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第93話 海の向こうで
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「いかがでございました?サムライは」
兼定との面会を終え廊下を歩くアルティアにミッシェルが声を掛ける。
「戦士じゃないあたしでも分かるよ。あれは敵にしたくない相手だね」
「でしょうな。サムライと互角にやり合えるのは筆頭百人隊長の中でも聖剣士クラスの者だけだろうとエルマンも言っておりましたからな。ですがお伺いしたのは向こうの用向きについてです」
「ああ。将軍は鎖国政策を撤回する気らしい」
「開国すると?我が軍を退けておきながら」
「この大陸から九頭竜国へ亡命する者が出てるそうでね。それが迷惑だって話だ」
「陛下の威光に恐れをなしてこの国から逃げ出していると?」
「そういうことらしい。半分以上は父上の施政のせいだと思うけどね」
「ガルアス陛下は国をまとめるため強引な手法も行いましたからな。成程、国交を開き、九頭竜国に逃げても無駄だと思わせたいと」
「そういうことだ。だけと本当の目的は別にありそうだね」
「と申されますと?」
「さっきお前が言ってた跡目争いさ。国交を開いてやるから口を挟むなということさね。お前の考えは正しかったと思うよ」
「国が割れていてはこちらの侵攻に対処するのが難しくなると」
「ああ。跡目を争ってるどっちかがこちらを味方に付けようと考えているのかもしれない。将軍としてはそれを阻止するため機先を制したというところだろうね」
「頼矩公は名君と聞き及んでおりますからな」
「それで兼定は国交についておおまかな枠組みを決めたいらしい。明日にでも会談の場を用意すると約束した。こっちの担当はサイモンでいいかい?」
「そうですな。貿易にまで話が及ぶのであればグラーツ殿も同席した方がよろしいかと」
「分かった。ご苦労だが二人に伝えてくれるかい?」
「かしこまりました。時間はいかがいたします?」
「昼前でいいだろう。おい、兼定殿の宿所を手配しな」
アルティアが付き従っている執事に命令し、執事は頭を下げて踵を返した。
「ノア大陸への派兵はいかがいたします?」
「兼定との会談が終わってからだ。物資の積み込みはもう済んでるのかい?」
「はい」
「とりあえずは待機だ。指揮官にそう伝えな」
「かしこまりました」
ミッシェルは頭を下げ、そのまま外務大臣のサイモンと財務大臣のグラーツに元へ向かった。
九頭竜国の幕府が置かれた東の都、「不与」。その中心にある不与城は今、将軍九頭竜頼矩の跡目を巡って不穏な空気に包まれていた。頼矩の嫡子は頼平といい、、今年で二十二歳になる。そして次男の頼春は十七歳であった。普通なら嫡子である頼平が後を継ぐのが当然であったが、頼平の母が頼矩の側室であり、頼春の母が正室であることが問題となっていた。しかも正室の悠姫が帝府の公家の出であることがその問題を大きくしていた。
元々扶桑国は西にある京、帝府を中心に栄えた。神皇が住まうのも帝府であり、朝廷も当然そこに置かれていた。扶桑国は長い間朝廷に仕える公家によって、政を行ってきたのである。それが武家の台頭で権威を失い、実権は完全に幕府に移っていった。それでも表向き扶桑国のトップはあくまで神皇であり、武家はその家臣という位置づけである。幕府が成立した当初は朝廷もまだ威厳をもって九頭竜家に毅然とした態度を取っていたが、二代目の頼広が国名を九頭竜国に変えてからはすっかり骨抜きになり、幕府にへつらうようになっていった。三代目の頼忠に当時の守屋神皇の弟である阿久津川親宮の娘、陽姫を嫁がせたのがその最たる例であった。
初めて帝府から武家に嫁ぐことに朝廷内では反対もあったが、幕府との軋轢を避けたかった当時の太政官(朝廷の政を司る公家の総称)たちは強引に陽姫の輿入れを推し進めた。しかし周囲の心配をよそに頼忠と陽姫は仲睦まじい夫婦となり、五人の子宝に恵まれ、その嫡子が頼矩であった。そしてその頼矩に嫁いだのが陽姫の従妹にあたる悠姫だったのだ。
「朝廷との関係を良好に保つためにも頼春様が後を継がれるのが筋というもの」
そう主張したのは幕府の重臣である老中の一人、浅利 祐定。兼定の父である。浅利家は代々太政官を輩出した五摂家の一つ、周防家に仕える家柄だったが、いつしかその守護のための武家としての側面も持ち始めた。そして周防家が世継ぎが絶えて没落した後はそれに入れ替わって隆盛を極めた。公家の筆頭である摂政まで排出するようになったが、九頭竜家が天下を取ってからはその家臣となり、幕府と朝廷の橋渡し役を務めていた。そういう経緯から祐定が悠姫の子である頼春を跡継ぎに推すのは当然と言えた。
「あの公家あがりめが。世継ぎは長子を持って為すが古来よりの習い。お世継ぎは頼平様をおいてないわ!」
それに対し公然と異を唱えたのが代々九頭竜家に仕えてきた譜代の家臣、弓削家の前当主、範常である。範常は大の公家嫌いで知られており、さらに祐定の息子である兼定が自分の息子胤常を差し置いて筆頭家老に任命されたことで殊に浅利家を敵対視するようになった。
「このままでは国が割れかねん。何とか穏便にお世継ぎを決めねば」
不与城下の屋敷でそう零すのは、弓削家の家老、中浦 光興である。本来なら頼矩がはっきりと世継ぎを指名すればよいのだが、頼矩は昨年から重い病に罹り、ほとんど口の利けない状態が続いていた。これは一部の重臣にしか明かされていないことだった。
「ですが朝廷との関係を考えますと、浅利様の申されることも一理ございます」
光興にそう言うのは中浦家の家臣、鷲見 信行である。光興には幼名の五平太と呼ばれていた。
「それは分かっておる。しかし大殿の申し分も分かるのだ。現に幕臣の大勢は大殿の方にある」
幕府は今、頼春を推す浅利派と頼平を推す弓削派に真っ二つに割れていた。それに各地の武家の思惑が重なり、一触即発の雰囲気にまでなってしまっていた。東に領地を持つ武家は元々九頭竜家と親交があり、幕府の要職に取り立てられた者も多い。彼らは範常に付いていた。一方西の武家は元々朝廷の守護をしていた家が多く、九頭竜家が朝廷と争った唯一の戦い、「久古の変」でも朝廷側に付いた。ゆえに幕府からは冷遇されており、朝廷の威信回復を願う彼らは祐定に付いていた。
「ですが西の武家の意向を無視してはそれこそ内乱と相成りましょう」
「理想的なのは上様が意識を取り戻され、世継ぎをご自分の口で指名して下さることなのだが」
「薬師の見立てではそれも難しいとか?」
「だから困っておるのだ。大殿はあのご気性ゆえ、祐定殿に譲歩することはまずあるまい。幕臣の大勢がこちらにあることもご承知だしな」
「強引に頼平様を跡継ぎに推せば、朝廷の反発も予想できます」
「厄介なのは祐定殿が淨蓮院様を味方に付けておることだ。淨蓮院様は表立って政に口は出されぬが、そのご意向は城内で無視できぬ」
先代将軍頼忠の妻、陽姫は未だ存命であり、頼忠の死後は出家して淨蓮院を名乗っていた。彼女は今も不与城の奥に居を構え、幕府の奥向きで絶大な権力を維持していた。
「淨蓮院様が頼春様を世継ぎに、と申されれば大殿もそのお言葉を無下には出来ますまいな」
「そうなれば今度は周辺の武家が黙っておらぬだろう。朝廷の意向に屈したとして幕府を軽んずるものが出るやもしれぬ。元々東夷(東国の武家の蔑称)は血の気が多い」
「この機に乗して幕府に謀反を起こすものが現れると?」
「西においても同じよ。神皇様より勅命を頂き、幕府を朝敵とする者がいるやもしれん」
「今の朝廷にそれが出来ましょうか?」
「ここだけの話だが、最近大陸から渡って来るものが増えておるのは知っておろう?」
「はい。皇国の圧政から逃れようとした者たちとか」
「朝廷が密かにそれらの者を抱え込もうとしておるとの噂がある」
「まさか!他国の者の力を借りようと?」
「今の帝、応明神皇様は才気煥発にして人徳の高いお方だが、それゆえ危ういところもある。朝廷の威信を取り戻さんとお考えのようでな、幕府に対して朝廷の影響力を強めようとしておられるようだ」
「確か帝の妃、朱鷺子様は悠姫様の叔母に当たられましたな」
「うむ。その上に淨蓮院様の御威光を持ってすれば、頼春様が将軍となった暁には帝のご意思は無視できぬようになるであろう。大殿を始め九頭竜家譜代の家臣はそれを恐れておるのだ」
「ですが帝が他国からの亡命者を頼りにするなど……」
「皇国は先の戦で我が国に痛い目を見せられておるからな。皇国を恨む者の力は幕府だけでなく皇国に対する戦力にもなると帝はお考えのようだ」
「しかしそれではいたずらに皇国を刺激するのでは?」
「祐定殿もそうお考えのようでな。兼定殿が今、皇国に出向いておる。国交を開くおつもりらしい」
「開国すると!?しかし鎖国は開幕以来、この国の基本政策のはず。上様がご病床にある中、そのようなご判断をされるとは思えませぬが……」
「無論、上様のご意思ではあるまい。今のこの状況で皇国に干渉されてはさらに面倒なことになる。それを阻止するため、こちらから譲歩したのであろう。祐定殿のお考えでな」
「し、しかしそれでは上様のご意思を無視したことに……不敬ではありませぬか!」
「上様だけではない。帝も開国まではお望みでないであろう。公家は異国嫌いが多いでな」
「それでは二重の不敬ではないですか。独断でそのような真似をすれば切腹は免れません」
「それも覚悟の上であろうな。儂と同じく祐定殿ももう歳だ。しかも儂と違い、家督はすでに兼定殿に譲っておる。直接皇国と交渉しておるのは兼定殿だが、祐定殿は全て己の命で兼定殿に強要したと主張するであろう。息子にまで累が及ばぬようにな」
「それでも兼定殿への追及は免れますまい」
「兼定殿も覚悟しておるということだ。でなければいかに父の命とはいえ皇国まで出向くまい」
「浅利様の忠心はご立派と存じますが、やはり独断で開国を決めるなど許されませぬ。大殿はご承知なのですか?」
「知らぬであろうな。大殿と祐定殿は一触即発の状態じゃ。そんなことを申せば止められるに決まっておる。兼定殿の渡航も秘密裏に行われたであろうよ」
「もし兼定様が皇国と国交の話を付け、それを幕府が後から反故にするようなことになれば、我が国の信用が著しく傷つけられます。また皇国が攻めてくる口実を与えることにもなりかねません。祐定様はそれをお分かりなのでしょうか?」
「分かっておるとも。幕府が反故にすることはない、と確信しておるのだ。大陸からの亡命者の存在は各地で問題になっておる。開国することで奴らの流入を防ぐことが出来ると言えば、幕臣も納得せずにはおれまい。朝廷に対しても淨蓮院様を通じて帝に開国を認めさせ、大陸からの亡命者を取り込むのをやめさせる代わりに、頼春様が将軍職を継ぐことを幕府に約束させることで話を付けるつもりであろう」
「大殿は納得なさいますまい」
「無論じゃな。じゃが胤常様は大殿に比べれば柔軟な思考の持ち主じゃ。大殿は実質弓削家を差配しているとはいえ、ご隠居の身。現当主の胤常様が国のため開国を支持すると申されれば、大殿もそれを覆すことは出来まい」
「では後は諸国の武家の対応でございますね」
「うむ。頼春様がお世継ぎになれば西の武家は留飲を下げようが、東夷どもが騒ぎ立てるやもしれん。儂が若ければ各国を巡り、当主を説き伏せに参るのだが……」
「このような時に宗二郎様がいらっしゃれば……」
「あやつの名など出すな!奴は家を捨て、主君を捨てた不忠義もの!すでに親でも子でもない!」
光興が激高して叫び、それを見た信行は悲しそうな顔をする。光興の嫡男宗二朗は剣においても学問においても秀でた才を持ち、将来を嘱望された存在だった。幼くして中浦家に仕えた信行は宗二朗の小姓となり、身の回りの世話をした。宗二朗は信行を大変可愛がり、弟のように接した。
「五平太は俺の弟だ!」
弓削家に赴いた時、信行が胤常の小姓に無理難題を吹っ掛けられ困ったことがあった。その時も宗二朗はそう言って信行を助けた。信行にとって宗二朗は本当の兄のようであり、尊敬する主君だった。それがある日、宗二朗はいきなり家を飛び出し出奔した。理由は今でも分からない。自分に何も言わずにいなくなった宗二朗に、信行は悲しさと憤りを感じた。
『上様に『矩』の字を拝領するほどのお方がなぜ……』
今でもそのことを思うと胸が締め付けられる。光興がこの歳になるまで隠居できないのも、宗二朗がいなくなったせいだった。
「五平太、先日の話、考えてくれたか?」
「誠におそれ多い話ではございますが、私に宗二朗様の代わりは務まりませぬ。とても中浦家の養子になぞ」
「お前を置いておらんのだ。このままでは中浦家は断絶の憂き目となる。儂の後を継いでくれ」
悲しそうな光興の目を見て信行は言葉に詰まる。本音を言えば、今でも宗二朗に帰って来てもらいたいと思っている。そしてそれは光興自身もそうではいのかと、信行には思えてならないのだった。
兼定との面会を終え廊下を歩くアルティアにミッシェルが声を掛ける。
「戦士じゃないあたしでも分かるよ。あれは敵にしたくない相手だね」
「でしょうな。サムライと互角にやり合えるのは筆頭百人隊長の中でも聖剣士クラスの者だけだろうとエルマンも言っておりましたからな。ですがお伺いしたのは向こうの用向きについてです」
「ああ。将軍は鎖国政策を撤回する気らしい」
「開国すると?我が軍を退けておきながら」
「この大陸から九頭竜国へ亡命する者が出てるそうでね。それが迷惑だって話だ」
「陛下の威光に恐れをなしてこの国から逃げ出していると?」
「そういうことらしい。半分以上は父上の施政のせいだと思うけどね」
「ガルアス陛下は国をまとめるため強引な手法も行いましたからな。成程、国交を開き、九頭竜国に逃げても無駄だと思わせたいと」
「そういうことだ。だけと本当の目的は別にありそうだね」
「と申されますと?」
「さっきお前が言ってた跡目争いさ。国交を開いてやるから口を挟むなということさね。お前の考えは正しかったと思うよ」
「国が割れていてはこちらの侵攻に対処するのが難しくなると」
「ああ。跡目を争ってるどっちかがこちらを味方に付けようと考えているのかもしれない。将軍としてはそれを阻止するため機先を制したというところだろうね」
「頼矩公は名君と聞き及んでおりますからな」
「それで兼定は国交についておおまかな枠組みを決めたいらしい。明日にでも会談の場を用意すると約束した。こっちの担当はサイモンでいいかい?」
「そうですな。貿易にまで話が及ぶのであればグラーツ殿も同席した方がよろしいかと」
「分かった。ご苦労だが二人に伝えてくれるかい?」
「かしこまりました。時間はいかがいたします?」
「昼前でいいだろう。おい、兼定殿の宿所を手配しな」
アルティアが付き従っている執事に命令し、執事は頭を下げて踵を返した。
「ノア大陸への派兵はいかがいたします?」
「兼定との会談が終わってからだ。物資の積み込みはもう済んでるのかい?」
「はい」
「とりあえずは待機だ。指揮官にそう伝えな」
「かしこまりました」
ミッシェルは頭を下げ、そのまま外務大臣のサイモンと財務大臣のグラーツに元へ向かった。
九頭竜国の幕府が置かれた東の都、「不与」。その中心にある不与城は今、将軍九頭竜頼矩の跡目を巡って不穏な空気に包まれていた。頼矩の嫡子は頼平といい、、今年で二十二歳になる。そして次男の頼春は十七歳であった。普通なら嫡子である頼平が後を継ぐのが当然であったが、頼平の母が頼矩の側室であり、頼春の母が正室であることが問題となっていた。しかも正室の悠姫が帝府の公家の出であることがその問題を大きくしていた。
元々扶桑国は西にある京、帝府を中心に栄えた。神皇が住まうのも帝府であり、朝廷も当然そこに置かれていた。扶桑国は長い間朝廷に仕える公家によって、政を行ってきたのである。それが武家の台頭で権威を失い、実権は完全に幕府に移っていった。それでも表向き扶桑国のトップはあくまで神皇であり、武家はその家臣という位置づけである。幕府が成立した当初は朝廷もまだ威厳をもって九頭竜家に毅然とした態度を取っていたが、二代目の頼広が国名を九頭竜国に変えてからはすっかり骨抜きになり、幕府にへつらうようになっていった。三代目の頼忠に当時の守屋神皇の弟である阿久津川親宮の娘、陽姫を嫁がせたのがその最たる例であった。
初めて帝府から武家に嫁ぐことに朝廷内では反対もあったが、幕府との軋轢を避けたかった当時の太政官(朝廷の政を司る公家の総称)たちは強引に陽姫の輿入れを推し進めた。しかし周囲の心配をよそに頼忠と陽姫は仲睦まじい夫婦となり、五人の子宝に恵まれ、その嫡子が頼矩であった。そしてその頼矩に嫁いだのが陽姫の従妹にあたる悠姫だったのだ。
「朝廷との関係を良好に保つためにも頼春様が後を継がれるのが筋というもの」
そう主張したのは幕府の重臣である老中の一人、浅利 祐定。兼定の父である。浅利家は代々太政官を輩出した五摂家の一つ、周防家に仕える家柄だったが、いつしかその守護のための武家としての側面も持ち始めた。そして周防家が世継ぎが絶えて没落した後はそれに入れ替わって隆盛を極めた。公家の筆頭である摂政まで排出するようになったが、九頭竜家が天下を取ってからはその家臣となり、幕府と朝廷の橋渡し役を務めていた。そういう経緯から祐定が悠姫の子である頼春を跡継ぎに推すのは当然と言えた。
「あの公家あがりめが。世継ぎは長子を持って為すが古来よりの習い。お世継ぎは頼平様をおいてないわ!」
それに対し公然と異を唱えたのが代々九頭竜家に仕えてきた譜代の家臣、弓削家の前当主、範常である。範常は大の公家嫌いで知られており、さらに祐定の息子である兼定が自分の息子胤常を差し置いて筆頭家老に任命されたことで殊に浅利家を敵対視するようになった。
「このままでは国が割れかねん。何とか穏便にお世継ぎを決めねば」
不与城下の屋敷でそう零すのは、弓削家の家老、中浦 光興である。本来なら頼矩がはっきりと世継ぎを指名すればよいのだが、頼矩は昨年から重い病に罹り、ほとんど口の利けない状態が続いていた。これは一部の重臣にしか明かされていないことだった。
「ですが朝廷との関係を考えますと、浅利様の申されることも一理ございます」
光興にそう言うのは中浦家の家臣、鷲見 信行である。光興には幼名の五平太と呼ばれていた。
「それは分かっておる。しかし大殿の申し分も分かるのだ。現に幕臣の大勢は大殿の方にある」
幕府は今、頼春を推す浅利派と頼平を推す弓削派に真っ二つに割れていた。それに各地の武家の思惑が重なり、一触即発の雰囲気にまでなってしまっていた。東に領地を持つ武家は元々九頭竜家と親交があり、幕府の要職に取り立てられた者も多い。彼らは範常に付いていた。一方西の武家は元々朝廷の守護をしていた家が多く、九頭竜家が朝廷と争った唯一の戦い、「久古の変」でも朝廷側に付いた。ゆえに幕府からは冷遇されており、朝廷の威信回復を願う彼らは祐定に付いていた。
「ですが西の武家の意向を無視してはそれこそ内乱と相成りましょう」
「理想的なのは上様が意識を取り戻され、世継ぎをご自分の口で指名して下さることなのだが」
「薬師の見立てではそれも難しいとか?」
「だから困っておるのだ。大殿はあのご気性ゆえ、祐定殿に譲歩することはまずあるまい。幕臣の大勢がこちらにあることもご承知だしな」
「強引に頼平様を跡継ぎに推せば、朝廷の反発も予想できます」
「厄介なのは祐定殿が淨蓮院様を味方に付けておることだ。淨蓮院様は表立って政に口は出されぬが、そのご意向は城内で無視できぬ」
先代将軍頼忠の妻、陽姫は未だ存命であり、頼忠の死後は出家して淨蓮院を名乗っていた。彼女は今も不与城の奥に居を構え、幕府の奥向きで絶大な権力を維持していた。
「淨蓮院様が頼春様を世継ぎに、と申されれば大殿もそのお言葉を無下には出来ますまいな」
「そうなれば今度は周辺の武家が黙っておらぬだろう。朝廷の意向に屈したとして幕府を軽んずるものが出るやもしれぬ。元々東夷(東国の武家の蔑称)は血の気が多い」
「この機に乗して幕府に謀反を起こすものが現れると?」
「西においても同じよ。神皇様より勅命を頂き、幕府を朝敵とする者がいるやもしれん」
「今の朝廷にそれが出来ましょうか?」
「ここだけの話だが、最近大陸から渡って来るものが増えておるのは知っておろう?」
「はい。皇国の圧政から逃れようとした者たちとか」
「朝廷が密かにそれらの者を抱え込もうとしておるとの噂がある」
「まさか!他国の者の力を借りようと?」
「今の帝、応明神皇様は才気煥発にして人徳の高いお方だが、それゆえ危ういところもある。朝廷の威信を取り戻さんとお考えのようでな、幕府に対して朝廷の影響力を強めようとしておられるようだ」
「確か帝の妃、朱鷺子様は悠姫様の叔母に当たられましたな」
「うむ。その上に淨蓮院様の御威光を持ってすれば、頼春様が将軍となった暁には帝のご意思は無視できぬようになるであろう。大殿を始め九頭竜家譜代の家臣はそれを恐れておるのだ」
「ですが帝が他国からの亡命者を頼りにするなど……」
「皇国は先の戦で我が国に痛い目を見せられておるからな。皇国を恨む者の力は幕府だけでなく皇国に対する戦力にもなると帝はお考えのようだ」
「しかしそれではいたずらに皇国を刺激するのでは?」
「祐定殿もそうお考えのようでな。兼定殿が今、皇国に出向いておる。国交を開くおつもりらしい」
「開国すると!?しかし鎖国は開幕以来、この国の基本政策のはず。上様がご病床にある中、そのようなご判断をされるとは思えませぬが……」
「無論、上様のご意思ではあるまい。今のこの状況で皇国に干渉されてはさらに面倒なことになる。それを阻止するため、こちらから譲歩したのであろう。祐定殿のお考えでな」
「し、しかしそれでは上様のご意思を無視したことに……不敬ではありませぬか!」
「上様だけではない。帝も開国まではお望みでないであろう。公家は異国嫌いが多いでな」
「それでは二重の不敬ではないですか。独断でそのような真似をすれば切腹は免れません」
「それも覚悟の上であろうな。儂と同じく祐定殿ももう歳だ。しかも儂と違い、家督はすでに兼定殿に譲っておる。直接皇国と交渉しておるのは兼定殿だが、祐定殿は全て己の命で兼定殿に強要したと主張するであろう。息子にまで累が及ばぬようにな」
「それでも兼定殿への追及は免れますまい」
「兼定殿も覚悟しておるということだ。でなければいかに父の命とはいえ皇国まで出向くまい」
「浅利様の忠心はご立派と存じますが、やはり独断で開国を決めるなど許されませぬ。大殿はご承知なのですか?」
「知らぬであろうな。大殿と祐定殿は一触即発の状態じゃ。そんなことを申せば止められるに決まっておる。兼定殿の渡航も秘密裏に行われたであろうよ」
「もし兼定様が皇国と国交の話を付け、それを幕府が後から反故にするようなことになれば、我が国の信用が著しく傷つけられます。また皇国が攻めてくる口実を与えることにもなりかねません。祐定様はそれをお分かりなのでしょうか?」
「分かっておるとも。幕府が反故にすることはない、と確信しておるのだ。大陸からの亡命者の存在は各地で問題になっておる。開国することで奴らの流入を防ぐことが出来ると言えば、幕臣も納得せずにはおれまい。朝廷に対しても淨蓮院様を通じて帝に開国を認めさせ、大陸からの亡命者を取り込むのをやめさせる代わりに、頼春様が将軍職を継ぐことを幕府に約束させることで話を付けるつもりであろう」
「大殿は納得なさいますまい」
「無論じゃな。じゃが胤常様は大殿に比べれば柔軟な思考の持ち主じゃ。大殿は実質弓削家を差配しているとはいえ、ご隠居の身。現当主の胤常様が国のため開国を支持すると申されれば、大殿もそれを覆すことは出来まい」
「では後は諸国の武家の対応でございますね」
「うむ。頼春様がお世継ぎになれば西の武家は留飲を下げようが、東夷どもが騒ぎ立てるやもしれん。儂が若ければ各国を巡り、当主を説き伏せに参るのだが……」
「このような時に宗二郎様がいらっしゃれば……」
「あやつの名など出すな!奴は家を捨て、主君を捨てた不忠義もの!すでに親でも子でもない!」
光興が激高して叫び、それを見た信行は悲しそうな顔をする。光興の嫡男宗二朗は剣においても学問においても秀でた才を持ち、将来を嘱望された存在だった。幼くして中浦家に仕えた信行は宗二朗の小姓となり、身の回りの世話をした。宗二朗は信行を大変可愛がり、弟のように接した。
「五平太は俺の弟だ!」
弓削家に赴いた時、信行が胤常の小姓に無理難題を吹っ掛けられ困ったことがあった。その時も宗二朗はそう言って信行を助けた。信行にとって宗二朗は本当の兄のようであり、尊敬する主君だった。それがある日、宗二朗はいきなり家を飛び出し出奔した。理由は今でも分からない。自分に何も言わずにいなくなった宗二朗に、信行は悲しさと憤りを感じた。
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「五平太、先日の話、考えてくれたか?」
「誠におそれ多い話ではございますが、私に宗二朗様の代わりは務まりませぬ。とても中浦家の養子になぞ」
「お前を置いておらんのだ。このままでは中浦家は断絶の憂き目となる。儂の後を継いでくれ」
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