胡蝶の夢

秋澤えで

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高等部編

お囃子

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日が暮れて空が深い藍に染められる。ちらほらと星が瞬くが、暖色の明かりをつける屋台のせいでそれは朧げだった。ざわざわとやむことのない人の話し声、奥の神社から聞こえる笛や太鼓のお囃子、花の踊る賑やかな浴衣を着た子供が人波をすり抜け駆けていく。甘い香りや屋台の煙が鼻についた。


「賑やかだねぇ!こんなに派手にやってるとは思ってなかった!」
「そうだな。もっと小ぢんまりした祭りだと思ってたが、結構大掛かりだ。」


地元の神社の祭り、というくらいなので屋台は境内の中だけで、あとは近所を神輿で練り歩く程度だと思っていたのだが、神社の境内に行くための道路の両脇には様々な屋台が軒を連ね、車両の通行も止められている。頭上には赤い提灯が下がり神社のものと思しき紋がかかれていた。ゆらりゆらりと皆一様にのんびりと歩を進める。


「盛大にやってるなら気づきそうなものですけどね。」
「俺らはいつも、夏休みに入ると、すぐ帰省してたから、だろ……。それに、どちらかと言えばこの祭りの、主な参加者は、地元民なんだろう、な……。」


硬いコンクリ―トで四人分の下駄がカラリカラリと軽い音を立てた。浴衣の大きく開いた袖から涼しい風が入り込む。屋台に置かれた彩り豊かな風車が小さな音を立てて一斉に回りだす。


「にしてもなんだけどさ、涼ちゃんが浴衣持ってるのは割と予想通りだけど、白樺くんも黒海くんも浴衣持ってたんだね。」
「いや、そもそも俺らは、寮では浴衣だからな……。」
「そうそう。どちらかと言えば洋服のが慣れない。昔っから家では着物だったしな。」


黒海がうぐいす色の袖を振る。そういえば、初めて黒海と会った時も彼は確か緑系の着物を着ていたと気が付く。普段はそうでもないが、浴衣や着物は緑が好きらしい。


「どうりで……三人とも異様に似合うわけか。……なんか私だけ浴衣に着られてる気がする。」


周りを見ると、女性は割と浴衣を着ている人が多いが、男性で浴衣を着ている人はあまりいない。男性はどちらかと言えば甚兵衛が多いように思える。こうして浴衣を着ていると、やたらを張りきった人のように思われそうだが、着慣れているおかげか浮くことなく自然体である。


「まあ慣れの問題ですよ。それに日和は僕のものを着てますから、あまりしっくりこないかもしれませんね。」
「まあ言っても浴衣なんて普通の奴はほとんど着る機会ないし、ここにいるほとんどの奴らが着物に着られてんだろうよ。気にすんな。」


一般的に見ればあまり普段着としてメジャーではない浴衣を着る、というのは女性たちにとっては一大イベントなのだろう。皆上から下までかっちり揃え、髪は何やらよくわからない細工が施され、簪や飾りが付けられている。一目見て気合が入っているのがわかる。普段からきている側からすると若干コスプレや仮装のように感じられてしまう。

一方の日和は僕が着付けたためどれもシンプルである。浴衣は明るく華やかな色だが、華美ではないし刺繍も派手なものではない。髪も簪で結ったもので、周りの人がしているような編み込みはないし盛ってもいない。僕が不器用であることも一因だが、要は僕の好みによって飾り立てている。派手にはならないが大人しすぎず、天真爛漫な日和にも合うように。周りの人のようなものを期待していたなら彼女には申し訳ないが、和服を着るのにあまり煌びやかなものを身につけるのは僕の趣味には合わない。それこそ、成人式などの祝いの席でもない限り。

だがまあその分熟れた感は出せているとは思う。日和の言うほど、着物に着られているような印象はうけない、はずだ。


「大丈夫だ……すくなくとも七五三には、見えない。」


黒海の背中を日和が大きく振りかぶって掌で叩いた。
バチンと痛そうな音と黒海の小さなうめき声に蓮様とため息を吐いた。


「……なんでこう、デリカシーってものがないんですかね?」
「いや、もういっそ黒海のことだからわざとじゃないか?構ってほしいんだろ。」



******



境内に向かって緩慢に足を動かす。奥に近づくにつれて空の色はより深くなり、出店の明かりはいっそう煌びやかに目に映る。人が増え、道が混雑する。道を逸れた林の中は、一寸の先も見通せず影を色濃くしていた。
すでに日和は両手にチョコバナナとリンゴ飴をもち、幸せそうに食べている。誰がどう見ても祭りを満喫している様子に頬が緩んだ。たとえそれが黒海に集ったものであっても。日和は非礼の詫びにと言わんばかりにそれらを黒海にねだっていた。それにあっさり応じるあたり、蓮様が言っていたこともあながち間違いでもないのかもしれない。

はぐれないようにとほかの三人に気を配っていると、突然黒海が消えた。


「黒海っ!?」


慌てて黒海がいたすぐ後ろを見ると、同年代の男子が数人いて黒海にヘッドロックをかけていた。一瞬茫然としたのちはっと我に返る。


「よお黒海……祭りにこんな可愛い女の子と来るなんて言い御身分じゃねえか、ああ?」
「そうだ!男だけで祭りに来た俺らの切なさがわかるか!?」
「っぐ……じゃあ先輩たちも、女子誘えば、良いじゃないですか……。」
「それができたら苦労しねえよ!」


そこまで聞いてやっと彼らの顔に思い当たる。数度目にしたことのある、陸上部の先輩だ。バタバタと抵抗する黒海と離すまいと格闘する先輩方。危険はないと判断した後、道の真ん中でなんて迷惑な、という至極まっとうな言葉を思いつくが、流石に口には出さない。

可愛い女の子、というのは日和のことだろう。黒海のそばを歩いていた彼女は一瞬驚いて目を丸くしていたが、すぐに黒海の知り合いだとわかり、持っていた赤いリンゴ飴にあぐあぐと喰らいついている。


「彼女いるなんて聞いてねえぞ!」
「……彼女いたら、この人数じゃなくて、二人で、来てますよ……たぶん。」


そこまで言って、先輩方は、日和だけではなく僕や蓮様もいることに気が付いたらしい。
そして先ほどの日和よろしく目を丸くさせた後、小さな円を作って何やらぼそぼそと会議を始めた。これはどうすればいいのだろうかと逡巡している間に、押さえつけられていた首をさすりながら黒海が脱出してきた。

先輩方の話は断片的にしか聞こえない。適当に言葉を拾ってみると、どうも僕ら四人のことを話しているらしい。男女比が、浴衣が、一年生が、顔は整っているのに、女の子が……。しばらくして、会議はまとまったらしい。結果的にいうと『イケメン三人に彼女はいない。俺らも絶望しなくていい』という内容であった。実はこの構成だと男女比が2:2であることを彼らは知らない。

ちらちらと先輩方の方をうかがっていた黒海だが、どうやらあきらめたらしい。


「すまん……拉致されるかも、しれない……。」
「頑張れ。お前なら大丈夫だ。」


何がどう大丈夫なのか、よくわからない激励を蓮様が送り肩を叩いた。

ぐったりとしていた黒海だったが、ふと何かを思いついたようで、日和を手で呼び、彼女の身長に合うように身をかがめて何かを耳打ちした。内容は周りの喧騒のせいで全く聞こえないがそれは日和にとって良いものであったらしく、ふにゃりと笑って返すように黒海に何か耳打ちをした。黒海もニッと笑った後お互いにサムズアップする。何を話しているのかわからない僕と蓮様は首を傾げた。

しかしながら当然それをみていた先輩方は沸き立つ。


「おまっ……!何仲良さげに内緒話してんだよ!!」
「内緒話って……先輩がいうと、気色悪いです……。」
「張っ倒すぞてめえ!ちょっと顔が良くて女子と祭りに来たくらいで調子のんなよコラァ!」
「ちょっと黒海借りてくけど良いか?」


数人がかりで黒海を拘束し、一人の先輩が僕らに聞く。こちらは約束してきている分、こんなところで拉致されるなど、とムッとしながら口を開こうとすると僕より先に日和が先に口を開いた。


「大丈夫ですよ!黒海くんいってらっしゃい!」

「ええっ!?止めないのか!?」
「ふつうここ止めるところじゃありませんか!?」


日和が快く了承した。

一番祭りを楽しみにしていたため、絶対反対してごねると思ったのに、彼女は何故かしれっと了承し笑顔で黒海を送り出した。半ば唖然としている僕らを横目に黒海は陸上部の先輩方に連行され、人並みに消えていった。


「え、いや……連れてかれちゃいましたけど、良かったんですか日和?」
「良いの!」
「そんなにここのところの黒海の発言に怒ってたのか……。」
「別にそういうわけじゃないよ。チョコバナナ奢ってもらったしね。」


機嫌を損ねた風にも、黒海の無礼な発言に対して怒っているようにも感じられず、日和は飄々と残り一口のチョコバナナを口に放り込んだ。

なぜあっさりと黒海を明け渡したのかわからない。ただあるとすれば、先ほど黒海が彼女に耳打ちした内容だろう。しかし生憎、もともと盗み聞きしようと思っていたわけでもないので、全く話は聞こえなかった。だが直前に黒海は諦めたような素振りをしていたため、拉致される前提で日和に何かを言ったのだろう。祭りから離脱しても、日和が怒らず、それどころかどこか上機嫌になる理由など全く想像もつかない。それこそ、思いつくのは何かを離脱した先で土産として何か買うことくらいだが、同じ祭りに参加しているのだ、特に埋め合わせになるような土産を用意することができるとは思えない。

蓮様もよくわからず怪訝な顔で日和を見るが、彼女は素知らぬ顔だ。わけを知っているのは日和と黒海だけなのだろう。最近僕と蓮様だけが付いていけず、首を傾げる事案が多い気がする。


「ま、黒海くんのことは気にしなくていいよ!部員同士仲を深めるさ!」
「日和が良いなら別にいいが……何か企んでるのか?」
「まさか!」


上機嫌にきゃらきゃらと笑う日和に、理由を聞くのは諦めた。何かを企んでいる、というのははずれではない気がする。

再び、奥に向かってカラリカラリと一つ減った下駄音を立てて進む。お囃子を響かせる舞台が遠目に見え始めた。
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