短編集

柊原 ゆず

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田舎って。

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 田舎に住んでいるおじいちゃんは七十歳を過ぎているのに、親指で腕立て伏せができた。身長は確か低い方だったと思うけれど、筋肉がみっちり詰まっているような感じがした。そして髪の毛は剃っていたから頭はツルツル。寡黙で、孫の私には怒ったことはないけど、大きな声で怒るらしい。怖かったと母は言っていた。そんなおじいちゃんは、よく鮭とばとすじこを作っていた。それがまた絶品で。塩気がほかほかのご飯によく合う。私はすじこが特に大好物で、おじいちゃんに会いに行くと、いつもすじこをごちそうしてもらっていた。
 私が小学生の時に、おじいちゃんは病に侵された。肝臓がんだった。今思えばお見舞いに行くべきだったと思う。けれどおじいちゃんの家は私の家から遠く、お金もかかるため、父がいい顔をしなかった。だから私が次におじいちゃんに会ったのは火葬場だった。おじいちゃんは骨と皮だけかと思うほど痩せこけてしまっていた。親指だけで腕立て伏せが出来たおじいちゃんと同一人物とは思えなかった。おじいちゃんは身体を焼かれて骨だけになった。おじいちゃんの骨は身体を鍛えていたからかとても太かった。骨だけのおじいちゃんを見て、ようやく亡くなったのだと実感がわいてしまい、私は涙を流した。
 おじいちゃんは寡黙な、昔ながらの大黒柱だった。けれど近所付き合いは大切にしており、野菜をおすそ分けしたり、雪が降り積もった時は足腰の悪い隣の家の分まで雪かきをしていたそうだ。近所の人はたいへん感謝していたらしい。けれど、おじいちゃんが亡くなった後、手の平を返すように、隣の家主は庭に柵を作った。

「柵の中には入らないでくれ」

 酷い方言混じりに家主は言ったそうだ。あれだけおじいちゃんに頼っていたのに。大黒柱がないグラグラの家には用がないってことか。田舎って情に厚いんじゃなかったの。全然違うね。全ての人がそうだとは思わないけれど、私はこの一件で田舎にいい感情は抱けなくなり、今は実家を出て都心で暮らしている。都心でもすじこが売っていて買って食べるが、おじいちゃんの作ったすじことはどこか違う。美味しいけれど、違う。私はこういう時、いつも胸が痛むのだった。

Fin.
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