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一話「婚約破棄」
しおりを挟む濁流にのまれ、体が沈んで行く……あっ、俺死んだな。
せっかく前世の記憶を取り戻したのに、即行バッドエンドかよ……。
◇◇◇◇◇
「ザフィーア・アインス! 貴様に婚約破棄を言い渡す!」
凛とした声が響き、皆の注目が一人の男性に集まる。
栗色の髪、黄玉の瞳、濃紺のジュストコールに身を包んだ若く凛々しい王太子殿下。
王宮の大広間、今日は王立学園の卒業パーティ。卒業生の他に一、二年生も数多く参加している、僕もその一人だ。
会場がざわめく中、僕は王太子殿下のご友人に取り押さえられ床に膝をついた。
見上げれば氷のように冷たい顔をした王太子殿下と、その隣に今にも泣き出しそうな顔の神子様がいた。
「エルガー様、これは……いったい」
訳が分からず婚約者に……いえ今となっては元婚約者というべきでしょうか? 幼なじみの王子様に助けを求める。
筆頭公爵家に生まれた僕は、生まれる前から王太子のエルガー様との結婚が決められていた。
僕はずっとエルガー様のためだけに生きてきた。
エルガー様が長い髪が好きとおっしゃったから髪を腰まで伸ばした、獣臭い男は嫌いだとおっしゃるからその日から肉も魚も口にしなくなった。
今日もエルガー様から贈られた黒のジュストコールを身に着けてきました。
着るものも、読む本も、聴く音楽も、全てエルガー様の趣味に合わせて来たのになぜ? どうしてそのようなことをおっしゃるのですか?
「分からないという顔をしているな、ならば皆の前で貴様の犯した罪を言ってやろう!」
僕が犯した罪?
エルガー様がまるでゴミでも見るような目を僕に向ける。
僕はエルガー様に何をしてしまったというのですか?
「貴様は水の神子であるアオイに嫉妬し、アオイに対し数々の嫌がらせをしてきた!」
エルガー様が隣に立つ神子様の肩に手を置く。神子様はエルガー様の濃紺のジュストコールをキュッと掴んだ。
ズキリと心臓が痛む。
立花葵様は一年前に異世界から現れた。
この世界にはない神秘的な黒の髪と黒真珠のような瞳を持つ、華奢で儚げな少年。
アオイ様は神竜メルクーア様の加護を受け、水の神子としてこの国に迎えられた。
水の神子は神竜に祈りを捧げ、雨を降らすことができる。
アオイ様も二度、その奇跡を起こされている。
雨の国と言われるレーゲンケーニクライヒ国では、百年のうち十年間天候が乱れ雨の降らない日が続く。
異世界から現れた神子様が水竜メルクーア様の加護を受け、祈りを捧げることで天候は安定し、その後九十年間の安寧が得られる。
そういう理由があって、水の神子様は国王陛下の次に大切にされている。
その水の神子様に……アオイ様に僕が嫉妬? 嫌がらせ?
「アオイの悪い噂を流し孤立させ、食事に虫を入れ、階段から突き落としケガをさせた! それだけは飽き足らず男にアオイを襲わせた!」
エルガー様が何を言っているのか、僕には分からない。
「エルガー様、僕はそんなこと……」
「しらばっくれるな! 証人がいるんだ!」
証人? やってもいないことに証人がいる?
「証人、前へ!」
いつの間にか僕たちを取り囲むように人だかりができていた。やじ馬の中から少年が四人、王太子殿下の前に進み出た。
四人とも見たことがない生徒だった。
「順番に自分のしたことを話せ!」
「はい、ぼくはザフィーア様に言われ神子様の悪口を広めました」
「俺はザフィーア様の命令で、神子様の食事に虫を入れました」
「私は、ザフィーア様に金をもらい神子様を階段から突き落としました」
「オレはザフィーア様に脅され神子様を襲うように言われました。神子様を人気のない場所に呼び出して押し倒したのですが、途中で怖くなって……そこに王太子殿下が」
この人たちは何を言っているの?
身に覚えのない罪を並べられ、困惑で言葉が出てこない。
「オレが通りかからなかったらどうなっていたことか!」
「エルガー様、ボク怖かった」
アオイ様がエルガー様に抱きつき、エルガー様が神子様の頭をよしよしとなでる。
純白の衣に身を包み、目に涙を浮かべるアオイ様は天使のようだった。
僕の心臓がバクバクと嫌な音を鳴らす。目の前でエルガー様とアオイ様の仲睦まじい姿を見せられ、胸が張り裂けそうになる。
「その目、アオイが現れてから貴様はいつもその目をオレやアオイに向けてきた! 陰気で淀んだ悪魔の瞳で!」
エルガー様は僕の目がそんなに気に触ったのだろうか? エルガー様が嫌うなら目をくり抜いてもよかったのに……。
「エルガー様、僕は……!」
「うるさい! 貴様の声など聞きたくない! 耳障りだ!」
僕はただエルガー様のお側にいたかっただけなのです。
エルガー様がアオイ様に格別な思いを抱いていることに気づいていました。アオイ様がエルガー様を慕っていることにも。
僕はエルガー様をお支えできるなら、婚約者でなくてもよかった。愛人でも、家臣でもよかった。
なのにエルガー様は、僕が側にいることすら許してくださらないのですね。
「これだけ証人がいて、まだ白を切るというのか!」
「僕は……」
僕には何一つ身に覚えのない事です。
「もういい尋問はプロに任せる! 連れて行け!!」
僕を取り押さえていた男に無理やり立たされ、突き飛ばされ強引に歩かされた。
「エルガー様、僕は何も……!」
エルガー様は僕を見ていなかった、エルガー様の視線はアオイ様に注がれていた。
僕と目があったアオイ様が、口元を歪ませくすりと笑ったように見えた。
僕はアオイ様にはめられたのだとこの時気付いた。
◇◇◇◇◇
暗い部屋、冷たい床、ベッドも椅子もない。
僕は部屋の隅にうずくまり、膝を抱えていた。
二つの足音が近づいてきて、牢の前で二、三話したあと、一つの足音は遠ざかっていった。
ガシャンと音がして、鉄格子の扉が開く。
「なんてざまだ」
「お父様……!」
泣き腫らした顔で見上げると、銀色のジュストコールが目に入った。
「お父様、僕は……」
パン! と音がして、左頬がじんじんと腫れ殴られたのだと気づいた。
「アインス公爵家の恥さらしが!」
僕を見るお父様の顔は冬の空のように凍てついていた。
「……ごめんなさい、でも僕は」
「お前が何をしたかは問題ではない、お前は政治的な駆け引きで異世界から来たぽっと出の子供に負け、王太子の婚約者の立場を失った、お前を見限るにはその事実だけで十分だ」
お父様の言葉が暗い地下室に響く。
「ですがエルガー様は僕に服を……」
僕がパーティで身に着けていた漆黒の服は、王太子殿下に贈られたもの。
「お前には夜を連想させる真っ黒な服を、神子には天使のような純白の服を着せたか、あの王子にしてはうまく演出したものだ」
お父様が鼻で笑う。
「えっ……?」
今日パーティで僕が着ていた服は、昨日王太子殿下の名前で公爵家に届けられたものだ。
王太子殿下からの初めての贈り物に、僕は舞い上がっていた。
「その服を贈った時点で王太子はお前を断罪することを決めていた。そうとも知らずお前は王太子から贈られた服を着てのこのことパーティ会場に現れたわけだ」
「そんな……」
両手で自分の体を抱きしめ、服をぎゅっと掴む。
「私の力で尋問は無くした、陛下が不在ゆえ王太子に掛け合い国外れの教会で数年過ごすだけですむことになった。教会から出たあとのお前の使い道はそのとき考えるとしよう」
「……はい、お父様」
お父様にとって僕は、公爵家のための道具でしかないのですね。
「教会から逃げ出そうなど無駄なことは考えるな、これ以上公爵家の名に傷をつけるな」
「……はい」
それだけ言うと、お父様は牢から出て行った。
◇◇◇◇◇
翌日、教会まで移送されることになった。
粗末な白の上下の服に着替えさせられ、国外れにある教会まで歩いて向かう。
罪人が馬車を使うなどぜいたくだそうだ。
靴がないので裸足だ。
王都から街道に出るための道にはたくさん人が集まっていた。
罪人の護送は娯楽の少ない民にとって、格好の見せ物で憂さ晴らしなのだ。特に身分の高いものが落ちぶれて都を去って行く姿を見ると、日頃のうっぷんが晴れるらしい。
「今度の罪人は随分と幼い子だね、何をやらかしたんだい?」
「知らないのかよ、水の神子様に毒をもったんだぜ!」
「それはとんでもない性悪だね!」
いつの間にか僕の罪状には尾ひれがついていた。
「神子様を屋上から突き落とそうとしたり、柄の悪い男たちに襲わせたこともあるらしい」
「神竜メルクーア様に愛される神子様になんて罰当たりな、可愛い顔してやってることは悪魔だね」
「水の神子様のおかげで日照り続きの大地に雨が降ったっていうのに、とんだ罰当たりだ」
「そんなことをしでかした奴は当然死刑なんだろ?」
「それが、お偉い公爵様の息子らしく教会に幽閉されるだけで済むらしい」
「そんなバカな話があってたまるかい!」
「そうだろう、だからオレたちで天誅を下してやろうぜ! 死ね! 悪魔!」
民が投げた小石が僕の体に当たる。
「くらえろくでなし! 天誅!」
「消えろ!」
「くたばれ! 化け物!」
汚い言葉とともに、石や果物などを投げつけられる。
手を縛られている僕には防ぎようがない。もっとも手を縛られていなくても、防ぐ気力も起きないが……。
「止めろ! 罪人の護送中だ!」
兵士の一人が止めに入るが、民衆からの罵声は王都を出るまで止むことはなかった。
◇◇◇◇◇
国境の近くに建てられた古い教会まで、馬車で一日、徒歩で三日。
三日の間に服の裾は擦りきれ、道端の石ころが僕の足に傷をつけた。
回復魔法を使えるが、そんなことをして何になるのか。
王太子殿下に疎まれ、お父様に捨てられた僕に、生きてる価値など……。
「着きましたよ、ザフィーア様」
兵士の言葉に顔を上げる。
だがそこには教会はなく深く切り立った崖がどこまでも続いていた。谷底を流れる川の音が耳に届く。雪解けの季節で川の水が増しているのか、ゴーゴーと流れる水の音は嘆き声のように聞こえた。
「恨みはないのですが、死んでいただきます」
兵士の一人が剣を抜くと、他の兵士も剣を抜き僕に向かって構えた。
後ろは崖、前には複数の兵士、逃げ場はない。
王太子殿下は僕をそこまで嫌っていらしたのですね……。
それともこれは神子様の……。
どちらでもいい、もうどうでもいい。
王太子殿下のお側にいられないなら、僕に生きる意味などないのだから。
「剣を使う必要はないよ、僕は一人で死ねるから」
僕は崖を背に立ち、背中に体重をかけた。体が傾き地面が遠くなっていく。
兵士たちが崖の縁に駆け寄り、落ちていく僕を呆然と眺めていた。
さよなら、エルガー様。
エルガー様が死ねと望むなら、僕は喜んで死を選びます。
こんなことになっても僕はあなたのことを……。
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