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二章 無意味の象徴
103話 『理由』
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──水場を見つけたナツミは辟易していた
小さな崖とは言え、ナツミが何人もいるくらいの高さは優にある。たぶん、五人くらい。そのくらい高い崖からせせらぐ小川を見下ろして苦々しい表情を作る
「どうしよう……」
しりごみしている内に、心臓を掴む手は力を込めて握り潰そうとし続けている。それは突然強くなったり弱くなったり、急に軽くなったり、重たくなったり、そうしてナツミにずっと苦しさを味わわせようとしてくるのだ。当然、喘いでしまう事もあればなんとか耐えられる事もある。それはその時の手の力加減によるのだが。──しかしそれでも、飛び下りようとは、やっぱり思えなかった
「見つけたのに……」
手が、キリキリと胸の中を締め付ける。苦しげな表情を紛らわせるように辺りを見回すが、少し先に滝があるくらいで──、
「あそこまで、連れて行けば……!」
そこからは速かった。全力で走り抜ける。ただそれでも、距離はままあるので戻るまでには何分かの時間を有するはめになってしまったのだが、それはもう関係ない。もう、火の手が見え始めている。ただ、様子がおかしかった
「ぅぅ、ぅうう……」
彼女はまだ生きている。様子がおかしいのはそれじゃない。もっと、おかしな違和感があるのに、ナツミはただ、おかしいな、と思うだけで見向きもせずに彼女へ──メィリルへ駆け寄った。火はまだ猛っている。まだ生きているのが不思議なくらいだ。メィリルの耳に顔を近づけようと四つん這いになって声をかける
「え、えっと──メィリル、さん……? って事にするけど、早く行ってその火を消さないと……! 向こうに滝があったの! 川も! だから、火が消せるよ! だから立って! 頑張って!」
胸が締め付けられる。それでも業火に焼かれる彼女に必死に呼びかけて、呼びかけて、呼びかける。でも、彼女は呻くだけで動こうとしない
「お願い……! 立って……! え、えとっ、お、お兄ちゃん? に会いたいんでしょ……っ! だったら、生きて、会わないと!」
「──ぉ、にぃ……ぢゃ……」
「そ、そう! だから、立って! 私に、ついて来て!」
「ぅぁ、ぁああ……。こん、な……こ、と……なる、はず……じゃ……っ」
「今はそれどころじゃ、ないのに……! 水が! あるから! 頑張って!」
その身を焼かれながら、メィリルは憎々しげに顔を歪めているのを見てとって、火に焼かれているその体のどこを持って連れて行こうかと画策していると、足音が聞こえてきた
それが、救いになるかもしれないと振り向くと同時にぴちゃっ、とほっぺが濡れてしまった。ナツミが頬に触れ、指を見て、水だと気づいたのは高い破裂音が鳴り響いた後の事だった
背中が濡れた。力が抜けて、へたり込む。それから、緊張を交えて振り向く。彼女は、びしょ濡れだった。──彼女は炎の手から免れ、なんとか生きながらえる事に成功したのだ。気絶はしているが……。それは些細な問題だ
「──み、ず……? ぁ、え? なんで……」
『クロウシタ……』
疑問に答えるように背後から声をかけられて、もう一回振り向いた。聞いたことのある声に目を見開いて、それから、息が漏れた
「バドルド……さん……?」
そこには、片足を失くし、白銀に目立たないように赤色がこびり付いた細い毛並みを靡かせて音を立ててナツミの前で止まったばかりの大きな狼の姿があった
『スマナカッタ』
「──だ、だいじょーぶだよ……っ! 何もない、何も……。ねっ? もう平気。だから心配しないで?」
『……スマナカッタ』
「だ、だからっ、だいじょーぶだってば……! ほらっ、平気! だから、心配しないで……!」
眉間を狭めて上手く貼り付けられない震えた笑顔を貼り付けてしまい、同じ言葉を繰り返していたバドルドは黙り込む
それから程なくしてナツミから、呼びかけがあった
「ねえ、バドルドさん」
『……ナンダ?』
口を開けて、それから、やっぱりやめた。唇を引き上げて、鼻から深い息を吐く。躊躇いの表情が見て伺えて──、
「──やっぱり、いい」
目を伏せて、顔を背ける。バドルドからは見えないその顔が向く先は倒れているメィリルだ。ナツミの顔が向く先にあるものを見ようと、バドルドはナツミの隣へ移動して顔を顰める
『ソイツハ……』
「うん。メィリルって人。……さっき、バドルドさんがどこかに飛んで行った時にいた人だよ」
『……ダイジョウブカ?』
「うん。たぶん。……それに、助けてあげないと、胸が、ずきずきするの……。なんだか分かんないのに……助けないと、って思っちゃうの……。やらなきゃいけない事があるのに……」
『ムズカシイナ』
うぅ……、と小さくうめき声を上げたメィリルに反応して、身を乗り出してメィリルの体を揺する
すると、忌々しげにナツミを見上げては睨みつけるといった行為に走ったのだが、それ以上は何もできずに再びうつ伏せてしまった
「よかったぁ……」
不意に口から零れた言葉に、慌ててぶんぶんと頭を振って否定するが口から出てしまったものは腹の中には戻せない。後の祭りだ。それに気づき、首を振るのをやめたのはかれこれ数分ばかりが経った頃の事だった
それと言うのも、メィリルが起きそうになってそれに反応したから、というだけだったのだが。上体を起こしたメィリルは居心地の悪そうな目でナツミ達を見つめ始めた
そこから沈黙の間が訪れる。にも関わらず、最初に耐えられなくなったのはメィリルの方で、目を伏せながら弱々しい声音で話し始める
「……どういう理由?」
「理由?」
少しだけ驚いたように目を大きく開けて、けれどもおっかなびっくりと言った風に眉間に小さなしわを寄せて、ナツミは聞いた
「私を……その、助けた……」
それに対し、メィリルはと言えば、言いづらそうに少し逸した困惑の画用紙に、怪訝に染めた瞳をナツミに投げかけている
「知らない」
「しらっ、知らないって何よ……!」
「だって、胸がぎゅって、ずきずきして……それで、分かんないけど、助けないとって思ったの。だから」
──困惑の画用紙が、一瞬にしてチリチリと音を立てて燃え始める。瞳を細めて、上半身を少し前に傾けてナツミを斜め下から斬り上げるが如く見上げる
「……だから、助けたの?」
「助けたのはバドルドさん。私、助けようとしただけだもん」
──求めている答えが聞けずに口の端が僅かに動く
「それでも、私はあなたを殺そうとしたのよ? もっと警戒しなくちゃダメでしょ」
「──また、イジメられると思ったけど……それでも、私は、メィリル……ちゃん、を、助けたかった。胸が痛かったから」
目を閉じて、深く息を吸う。──それでも、画用紙を燃やし始めた熱は引かない。消えない
「……バドルド」
それでも、大分治まったその熱を秘めたまま、バドルドに声をかける
『……? ナンダ? ヒメノナヲカタルフトドキモノ』
「姫の名を……? まあ、ある意味そうだしね。──それよりも、あの女から開放してあげたこと、感謝されてないんだけど。御礼として、今すぐここで『魔力』の糧になってよ」
『ソノコトニツイテハカンシャスル。キサマガドウイウケイイデワレラヲカイホウシヨウトシタニセヨ、ソレデスクワレテイルノダカラ』
うっすらとまだ画用紙に燻っているが、ほとんど消火された顔でナツミを再び見詰める。事ここに来て、再帰する。メィリルの目的が、原点へと戻る
「私は、お兄ちゃんを探してるの。知らない?」
「だれのこと?」
「剣崎、零飛」
「けんざき? れいと……?」
「そっ。知ってる?」
「その人って……あの──お兄ちゃんの、お父さん……?」
遠くで、『竜』が鳴いた
小さな崖とは言え、ナツミが何人もいるくらいの高さは優にある。たぶん、五人くらい。そのくらい高い崖からせせらぐ小川を見下ろして苦々しい表情を作る
「どうしよう……」
しりごみしている内に、心臓を掴む手は力を込めて握り潰そうとし続けている。それは突然強くなったり弱くなったり、急に軽くなったり、重たくなったり、そうしてナツミにずっと苦しさを味わわせようとしてくるのだ。当然、喘いでしまう事もあればなんとか耐えられる事もある。それはその時の手の力加減によるのだが。──しかしそれでも、飛び下りようとは、やっぱり思えなかった
「見つけたのに……」
手が、キリキリと胸の中を締め付ける。苦しげな表情を紛らわせるように辺りを見回すが、少し先に滝があるくらいで──、
「あそこまで、連れて行けば……!」
そこからは速かった。全力で走り抜ける。ただそれでも、距離はままあるので戻るまでには何分かの時間を有するはめになってしまったのだが、それはもう関係ない。もう、火の手が見え始めている。ただ、様子がおかしかった
「ぅぅ、ぅうう……」
彼女はまだ生きている。様子がおかしいのはそれじゃない。もっと、おかしな違和感があるのに、ナツミはただ、おかしいな、と思うだけで見向きもせずに彼女へ──メィリルへ駆け寄った。火はまだ猛っている。まだ生きているのが不思議なくらいだ。メィリルの耳に顔を近づけようと四つん這いになって声をかける
「え、えっと──メィリル、さん……? って事にするけど、早く行ってその火を消さないと……! 向こうに滝があったの! 川も! だから、火が消せるよ! だから立って! 頑張って!」
胸が締め付けられる。それでも業火に焼かれる彼女に必死に呼びかけて、呼びかけて、呼びかける。でも、彼女は呻くだけで動こうとしない
「お願い……! 立って……! え、えとっ、お、お兄ちゃん? に会いたいんでしょ……っ! だったら、生きて、会わないと!」
「──ぉ、にぃ……ぢゃ……」
「そ、そう! だから、立って! 私に、ついて来て!」
「ぅぁ、ぁああ……。こん、な……こ、と……なる、はず……じゃ……っ」
「今はそれどころじゃ、ないのに……! 水が! あるから! 頑張って!」
その身を焼かれながら、メィリルは憎々しげに顔を歪めているのを見てとって、火に焼かれているその体のどこを持って連れて行こうかと画策していると、足音が聞こえてきた
それが、救いになるかもしれないと振り向くと同時にぴちゃっ、とほっぺが濡れてしまった。ナツミが頬に触れ、指を見て、水だと気づいたのは高い破裂音が鳴り響いた後の事だった
背中が濡れた。力が抜けて、へたり込む。それから、緊張を交えて振り向く。彼女は、びしょ濡れだった。──彼女は炎の手から免れ、なんとか生きながらえる事に成功したのだ。気絶はしているが……。それは些細な問題だ
「──み、ず……? ぁ、え? なんで……」
『クロウシタ……』
疑問に答えるように背後から声をかけられて、もう一回振り向いた。聞いたことのある声に目を見開いて、それから、息が漏れた
「バドルド……さん……?」
そこには、片足を失くし、白銀に目立たないように赤色がこびり付いた細い毛並みを靡かせて音を立ててナツミの前で止まったばかりの大きな狼の姿があった
『スマナカッタ』
「──だ、だいじょーぶだよ……っ! 何もない、何も……。ねっ? もう平気。だから心配しないで?」
『……スマナカッタ』
「だ、だからっ、だいじょーぶだってば……! ほらっ、平気! だから、心配しないで……!」
眉間を狭めて上手く貼り付けられない震えた笑顔を貼り付けてしまい、同じ言葉を繰り返していたバドルドは黙り込む
それから程なくしてナツミから、呼びかけがあった
「ねえ、バドルドさん」
『……ナンダ?』
口を開けて、それから、やっぱりやめた。唇を引き上げて、鼻から深い息を吐く。躊躇いの表情が見て伺えて──、
「──やっぱり、いい」
目を伏せて、顔を背ける。バドルドからは見えないその顔が向く先は倒れているメィリルだ。ナツミの顔が向く先にあるものを見ようと、バドルドはナツミの隣へ移動して顔を顰める
『ソイツハ……』
「うん。メィリルって人。……さっき、バドルドさんがどこかに飛んで行った時にいた人だよ」
『……ダイジョウブカ?』
「うん。たぶん。……それに、助けてあげないと、胸が、ずきずきするの……。なんだか分かんないのに……助けないと、って思っちゃうの……。やらなきゃいけない事があるのに……」
『ムズカシイナ』
うぅ……、と小さくうめき声を上げたメィリルに反応して、身を乗り出してメィリルの体を揺する
すると、忌々しげにナツミを見上げては睨みつけるといった行為に走ったのだが、それ以上は何もできずに再びうつ伏せてしまった
「よかったぁ……」
不意に口から零れた言葉に、慌ててぶんぶんと頭を振って否定するが口から出てしまったものは腹の中には戻せない。後の祭りだ。それに気づき、首を振るのをやめたのはかれこれ数分ばかりが経った頃の事だった
それと言うのも、メィリルが起きそうになってそれに反応したから、というだけだったのだが。上体を起こしたメィリルは居心地の悪そうな目でナツミ達を見つめ始めた
そこから沈黙の間が訪れる。にも関わらず、最初に耐えられなくなったのはメィリルの方で、目を伏せながら弱々しい声音で話し始める
「……どういう理由?」
「理由?」
少しだけ驚いたように目を大きく開けて、けれどもおっかなびっくりと言った風に眉間に小さなしわを寄せて、ナツミは聞いた
「私を……その、助けた……」
それに対し、メィリルはと言えば、言いづらそうに少し逸した困惑の画用紙に、怪訝に染めた瞳をナツミに投げかけている
「知らない」
「しらっ、知らないって何よ……!」
「だって、胸がぎゅって、ずきずきして……それで、分かんないけど、助けないとって思ったの。だから」
──困惑の画用紙が、一瞬にしてチリチリと音を立てて燃え始める。瞳を細めて、上半身を少し前に傾けてナツミを斜め下から斬り上げるが如く見上げる
「……だから、助けたの?」
「助けたのはバドルドさん。私、助けようとしただけだもん」
──求めている答えが聞けずに口の端が僅かに動く
「それでも、私はあなたを殺そうとしたのよ? もっと警戒しなくちゃダメでしょ」
「──また、イジメられると思ったけど……それでも、私は、メィリル……ちゃん、を、助けたかった。胸が痛かったから」
目を閉じて、深く息を吸う。──それでも、画用紙を燃やし始めた熱は引かない。消えない
「……バドルド」
それでも、大分治まったその熱を秘めたまま、バドルドに声をかける
『……? ナンダ? ヒメノナヲカタルフトドキモノ』
「姫の名を……? まあ、ある意味そうだしね。──それよりも、あの女から開放してあげたこと、感謝されてないんだけど。御礼として、今すぐここで『魔力』の糧になってよ」
『ソノコトニツイテハカンシャスル。キサマガドウイウケイイデワレラヲカイホウシヨウトシタニセヨ、ソレデスクワレテイルノダカラ』
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