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第二話 第二の人生
しおりを挟むちゅんちゅん、とスズメの鳴く声がする。閉めたカーテンの隙間から光が漏れ、私を照らす。まだ重い瞼をゆっくりと開け、傍に置いてある時計を確認する。時計の短針は七、長針は六を指していた。
「もうこんな時間?!」
眠気が吹き飛び、私は飛び起きて朝の支度を始めた。顔を洗い、軽く化粧を施す。伸びた髪を三つ編みに結って眼鏡をかける。食パンにジャムを塗り、急いで頬張り、牛乳で流し込む。カバンを持ち、私は電車に滑り込む。良かった。なんとか間に合ったようだ。私は胸を撫でおろす。
二十六歳になった私、小林 詩は去年アイドルを辞め、オフィスレディとして第二の人生を歩み始めていた。アイドルでの活動も楽しかったが、OLとしての仕事も苦ではなかった。アイドルのような煌めきはないけれど、平凡で安定したこの生活も悪くない。電車に揺られながら、イヤホンを耳に装着し、お気に入りの曲をかける。曲は、私の推しアイドルである『桃色チーカーズ』の『桃色ほっぺにちゅーして♡』だ。幼馴染に片想いする女の子が相手の男の子の鈍感さに振り回されながらも恋にまっすぐ突き進んでいく、可愛らしい曲だ。この曲は片想いに悩む女性の応援ソングとなっている。PVでは、桃色で花柄のワンピースを着たメンバー五人が鈍感な男の子にプンプンしながらも可愛く踊っているのがファンには堪らない映像だ。映像が見れないのが残念だが、メンバーの可愛らしい歌声が生きる活力になっている。私は今日も推しのために働くのだ。
「ねえねえ聞いてよ!」
昼休み。同僚の由紀が嬉しそうに口を開けた。私は社員食堂で人気のカレー定食を食べながら話を聞く。
「どうしたの?」
「ついに!ついに慧くんのライブチケットが当たったの!!」
「おおー!おめでとう!」
『慧くん』というのは、最近人気沸騰中のアイドル『辰巳(たつみ) 慧(けい)』のことだ。猫っ毛なペールブルーの髪に、プラチナブルーの瞳。ニコニコと笑みを絶やさない柔和な笑顔に世の女性は虜になっている。彼がマイクを握れば、透き通るような甘い声が鼓膜を優しく撫でる。声に聴き入る間もなく、キレのあるダンスがファンを魅了する。ダンスの時の真剣な表情や眼差しがギャップを生み、ファンの心を掴んで離さない。ライブの合間に彼の雑談が入るのだが、そのトーク力も目を見張るものがある。その才能が見込まれ、今では俳優やタレントとしても活躍しており、マルチな才能を発揮している。今や知らない人はいないのではないかと思われるほどの知名度を誇る『辰巳 慧』。しかし私はアイドルファンと言っても女性アイドルを推すドルオタだ。これらの情報は目の前の由紀から聞いた話だった。耳にたこができるかと思うほど、自分自身も『慧くん』と呼ぶようになってしまうほど聞かされてきた『慧くん』の話。同じドルオタとして、推しのライブチケットが当たった時の気持ちは痛いほど分かる。しかも、今や超人気アイドルの彼のライブチケットはプレミアものだろう。
「しかもね、二枚!」
由紀は笑ってブイサインをつくる。
「ねえ、詩。一緒に行かない?」
「えっ」
突然の誘いに私は戸惑う。そんなにプレミアものならファンに譲渡すればいいのに。そう思ったからだ。
「生の慧くんを見たら人間でいられなくなりそうで……」
「気持ちは分かるけどさ……」
「私の屍を拾ってほしいのよ!ね、お願い!」
手を合わせてお願いのポーズをとる由紀。まあ、折角のお誘いだし、トップアイドルのライブに行く機会なんて滅多にないしなあ。私は由紀のお願いをきくことにした。
「分かったよ。由紀がそこまで言うなら付き添うよ」
「ほんと?!ありがとう!!」
由紀は嬉しそうに声を上げた。
「ほら、決まったなら唐揚げ定食食べなよ。冷めちゃうよ」
「そうだね。いただきまーす!」
由紀は社員食堂自慢の唐揚げを口に運ぶ。興奮冷めやらぬ、といった彼女は昼休みを目一杯使い、『慧くん』を語る。私はカレー定食を食べ終わり、お茶を飲みながら彼女の話を聞いていた。
つづく
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