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番外編・後日談
アオサギの羨望
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「……んん?」
鍵の壊れた使われていない三階資料室。携帯を片手に女の子にメールを打っていると、煤けた窓越しに見慣れた赤色が見えた。校舎とフェンスの隙間。狭いそこには何故かいくつかの石碑や紅葉が植わっている。誰も通らないため、誰にも見られることのないそれはひどく滑稽だ。誰にも知られずひっそりと朽ちていくのだろう。そんな普通誰も来ないような場所に、親友である赤霧翡翠が見えた。
「翡翠くんじゃーん……、」
特に用はない上に、わざわざ三階から降りるのも面倒だったためただ眺めるだけに終わる。独り言は埃っぽい段ボールに吸い込まれた。
何を考えているのか、不良になろうとする彼もまた、石碑や紅葉と同じく滑稽だ。いっそ憐れみすら覚える。そんなところで不良のふりをしても、だれも見ていないのだから無意味だということに彼は気づいているだろうか。なぜあえて不良のような恰好をするのか、それが完璧な妹赤霧涼へのコンプレックスの所為なのか否か、部外者にはわからない。
ダルそうに身体を校舎に預けている彼が何を考えているのかわからない。でもわからないこそ面白く、愛おしいのだ。
数年の間一緒にいて、いやまとわりつき続けてわかったことがある。
翡翠は狭いところを好む性質がある。本人にその自覚はないのだろうが気が付けば端の方や角、何かと何かの間にいる。以前らしくもなく一人で図書館にいったところ、本棚と壁の間、その隙間に身体を入れ立ったまま本を読んでいた。
隙間、それから人から離れたところが好きらしい。
翡翠は双子の妹との距離を測りあぐねている。どうやら嫌いなわけでもないらしいが、全校が集まるときなど、無意識にその髪と同じ色を探し視線を彷徨わせている。双子というのは心的にもお互いに影響を及ぼすものなのか、自分は心理学者でもなんでもないしがない男子高校生のため、わからない。だが翡翠が涼を気にするように涼も翡翠を気にしているようだった。
ひどく拗れた兄弟関係らしい。
不良のふりをしているがそれらしいのは見た目だけである。授業はほぼサボらずに出る、破壊行為も授業妨害もしない。最初こそ教師陣も扱いに困っていたがすぐに人畜無害であることを理解し今はノータッチである。態度は良いとは言えない、多少のいざこざで暴力を振るうこともある。だが明らかに不良とは呼べない。喧嘩をしても翡翠が強すぎてまともな喧嘩にもならない上に子猫を相手にするかの如く手加減をする。態度もよくはないが元の顔つきなのだろう、たれ目で大きい目のせいで威圧感は雰囲気だけでどことなく可愛げがある。
なにより普通の不良と違うのは、その不良であろうとする彼の心持であろう。結果として不良になったわけではなく不良になろうとして不良を演じる彼はいつでもその役を捨てることができる。勝手な推測だが、翡翠はなんでもよかったんだ。不良でなくとも、真面目な委員長でもスポーツが好きな好青年でもなんでもよかった。たまたま彼が選んだのが不良であった、というだけの話だ。役を演じるのもその気さえ済めば簡単に脱ぎ捨てて見せるだろう。
なんとなく、惹かれるのだ。彼の気が済み役を捨て去る瞬間を見てみたい。
くつくつと喉で笑う。
あそこにいる翡翠はきっとここで笑っている青髪の一片ですら見ることはないだろう。
何をするでもなく彼を見ていると、ひとりの女子生徒の姿が見えた。
1年に存在する完璧な二人の生徒、その片割れ。彼女は桃色の髪を風に躍らせ彼の前に立った。
「桃宮、天音……。」
携帯のメールの画面を閉じ、カメラロールを開く。スクロールすれば何枚もの彼女の写真が出てきた。こちらに笑いかけるものからあらぬほうを向いている写真まで。しかしその写真はどれも隙がない。いつもニコニコと笑顔を振りまき、誰にでもフレンドリー、揶揄ってみせれば頬を染めて怒る。なんともかわいらしさの全てを詰め込んだ人間だと常々感じていた。今も不愛想な彼を相手に何やらしゃべりかけている。何を話しているかは流石に全く聞き取れない。だが彼が色よい返事をしてみせることはきっとないだろう。今こうしている間にも眉を顰めて心底迷惑そうな顔をしているに違いない。
青柳仁という人間の見た目は眉目秀麗だと思っている。笑ってみせれば女の子たちは黄色い悲鳴を上げ、声を掛ければ皆悪い顔はしない。何もしなくても勝手に人が寄ってくる。さらに親しみやすさを加えバカみたいな発言をすれば愛嬌があるとさらに寄ってくる。自分の見た目は篝火のようなものなのだ。そしてその見た目と裏腹に性格があまりよくない自覚もある。まさに篝火だ。フラフラと明かりに寄ってきた虫は、その日に焼き尽くされてしまうのだ。
篝火は自分以外にもいる。
例えば赤霧翡翠と白樺蓮。見目が良い、だが彼らは基本的に人を寄せ付けない。誰一人として焼き殺したりはしない、その範囲に人を近づけようとしない。
例えば赤霧涼。何をとっても完璧だ。親しみやすく優しい。だがやんわりと人を遠ざける。本当に気を許した相手だけを懐に入れそれ以外は常に線を引き続ける。近づきすぎて燃えそうになるものがあればするりと逃げてみせるだろう。
例えば黄師原煌太郎。見目が良い。だがそれを覆すほどに正確に難がある。不用意に近づくものはいない。
例えば桃宮天音。何をとっても完璧だ。彼女は誰であろうと引き付ける。だが彼女は本当に近づく者はえり好みする。それ以外は博愛に触れてみせるのだ。彼女が手を伸ばすのは、自分と同じく見目の良い篝火たち。
彼女は何を考えているのかわからない。近づき何かを得ようとしているのか、何なのか。異様なまでに愛されるその容姿は、他と一線を画していた。
確信があるわけではない、でも彼女は愛されたがっているのだ。
面白そうな人間だと思い、GWには遊びに誘ってみた。簡単に乗ってこられたときは少々がっかりしたが、それから観察していてかなり面白い人間だとわかった。博愛主義の愛されたがり。それでも心の底では愛されたいのは一部だけ。彼女が何をもって選んでいるのかわからないが、執拗なまでにかかわりを持とうとする。もちろん、人とかかわりを避けようとする翡翠からは邪険にされるし、白樺蓮を守ろうとする赤霧涼からもすげなくされている。
愛されたがりの彼女に、戯れに愛を落としてみせるのは愉快だ。決して猫は脱がない。なんでもないようにその愛を受け取りそれから絶対に離さない。明らかな執着心を見せて距離を詰めようとする彼女は滑稽であり見苦しい。
しばらくして、彼女はおれを変えてくれるのではないかと思った。上辺だけを見たりせず、彼女は時折確信を突いたようなことを言う。本当に何もかもわかって近づいてくるんじゃないかって。
そんな少し真人間みたいな希望を抱いていたがそれも短い間だった。彼女はあのとっつきにくい翡翠にまで手を伸ばした。当然翡翠は撥ね退けるが桃宮はそれをものともしない。恐ろしいのだ。いつか翡翠が彼女に絆されてしまうかもしれない未来が。
それでは困るのだ。頑なな翡翠を彼女に変えられては困るのだ。
何もしなくてもいずれ翡翠は自分を変える。役を演じることを止め新しい彼になるのだ。陳腐な言葉だが蛹から蝶になるように、彼は再び生まれる。おれはそれが見たい。自然であるからこそ美しいのだ。そこに桃宮という人の手を加えては、ならない。これはおそらく愛着だろう。不器用で四六時中迷子のような彼が役を放る瞬間を見たい。愛されたいわけではないのだが、彼女の執着も笑えない。
「青柳くん?どうしたの?」
「やあ日和ちゃん!今日も可愛いね!あそこに翡翠と天音ちゃんがいるんだ。親友を放っておいて校舎裏でランデブーとか隅に置けないよね!」
「ありがとう、青柳くんもいつも通りイケメンだね!……あ、ここからはよく見えるんだね。焼き餅やきの青柳くんは邪魔しに行くのかな?」
快活に笑いながら資料室に入ってきた進藤日和に軽口を叩く。ここは別におれの部屋というわけではないが、こうして突然入ってこられるのには驚く。普通使われてない資料室なんかに、用はない。
進藤日和は神出鬼没だ。顔が広く、どこにでも現れる。いつもつるんでる三人とばかりいっしょにいるように見えて、実はそうでもない。
彼女は少し、おれと似ている。間違っても同族ではないけれど、彼女はよく人を観察している。観察という言葉は語弊があるかもしれないが、どこか傍観しているように見えるのだ。こうしておれと話しているのも、どうも現実感がなくふわふわとしている。実態がない。
イケメン好きを口外している彼女は嫌味も下心もない。清々しいほどに上辺しか見ようとしない彼女は桃宮天音とは真逆だ。
それから彼女の執着は限りなくおれの執着と似ている。
おれが赤霧翡翠に執着するのと同様に、赤霧涼に執着する。そしてお互いに、何かを待っているのだ。おれは翡翠が役を止めるのを待っている。それと同じように日和は赤霧涼の何かを待っているのだ。
気にならないと言えば嘘になる。だが聞いてしまえばこのどこまでも楽な上辺だけの関係は崩されてしまうだろう。
「んーそうだね、ちょっと邪魔しに行ってくるよ。たまにはおれも遊んでもらわなきゃ!」
焼き餅をどちらに焼くのか、どちらと遊んでもらいたいのか、それは一切口にしない。口にしなくていいことがとても楽なのだ。そしてそれはきっとわざとだろう。
携帯を尻ポケットに突っ込んで、資料室から出て行った。
彼女は確信を突かない。だからおれも確信を突くようなことはしないのだ。
**********
「やっほー翡翠くん!」
「……桃色のならもうどっかに行ったぞ。」
若干疲れを見せる翡翠に表現できない喜びと安堵が湧く。嫌味でもなんでもなく、おれが桃宮天音のことを気に入っている素振りをするからそういったのだろう。へらりと笑って真似するように校舎にもたれ掛る。
「彼女はどう?色男くん。」
「色男はお前の方だ。本当に面倒くさい。鬱陶しい。いっそ引き取って首輪でもかけておいてくれ。」
冷たいなあ、なんて言うが自然口は弧を描く。
まだまだ、絆されてなどいない。彼は面倒な女子生徒としか思っていない。
どうか、どうか、
「どうか……、」
「どうかって、なんだ。」
怪訝そうな顔をする翡翠に思わず口に手をあてた。無意識のうちに声に出ていたらしい。一人でいると独り言が増える。そのまま気を抜いていると人前でもボロが出てしまいそうだ。
「いいや、どうかなって。天音ちゃんは面白い子だからその気があるなら、ってね。」
「お前実は割と下種だよな。」
蔑むような視線を笑って流す。
どうか、どうか、絆されないで。そのままの君でいて。
誰の手を借りることなく、生まれ変わる君が見たい。
滑稽で哀れで美しい赤霧翡翠。
おれにとってはこの上なく眩しい篝火。
何かしてほしいわけでも、まかり間違っても桃宮天音のように愛されたいわけでもない。ただ側で眺めることを許してほしい。きっと彼は許すも何も、好きにしろって興味なさそうに言うのだろうけど。
一人で済みにいると、他の人と混ざらなくていい。壁に触れれば確かに自分の身体を感じられる。
だが実際は人と居る方が自分の存在を強く感じる。人は鏡だ。鏡ははっきりと自信の姿を映してくれる。
どうかそのことに気づかないでくれ。
静かに一人で誰にも触れさせずにいる君が何より美しいから。
「そんなひどいこと言うのは翡翠だけだよ。」
必死で滑稽である君が、おれは何より羨ましい。
鍵の壊れた使われていない三階資料室。携帯を片手に女の子にメールを打っていると、煤けた窓越しに見慣れた赤色が見えた。校舎とフェンスの隙間。狭いそこには何故かいくつかの石碑や紅葉が植わっている。誰も通らないため、誰にも見られることのないそれはひどく滑稽だ。誰にも知られずひっそりと朽ちていくのだろう。そんな普通誰も来ないような場所に、親友である赤霧翡翠が見えた。
「翡翠くんじゃーん……、」
特に用はない上に、わざわざ三階から降りるのも面倒だったためただ眺めるだけに終わる。独り言は埃っぽい段ボールに吸い込まれた。
何を考えているのか、不良になろうとする彼もまた、石碑や紅葉と同じく滑稽だ。いっそ憐れみすら覚える。そんなところで不良のふりをしても、だれも見ていないのだから無意味だということに彼は気づいているだろうか。なぜあえて不良のような恰好をするのか、それが完璧な妹赤霧涼へのコンプレックスの所為なのか否か、部外者にはわからない。
ダルそうに身体を校舎に預けている彼が何を考えているのかわからない。でもわからないこそ面白く、愛おしいのだ。
数年の間一緒にいて、いやまとわりつき続けてわかったことがある。
翡翠は狭いところを好む性質がある。本人にその自覚はないのだろうが気が付けば端の方や角、何かと何かの間にいる。以前らしくもなく一人で図書館にいったところ、本棚と壁の間、その隙間に身体を入れ立ったまま本を読んでいた。
隙間、それから人から離れたところが好きらしい。
翡翠は双子の妹との距離を測りあぐねている。どうやら嫌いなわけでもないらしいが、全校が集まるときなど、無意識にその髪と同じ色を探し視線を彷徨わせている。双子というのは心的にもお互いに影響を及ぼすものなのか、自分は心理学者でもなんでもないしがない男子高校生のため、わからない。だが翡翠が涼を気にするように涼も翡翠を気にしているようだった。
ひどく拗れた兄弟関係らしい。
不良のふりをしているがそれらしいのは見た目だけである。授業はほぼサボらずに出る、破壊行為も授業妨害もしない。最初こそ教師陣も扱いに困っていたがすぐに人畜無害であることを理解し今はノータッチである。態度は良いとは言えない、多少のいざこざで暴力を振るうこともある。だが明らかに不良とは呼べない。喧嘩をしても翡翠が強すぎてまともな喧嘩にもならない上に子猫を相手にするかの如く手加減をする。態度もよくはないが元の顔つきなのだろう、たれ目で大きい目のせいで威圧感は雰囲気だけでどことなく可愛げがある。
なにより普通の不良と違うのは、その不良であろうとする彼の心持であろう。結果として不良になったわけではなく不良になろうとして不良を演じる彼はいつでもその役を捨てることができる。勝手な推測だが、翡翠はなんでもよかったんだ。不良でなくとも、真面目な委員長でもスポーツが好きな好青年でもなんでもよかった。たまたま彼が選んだのが不良であった、というだけの話だ。役を演じるのもその気さえ済めば簡単に脱ぎ捨てて見せるだろう。
なんとなく、惹かれるのだ。彼の気が済み役を捨て去る瞬間を見てみたい。
くつくつと喉で笑う。
あそこにいる翡翠はきっとここで笑っている青髪の一片ですら見ることはないだろう。
何をするでもなく彼を見ていると、ひとりの女子生徒の姿が見えた。
1年に存在する完璧な二人の生徒、その片割れ。彼女は桃色の髪を風に躍らせ彼の前に立った。
「桃宮、天音……。」
携帯のメールの画面を閉じ、カメラロールを開く。スクロールすれば何枚もの彼女の写真が出てきた。こちらに笑いかけるものからあらぬほうを向いている写真まで。しかしその写真はどれも隙がない。いつもニコニコと笑顔を振りまき、誰にでもフレンドリー、揶揄ってみせれば頬を染めて怒る。なんともかわいらしさの全てを詰め込んだ人間だと常々感じていた。今も不愛想な彼を相手に何やらしゃべりかけている。何を話しているかは流石に全く聞き取れない。だが彼が色よい返事をしてみせることはきっとないだろう。今こうしている間にも眉を顰めて心底迷惑そうな顔をしているに違いない。
青柳仁という人間の見た目は眉目秀麗だと思っている。笑ってみせれば女の子たちは黄色い悲鳴を上げ、声を掛ければ皆悪い顔はしない。何もしなくても勝手に人が寄ってくる。さらに親しみやすさを加えバカみたいな発言をすれば愛嬌があるとさらに寄ってくる。自分の見た目は篝火のようなものなのだ。そしてその見た目と裏腹に性格があまりよくない自覚もある。まさに篝火だ。フラフラと明かりに寄ってきた虫は、その日に焼き尽くされてしまうのだ。
篝火は自分以外にもいる。
例えば赤霧翡翠と白樺蓮。見目が良い、だが彼らは基本的に人を寄せ付けない。誰一人として焼き殺したりはしない、その範囲に人を近づけようとしない。
例えば赤霧涼。何をとっても完璧だ。親しみやすく優しい。だがやんわりと人を遠ざける。本当に気を許した相手だけを懐に入れそれ以外は常に線を引き続ける。近づきすぎて燃えそうになるものがあればするりと逃げてみせるだろう。
例えば黄師原煌太郎。見目が良い。だがそれを覆すほどに正確に難がある。不用意に近づくものはいない。
例えば桃宮天音。何をとっても完璧だ。彼女は誰であろうと引き付ける。だが彼女は本当に近づく者はえり好みする。それ以外は博愛に触れてみせるのだ。彼女が手を伸ばすのは、自分と同じく見目の良い篝火たち。
彼女は何を考えているのかわからない。近づき何かを得ようとしているのか、何なのか。異様なまでに愛されるその容姿は、他と一線を画していた。
確信があるわけではない、でも彼女は愛されたがっているのだ。
面白そうな人間だと思い、GWには遊びに誘ってみた。簡単に乗ってこられたときは少々がっかりしたが、それから観察していてかなり面白い人間だとわかった。博愛主義の愛されたがり。それでも心の底では愛されたいのは一部だけ。彼女が何をもって選んでいるのかわからないが、執拗なまでにかかわりを持とうとする。もちろん、人とかかわりを避けようとする翡翠からは邪険にされるし、白樺蓮を守ろうとする赤霧涼からもすげなくされている。
愛されたがりの彼女に、戯れに愛を落としてみせるのは愉快だ。決して猫は脱がない。なんでもないようにその愛を受け取りそれから絶対に離さない。明らかな執着心を見せて距離を詰めようとする彼女は滑稽であり見苦しい。
しばらくして、彼女はおれを変えてくれるのではないかと思った。上辺だけを見たりせず、彼女は時折確信を突いたようなことを言う。本当に何もかもわかって近づいてくるんじゃないかって。
そんな少し真人間みたいな希望を抱いていたがそれも短い間だった。彼女はあのとっつきにくい翡翠にまで手を伸ばした。当然翡翠は撥ね退けるが桃宮はそれをものともしない。恐ろしいのだ。いつか翡翠が彼女に絆されてしまうかもしれない未来が。
それでは困るのだ。頑なな翡翠を彼女に変えられては困るのだ。
何もしなくてもいずれ翡翠は自分を変える。役を演じることを止め新しい彼になるのだ。陳腐な言葉だが蛹から蝶になるように、彼は再び生まれる。おれはそれが見たい。自然であるからこそ美しいのだ。そこに桃宮という人の手を加えては、ならない。これはおそらく愛着だろう。不器用で四六時中迷子のような彼が役を放る瞬間を見たい。愛されたいわけではないのだが、彼女の執着も笑えない。
「青柳くん?どうしたの?」
「やあ日和ちゃん!今日も可愛いね!あそこに翡翠と天音ちゃんがいるんだ。親友を放っておいて校舎裏でランデブーとか隅に置けないよね!」
「ありがとう、青柳くんもいつも通りイケメンだね!……あ、ここからはよく見えるんだね。焼き餅やきの青柳くんは邪魔しに行くのかな?」
快活に笑いながら資料室に入ってきた進藤日和に軽口を叩く。ここは別におれの部屋というわけではないが、こうして突然入ってこられるのには驚く。普通使われてない資料室なんかに、用はない。
進藤日和は神出鬼没だ。顔が広く、どこにでも現れる。いつもつるんでる三人とばかりいっしょにいるように見えて、実はそうでもない。
彼女は少し、おれと似ている。間違っても同族ではないけれど、彼女はよく人を観察している。観察という言葉は語弊があるかもしれないが、どこか傍観しているように見えるのだ。こうしておれと話しているのも、どうも現実感がなくふわふわとしている。実態がない。
イケメン好きを口外している彼女は嫌味も下心もない。清々しいほどに上辺しか見ようとしない彼女は桃宮天音とは真逆だ。
それから彼女の執着は限りなくおれの執着と似ている。
おれが赤霧翡翠に執着するのと同様に、赤霧涼に執着する。そしてお互いに、何かを待っているのだ。おれは翡翠が役を止めるのを待っている。それと同じように日和は赤霧涼の何かを待っているのだ。
気にならないと言えば嘘になる。だが聞いてしまえばこのどこまでも楽な上辺だけの関係は崩されてしまうだろう。
「んーそうだね、ちょっと邪魔しに行ってくるよ。たまにはおれも遊んでもらわなきゃ!」
焼き餅をどちらに焼くのか、どちらと遊んでもらいたいのか、それは一切口にしない。口にしなくていいことがとても楽なのだ。そしてそれはきっとわざとだろう。
携帯を尻ポケットに突っ込んで、資料室から出て行った。
彼女は確信を突かない。だからおれも確信を突くようなことはしないのだ。
**********
「やっほー翡翠くん!」
「……桃色のならもうどっかに行ったぞ。」
若干疲れを見せる翡翠に表現できない喜びと安堵が湧く。嫌味でもなんでもなく、おれが桃宮天音のことを気に入っている素振りをするからそういったのだろう。へらりと笑って真似するように校舎にもたれ掛る。
「彼女はどう?色男くん。」
「色男はお前の方だ。本当に面倒くさい。鬱陶しい。いっそ引き取って首輪でもかけておいてくれ。」
冷たいなあ、なんて言うが自然口は弧を描く。
まだまだ、絆されてなどいない。彼は面倒な女子生徒としか思っていない。
どうか、どうか、
「どうか……、」
「どうかって、なんだ。」
怪訝そうな顔をする翡翠に思わず口に手をあてた。無意識のうちに声に出ていたらしい。一人でいると独り言が増える。そのまま気を抜いていると人前でもボロが出てしまいそうだ。
「いいや、どうかなって。天音ちゃんは面白い子だからその気があるなら、ってね。」
「お前実は割と下種だよな。」
蔑むような視線を笑って流す。
どうか、どうか、絆されないで。そのままの君でいて。
誰の手を借りることなく、生まれ変わる君が見たい。
滑稽で哀れで美しい赤霧翡翠。
おれにとってはこの上なく眩しい篝火。
何かしてほしいわけでも、まかり間違っても桃宮天音のように愛されたいわけでもない。ただ側で眺めることを許してほしい。きっと彼は許すも何も、好きにしろって興味なさそうに言うのだろうけど。
一人で済みにいると、他の人と混ざらなくていい。壁に触れれば確かに自分の身体を感じられる。
だが実際は人と居る方が自分の存在を強く感じる。人は鏡だ。鏡ははっきりと自信の姿を映してくれる。
どうかそのことに気づかないでくれ。
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