蹄の歌

秋澤えで

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ルビーと純金の曰く付きネックレス 被害額800万

第4夜 記事

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紙袋を片手にカロンの屋敷のドアを蹴り開ける。


「どうだ。」
「ちょいと何の挨拶もなしに要件を言うのは止めとくれ。意味が分からないよ。それと、扉を蹴り開けないでもらえるかい?そう何度もやられちゃあ蝶番が馬鹿になる。」
「どうせこのドアを開けるのは私とあんたくらいだろう。構わん。」


いつものようにソファに腰を下ろそうとして、そこに毛布の塊があることに気づきぴたりと動きを止めた。数時間前にここを出てからほとんど体勢が変わっていないように見える毛布にくるまれた子供は相変わらずすうすうと健やかな寝息をたてている。自分で助けたとはいえ、得も言われぬ感覚に襲われる。夜にばかり動きまわる私たちが早朝から起きており、その空間に幼子が無防備に眠っているというのは全く不自然で、まるで亜空間か何かのように思えてしまう。


「これは起きたか?」
「さてねぇ。アタシがここに来たのは1時間くらい前だけど、起きてるとこは見てないねぇ。」
「そうか。」


こんな眩しいところでよくもまあこんなに眠れるものだと目を細めた。格子の張られた窓からは外の雪が激しく光を放ち、ランプも煌々と照っている。あの子供がどれほどの光を望んでいたかは分からないが、おそらくまだ雪の光だけでは心許ないだろう。テーブルをはさんだ片側のソファにどかりと腰を下ろした。


「ひゃひゃひゃ、随分と疲れてるみたいだねぇ?」
「誰の所為だと思っている。」
「それはアンタが後先考えずに気前のいいことを言ったせいさ。」


まるで他人事のような口ぶりにイラッとするが、カロンの言うことも事実なので口をつぐむ。クライエントが死んでしまったおかげで改めて商品を売る相手を探さなくてはならなかった。幸い前のクライエントと同じようにそれを喉から手が出るほど望んでいたため値を釣り上げてやったがそれでも彼女の言い値には届かない。あの島に行ったのは失敗だった。いや、あの商品が呪われているらしいというのもあながちデマではないのかもしれない。欲してあと少しで手に入ったはずの男は死に、売ろうとしていた私は結果的に大赤字。二人目のクライエントにはどんな不幸が訪れるのか。
ふ、と窓から入る光が遮られる。飛来した彼はコツコツと嘴で控え目に窓をノックした。


「お疲れ、シュナーベル。」


窓を開けてやれば慣れたように部屋へ飛び込んでくる。ついでとばかりに足から落とされた新聞をひょいとカロンが手に取った。


「相変わらず賢い鷹だねぇ。」
「カロン。確かにシュナーベルは賢いが、鷹じゃない。隼だと何度言えばわかる。」
「似たようなもんだろう?」


斑の腹を撫でると強請るように腕にぐりぐりと頭を擦りつけた。ふわふわとした温かい羽毛に頬を緩める。クライエントと連絡をとるのにもこんな僻地に住んでいて世間の情報を得るのにも彼の存在は欠かせない。


「ふっひゃひゃひゃ!まぁた載ってるねぇ。どこの新聞社もたぶん一面はこいつだろうね。今度は炭鉱主の屋敷からルビーの首飾りが盗まれたそうだよ。“龍の蹄”ってぇのは随分働き者みたいだねぇ。」


カロンは笑いながらぽいと新聞をテーブルに投げた。ばさりと音をたてた新聞にちらりと目をやるとでかでかと『DragonSabot現る!被害総額は2億超!』という見出しと盗まれた煌びやかな首飾りの写真。本文には“DragonSabot”の犯行声明文が載っている。


「この炭鉱主ってえのは何か悪さでもしてたのかい?」
「さあな。政府軍が無能じゃなければそのうち公になる。」


じろりと嘗めるように向けられる視線を無視してシュナーベルの腹を撫でる。


「龍の蹄、ドラゴンサボは悪党なのか、義賊なのか……。ただの盗賊にしちゃあ毎度毎度被害者は後ろ暗いところがあって検挙されたり、横暴な為政者の不正の証拠をばら撒いたりと……何がしたいのかわからないねぇ。」


餌を強請るようシュナーベルだが生憎ここはカロンの家であるため肉などおいていない。いまだ起きない子供の側に持ってきた紙袋を置き、褒美をやるべく右腕にシュナーベルを乗せてノブに手を掛けた。


「悪党だろう。何をしても、盗賊は盗賊だ。……だが一つ言うなら悪党が悪党の品を盗んで何が悪い。」
「ひゃっひゃっひゃ!違いないねぇ」


カロンの興味はすでに記事から逸れたらしく、もうこちらを見てはいなかった。


「……何がしたいか、わかってるやつはわかってるだろうよ。」

右腕のシュナーベルが急かすようにキィ、と小さく鳴いた



******



二人の子供を広い、カロンの病院に転がり込んでから半月ほど過ぎた。当初から警戒心など微塵も持っていないようなエルガーはもう勝手知ったように病院内を歩き回り、興味本位で備品に触れてはカロンに引っ叩かれている。餓鬼相手に容赦ない、と思うも監督者責任だの保護者としての躾だのと下手に口を出すと面倒な小言が飛んでくるため沈黙しておく。元気いっぱいとはお世辞にも言えないが、子供のおもちゃとなるようなものは生憎病院にも私の家にもない。あまりにも暇を持て余していたので適当な本を投げ渡したが文字も読めないらしい。これ以上は流石に仕事もあるため構ってやらないが、適当に外に放り出したところ積もる雪が珍しいらしくカロン曰く朝から晩まで外で遊んでいるらしい。なるほど玄関に水たまりがあると思っていたが、それはどうも雪だるまの成れの果てであったようだ。


「アーホルン、来てたのかい。」
「ああ、邪魔してる。あの子供なら外だ。」


それから、と机の上にジュラルミンケースをドンと置く。古い机が軋んだが、足元を見てくるがめつい女医へのささやかな嫌がらせだ。彼女はすぐに何か分かったらしくいやらしく笑いながらケースに手を掛ける。冷たい箱の中にはぎっしりと札束が詰まっている。この稼業を始めたころはまだ紙幣が出回っておらず、金貨や銀貨がメインだったため今よりずっと大金を運ぶのに苦労した。まだまだ新しいが、新政府はなかなか良い仕事をしてくれている。勝手に淹れた熱い紅茶を啜る。


「ひひひ、確かにお代は受け取ったよ。あんたにしちゃあ珍しいが、次があれば安くしておくよ。」
「もう面倒事を拾ってくる予定はない。それから何か用があったんじゃないか?」


この不気味な医者は基本的に来客がない限り自室か奥の処置室から出てこない。もっとも昔から何かと入り浸っている人間に関しては客とは思っていないらしい。


「ああそうだったねぇ。あの子供に言うことがあったんだ。」
「どうした。」
「もう一人の子供が目を覚ましたよ。」
「……それを早く言わないか。」


患者の様子の報告よりも金勘定を優先するカロンに呆れるが彼女らしいと言えば彼女らしい。




ざくざくと積もった雪を踏みつけ、自分の背丈よりも大きいのではないかと思われるスノーマンの製作に精を出している子供をひょいと小脇に抱えた。よほど夢中になっていたようで浮き上がった身体に一瞬キョトンとした後にじたじたと身をよじり始めた。


「うっわぁ!?何すんだよアーホルン!」
「行くぞ。片割れの目が覚めたそうだ。」
「ライゼの!?本当か!?」
「知らん。カロンがそう言っていた。何にせよ、見ればわかるだろう。」


途端に顔を輝かせて先ほどとは違う意図をもってより一層身体をバタつかせるため力を込めて抱えた。雪になれていないエルガーをそのまま行かせれば雪に足を取られ病院まで行くのに時間がかかる。ならばいっそ下ろさず抱えて連れて行った方が良い。そこまで考えて、私も随分優しくなったものだと独り言ちた。嘲るような変化ではないが、何とも言い表しがたい。
院内に入ってもエルガーを下ろすことはない。このテンションのまま放してしまえばおそらく走ってライゼの元へ向かうだろう。処置室は応接間などに比べて圧倒的に専門的な道具が多く、また替えのきかないものも多い。下手に野放してものを壊されればカロンの機嫌が降下するのは請け合いだろう。ベッドの側に到着してからエルガーを下ろしてやる。


「ラ、ライゼッわかるか!?大丈夫か!?」
「エル、ガー……?」
「うん……うん、おれだっエルガーだ!」


ボロボロと大粒の涙を流しながら必死に包帯塗れの顔を覗きこむ。皮膚が大部分再生した手は、エルガーの小さな手をしっかりと握り返していた。
泣き続けるエルガーをしり目にカロンと共に処置室を後にする。別に今私たちがあそこにいる必要はない。


「完治まではどれだけかかる。」
「一応あと2月くらいだねぇ。……ただ顔はもう元には戻らないだろうね。ある程度は整えてやったが、顔の縫い跡は抜糸してもなくならない。それに移植した皮膚の色が元の色と違うからどうしたって目立っちまう。あの子供は南の生まれ、移植した皮膚は北の生まれ、ちょいと白すぎるね。」
「それはどうしようもない。治っても継ぎはぎだらけってことか。……別に私はとやかく言わん。ライゼがどう思うかは知らんが、あれだけの傷を負ったんだ、生きてるだけで万々歳だろう。」
「ま、言っちまえばそうだねえ。」


先ほど渡した金をいそいそと金庫に仕舞いこむカロンの背中を手持ち無沙汰に眺める。以前仮にも盗賊の前で金庫に仕舞っていいのかと尋ねたが、金を目的としない盗賊なら問題ないだろうと一笑に付された。基本的に金銭目的で盗みをやっているわけでもないのでその通りと言えばそうなのだが、釈然としない。


「これからどう生きていこうと、私の知ったことではない。」
「ひゃっひゃっひゃ、ところでこれからどうするんだい?」
「どうするとは。」
「あの餓鬼たちのことさ。あんたが拾ってきた島は壊滅状態だったんだろう?完治したらその焼け野原に戻すつもりかい?」


ぎょろりとした目が答えを求めるようにこちらを映す。
あの日から一度もあの島には足を踏み入れていない。特に用もなかったためだが、今あの島で残された島民たちが復興活動を行っているのかそれとも他の島に移り住んだのかは定かではない。ただほとんどが焼かれた上に、生き残った島民の数もおそらく数えられるほどだろう。十中八九、近くの島に移動している。大きな本島と無数の諸島で構成されるこの国で、新たな住処を探すのはそう難しいことでもない。


「……あいつらがどうしたいか聞いてから決める。故郷に帰りたいというならあの島へ届ける。」
「あんたのところに居たいと言ったら?」
「それはごめんだ。いつまでも子供の相手をしていられるほど暇でもない。」
「ひゃっひゃっひゃ、いっそ二代目竜の蹄にでもしたらどうだい?」
「カロン。」


じろりと睨みつけるもまるで怯んだ様子もなくにやにやと笑う。私をこうして揶揄うことが老い先短い老婆の数少ない娯楽だとしても、どうしてこうもわかっていながら私の神経を逆なでするような言葉を選んでかけてくるのか、理解できない。


「……蹄を誰かに譲る予定はない。そして『龍の蹄』はほかでもない私でなければ意味がないのだ。」


龍の蹄であることが私の存在意義である。
龍の蹄であり続けることで、天秤の女が犯した罪を決して忘れないよう戒める。馬鹿馬鹿しくも天上人となったあの女への言葉など、小市民である私たちに伝えられることなどはない。


「ひゃっひゃっひゃ、弟子でも取れば面白いだろうにねぇ。一人より二人三人の方が仕事がしやすくはないかい?」
「言っていろ。」


相変わず笑い続けているが、いつになく絡んでくる様子に眉を寄せどかりとソファに座った。


「何にせよ、治ってからの話だ。それから奴らが何を選ぶか。それだけだ。少なくとも私は面倒事をいつまでも懐に入れていられるほど善人でもなければ酔狂でもない。」
「ここまでしてやりゃあ酔狂の域だたぁ思うけどねぇ。」


カロンの言葉を黙殺し、淹れ直した紅茶を煽る。処置室から離れたここでは、子供の泣き声が鼓膜を震わせることはなかった。
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