当たり前の幸せを

紅蓮の焔

文字の大きさ
108 / 263
二章 無意味の象徴

103話 『理由』

しおりを挟む
 ──水場を見つけたナツミは辟易していた

 小さな崖とは言え、ナツミが何人もいるくらいの高さは優にある。たぶん、五人くらい。そのくらい高い崖からせせらぐ小川を見下ろして苦々しい表情を作る

「どうしよう……」

 しりごみしている内に、心臓を掴む手は力を込めて握り潰そうとし続けている。それは突然強くなったり弱くなったり、急に軽くなったり、重たくなったり、そうしてナツミにずっと苦しさを味わわせようとしてくるのだ。当然、喘いでしまう事もあればなんとか耐えられる事もある。それはその時の手の力加減によるのだが。──しかしそれでも、飛び下りようとは、やっぱり思えなかった

「見つけたのに……」

 手が、キリキリと胸の中を締め付ける。苦しげな表情を紛らわせるように辺りを見回すが、少し先に滝があるくらいで──、

「あそこまで、連れて行けば……!」

 そこからは速かった。全力で走り抜ける。ただそれでも、距離はままあるので戻るまでには何分かの時間を有するはめになってしまったのだが、それはもう関係ない。もう、火の手が見え始めている。ただ、様子がおかしかった

「ぅぅ、ぅうう……」

 彼女はまだ生きている。様子がおかしいのはそれじゃない。もっと、おかしな違和感があるのに、ナツミはただ、おかしいな、と思うだけで見向きもせずに彼女へ──メィリルへ駆け寄った。火はまだ猛っている。まだ生きているのが不思議なくらいだ。メィリルの耳に顔を近づけようと四つん這いになって声をかける

「え、えっと──メィリル、さん……? って事にするけど、早く行ってその火を消さないと……! 向こうに滝があったの! 川も! だから、火が消せるよ! だから立って! 頑張って!」

 胸が締め付けられる。それでも業火に焼かれる彼女に必死に呼びかけて、呼びかけて、呼びかける。でも、彼女は呻くだけで動こうとしない

「お願い……! 立って……! え、えとっ、お、お兄ちゃん? に会いたいんでしょ……っ! だったら、生きて、会わないと!」

「──ぉ、にぃ……ぢゃ……」

「そ、そう! だから、立って! 私に、ついて来て!」

「ぅぁ、ぁああ……。こん、な……こ、と……なる、はず……じゃ……っ」

「今はそれどころじゃ、ないのに……! 水が! あるから! 頑張って!」

 その身を焼かれながら、メィリルは憎々しげに顔を歪めているのを見てとって、火に焼かれているその体のどこを持って連れて行こうかと画策していると、足音が聞こえてきた

 それが、救いになるかもしれないと振り向くと同時にぴちゃっ、とほっぺが濡れてしまった。ナツミが頬に触れ、指を見て、水だと気づいたのは高い破裂音が鳴り響いた後の事だった

 背中が濡れた。力が抜けて、へたり込む。それから、緊張を交えて振り向く。彼女は、びしょ濡れだった。──彼女は炎の手から免れ、なんとか生きながらえる事に成功したのだ。気絶はしているが……。それは些細な問題だ

「──み、ず……? ぁ、え? なんで……」

『クロウシタ……』

 疑問に答えるように背後から声をかけられて、もう一回振り向いた。聞いたことのある声に目を見開いて、それから、息が漏れた

「バドルド……さん……?」

 そこには、片足を失くし、白銀に目立たないように赤色がこびり付いた細い毛並みを靡かせて音を立ててナツミの前で止まったばかりの大きな狼の姿があった

『スマナカッタ』

「──だ、だいじょーぶだよ……っ! 何もない、何も……。ねっ? もう平気。だから心配しないで?」

『……スマナカッタ』

「だ、だからっ、だいじょーぶだってば……! ほらっ、平気! だから、心配しないで……!」

 眉間を狭めて上手く貼り付けられない震えた笑顔を貼り付けてしまい、同じ言葉を繰り返していたバドルドは黙り込む
 それから程なくしてナツミから、呼びかけがあった

「ねえ、バドルドさん」

『……ナンダ?』

 口を開けて、それから、やっぱりやめた。唇を引き上げて、鼻から深い息を吐く。躊躇いの表情が見て伺えて──、

「──やっぱり、いい」

 目を伏せて、顔を背ける。バドルドからは見えないその顔が向く先は倒れているメィリルだ。ナツミの顔が向く先にあるものを見ようと、バドルドはナツミの隣へ移動して顔を顰める

『ソイツハ……』

「うん。メィリルって人。……さっき、バドルドさんがどこかに飛んで行った時にいた人だよ」

『……ダイジョウブカ?』

「うん。たぶん。……それに、助けてあげないと、胸が、ずきずきするの……。なんだか分かんないのに……助けないと、って思っちゃうの……。やらなきゃいけない事があるのに……」

『ムズカシイナ』

 うぅ……、と小さくうめき声を上げたメィリルに反応して、身を乗り出してメィリルの体を揺する
 すると、忌々しげにナツミを見上げては睨みつけるといった行為に走ったのだが、それ以上は何もできずに再びうつ伏せてしまった

「よかったぁ……」

 不意に口から零れた言葉に、慌ててぶんぶんと頭を振って否定するが口から出てしまったものは腹の中には戻せない。後の祭りだ。それに気づき、首を振るのをやめたのはかれこれ数分ばかりが経った頃の事だった
 それと言うのも、メィリルが起きそうになってそれに反応したから、というだけだったのだが。上体を起こしたメィリルは居心地の悪そうな目でナツミ達を見つめ始めた
 そこから沈黙の間が訪れる。にも関わらず、最初に耐えられなくなったのはメィリルの方で、目を伏せながら弱々しい声音で話し始める

「……どういう理由?」

「理由?」

 少しだけ驚いたように目を大きく開けて、けれどもおっかなびっくりと言った風に眉間に小さなしわを寄せて、ナツミは聞いた

「私を……その、助けた……」

 それに対し、メィリルはと言えば、言いづらそうに少し逸した困惑の画用紙に、怪訝に染めた瞳をナツミに投げかけている

「知らない」

「しらっ、知らないって何よ……!」

「だって、胸がぎゅって、ずきずきして……それで、分かんないけど、助けないとって思ったの。だから」

 ──困惑の画用紙が、一瞬にしてチリチリと音を立てて燃え始める。瞳を細めて、上半身を少し前に傾けてナツミを斜め下から斬り上げるが如く見上げる

「……だから、助けたの?」

「助けたのはバドルドさん。私、助けようとしただけだもん」

 ──求めている答えが聞けずに口の端が僅かに動く

「それでも、私はあなたを殺そうとしたのよ? もっと警戒しなくちゃダメでしょ」

「──また、イジメられると思ったけど……それでも、私は、メィリル……ちゃん、を、助けたかった。胸が痛かったから」

 目を閉じて、深く息を吸う。──それでも、画用紙を燃やし始めた熱は引かない。消えない

「……バドルド」

 それでも、大分治まったその熱を秘めたまま、バドルドに声をかける

『……? ナンダ? ヒメノナヲカタルフトドキモノ』

「姫の名を……? まあ、ある意味そうだしね。──それよりも、あの女から開放してあげたこと、感謝されてないんだけど。御礼として、今すぐここで『魔力』の糧になってよ」

『ソノコトニツイテハカンシャスル。キサマガドウイウケイイデワレラヲカイホウシヨウトシタニセヨ、ソレデスクワレテイルノダカラ』

 うっすらとまだ画用紙に燻っているが、ほとんど消火された顔でナツミを再び見詰める。事ここに来て、再帰する。メィリルの目的が、原点へと戻る

「私は、お兄ちゃんを探してるの。知らない?」

「だれのこと?」

「剣崎、零飛」

「けんざき? れいと……?」

「そっ。知ってる?」

「その人って……あの──お兄ちゃんの、お父さん……?」

 遠くで、『竜』が鳴いた
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

三歩先行くサンタさん ~トレジャーハンターは幼女にごまをする~

杵築しゅん
ファンタジー
 戦争で父を亡くしたサンタナリア2歳は、母や兄と一緒に父の家から追い出され、母の実家であるファイト子爵家に身を寄せる。でも、そこも安住の地ではなかった。  3歳の職業選別で【過去】という奇怪な職業を授かったサンタナリアは、失われた超古代高度文明紀に生きた守護霊である魔法使いの能力を受け継ぐ。  家族には内緒で魔法の練習をし、古代遺跡でトレジャーハンターとして活躍することを夢見る。  そして、新たな家門を興し母と兄を養うと決心し奮闘する。  こっそり古代遺跡に潜っては、ピンチになったトレジャーハンターを助けるサンタさん。  身分差も授かった能力の偏見も投げ飛ばし、今日も元気に三歩先を行く。

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

ガチャで領地改革! 没落辺境を職人召喚で立て直す若き領主

雪奈 水無月
ファンタジー
魔物大侵攻《モンスター・テンペスト》で父を失い、十五歳で領主となったロイド。 荒れ果てた辺境領を支えたのは、幼馴染のメイド・リーナと執事セバス、そして領民たちだった。 十八歳になったある日、女神アウレリアから“祝福”が降り、 ロイドの中で《スキル職人ガチャ》が覚醒する。 ガチャから現れるのは、防衛・経済・流通・娯楽など、 領地再建に不可欠な各分野のエキスパートたち。 魔物被害、経済不安、流通の断絶── 没落寸前の領地に、ようやく希望の光が差し込む。 新たな仲間と共に、若き領主ロイドの“辺境再生”が始まる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

金の羊亭へようこそ! 〝元〟聖女様の宿屋経営物語

紗々置 遼嘉
ファンタジー
アルシャインは真面目な聖女だった。 しかし、神聖力が枯渇して〝偽聖女〟と罵られて国を追い出された。 郊外に館を貰ったアルシャインは、護衛騎士を付けられた。  そして、そこが酒場兼宿屋だと分かると、復活させようと決意した。 そこには戦争孤児もいて、アルシャインはその子達を養うと決める。 アルシャインの食事処兼、宿屋経営の夢がどんどん形になっていく。 そして、孤児達の成長と日常、たまに恋愛がある物語である。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

処理中です...