昼、侯爵令嬢 夜、暗殺者

とうもろこし

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6 九歳、応用訓練編

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 九歳も終盤を迎えると、魔法の本はガーベラに基礎訓練の終了を告げてきた。

 次の日からは応用編として本格的な訓練に入るとも告知される。ただ、これに関してはガーベラも納得できるところであった。

 現状、ガーベラの基礎体力は二年と半年前に比べて凄まじいほど向上している。

 一時間ぶっ続けの基礎訓練も余裕でこなすし、その後に指定されていた腕立て等の筋トレも余裕の表情。自ら課したランニングによるトレーニングも毎日行っていた。最早、基礎訓練では満足できぬ体に仕上がっていたと言えるだろう。

 翌日になって魔法の本を開くと、最初に出てきたのは初日に見たインカムを装着したスーツ姿のお姉さんであった。

『これから応用訓練に入りますが、本日からは室内ではなく、外で訓練を開始します! 十分なスペースを確保した後に再び本を開いて下さいね!』

 パタンと勝手に閉じる魔法の本。ガーベラとモナは顔を見合せると「庭に行きましょうか」と言って頷き合う。

 侯爵家ともあってビルワース家が所有する敷地は広い。王都に住む貴族の中でも五指に入るほどの広さだ。

 当然ながら庭も広く、屋敷の西側に作られた庭園へと続く道の手前には、芝生が敷かれたスペースがあった。運動するにも十分な広さであると再確認した後、再び魔法の本を開いた。

『今日からは本格的な戦闘訓練を行う! 貴様はまだヒヨコであるが、俺の訓練を全て終えた頃には立派な殺人マシーンになっているだろう!』

 ラッパの音と共に登場したのは迷彩服にジャングルハットを被ったおじさん。

 これまでと違うのは、地面に置かれた本から全身が空中投影された後、青白い光で構成されたおじさん本体が本の周囲を自由に歩き回るところだろう。

 厳つい顔に睨みつけるような表情を浮かべながら、丸太のような太い腕を組んでガーベラを見下ろすと、彼女に向かって「私の事はSirサーと呼べ!」と告げる。

『まずは屋敷の周りを五十周ランニング! 駆け足! GOGOGO!!』

 これまでのトレーナーと違って、迷彩服おじさんの説明は極端に少なかった。

 話を聞くよりも体を動かせ! といった指導法なのだろう。手を叩いてガーベラを急かしつつ「走れ! 走れ!」と叫びながら彼女を見送る。

 走って一周したガーベラに対して「遅い!」と喝を入れ、猛ダッシュする勢いで周回を強制させられる様は、昨日までの訓練が如何に「初心者向け」だったのか理解できるだろう。

 しかも、五十周が終わった後は腕立てとスクワットを百回ずつ休みなしでやれと命令された。少しでもペースが遅れると「根性無しのウジ虫め!」と罵倒されるスパルタっぷり。

 まさに地獄。しかし、これは地獄の一丁目に過ぎない。

 今日より行われるのは真のブートキャンプである。

『次は格闘戦の訓練だッ!』

 肩で息をするガーベラの腕を引っ張ると、強制的に彼女を立たせた。そして、手を叩きながら彼女に喝を入れると「かかって来い」とファイティングポーズを取る。

 休みなしの訓練に苛立ちを覚えたのか、ガーベラはおじさんを睨みつけると言われた通りに殴りかかった。

 しかし、迷彩服おじさんの実力は確かなモノであり、まだ九歳のメスガキであるガーベラなど手も足も出ない。ガーベラのパンチに対して軸足をズラした移動のみで躱し、逆にガーベラを足で引っ掛けて地面に転がす。

 そのやり取りは何度も行われた。徐々に心が折れそうになるガーベラであったが、彼女の心に陰りが見えると迷彩服のおじさんは決まって彼女に喝を入れる。

『どうした! これで終わりか! 貴様の意思はその程度か! 何もせずに死ぬつもりか! 両親の仇も討てぬ出来損ないめ!」

「ぐ、く……あああッ!」

『人殺しの顔にはまだまだ遠いなッ! もっと足を使え! 腰を入れろ!』

 怒声と共に繰り出したパンチを躱され、再び地面に転びながら無様な姿を晒すガーベラ。

 怒りと悔しさで顔が歪み、今にも泣きそうな顔を見せる。

『その程度で運命に抗えるものか! その程度の攻撃で運命を覆せるのか! そこら辺にいる皺くちゃのジジイでももっとマシなパンチが撃てるぞ! 立て! 立って考えろ! 相手をよく見て、どうやれば拳が当たるのか考えろ!』

 これまで頭に血が上っていたガーベラは、立ち上がると足を止めた。

 魔法の本から飛び出して来たおじさんが無益な指導をするだろうか。彼の言葉一つ一つに意味が込められていて、彼が行う指導の一つ一つには運命に抗う為の術が込められているのではないか。

 ようやく冷静になったガーベラはおじさんを真似るようなファイティングポーズを取る。

 両の拳は胸の前。足は半歩開き、体の向きはやや斜めに。目に集中力を注ぎ込んで、対峙するおじさんの体を観察し始めたのだ。

『……ほう』

 その姿を見たおじさんから感心するような声が漏れた。

 次のチャレンジから、ガーベラはただガムシャラに懐へ飛び込むような行動は消え失せる。拳が届くギリギリまでジリジリと間合いを詰めて、体が前のめりにならないよう利き手であるを真っ直ぐ繰り出した。

 彼女が繰り出したのは右ジャブだ。子供ながらではあるものの、なかなかに早いジャブ。

 しかし、彼女の攻撃は何度やっても当たらない。

『避けられたからといって諦めるな! 獲物を狩る時は知恵を搾れ! 右手で殴りたいなら、どうやれば当たるか考えろ! 貴様の腕は右しか無いのか!』

 おじさんの言葉を聞いたガーベラの動きは更に磨かれていく。

 右手を当てたい。でも避けられてしまう。だったら、左手で相手を釣れば良い。それでもダメなら蹴りはどうだ。左手も蹴りもダメなら背後に回ったらどうだ? 背後に回れぬなら側面はどうだ? 殴った後に更に動き、更に蹴りすらも交えたら?

 ガーベラは聡明である。

 セバスチャンの授業、モナの授業でも見せたように、彼女は一を教えれば十を勝手に導き出す。

 右ストレートを当てたいから。その動機とおじさんが罵倒に混ぜたヒントだけで、彼女はフットワークを駆使しながら相手の動きを誘導するように左ジャブとローキックを織り交ぜる攻撃を行い始めた。

 訓練が始まってから五時間が経過し、ガーベラの体は土だらけ。頬や額も土で汚れた状態になった彼女は遂に――

「ファァァァックッ!!」

 ふにょん。

 半透明であった迷彩服おじさんの腹をガーベラの拳が貫通した。

『Good!!!』

 パチパチパチ、と迷彩服おじさんは賛辞の拍手をガーベラに贈る。体力の限界で膝をついたガーベラに対し、目線を合わせるよう屈むと「ニィ」と笑った。

『貴様は強くなる。俺が強くしてやる。だからこそ、今日のように諦めるな! 考え続けろッ!』

「はぁ、はぁ……。は、はい……」 

 ガーベラの返事を満足そうに頷くと、立ち上がったおじさんは『本日の訓練は終了!』と言ってから本の上に立つと姿を消した。

 パタンと勝手に閉じた本を見たガーベラは、その場で大の字になるよう背中から倒れ込んでしまう。

「お嬢様!」

「ふふ。やったわ、モナ」

 慌てて駆け寄ってきたモナが見たガーベラの表情は笑顔だった。まるで先生に褒められた子供のような笑顔である。

「私、強くなりますわ!」

 この日以降も彼女は強烈で苛烈なブートキャンプを着実にこなしていく。一年、二年、と時が過ぎて行くに連れて、彼女の才能と能力はメキメキと磨かれていった。

 二年後の冬には迷彩服おじさんと本気の格闘戦を繰り返すほどの実力を得て、三年と半年が過ぎた頃にはナイフを使った格闘術の訓練が開始される。

 そして、五年と半年の月日が経った頃には戦術や単独での潜入工作術など、様々な知識さえも与えられ――迷彩服おじさんから遂に『貴様は立派な殺人マシーンだ!』と言わしめたのだった。
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