当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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四章 進む道の先に映るもの

175話 『怒りと苦痛に滲んだ血』

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「──誰?」

 レイの放った言葉に、稲継は目を瞠った。それから、はは、と渇いた笑みを浮かべる。はははは。レイがそれに眉をひそめると、稲継は高々と、狂い壊れたラジオのように哄笑する。

「……なに?」

「──ああ、そうか。そうか。……そうか」

「だから、なに……?」

「ああ──いいや。そうだな……。俺は、お前のことを知っている」

「……は?」

「例えば、お前がどこで何をしてきて──何をされてき」

 ──黙れ。

「ひっ」

 背後で萌葱の小さな悲鳴が聞こえ、レイは振り向く。
 震え、その場に尻餅をついた。目に涙を浮かべている。

 いったい、何に怯えて……?

「……変わったな」

「あ……?」

「まあ良いか。──強者には、弱者を喰らう権利がある」

「何を──!」

「来るです!」

 ダンっ、と地面を蹴り迫る稲継の拳を、顔の前で交差させた両腕で防ぐ。が、来たのは脇腹への衝撃。蹴りが炸裂し、勢い良く倒れてレイは赤い血を吐く。

「何度も、忘れられないように言ったはずなのにな」と短くため息を吐いた「また正義のヒーローかよ。嘗めんなよ、おい。お前程度、俺が速攻ブッ潰してやる」

 痛い。目の奥が、疼く。何かが溢れ出しそうで、壊れそうだ。

「ぅ、あ、ぅぅ……!」

 蹲り、眼帯を両手で押さえ顔をしかめるレイに、ミズキが遅れて反応する。
 稲継は、例えば悪魔のように、絶望として、そこに立ち塞がる。

「レイくん……!?」

 ミズキが手を前に翳し、稲継に向けると、青い閃光が稲継を襲う。しかし、それも全く効いた様子が無い事に、ミズキはぎりりと歯を噛み締める。
 レイの顔の前で立ち止まり、稲継はその顔に足を乗せ、ミズキに目を向けた。

「お前はたしか、コイツの、彼女だったか? 精霊になったのかよ。よくもまあ、ご苦労だったな」

「今すぐそこから足をどけろです……!」

 バチッ、と稲継へ青い閃光が弾ける。命中。しかし、効果は皆無に等しい程彼には効かなかった。

「一度負けた奴が、今更何しに来てんだよ。お前は絶対に勝てねえ。だから、諦めろ」

 ミズキへと伸ばされた手が、瞳に映る。
 忘れていたその光景が脳裏を掠め、心を抉り取って行った。伸ばされる手、倒れるミズキ、唐突に壊された日常、憤怒の塊。ずっと一緒に。願ってやまなかったその想いを踏み躙らんと、伸ばされる手に、レイは叫ぶ。

「あああああああああああああああ──ッッッ!」

 体の奥底から止めどなく、ドス黒い『何か』が込み上げてきて、

「ミズキさんに、手を、出すな……ぁっ!」

 右肩から、噴き出すようにそれは稲継に襲い掛かった。どろりと稲継の身体に纏わりつくそれは、レイの肩甲骨辺りから噴き出し、稲継の視界を塞ぎ、レイの右腕目掛けて降り注ぐ。

 ──剣が、あった。

 決して曲がらない、揺るがない信念。大切な人を守る。その為の剣が、そこにはあった。

 稲継は背後に飛び離れて『何か』を咄嗟に回避するも、黒コートの裾にそれは掛かった。レイが、左腕を軸に四つん這いに、それからゆらりと立ち上がる。右腕から身長の半分ほどもあるそれが、レイの肩から伸びている。

「はあ……はあ……」

「……本当に変わったな、お前は。あの雑魚かった奴が、どれだけ強くなったのか、楽しみだ」

 片目を細めてそう言う稲継に向き直り、レイはちらりと後ろを見る。

「二人とも、逃げて。──あの人は、アイツは、僕がやらなきゃ駄目なんだ。君達を守れないかもしれない。だから、お願い」

「き、君は……」

 男性が洩らすように聞く。レイは前を向いて、稲継を見据えて、答えた。

「──ボクは、少し周りとは違う子供。ただちょっとだけ、おかしな力を手に入れちゃった、ただの子供だよ」

 そう言うと、眼帯の下からどろりと頬に『何か』が一筋の線を描いた。まるで涙のように。走り出す。景色が後ろに流れ、何もかもを置き去りにしながら、レイは右腕を──もとい、剣を振り上げる。

「おっそ」

 稲継は斬られる前にその下に潜り込み、一秒に満たない時間でレイの顎に掌底を突き上げた。

「ぎッ──!」

 そのままどん、と蹴り上げ、レイを吹き飛ばすが、レイはその勢いで回転し、稲継の顎に蹴りをぶち込んだ。仰け反る稲継。剣を地面の罅に突き刺し、回転の勢いを殺して着地すると、稲継は数歩下がって、倒れるのを防いでいた。

「……ああ、クソッ。クソが……っ」

 稲継は口元を押さえ、隠し、レイを鋭い眼光で睨み付けた。
 揺らめくような、纏わりつくようなその突き刺さる目線に、レイは目を瞠り、じっとりと汗をかく。頬を伝うドス黒い線は消えず、ぽたりと地面に落ちた。

「……君のやった事、絶対に許さないから」

 睨み返すと、稲継は「ハッ」と蹴り飛ばすように笑った。
 それから肩を竦め、不敵な笑みを浮かべると、力を抜くような息を吐いた。

「何が『許さない』だぁ……? お前が? 俺を? ──ざけんな。っざけんなよ、なあ、おい。お前が、俺を? 笑わせんなよ。やらせねえよ。お前は、俺に、媚び売ってりゃ良いんだよ……。雑魚が何粋がってんだ。力もねえ奴が出来もしねえ事を言ってんじゃねーよ」

「ボクは、君がした事を許せない。だから、許さない。それだけだよ」

「──なんだそりゃ」

「レイくん、それは告白ですか。二度目の告白ですか。すっごい嬉しいです」

「ちょっとごめんなさい。今はそう言うの、やめてほしいな」

「レイくんが辛そうだったので、何もできないのは嫌なので、せめてレイくんの心に負担が掛からないようにと思ったですが……分かったです。──一緒に、戦うです」

「うん、ありがと」

「精霊……。ああ、そう言えば、お前の彼女が死んだの、お前のせいにされてるんだって? 彼女共々ご苦労様だな。一言言えば、アイツを送ったの、俺。あの日、お前、そんな物騒なモンをあんな場所で振り回そうとしてたよなぁ。鬱陶しかったぜ。本当はあのまま心ごとズタボロにさせるつも──」

「フザっけるな──ですッ!」

 声を張り上げ、叫んだ。レイが振り向くと、そこには眉尻を上げ、眉間にシワを寄せ、歯を軋ませるミズキが佇んでいた。ミズキは「へえ」と小馬鹿にしたように口にする稲継を睨み付けた。強く拳を握り締め、肩を震わせる。

「レイくんにそんな事、させないです。私に手を出すだけでなく、レイくんを貶めようとした事を後悔するがいい──ですっ!」

「さっきから、俺に攻撃すらできてないのにか? 揃って笑わせんな」

「どうとでも言えば良いです」

 ミズキは瞬間移動じみた速攻で稲継の正面に移動し、思いっ切り引いた拳を稲継の顔面に叩き付けた。バチィン!と高い音が響き、ミズキはふっ、と目を細め、道路の向こうへと地面を跳ねながら吹き飛んでいく稲継を眺めて鼻で笑った。

「絶対に、レイくんへの悪さは許さないです。絶対に、絶対に──絶対に」

 跳ね、転がり、ブロック塀に背中からぶつかり、稲継はずるりと座るように倒れ込んだ。それをただ見ているだけしかできなかったレイは目を剥き、絶句する。

「──レイくんっ」とミズキは振り返る「レイくんの事は、私が一生守ってあげるですから、心配しないでくださいです」

 そう、嬉しそうに笑うミズキの顔を見つめ、レイは笑顔を浮かべた。
 ──一瞬だけ、ほんの少しだけ、レイの口元が歪んだ。

「ミズキさん、すごいね。何をしたの……?」

「ちょっとした精霊さんの特性です。私は、水と雷に宿る精霊さんで、今はレイくんと契約した精霊さんです。だから、水や電気を、少しだけなら操作できるです。──今やって見せたのも、水の応用です」

 そう言いながら軽く拳を前に繰り出しながら続ける。

「水を手に纏わせて、触れた時に噴射、みたいな。そう言ったやり方で、殴ったです」

「──っ。ミズキさん、起きてくるよ」

「おお、すごいです」

 背後の壁を支えによろめき立つ稲継に、ミズキは瞠目する。レイは剣を横に振り、何も付着していない事を確認すると吹っ飛んだ稲継に走り迫る。稲継は正面を見た。そして、息を吸い込む。

 ──ひれ伏せ。

 レイが、地面に叩きつけられる。

「がっ、アッ!?」

 レイが、押し潰されんばかりの不可視の圧力に地面に叩きつけられ、片膝をつき、両手をつき、目を瞠りながら地面を見つめる。

 ──どうして。

 言葉にならないそれに、稲継は哄笑しながらレイを指さす。その鼻からは血が垂れていた。

「──チッ。お前如きにこんなモン使う羽目になるなんてな……。だが生憎、ここから先には行かせられねえ。絶対に行かせねえ。お前は、ここで死ぬ」

 レイの頬を伝う『何か』が水増しされ、線が太くなる。どプッ、とぽたぽたと、レイの顎からアスファルトの上へと落ちていく。
 四つん這いに、なってしまった。手の届きそうな所に立っている稲継を睨み、レイは方肘をついてしまう。

「なん、で……っ!」

「一々説明してやるかよ。ばーか」

 重みが増す。レイを取り押さえるそれが重みを増し、アスファルトを凹ませ、レイのアスファルトと接する四肢から潰れるような悲鳴が上がった。

「レイくん……!」

 右腕が踏み潰される。何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も──

「はぁぁああああ──ッ!」

「二度も喰らうかよ……!」

 ミズキの瞬間移動じみた速攻をしゃがんで躱し、レイの顔面を蹴り上げた。

「お前の精霊だろ。ちゃんと躾けとけよ。なあ、おい」

 レイが仰け反る。鼻がつぶれ、血が出る。涙が出る。悲鳴が、苦悶が、絶叫が上がる。レイを睨みつけ、振り上げた足をそのままレイの顔に下ろした。

「──ぁ」

 視界が、潰される。
 滲んだ視界の先に、ミズキが見えた気がした。
 目の前を、気泡が覆っていく。

 ※※※

 気泡が静まり返ると、視界は暗黒に包まれていた。

「行くぞ、剣崎くん?」

 ハッとして、レイは振り向く。目を開け、突然入り込んで来た光に眩しさを覚えて目を細めた。彼女は心配そうにレイを見つめ、その瞳で問いかけていた。

 それに大丈夫だ、と返し辺りを見渡した。

「ここは……」

「……? 何を言っているんだい?」

 彼女は、片眉を下げて首を傾け、訝しむようにそう言う。

「ここは、『刻輪の命』を奉る神社。『刻名神社』だよ」

 背筋の凍るような感覚を味わいながら、レイは瞬きをして、しかし、状況を飲み切る事はできなかった。

「じん、じゃ……」

 どくん、どくんと、嫌にハッキリと鼓動が聞こえてくる。
 レイは、たらりと汗を流した。

 ──数時間前の時へと、舞い戻って来たのだ。





[あとがき]
 遅れてごめんなさい。
 ようこそ、タイムリープものへ。
 四章はこうして少しずつ進んでいきます。言い訳するなら、この設定は伏線回収に必要でした。
 次回は四月十四日!次回もよろしく!
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