蹄の歌

秋澤えで

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ルビーと純金の曰く付きネックレス 被害額800万

第三夜 走駆

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「っは……!」


がばっと上半身を起こし荒い息を整える。ぼうっとする頭で、寝ていたことに気が付いた。


「ゆ、め……?」


夢、悪い夢を見た。街が壊され、皆動かなくなってしまった。ライゼも血まみれになっていた。
嫌な夢だった。


「起きたか。」
「えっ、」


声を掛けられ振り向くと、夢で見た死神がそこにいた。
眠気が一気にとび、ばっと周りを見渡す。
風に晒されているあばら家はなく、しっかりとしたつくりの壁に囲まれ、温かい色のランプがともされている。いつもどことなく暑い空はなく窓からは吹き荒ぶ雪が目に入る。くるまっている毛布はなく質の良い外套が代わりにかけられていた。
そして極めつけに、いつも隣で寝ているはずのライゼがそこにいない。
サァ、と血の気が引き、夢の中の出来事が現実として鮮明によみがえる。


「ライゼッ……!」
「落ち着け子供。」
「うぐっ……、離せっ!」
「落ち着かんか。」


起き上がりライゼを探しに行こうとしたところで頭を鷲掴みにされソファに押し付けられる。じたばたするが死神は頭を押さえつけるのを止めずどうすることもできない。


「あの子供、ライゼと言ったか。死んでいない。」
「し、ん……?」
「死んでいない。生きている。……まだ目は覚めていないが、今も息をしている。死んだりはせん。一応安心しろ。」
「ライゼ、生きてる……?死んでねぇ?」
「死んでいない。……後で会いに行くか。話せはせんが息しているのだけは見られるだろう。」
「今、今行く!」
「だめだ。今何時だと思ってる。夜中だ。子供は寝ていろ。会いに行くならせめて夜が明けてからだ。」


またすかさず頭を押さえつけられる。身をよじるが頭を掴む手を振り払うことができない。
すぐ、あの時のライゼの顔が、赤く染まった顔がよみがえる。本当に、生きているだろうか。今このときにもライゼは死にそうになっているのではないか。降り積もる不安は尽きない。


「ふ、ぅう……っ、」
「……まだ、泣くのか。」


意図せずにじわじわと涙が溢れ出て転がり落ちた。喉が熱くなり引き攣った音が出ると、頭を掴んでいた手の力が緩まる。振り払う気力もなく泣いていると、頭を手が何度も往復しているのがわかった。にじんだ視界から見上げてその顔を見ると優し気な表情とはとても言えないが困惑しているような顔が目に入った。


「泣くのは結構だが、一応水は飲んでおけ。干からびるぞ。」
「うぶっ……、」


身体を起こして溢れる涙を袖でごしごしと擦るとタオルを顔に投げつけられた。扱いは不服だがそのタオルで顔を拭いていると水の入った瓶とコップを右手に持って戻ってきた。


「先に聞くが寝小便はしないよな。」
「んなっ、しねぇよそんな年じゃねぇ!」
「そうか、なら良い。」


心外な問いかけに受け取ったタオルを投げ返すとあっさりと片手で受け止められてしまう。しかし喉が渇いていたのは事実だったのでしぶしぶコップに水を注ぎ飲む。熱くなった喉が冷やされ、少し落ち着いた。ガタガタと部屋のどこかから音がするが音の主はきっとあの黒い大人だろう。
落ち着いたおかげか、とんだ眠気が再び静かに訪れた。コクリコクリと船をこぎだし瞼がひどく重い。ふ、と何の予兆もなく、部屋の明かりが消えた。


「はっ……!?」


バクバクと心臓の音が加速する。さっきまであった部屋の中の音も聞こえない。真っ暗で何も見えない。
そこはあの時の穴の中のようだった。
静かになって、外に這い出した時、


「あ、あああああっ……!!」


身体を縮める。ハッとして口を塞ぐが、また声こそ抑えれどもゼイゼイとした荒い息遣いが手の間から漏れる。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……、」


またボロボロと涙が溢れる。息をしても息をしても苦しい。
助けてくれるライゼは、いない。
ライゼは暗い穴の外にいる。


「うあ……ライ、ゼ……!」
「おいっどうした!」


パッと突然部屋が明るくなり、すぐそばに部屋からいなくなったと思った黒い影があった。その顔は随分と驚いているようで、慌てたように駆け寄ってきた。


「おい、落ち着け、ゆっくり息をしろ。……吸い過ぎると苦しくなる、ちゃんと吐け。」
「はっ、はぁ、はぁ……、」


右手で背中が摩られ、左手で軽く口を塞がれた。


「いった……!」


思わず口元に寄せられた手に噛みつくと上から小さな悲鳴が上がるが気にする余裕もない。



「噛むな。……ゆっくり息ができるなら良い。だができないのなら一旦呼吸を止めろ。」


口元から離された手に安心したのに、途端に不安になりその手を引き寄せ腕にしがみつく。ライゼよりも長い腕は、手に余る。


「……ただの過呼吸だ。呼吸を整えれば治る。」


いまだ荒い息のまま腕にしがみ付いていると上からため息が降ってくる。恐る恐る顔を上げてその色をうかがうと眉間に皺が寄っていたが、振り払う気はないらしい。
右腕で抱き上げられ膝の上に乗せられるが抵抗する気にはなれない。乗せられてからはまた左手がトントンとリズムを刻むように背を撫でた。


「暗いのはダメか?」
「ダメだ……、明かり点けてろ……。」
「そうか。明るくても寝られるなら構わん。」


背中を優しく打つリズムに夢心地になる。気づけば意識を手放す直前で。
島で起きたことを夢だとは、もうきっと思わない。それでもきっと、次に目を覚ました時にはライゼに会えると信じて。



******



「おやまぁ……随分と珍しいこともあるもんだねぇ、アーホルン。」
「茶化すな。毛布か何かはないか。」


膝の上に乗り静かに寝息をたてる子供をみてカロンは笑う。腕にしがみ付く様に眠りに落ちたが今では緩く腕を巻き付けるだけとなっていた。


「アンタがそんなに餓鬼に優しいとは知らなかったねぇ。毛布ならそっちの引き出しにあるよ。好きに使いな。それより、『金に糸目はつけない』なんて随分と粋なことを言ったけど、あてはあるのかい?」
「……いくらだ。」


勢いでずいぶんと大見得切ったことを言ってしまったと思うが後の祭りだ。しかしあの傷で生き延びたのだ、今更言い値で文句を言うつもりはない。カロンはニヤニヤしながら骨ばった指をピンと一本立ててみせた。


「……ゼロの数は六つか。」
「馬鹿言わないでおくれ、七つさ!」
「っち、」


言い値で、と言ったのはこちらだが本当に足元を見てくる苦虫を噛み潰したような顔をしていたのだろう。カロンは楽し気に高く笑った。


「良いじゃないか。アンタからすりゃあ一千万なんざはした金だろう。たんまりため込んでるのは知ってるのさ。それにあの餓鬼はしばらく入院する必要がある。入院費込での治療費でこれなら、安いもんだろう?」
「……金を作ってくる。」


腕をほどき起こさないようにエルガーをソファに落とす。その様子をまたカロンが物珍し気に見ていた。


「それと、」
「なんだい?」
「……明かりをつけたままにしてくれ。」


目元の赤くなった顔を一瞥し、ジュラルミンケースを片手に雪原へと踏み出した。





ゴウッと耳元で鳴る風にギュッとシルクハットのつばを下げた。朝日を反射させる真白な雪が目を焼いた。移動時間が短くできるのは結構だが、この雪山に帰ってくるたびに鼻や耳が寒さに痛むのだけはいただけない。ただ月の半分以上雪に視界を奪われるこの地で、こうして寒いながら晴れ間を覗かせているだけ今日はましだろう。通り過ぎることなくちょうどドアの前に着地する。
じくじくと麻酔が切れて痛みだす左腕を庇いながら一旦ケースを地面に置き重い屋敷の閂を開けた。カロンの元から出た時よりも重くなったケースだったが、まだ彼女の言い値には届かない。結局あの子供、ライゼの傷がどれほどのものだったか素人にはわからないため、あの額が正当なのかはわからない。ただ治療費をぼったくるのが彼女にとって常であるため、多かれ少なかれ盛られているのは事実だろう。タイを椅子の背にひっかけ、ジュラルミンを開けて詰められていた紙幣を数枚掴んだ。エルガーの服は切ってしまったしそうでなくとも上から下まで血に塗れたあれはもう使いものにならない。代わりのものを用意すべく、麓の街へと向かうために、いつもより小さく一回だけブーツの踵を蹴った。
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