「へ?どこ?」
僕の言葉を拾い、前村は僕の顔に指を向ける。
「兄貴だってお前の傍にいるんだ、お前のその努力に気がつかないわけがない。でもだからこそなんだよ。」
「?」
未だ理解が追いつかない僕に黒海がため息をついた。
「だから、自分も自分なりに、努力してる…でも、妹も決して、努力してない、訳じゃない…。妹も、努力している。自分も、努力している。でも、妹には、敵わない。努力しても、努力しても、勝てない…。周りの人間は、自分を見てくれない……。いっそ努力なしで、何でもできる天才だったら、諦めも、つくのに。」
一息ついて、言う。
「誰に勝てても、妹に勝てなければ、誰も自分を、見てくれない……。それは辛いだろ……?」
黒海のその言葉に鳩尾がスゥっと冷たくなるのを感じた。
もういい、わかったから、もう言わないでくれ。
自分の身体の底からこみあげる声が喉を振るわせることは無かった。
少しだけ俯いて蓮様が話しだす。
「……俺にはさ、年の離れた兄貴がいるんだ。兄貴に比べて俺は身体が弱い。いつ死ぬか分からないくらいに、弱かった。それに俺には愛想が全くない。でも兄貴は身体が丈夫だし、愛想もある、勉強もスポーツもできる。……俺の両親は兄貴にばっか構って、俺には全く興味が無い。今も、昔も……。小さいころから何度も、こう思ったよ……。」
蓮様が自分の気持ちを正直に吐露する。こんなにもはっきりと落ち着いて両親とのことを話す彼は初めてだ。
ずっと傍で彼を見てきた僕は、この勇気を振り絞って話をする主人の心情を察し、そして彼の心の成長を喜び、もっとも近い第三者、理解者として見守らなければならない。
でも、できない。僕には。
僕は彼がこの後に重ねる言葉を予覚していた。
お願いだ、それ以上は言わないで…
僕は現実から目を逸らしていたいんだ。
見たくもない現状を見せつけないでくれ。
本当はずっと前から気づいていたんだから。
「何度も思った……。」
彼の口がゆっくりと動かされたように見えた。
「兄貴さえ、いなければ…って。」
『お前さえいなければ、』
蓮様の声と、翡翠の声が重なって、僕の頭の中に大きく響いた。
「……。」
「えっと、一緒に、」
「……。」
「すいません、それ取ってもらえませ、」
「……。」
なんでこんな風になったんだろうか。
いつからこんな風になったんだろうか。
ぼくに見えていないものは、存外多いのかもしれない。
「蓮様ー。」
「どうした?って珍しいな、涼が倒れこんでるのって。」
夏になるといつも蓮様が溶けかけている畳に僕は今倒れこんでいる。
「なんか最近翡翠に話しかけると無視されてる気が……。いや、むしろ明確に避けられてるんです……。」
そう、以前いつ翡翠と話しただろうかと考えてから、家にいるときに何度か話しかけようとしているのだが、ことごとく無視され目を合わせてもくれないのだ。
「……翡翠って誰だ?」
「……僕の双子の兄ですよ。覚えていませんか?昔一度会ってるんですけど。」
よく考えてみたら、蓮様と翡翠が会ったのは三歳の時の顔合わせの一回きりだ。すぐ隣に住んでいるのに全く会わないのは少し不自然な気もする。
「……知らん。」
「知らんって……確か翡翠は二年三組でしたね。もしかしたら学校ですれ違ったことくらいはあると思います。」
「無視されるっていつからだ?そもそも何か心当たりとかは無いのか?」
心当たり……。
心当たりも何も、一番最近話したのはいつだっただろうか?
ここ最近の記憶を遡っていく。確か最後に話した内容は……。
「……ありますね。」
あった。心当たり。
五歳の時の勝負。あの時僕は翡翠に勝ち、そして彼を怒鳴り付けた。
「あれだ……!」
「何があったんだ?何かあったなら謝って仲直りすればいいんじゃないか?」
「……いえ、何とは言いませんが……謝罪ですか……。」
流石に蓮様の御側付きを決める時の勝負が原因だなんて本人には言えない。しかも内容がなかなか殺伐としていたので尚更言いづらい。自分の知らないところでそんなことが行われていたなんて知らなくていい。
「謝罪……。」
謝罪。
するならば何をだろうか?あの時はやりすぎた、とか。いや、本気でやらなければいけない勝負だったのだからやりすぎも何もない。じゃあちょっと言い過ぎた、とか?いや、多分今の僕でも同じことを翡翠に言うだろう。あの往生際の悪い態度はいただけない。
「……無理ですね。僕悪くありませんし。」
「……子供か。」
僕がきっぱりと言うと蓮様は呆れた声をあげた。僕はまだ子供だ。ぴっちぴちの小学二年生だ。
「らしくもないな。そういうことはあっさり折れる大人な対応だろ。冷めてるのがお前の通常運転なのに。」
「男にはどうしても譲れないことが時にあるのですよ。」
「男ですらない。」
「男より男らしくが僕のモットーです。」
「そうかよ。……そう言うのは俺よりも四ツ谷とか忠志に聞いたらどうだ?」
「……日野は入ってないんですね。」
「当然だろ。拓真に聞くくらいならエナガに聞いた方がマシだ。」
もはや定位置となった蓮様の頭の上でエナガがピュイっと鳴く。言ってみろ!とエナガの声が聞こえた気がした。
でも蓮様の言う通りかもしれない。喧嘩なんてしたこともない僕や蓮様より人づきあいの上手そうな二人に聞いた方が良いかもしれない。前村なんて喧嘩の仲裁とかしてそうだし、四ツ谷もなんだかんだで人との軋轢を生んだりしない。
「てなわけで二人に聞きたいんですが、どうしたら良いですかね?」
「「謝れ。」」
「……。」
学校が終わった下校前の教室で黒海と前村に聞くと二人の意見は寸分狂わず一致した。
「一回謝れば済む話なんじゃないか?それは。」
「俺も、そう思う……。潔く、謝った方が、良い。」
「俺も!俺もそう思う!」
「君には聞いてませんよ、日野。」
なんかこういう状況は珍しい。割と僕はいつも窘めたり諌めたりする側なのだが。それだけ今回の件は『赤霧涼』らしからぬ事態なのだろう。
「……でも僕悪くありませんし。」
「悪くなくても、謝れば、済む。」
「らしくないな、涼……。なんか理由があるのか?」
前村の言葉にチラリと蓮様の方を窺う。ぼかして言えば蓮様には気づかれないだろうか。
「……その時に僕は翡翠の言ったことがどうにも往生際が悪くて、つい怒って、いや叱りつけた方が正しいかな?とにかくまあ、正しいと思って叱りつけたことを今更になって謝ったらそれを撤回することになっちゃいますし……。」
しどろもどろになりながら簡潔に必要な部分だけ伝える。伝わっているか怪しいが、これ以上話してしまえば蓮様に感づかれてしまう。
「今でも自分は間違ってないと?」
「はい。ひとかけらも。」
胸を張って答えれば四ツ谷にため息をつかれた。何故だ。
「そう言えばだけどさ!涼がその兄貴と喧嘩したのっていつだ?」
「……今僕らが七歳だから、二年前ですね。」
「「「……。」」」
一瞬皆黙り込んだ。
「諸葛……実の双子の兄と、二年間一度も、話してないのか……?!」
「はい、そうなりますね。」
「……それは知らなかった。そんなに長かったのか。」
「ちょっと兄弟喧嘩にしては長すぎないか?」
「……いや、そもそも喧嘩してるっていう意識がありませんでしたね。」
話してないことに気付いたのが去年の春、気づいてからも一年も放置していた。
「一緒の家に、住んでるんだろ……?話す機会、なかったのか……?」
「わざわざ話す用がありませんでした。五歳になってからは蓮様の屋敷に入り浸ってましたし。」
「なあなあ俺さ!」
「日野、発言するときは手を上げなさい。」
「はいっ!」
僕がそう言うと日野は手をまっすぐ上にあげて発言を許されるのを待っている。
日野はこういう素直なところがあるから憎めないのだろう。みんなからの愛されキャラだ。
「はい、なんですか日野君?」
「俺聞いたことあるぜ!赤霧翡翠は涼のことが大っ嫌いだって!」
「「「「…………。」」」」
予期しなかった日野の報告に全員言葉を失う。
「……拓真、それ本当か?」
「おう!去年一組のやつが赤霧翡翠にお前の弟凄いな、とか言ったらしいんだけど、そいつ殴られたって聞いた!」
「諸葛の兄貴……過激だな……。」
「日野、ありがとうございます。今からちょっと翡翠を殴りに行ってきます。」
「「待て待て待て待て!!」」
僕が席を立とうとすると両腕に前村と蓮様がしがみつく。
「お前も負けず劣らず過激だな!?」
「涼!早まるな!」
「二人とも止めないでください。武道を行く者が自分の一時の感情で素人にこぶしを振るうなど言語道断。一度締めあげなければなりません。」
「お前は本当に男らしいな!!」
「諸葛、武士。カッコいい……!!」
「八雲も恍惚としてないで止めろ!蓮も左手離すなよ!?」
右腕に前村、左腕に蓮様、腰に黒海がしがみつき自分の席に戻された。
「今兄貴のところ行って殴ったら二年前の二の舞だろ。」
「ああ、そうか、すいませんつい身体が勝手に……。」
「涼!今から行くなら援護するぞ!」
「拓真は、ちょっと黙れ……。」
「にしても……僕翡翠にそんなに嫌われてたんですね…。」
正直なことを言うと、二年前の発言などとっくに時効だと思うのだが。僕の発言は間違っているわけではなかったのだから、そんなに根に持つことないだろうに…。
「……でももしも俺が双子で、兄貴か弟が涼みたいなやつだったら、嫌だな……。」
蓮様がふと、そう呟いた。
「え?」
「まあ、それは分かるな。辛いわ。」
「うん……結構キツイと思う。」
日野だけは首をかしげているが黒海と前村は蓮様の呟きに賛同した。
「……何でですか?」
「そりゃあ……。」
前村はちょっと言いづらそうに目を逸らし、黒海や蓮様と目くばせする。
「諸葛は、その兄貴と、自分を、比べたこと、ある……?」
「翡翠と、僕をですか…?まあ見た目くらいなら客観的に比べたことくらいはありますよ。」
自分の状況を理解し始めたころに確か比べた。
「何を比べて、どう思った…?」
「ええっと…僕はつり目気味なので翡翠みたいにたれ目だったらもうちょっと女の子らしく見えたんじゃないかな…とか思った覚えがあります。……まあ今じゃつり目の男顔で良かったと思ってますよ。」
ぺチペチと自分の顔をたたく。我ながらこの顔は使えるから嫌いじゃない。
「顔以外は…?」
「ない、ですね。昔から翡翠に大して興味ありませんでしたし。」
僕がそう言うと三人とも複雑そうな顔をしていた。
「……弟、いや妹か、こんな兄弟を持つその翡翠ってのがいい加減可哀そうになってきた……。」
「ああ、これじゃあ、な。」
「うん……友達としては、良いと思うんだけど……。」
「何でですか?」
日野も分かっていないようで僕と顔を見合わせる。まさか何かが分からなくて日野と顔を見合わせる日が来るとは思わなかった。
「あー、さ。俺一回そのお前の兄貴見たことあるんだけどさ、多分お前と似たような赤髪のやつだろ?顔見たことあるけど普通に整った顔してるし、マラソンだってお前に次いでの二位だったって聞いた。……別にあいつに欠点があるわけじゃねぇんだよな。」
「うん……兄貴の方も、かなりハイスペック……。」
「でも、涼には勝てないんだよな翡翠は。」
三人は心得たように話しだす。
「……自分の方は兄なのに、兄弟、しかも妹に何をしても勝てない。これはあくまでも俺の勝手な想像だけどな、自分より女子に人気がある、顔だって良い、勉強もできる、運動もできる、性格も穏やかで良い、それでいて一本気。……自分だって人並み以上にできるのにいつだって妹の日陰になる。両親だって出来の良い妹の方が可愛いに違いない……とか、考えてるかもしれないぜ?」
「……両親からは圧倒的に翡翠が可愛がられてますよ。」
唇をちょこっと尖らせて反論を試みる。
「それに僕だって完璧になるためにいろいろしてますし、翡翠に勝つためにそれこそ血が滲むくらいの努力をしてます……。」
「そう!そこなんだよ!」
「へ?どこ?」
僕の言葉を拾い、前村は僕の顔に指を向ける。
「兄貴だってお前の傍にいるんだ、お前のその努力に気がつかないわけがない。でもだからこそなんだよ。」
「?」
未だ理解が追いつかない僕に黒海がため息をついた。
「だから、自分も自分なりに、努力してる…でも、妹も決して、努力してない、訳じゃない…。妹も、努力している。自分も、努力している。でも、妹には、敵わない。努力しても、努力しても、勝てない…。周りの人間は、自分を見てくれない……。いっそ努力なしで、何でもできる天才だったら、諦めも、つくのに。」
一息ついて、言う。
「誰に勝てても、妹に勝てなければ、誰も自分を、見てくれない……。それは辛いだろ……?」
黒海のその言葉に鳩尾がスゥっと冷たくなるのを感じた。
もういい、わかったから、もう言わないでくれ。
自分の身体の底からこみあげる声が喉を振るわせることは無かった。
少しだけ俯いて蓮様が話しだす。
「……俺にはさ、年の離れた兄貴がいるんだ。兄貴に比べて俺は身体が弱い。いつ死ぬか分からないくらいに、弱かった。それに俺には愛想が全くない。でも兄貴は身体が丈夫だし、愛想もある、勉強もスポーツもできる。……俺の両親は兄貴にばっか構って、俺には全く興味が無い。今も、昔も……。小さいころから何度も、こう思ったよ……。」
蓮様が自分の気持ちを正直に吐露する。こんなにもはっきりと落ち着いて両親とのことを話す彼は初めてだ。
ずっと傍で彼を見てきた僕は、この勇気を振り絞って話をする主人の心情を察し、そして彼の心の成長を喜び、もっとも近い第三者、理解者として見守らなければならない。
でも、できない。僕には。
僕は彼がこの後に重ねる言葉を予覚していた。
お願いだ、それ以上は言わないで…
僕は現実から目を逸らしていたいんだ。
見たくもない現状を見せつけないでくれ。
本当はずっと前から気づいていたんだから。
「何度も思った……。」
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