お姫様には騎士がいる

柊原 ゆず

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お姫様には騎士がいる

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【登場人物】
☆市姫 百合子

奇妙な夢を見る平凡な女子高生
轟 紫音とどろき しおん

百合子の幼馴染。



 高価なドレスを身に纏った美しい女性の傍らには甲冑を着た騎士が仕えていた。黒髪の騎士が彼女の前で跪く。飴細工を扱うように、騎士は彼女の手に触れた。彼が手の甲に唇を落とすと、彼女は頬を赤く染めて微笑む。甲冑の中から、あたたかな眼差しが彼女に向けられる。優しく素朴な彼の、菫を思わせる紫の瞳はいつだって彼女に安らぎを与えていた。
 市姫 百合子は物心のついた頃から、同じような夢を見ている。お姫様と騎士の身分の違う恋物語だ。幼い頃の彼女は心を躍らせ、期待をしていた。自分の元にも騎士が現れることを。幼い彼女の願いは本来であれば儚く散る運命であった。だが、高校生となった彼女の傍には『騎士』がいた。
 ホームルーム終了のチャイムが鳴るとすぐに、教室のドアが開かれる。

「あんたの『騎士様』、来たみたいね」

 百合子の友人がニヤニヤと笑う。百合子は恥ずかしさに顔を覆ってしまいたくなるのをグッと堪えて、ドアに目を向けた。

「ゆり、お待たせ」

 ドアを開けたのは、百合子の幼馴染である轟 紫音とどろき しおんだ。親同士の仲が良く、物心のつく前から一緒にいた、いわば兄妹のような関係。幼かった彼女の儚い願いを叶えたのは彼であった。夢で紡がれる恋物語を話し、騎士を望む百合子に紫音は自らが騎士になると約束したのだ。小学生までは、顔の良い幼馴染が騎士として振る舞うのを嬉しく思っていたものだ。だが、高校生となった今、彼女にとってこの願いは黒歴史と化していた。

「しーちゃん、もういいってば」

 百合子は苦笑して、紫音の隣に並ぶ。紫音はきょとん、とした顔で百合子を見つめた。

「何が?」
「騎士ごっこのことよ。私、もうお姫様に憧れる歳でもないから」
「僕がやりたくてやってるんだ。ゆりは隙だらけで危なっかしいし」
「そんなことないってば!」

 しーちゃんは昔から過保護だった。ずっと傍にいようとするし、ちょっかいをかけた男子を見つけると戦おうとする。うっとうしいと何度も思うけど、しーちゃんは騎士として振る舞うのが楽しいようで中々やめてくれない。
 百合子が抗議の声を上げると、真剣な顔の紫音が口を開いた。

「何かあってからじゃ遅い」

 紫音は百合子の手から鞄を奪う。

「そうでしょ?」

 紫音は真剣な顔を崩して笑いかける。紫の目が弧を描く。紫音が騎士のように振る舞う度に、百合子は夢の中の騎士を思い出していた。夢の中の彼も紫色の目をしていたのだ。百合子は彼と紫音を重ねてしまい、胸を高鳴らせる。
 あのお姫様のように、私も甘く優しく愛されたならどんなにいいだろう。

「ゆり?どうしたの?」

 不思議そうな顔で紫音が百合子の顔を覗き込む。百合子は誤魔化すように顔を振り、笑顔を繕った。

「ううん、なんでもない!」





 百合子は何度も夢を見た。高貴なドレスを着た女性はどこかの国の姫のようで、傍にはいつも黒髪の騎士が仕えていた。彼女には婚約者がいるのだが、二人は惹かれ合い、身分に差のある恋をひっそりと育んでいた。騎士は姫がどんな我儘を言おうと、冷たく突き放そうとしても、いつも傍に寄り添った。

『逃げましょう?どこか、遠い場所へ』
『……なりません。貴女様の傍にいられるだけで、私は幸せなのです』
『私が他の男に嫁いでも、幸せだと言うの……?』

 騎士は困ったように眉を下げ、笑みをたたえた。

『貴女様の幸せを願っております』

 献身的な騎士の言葉に、姫は泣き崩れるのだった。

「ッ……!」

 百合子は泣きながら目覚めることが増えた。姫の感情が濁流のような激しさで胸に流れ込んでくる。百合子は、まるで経験したことであるかのような既視感を抱いていた。
 これってもしかして、前世?
 百合子は少女漫画で読んだことがあった。前世で結ばれなかった恋人が今瀬では結ばれる、お伽噺のような内容の少女漫画を。
 私がもしもお姫様なら、騎士は……?
 騎士の優しい笑顔と、紫音の笑顔が重なる。

「まさかそんな、ねえ……」

 あはは、と百合子は自虐的に笑ってみる。ありえないと思っていても、心臓は既に騒ぎ出していた。

「どうしよう……これからしーちゃんにどんな顔で会えばいいの……」

 百合子は布団にくるまって現実逃避を図る。だが、無情にも母親から叩き起こされるのだった。
 ダラダラと支度をしていると、チャイムが鳴る。インターホンには紫音の姿があった。百合子は今朝のことを思い出して、顔に熱が集まるのを感じた。

「し、しーちゃん!今日は一人で学校行きたいから、先行ってて!」
『えー?別に僕がいてもいいだろ?』
「いいから!先に行ってて!!」

 紫音は不満そうな顔を隠すことなく、何かを言おうと口を開く。百合子はインターホンの電源を切った。インターホン越しの会話を強制的に終わらせて、彼女は支度を再開する。
 支度の終えた百合子が恐る恐る玄関を開けると、そこには誰も居なかった。彼女はほっとして歩き始める。
 自分の前世がお姫様なんて、今思うと痛すぎるでしょ!私!!
 百合子は今朝のことをぐるぐると考えながら学校へ向かった。

「あれ?百合子じゃん。『騎士様』は?」
「あ、漆希しつき。おはよう。しーちゃんなら先に学校行ったと思うよ」

 友人の内藤 漆希に出会い、思考が一時停止される。

「え!?あの『騎士様』がアンタを置いて学校に?!」
「私から頼んだんだ」
「へえ……どしたの、何かあった?」
「……ううん、何でもないの。たまには一人で登校したいなーって」
「ふうん?」

 漆希は詮索することなく、百合子の隣に並んで歩く。
 隣のクラスには、既に着席し本を読む紫音の姿があった。いつも通りの姿に、百合子は胸を撫で下ろし、漆希と共に教室へと向かう。その背中を、紫音は見つめていた。





「ゆり、帰りも別だなんて言わないよね?」

 いつものように紫音はドアを開け、笑いかける。そこには有無を言わさない圧力を感じ、百合子は気圧されて頷いた。安堵した紫音は、百合子の手を取って歩き出した。暫く無言の状態が続く。いつもはお喋りな紫音が黙っているのだ。違和感を覚え、居心地の悪さに百合子は声をかけようとして口を閉じた。これまでは、紫音の言葉に頷き、彼の言葉を促すように言葉を返していたのだ。自分から声をかけることが皆無だった百合子は、何と言って話しかけたらいいか悩んでしまっていた。

「……ねえ、ゆり」

 沈黙を破ったのは紫音だった。

「僕は、ゆりの望む騎士になれているかな?」

 手を引かれて歩く百合子には、彼の背中だけが映る。
 目の前には、広くて逞しい背中。私の手を引くのは筋張った手。少し曲げた腕には僅かに力こぶが出来ていた。華奢で可愛らしかった子供のしーちゃんは、もういない。目の前にいるのは強く逞しい男の人だ。
 百合子は愕然とする。騎士になると言った可愛い男の子は、いつの間にか本物の騎士のように屈強な男に変貌していたのだ。そんな男に腕を掴まれ、歩いている。普段なら何とも思わなかっただろう。だが、いつもと様子の違う紫音を前に、彼女は不安を覚え始めていた。

「う、うん……。しーちゃんって、鍛えてたんだね。本物の騎士、みたい」

 百合子はへらりと笑ってみせる。媚びた笑顔が自然と現れてしまうほど、百合子は緊張していた。

「そっか。それなら、良かった」

 紫音は振り向くことなく答えた。
 しーちゃんは今、笑っているのかな。
 百合子は紫音の背中から目を逸らし俯いた。





 着いたのは、紫音の家だった。

「ゆりちゃん久しぶりね」

 紫音の母親が笑って迎えた。百合子は、彼女の変わらぬ笑顔に安堵する。

「……あら?顔色が悪いわね。大丈夫?」
「あ、いえ……大丈夫、です」
「遠慮しなくていいのよ。紫音、ゆりちゃんを休ませてあげなさいね」
「分かってる」
「ゆりちゃん、ゆっくりしていってね」

 紫音の母親が微笑む。彼女に後押しされた紫音が百合子の手を引く。助けを求めるには、明確な根拠が足りなかった。漠然とした不安を抱きながら、百合子は引き攣った笑顔を見せることしか出来なかった。
 紫音の自室は二階にある。紫音は百合子を部屋に招き入れ、ドアを閉めた。

「……僕、朝からずっと考えていたんだ」
「え……?」
「やっぱり君は、僕ではなくあの男を選ぶんだなって」

 紫音は笑っていた。普段の優し気な笑みではなく、どこか歪な笑顔だった。百合子はその笑顔に既視感を覚える。彼女の脳裏にノイズが生じ、脳裏には砂嵐のような光景が現れ、次第に鮮明になっていった。
 噎せ返るほどの鉄の匂い。倒れて動かなくなった愛しき人を抱き寄せて、目前の人物を睨みつける。見目麗しい男が血濡れた剣を手に笑っていた。歪な笑顔は、今の紫音と瓜二つであった。

「……え……?」

 百合子は脳裏に浮かぶ光景に混乱する。

「ゆりが夢で見たお姫様は、最期どうなったと思う?」

 狼狽える百合子を見て、紫音は歪な笑顔で問いかける。

「自分の胸に剣を突き刺して自害したんだよ」

 紫音の顔から表情が消え去る。

「じ、がい……?」
「そう。騎士が腰に付けていた剣を取り出し、胸を貫いて死んだ。躊躇いもなく騎士の後を追ったんだよ。婚約者の、この僕の前で!」

 紫音の言葉で、百合子は思い出した。己の前世が夢の中のお姫様であることを。そして目の前の男が婚約者であったことを。

「だからね、僕も後を追ったんだ。今度こそ君と結ばれるために。そうしたら、僕は君の幼馴染になった!どれだけ嬉しかったか、君に分かるかい?」

 百合子は一歩、後退った。逃げようにも出入口であるドアには紫音が立っており、退路は塞がれている。
 紫音は笑みを浮かべて一歩、歩み寄った。彼は百合子が逃げられないことを分かっているのだ。

「君は前世のことを覚えていなかった。だから僕は『騎士』になった。アイツに成り代わるのは癪だったけれど、君を手に入れるためならなんてことはない」

 百合子は思い出していた。彼が隣国の皇子であり、権力を行使して婚約者となったことを。度々訪れては自分に愛を囁いていたことも。
 結婚式の前夜、私は愛する人を連れて逃げるつもりだった。けれど、あの男に気付かれて、彼は殺された……。

「僕と君の二人だけの世界でよかったのに、アイツがまた僕達の邪魔をしたんだ」

 壁まで後退した百合子は、近くの窓に手を伸ばした。だが、彼女の手首を紫音は掴む。

「言っただろう?今度は逃がさないって」
「や……ッ!離して!」

 百合子は振り解こうともがくが、引き寄せられて、いとも簡単に紫音の胸の中に納まってしまう。筋肉質な腕が彼女を抱きしめる。胸板は厚く、屈強な身体は檻のように頑丈で、彼女が身を捩ったところでびくともしない。

「今度こそ、結婚しようね」
「離して……!」
「愛しているよ、ゆり」

 大好きだった紫の目は、闇に濁ってしまった。

Fin.


【登場人物】
☆市姫 百合子(前世:とある国の姫)

平凡な人生を歩んでいたが、前世は一国の姫であった。恋人である騎士が殺されたため、衝動的に自殺をした。
☆轟 紫音(前世:隣国の皇子)


姫に一目惚れをして、自分の権力を総動員して婚約者の座を掴んだ。結婚式の前夜に逃げようとした姫を引き戻そうとしたが騎士に防がれたため、手をかけた。後追い自殺をした姫を追って自らも自害し、今世では幼馴染となった。
☆内藤 漆希(前世:騎士)

今世は百合子の友人であるが、前世は騎士であった。前世の記憶はないが、見ていて危なっかしい百合子を守ってあげたいと思っている。が、その役目は紫音が適任だと思い寂しく感じている。
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