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27話「馬に二人乗り。呪文の詠唱。深い口づけ」
しおりを挟む別室で作業をしていた私。 クヴェルが作業を終えたという連絡を受けたのは、夕方五時を少し過ぎた頃だった。
完成した魔石を箱に詰めて外に出た。
ふと空を見上げると、西の山に夕日が沈みかけていた。
これから、水と魔除けの二つのルーンを刻んだ魔石を、王都を守る塀の近くにある井戸に放り込まなくてはいけない。
魔石を井戸にただ放り込むだけでいいならギルドの職員に任せてもいい。
でも、魔石を放り込んだ井戸、一基一基に魔法をかけなくてはならない。
なので、すべての井戸をクヴェルが回らなくてはいけないのだ。
全ての場所を馬車で回るには時間がかかりすぎる。だから馬で回ることにした。
私達はこの街に詳しくないから、この街に詳しいギルド長とトーマスさんが道案内をしてくれることになった。
ギルドが用意した馬は三頭。
ギルド長とトーマスさんがそれぞれに乗る馬。私とクヴェルが二人乗りする馬だ。
「クヴェルさん、魔石を彫って疲れているだろう?
井戸に魔石を入れるのは明日にしたほうが良くないかい?」
ギルド長がクヴェルを心配し、そう声をかけてくれた。
私もクヴェルたんの体力が心配だ。
「いや、こうしてる間にも地下水は汚染されている。
井戸を浄化し、王都に結界を張るなら一分でも早い方がいい」
クヴェルの言い分もわかる。こうしている間にも王都の人達は井戸水の汚染で苦しんでいる。
クヴェルが王都に結界を張るまで、王都の井戸は一箇所を除いて使用を禁じられている。毒による被害をこれ以上拡大させない為だ。
唯一使用を許可されているのが、マルタさんの宿の井戸だ。
マルタさんは近隣の人達に無料で井戸の水を提供している。
マルタさんの宿に宿泊している冒険者や、ギルドの職員が、遠方の人達に水を運んでいる。
それでも、王都中の人に水を行き渡らせることはできない。
水がなければ料理も出来ない。街の人達は空腹や喉の乾きで苦しんでいる人もいる。クヴェルの言う通り井戸の浄化は急いだ方がいい。
クヴェルたんが先に馬に乗った。クヴェルは乗馬もできるのね。
私も公爵家や王宮で乗馬の訓練をした。天気の良い昼間に広い平原を走ることならできる。
しかし、夜の街、しかも細くて狭い道を馬で走れる程の技術はない。
「クヴェルたん、一刻を争うなら私はギルドでお留守番していた方がいいんじゃないかな?」
私はどう考えても足手まといだ。
二人を乗せるより、一人しか乗せない方が馬への負担は少ない。
「馬鹿なこと言わないで!
アデリナを一人にできるわけないだろう?
アデリナをギルドに置いていったりしたら、君のことが心配で井戸の浄化どころじゃないよ!」
クヴェルたんは眉根を寄せ私を睨んだ。
「ギルド職員のゴラードや、C級冒険者のドクラン、ランザー、イグニスの三人組みたいなのに私が絡まれるのを心配してるの?
あの四人は捕まったし、クヴェルと離れている間はギルドの女性職員と一緒にいるから大丈夫だよ」
クヴェルは権力や暴力で相手を支配しようとする輩に、私が絡まれるのを心配しているのよね?
「僕が心配してるのはそれだけじゃないよ」
「じゃあクヴェルは何が心配なの?」
「アデリナは自分の魅力がわかってない」
「はっ……?」
「僕がいない間に、アデリナが知らない男にナンパされるのが嫌なんだよ!」
「えっ……?」
私がナンパされる? うーん、想像できない。
だが私を見つめるクヴェルの目には嫉妬の炎が宿っていた。
クヴェルたんたら、私のことを過大評価しすぎたよ。
「またぁ、クヴェルたんたら。
私をナンパするもの好きなんていないよ~~」
「いや、いる。
絶対にいる。
僕が君の側を離れたら秒で悪い虫がつく!」
クヴェルたんは私のことを過大評価し過ぎだよ。
「アデリナは美人だし、スタイルもいいし、何より所作が美しい。
そんな子が一人でフラフラしていたら悪い男の餌食になっちゃうよ」
そうなのかなぁ……?
ギルド長とトーマスさんがクヴェルたんに同意するように首を縦に振っていた。
祖国では王宮でも学園でも実家でも、粗雑に扱われていたから、自分が男性にナンパされるところがイメージできない。
「だからアデリナも僕と一緒に来て!
僕は君の側を片時も離れたくないんだ!」
クヴェルたんの目は真剣で、彼の表情は優しさと愛情に満ちていた。
ドクン……! と心臓が跳ねる音が聞こえた。
例えナンパされたとしてもフラフラとついて行ったりはしないよ。クヴェルたん以外の男の子なんて全員どうでもいいもん。
クヴェルたんには私が必要みたい。彼の邪魔にならないなら一緒に行った方がいいよね。
「アデリナも一緒に行こう!」
クヴェルたんが私に手を差し出す。
「うん」
私は差し出された手を取った。
クヴェルは子供の姿でも力持ちで、私を馬の上まで引き上げてくれた。
「しっかり掴まって」
「わかった」
私はクヴェルの細い腰に自分の腕を回した。
クヴェルたんの身長は一ミリも成長してない。だけど彼の背中はいつもより大きく感じた。
◇◇◇◇◇◇
二時間ほどかけて、王都の外側の井戸百基を周った。
クヴェルが最後の井戸に魔石を入れ凛々しい表現で呪文を唱え始めた。
「リスベルン王国にあまねく水と大気の精霊よ。
術者クヴェルの名において命ずる、王都を包む強固な結界を築き、水と大気を清浄化せよ!
そして、その清らかさを保ち続けよ!
水と魔除けの魔石に刻まれしルーンの力を媒介に、光の砦を作り出せ!!」
クヴェルが呪文を唱えると井戸から強い風が吹き、彼のマントを揺らした。
直後、井戸から光の柱が上がった。
見上げると他にもいくつもの光の柱が上がっていた。きっと他の井戸の魔石も共鳴しているんだわ。
光の柱が線を繋ぐように広がっていき、王都の空を光のベールが覆っていた。
「空気が澄んでる……!」
息を吸い込むと、それまでなんとなく感じていた重苦しさが消えていた。
高い山の早朝の空気のように、王都の空気が澄み切っていた。
「気づかない間に王都中の空気が汚染されていたようだな」
「本当ですね。
今の空気は以前と同じ、以前より遥かに美味しいです」
ギルド長とトーマスさんは、無事に結界を張り終え王都が浄化されたことを喜んでいた。
「これでひとまずは王都は安全なはずだよ。
…………これならいずれ元凶を封じた時の余波にも耐えられるだろう」
元凶って北の湿原に住みついたミドガルズオルムのことよね?
ミドガルズオルムは倒すんじゃなくて封じるものなのね。その違いって一体?
「クヴェルさん、ありがとうございます!
これで王都は救われました!」
「ありがとうございます!
クヴェルさんには感謝してもしきれません!」
ギルド長さんとトーマスさんがクヴェルに頭を下げた。
「お礼はいいよ。
僕は依頼された仕事をこなしただけだから。
それよりも報酬を忘れないでね」
「もちろんです。
報酬は後日、宿に届けに伺います」
クヴェルたんはクールに振る舞ってるけど、本当は感謝されて照れくさいだけなんだと思う。
それよりも今はクヴェルの体が心配だわ。
「クヴェル、大丈夫?
疲れていない?」
私はクヴェルの元に駆け寄った。
一日中魔石を刻んだ上に、これだけ大規模な結界を張ったんだ。倒れても不思議じゃない。
「大丈夫だよ。
この程度のことで僕は倒れたりしないから。
それに、疲れたときは僕の女神が癒やしの魔法をかけてくれるからね」
クヴェルはそう言って自分の唇に人差し指を当て、そのあと同じ指を私の唇に当てた。
その仕草が可愛くてあどけなくてそれでいて色っぽくて……! 私の心臓がドクンと音を立てた。
昼間、クヴェルの唇を奪ったことを思い出してしまう。きっと今、私の顔は耳まで赤い。
「クヴェルさん、アデリナさんを宿で休ませてあげた方がいいぜ。だいぶ顔が赤いからな」
「お二人共、今日はお疲れ様でした。
きっと宿ではマルタさんが美味しい物を作って待ってますよ」
ギルド長とトーマスさんがこちらを見てにやにやしている。
「帰ろうか、アデリナ」
「うん、クヴェル」
宿までどうやって帰ったのか、あまり覚えていない。
疲れてたし、ドキドキしてたし、眠いし、お腹すいたしで、頭がぐるぐるしていたのだから仕方ない。
◇◇◇◇◇
宿に帰るとマルタさんと、他の宿泊客が笑顔で出迎えてくれた。
水を提供したお礼に近所の人達から色々もらったみたいで、その夜はごちそうだった。
ハーブのサンドイッチとスモークハムといちじくのトーストとじゃがいものポタージュとビーフシチュー。デザートはフルーツのコンポーネント。
どれも私の大好物だわ。女将さんは私の好物を覚えていてくれたのね。嬉しい。
クヴェルの話を聞いて、近所の人達も料理を手伝ってくれたらしい。
皆に感謝されてとっても幸せな気分だった。
◇◇◇◇◇
部屋に入った途端、スイッチが切れたみたいに私はベッドに倒れ込んだ。
「アデリナ、大丈夫!?」
「うーーん、頭がクラクラするの。
おかしいな。
美味しいご飯を食べて、回復したはずなんだけどなぁ……」
疲労でベッドに倒れ込むのはいつものことだけど、目眩まですることはなかったのにな。
「魔力の使いすぎかもね。
昼間ギルドで魔石にルーンを刻んだでしょう?」
「私がルーンを刻んだ魔石はたった三つだよ?」
三時間近くかけて三つしか作れなかったとは情けない。二個目や三個目は、一個目より早く彫れるかと思ったのに……逆に彫るスピードは落ちていった。
「言ったよね?
魔石にルーン文字を刻むには魔力を使うって。
慣れないうちは魔力を流しすぎてしまうんだよ」
「そうだったんだね。
この目眩っていつ治るの?」
「時間が経過すれば治るけど、すぐに治す方法もあるよ。
試してみる?」
「直ぐに治るならそっちがいいなぁ」
少し体を動かす度に目の前がぐらんぐらんする。これじゃあトイレにも行けないし、寝返りを打つのもしんどいよ。
「じゃあ、やるよ。
仰向けにするけど耐えてね」
クヴェルがうつ伏せで倒れていた私の体を抱き起こし、仰向けにした。
あれ……? 最後のクヴェルたんの声……いつもより低かったような?
頬に触れるクヴェルの手は大きくて少しゴツゴツしていた。
「今、僕の魔力を分けてあげるからね」
青年のクヴェルに抱き締められていることに気付いた時には、彼の唇が私の唇を塞いでいた。
触れるだけのキスは、直ぐに深いものに変わって……。
唇を通じてクヴェルの魔力が流れて来るのを感じる……体がポカポカする。
魔力が回復する感覚がとっても心地よくて、私はそのまま眠ってしまった。
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