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しきたり
しおりを挟むいつも入る玄関から羽咲邸にお邪魔しようとすると執事さんが現れて、別館に案内された。
別館はレトロチックな建物で訪れるたびにどんな目的のある建物であるのか気になっていたが流石にお客さんのプライバシーに踏み込むのはまずいと判断して今まで聞けずじまいでいたが、打ち上げにお呼ばれするという形でこの館の中身を知ることになるとは思っても見なかった。
執事さんに案内されて別館の中に足を踏み入れると、緋毛氈が床に敷いてあり、それが階段まで続いているのと奥に部屋があるのが見えた。
「佐藤様、こちらへどうぞ」
執事さんは緋毛氈の階段の方ではなく、奥にある部屋に進んでいく。
前者の方がわかりやすくこちらに進んでくださいと言った感じだったので、そっちなのかと思いつつも進んでいくと、部屋の中にはドレスやらスーツが大量にあるのが見えた。
「あのこれは?」
「パーティ用の衣装です。打ち上げといえでも手は抜けぬという奥様の申し出ですので」
「そう言うことですか」
どうやら打ち上げのことについて俺と恵梨香の家とで認識の相違があったようだ。
俺はもっとラフなものだと思っていたが、恵梨香サイドでは祝勝会レベルの催しとなっている。
冷静に考えれば、お金持ちの打ち上げといえばこのくらいの規模感になって当たり前か。
「オーダーメイドでなくて恐れ多いですが、こちらからお好きなものをお選びください」
執事さんが手で指す、タキシードは壁から壁までぎっしりと存在し、とてもではないが精査できる量ではないし、俺はタキシードを今の今まで着たことがないので変にセンスの良さそうなものを選ぼうと肩肘を張らずに自分のサイズに一番ピッタリ来るものを選んだ方が良さそうだ。
「これでお願いします」
目分量である程度狙い定めてタキシードを取り出し、服の上から合わしてみるとピッタリだった。
執事さんの前であれやこれやと引っ張り出して待たせた上、後の手入れの作業を増やすのも気が引けていたので暁光だ。
「ピッタリですね。これならば裾直しの必要もなさそうです。佐藤様は大変お目が高いようで」
ーーー
着慣れていないので着られている感が拭えないタキシードを着ると、おそらく打ち上げの会場であろう2階に上がった。
2階は大広間になっており、大きなテーブルとその隣に佇んでいるドレス姿の恵梨香と麻黒さんの姿が確認できた。
恵梨香は背中と胸元が大きく開いた赤いドレス、麻黒さんは胸元部分がシースルーになっていて透けているドレスを着ており、2人ともよく似合っている。
いつも見ているだけあり、意外な一面を見たようでドキリとした気持ちになる。
きっとこの館が見慣れないレトロな空間であることもそれに一役買っているような気もする。
「ようこそ、秋也」
「待たせたみたいだね。ごめんね。それにしてもここはシャンデリアとかあって、昔話に出てくるお城の一室みたいになってるね」
「明治時代に建てられた舞踏会場ですから、本家には質では大きく劣るんですが、側だけならそれぽく見えるんです」
「イベントがある時は学園側に貸し出すくらいのものだし、謙遜することはないわよ。それに当時の状態でこれだけ維持されてるところなんて、あなたの家くらいなんでしょうから」
レトロな雰囲気があると思っていたが、まさかなんちゃっての現代建築ではなく本物とは思っても見なかった。
この館、もしかしたら国宝とかに指定されてるものだったりするのかもしれない。
それを打ち上げのために解放してくれるということは何かしらの大きな意図が込められているように感じないこともない。
「ここってすごいところなんだね……。雛祭で協力しただけでこんなところまで用意してもらえるなんてちょっと恐れ多いな」
「いえ、私はそれだけ秋也に助けられましたんですからこれは当然の帰結です」
「そうかな」
「秋也の献身を思えば、これくらいのことになっても不思議ではないわよ。むしろこういうことが起こってこなかったことが不思議なくらいよ」
恵梨香だけでなく、麻黒さんも俺の懸念に対しておかしなことではないと否定したので、ひとまず納得しておこう。
意固地になって否定する必要もないだろうし、流石にここまでしてくれている恵梨香にも悪い。
「納得してもらえたみたいですね。じゃあどうぞ召し上がってください」
ーーー
談笑しながら雛祭りの最中や、今までの四方山話をしてひとしきり楽しむと、秋也は稀崎恵那から呼び出されたということで帰っていた。
恵梨香個人としては名残惜しく、もう少し一緒にいたいとも思ったが、恵那が恵梨香に気を遣って、秋也にバイトを頼む回数を減らしていたことはなんとなく察していたので、引き止めることはしなかった。
「大胆なことをしたわね」
今回のことの真意を話すと陽菜はそう苦笑して帰っていた。
少し利用している部分もなくはないので、少し後ろ髪を引かれる。
恵梨香が見送りを終えて、本邸に足を運ぼうかと思うと玄関に恵梨香の母親がいるのが見えた。
「天政くんとの復縁は諦めて、付き合いたい人がいるとは聞いていたけどまさか秋也くんだったとはね」
羽咲家の人間には舞踏会に招待した異性に操を立てるという昔から続くしきたりがあり、恵梨香の母親もそのしきたりにのとって別館に招待された秋也を見て、恵梨香の現在の想い人だと察した。
母親としては能力的にも破格な上、天弦家避けにもなるので、家柄はないが天政の代わりにしても申し分がないが、一つだけ問題があった。
状況によっては一刻も早く麻黒家にお詫びを入れなければならないので、その経緯もあり、現在わざわざ恵梨香の母親は玄関まで出向いている。
「彼は浅黒家の婿候補筆頭というはずだけど、そこは大丈夫なの?」
「陽菜本人ともは話し合ったので問題ありません」
「なら大丈夫かしら。婿候補というのはただの噂だったのね、久しぶりに焦ったわ」
「いえそういうわけではなくて、彼女とはどちらが秋也と一緒になろうが恨まないということになってますから」
安堵したのは一瞬、娘がかなり危ない橋を渡っていることに気づいた。
思わず金切り声が喉元まで競り上がってきたが、人目がある可能性があるので飲み込んだ。
「気持ち次第ってことね。恋愛は感情では割り切れないものだからできればやめて欲しいのだけど」
「それはできません。自分にも陽菜にも不誠実になります」
恵梨香の返答を聞くと、確かに陽菜の性格なら今更引いても逆に不誠実だということが反感を買うことが想像できた。
ダブルバインドだった。
本音としても下がらせたいが、下がらせるのもまた反感を買うというのならもはやどうにもならない。
「強引になりましたね。引いてダメならこのままあなたが好きなようにさせるしかないのですから」
母は諦めたような顔をして、娘の意向を認めた。
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