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四章 進む道の先に映るもの
183話 『君にもう一度だけ』
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机を指で叩く。
トン、トン、トン、トン。
トン、トン、トン、トン。
『──Hello Mike.How are you?』
教壇に姿勢良く立っているちょび髭の先生が軽快に明るく、そう言った。流暢に話す英語を聞きながら、彼女は頬杖を着いて机を鳴らす。その目の向く先はぴこぴこと揺れるおかしなちょび髭。目だけで周りを見てみると何人か、机に突っ伏して震えている。
耐えられなかったらしい。とは言え、それを眺めていた彼女もそろそろ限界が近かった。そのせいで内容が全くと言っていいほど頭に入って来ない。時間は後残り少ないと言うのに──……。
『I'm fain.how about you?』
『I'm sad.』
『That's why?』
『My friend has sick now』
『realy? your friend is fine?』
『So……Yes──』
先生が一人で話していた会話がチャイムに区切られて「本日はここまで」と日本語が聞こえ、彼女──しずかは大きなため息と共にぐったりと机にその身を預けた。
「宿題は来週までにこのページの会話文を覚えてくる事。テストをするからちゃんと勉強して来いよー」
はーい、とあちこちからばらばらに聞こえてきて、しずかもそれらに便乗して間延びした返事をした。早速身を起こし、小学校低学年の頃から使い込んでいるピンク色の筆箱の中にシャーペン、消しゴムを入れて、教科書とノートを閉じ、それらを鞄に直して次の時間の準備を始める。
「しずかちゃーん……!」
英語の教科書を抱えながら来たレイカを見て、しずかは一度だけ瞬きをした。
「どこが分からないのー?」
「全部分かんないーっ!」
うにゃー! と叫んで、レイカはしずかに教科書を開けて見せる。
涙目のレイカに、しずかは「んー……」と指を唇に当てて首を傾け、そのページをジッと見つめる。レイカが同じように教科書を上から覗き込むと、しずかはレイカに視線を向けた。
「暗くて見えないよー」
「にゃわっ!? ごめん!」
ササッと顔を上げて、そわそわと足を鳴らしながらそれを待つ事数秒。「石田さん、どこが分からないの?」と隣から聞かれ、驚きに目を剥きながら瞬時に左を向く。
「やっ」
「ホリさんかぁ……。ビックリしたよ!」
ツッコミを入れ、ほっと一息つくと、「ごめんごめん」と後頭部を撫でながら遠慮がちに笑う。しずかは鞄の中から次の時間の教材を取り出して机の上に揃えた。
「──それと、どの部分が分からないの?」
「全部! 何言ってるのかもーちんぷんかんぷんで!」
「あはは……。それなら、まずは単語を覚えた方が良いと思うよ。それだけでなんとなく何を言いたいかとか、意味は分かるし。後はー……そー、だね。うん。単語の並び方に注意することだね」
「並び方?」
「うん、そう。英語って名詞、動詞──えっと、あと一つなんだったかな? まあ、それ以外でいっか。その三つの順番で普通の文章は作られてるって、五月の頭頃に言われてたでしょ?」
「う、うぅぅぅ……?」
「じゃーね、もういっそ、文章は名前! 動き! それ以外! この三拍子で覚えよう!」
少し胸を反らして自慢げに三本指を立ててそう提言する。
「ふおおおおおっ! ヤバいっ! 天才だあっ!」
目を燦爛と光らせて絶賛するレイカに真顔で「それは誇張し過ぎだよ」と淡々とツッコミを入れた。
「そーいえばー、ホリさんは分かったのー?」
「うん、まあー……」乾いた笑みを浮かべて目を背ける「分かった、よ……?」
「絶対分かってないじゃん! ──まあ、私も人の事言えないけど……」
「次終わったらお昼ごはんだよー。それまでがんばろー」
「そ、そうだね! 私はもうちょび髭になんて負けない! 私は、私はこの学校の先生達に勝ってやる!」
めらめらと熱く滾る炎を瞳に宿し、拳を固く握って振り上げるレイカを数秒眺め、ホリはハッと口を開ける。
「──あっ。先生達の個性、って意味か」
「強いよねー、先生の個性ー」
「ちょび髭、お菓子先生、ぴょん太先生、あと、三年の数学の先生が特にすごかったような……?」
「四天王だ!」
「だね。すごいや。先生の個性強すぎ問題だね」
「でもー、お菓子先生は優しいから好きだよー」
「お菓子先生ってたしか、修学旅行に行ってるんだっけ?」
「そーそー。三年生の修学旅行について行ってる」
「私も行ってみたかったなー」
遠い目をしてぼやいたレイカはしゃがみ込んで机の上に広げられたしずかの教材の上にほっぺたを乗せて唇を尖らせる。その頭を撫でるしずかを見て、それからホリは天井を見上げた。
「──私も旅行、行きたかったなぁ……」
「いつか皆で行ってみようねー、旅行ー」
見てみると、しずかは笑っていた。その答えに曖昧な笑みを返すと、レイカがピンッ、と起き上がり手を挙げて「はいはいはいっ!」と元気よく挙げている手を何度も主張する。
「どーぞー、レーカちゃん」
「私! ハワイのワイキキビーチ行ってみたいっ!」
「なら私は沖縄かなぁ。お婆ちゃん家あるから」
──いいなぁ……。
ぼそっと聞こえてきた声にホリは目元を強張らせてレイカの顔に意識を割く。
もの寂しげなその目が見えて、少し顔を近づけた。
「えっ? なんて?」
「沖縄に、家族がいて、いいなあって思っただけっ!」
「えええ……?」
「てか話がズレちゃったけど、ちゃんと覚えてるよっ。名前! 動き! それ以外!」
「偉いねー、レーカちゃんはー」
柔らかな笑みを浮かべてレイカの頭を撫でるしずかの手にレイカが気持ち良さそうに首を竦めた。瞬きをして、温かい目でそれを眺めていると、少ししてチャイムが鳴った。
「あっ、早く席に戻らないと。じゃーね、石田さん、川田さん」
「私も席戻んないと……!」
「じゃーねー」
軽く手を振って二人を見送ったしずかは目を閉じて小さく息を吐いた。そっと、胸に手を当てる。とくん、とくんと、静かな音を肌で感じながらしずかは手を下ろした。
ゆっくりと瞼を上げると、同時に先生が教室に入って来た。
「きりーつ」
日直の声が耳に届く。先生が教壇に到着する。
「れい。お願いします」
お願いします、と何人かの声が聞こえてきて「ちゃくせーき」と日直の子が言う。
皆して席に着いて、少し遅れてしずかも席に着いた。
「授業を始めるぞー。まずは──」
しずかは目を閉じて、深呼吸をした。
目を開け、指定されたページを開いて、授業に参加する。
あと少し、と口中で呟きながら。
※※※
──風を切る音が連続して白銀に煌めく剣閃の嵐がハダチを襲う。
「当たらねえよ」
「当てます!」
背中の翼を羽ばたかせ、加速しながら後方へと逃れ距離を取ったハダチはその羽根を何本か毟り取ってダーツの矢の如く軽々と投げ放つ。
その羽根を刀で落として身をよじって躱し、ハダチとの距離を詰めて再び剣戟の嵐を振り掛ける。加速していくその猛追、猛攻の全てを、嵐のように荒々しい剣戟を全て避けながら、ハダチは夕の後方で茫然としているナツミを視界に納めてため息をついた。
「くっ、あああああ──ッ!」
「まだまだ全てが遅えぜ。動きも見え見えだぜ。そんなもんじゃ、オレには絶対に勝てねえぜ。この程度じゃあまだアイツ──石田レイの方がッ」振り下ろされた刀を腕で横に弾いて、不敵に笑う「強かったぜ?」
──それを眺め、はたと我に返ったナツミは再びしゃがんでレイに声をかける。
「ごめんね、お兄ちゃん……! えと、その……そ、そうだっ。これを抜いちゃえば──お兄ちゃん?」
返事の無いレイの顔を覗き込んで、ナツミは瞠目する。震える手で、その体をゆるゆると揺らし、それでも反応の無いレイに呼び掛ける。
お兄ちゃん、お兄ちゃんっ。
けれど、それでも目を覚まさない。動きを見せない。
「あ、ああ……」
「──ぅ」
その呻きを聞き逃さず、ナツミはすぐにレイの体を揺する。乱暴に、強引に、無理矢理にでも目を覚まさせるように。頬を軽く叩いて、背中を揺らして、お兄ちゃんと、必死に呼びかけて。
「ぁ、ぅぁ」
「っ。起きて、お兄ちゃん! お願い、お願い……!」
右目を朧げに開き、「ナツ、ミ、ちゃん」と弱々しく、ぼそっと言った。
「良かった……! そ、そうだ! 今、この羽根、抜いてあげるからね……! もうちょっとだけ頑張って!」
言うが早いか、咄嗟に目の前にあった腕に突き刺さっている羽根を何本か一斉に毟り取る。それにレイは顔をしかめて、痛々しげに口を開いて叫びそうになり、けれど声には出さなかった。涙が溢れる。声にならない悲鳴が濡れ始める。息を呑む。それでもまだ雷が突き刺さるような激痛の嵐は鳴り止まない。
歯を食いしばり、ガリッ、と削れるような音が口中で鳴るのを感じ取り、それでも力を込める事をやめられないレイは、必死で激痛の暴行を受け入れようと努力する。
「おわ、った……!」
歯を食いしばっていてもガクガクと口元が震えるレイは、涙で濡らした目を背中に向けようとして、その前に震えた息を吐き出す。
ナツミが安堵に笑みを浮かべるが、それでもレイはまだ流れる涙を止められずにいた。
「お兄、ちゃん……?」
「ぁ、ぁぅあ」
「な、なに……? どうしたの? 言って? お願い、なんでもするから……!」
だから、と幼い瞳に涙が浮かぶ。
「──死なないで、お兄ちゃん」
「ぁ──」
──お姉ちゃん。
ナツミの姿に少女の姿を幻視した。ぶどうの髪留めを頭に付けた少女の姿を。
その姿を見て、レイは瞬きする。その口が、もう一度動く。
お姉ちゃん、お姉ちゃん。
見た事のないはずの、記憶のどこにもない姿。なのに、とても身近に感じられて、その言葉が、体の中に広がっていくのが分かる。温かな光に包まれるような、優しく抱き抱えられるような、そんな温もりが体に広がる。
「──そ、うだ」
あなたの大好きな■■ちゃんなら、どうしてるかしらね?
頭の中で、その声が響く。
その言葉を覆い隠していたモノを引き剥がすように、レイは起き上がろうとする腕に力を込めて、立てる。
大好きな、お姉ちゃん──……。
「そう、だった」
何よりも大切だったお姉ちゃん。ずっと側にいて支えてくれていたお姉ちゃん。寂しい時、嬉しい時、苦しい時、楽しい時、悲しい時、温かな時を、ずっと一緒にいてくれたお姉ちゃん。その記憶に蓋をして、その信頼に目を背け、無意識にその真似をしようとしていたお姉ちゃん。
──死なないで、お姉ちゃん。
あの時に願った、最後のお願い。最後の希望。それはもう叶わない事だけど、それでも叶ってほしかったと思った、名残惜しくて、手放したくなくて、消えてしまうのが恐ろしくて、お姉ちゃんがお姉ちゃんで無くなっていくのが怖くて。
──……。
願ったものが手に入らなくても、逃げちゃだめなんだ。
目を背けずに、それを受け入れて、噛み砕いて、飲み込んで、前に進む。
それがきっと、正解なんだ。
起き上がって、レイは自分の前に立つ少女の影を見る。
「──ありがと。何度もぼくに、逃げ道を作ってくれて」
黒い衣を纏う彼女は、安心したように微笑んでいた。その笑みは全てを抱き締めてくれるような、とても柔らかくて、温かくて、穏やかな笑みで。
「あの時に言ったこと、嘘になっちゃった。ごめんね」
彼女は首を横に振り、それからすっと、その細い腕をレイに向けて伸ばした。
「こんなぼくに、まだ力を、貸してくれるの……?」
こくん、と少女は頷く。そのあどけない笑顔にレイも手を伸ばし、少し躊躇うように一度だけ引いて目を背け、ちらりと見たその顔が、何も後ろめたいことなど無い、温かな微笑みに包まれていて。知らず、その手を握った。
「ぼくは、お姉ちゃんみたいに、なんでもできるわけじゃないよ?」
少女の笑顔は、変わらない。
「──うん。やってみる」
その少女が倒れ込むようにレイの胸に飛び込んできて、すっと、その体の中に溶けていった。その信頼を、その優しさを噛み締めるように自分の体を抱き締めて、背を丸めて体を抱くレイの口元には、笑顔が浮かんでいた。
「ぼく、皆を守るよ。あの時出来なかった事を、やるんだ」
そう呟き、レイは、抱き締めていた腕をゆっくりと解いて、前を向く。
「お兄、ちゃん……?」
右側からかけられた声に、そちらへ向いた。そこには、驚いた顔のナツミがいて。
「ナツミちゃ」
抱き締められた。
その温もりに、耳元に聞こえてくる嗚咽に、レイはもの寂しげな微笑みを浮かべる。
「ありがとう、ナツミちゃん」
背中を撫でて、その嗚咽を耳から遠ざけるように強く抱き締めてくるナツミの耳元で、レイは諭すように語る。すぐにはやめられないな、と思った。
「でも、喜ぶのは、もう少し後にしよ。──まだ、終わってないから」
耳の後ろで息を飲むのが聞こえて、レイは抱き締めてくる彼女の腕をそっと紐を解くように解き、肩を優しく持って、その涙で潤いだ幼い目を温かな気持ちで見て立ち上がる。
瞬間、足下に飛ばされてきた物に目を向ける。倒れている女性がえほっ、ごほっ、と肩を上下させながら咳き込んで、ゆっくりと丸まっていくそれは夕だった。
四つん這いになる夕から目を離し、レイは夕が飛ばされてきた方を見据える。
「あー、弱かったぜ」
飛ばされてきた方をレイが見ると、そこには刀を拾い上げたばかりのハダチがそれを背後に放り投げて、ケケケと悪者に徹して不敵に笑う。
「──死ぬぜ?」
「殺せば?」
優しく、けれど冷え切った目を細めるレイに、冷たく突き刺すような目線を送り──次の瞬間、一言も発さずにレイの四肢に即座に毟り取った羽根を投げ放った。
[あとがき]
レイくんが遂に……っ!
ちなみに、黒い服の女の子は精霊さんです。上手く書けた、かな?
滑ってたらゴメンね!それじゃまた次回!
トン、トン、トン、トン。
トン、トン、トン、トン。
『──Hello Mike.How are you?』
教壇に姿勢良く立っているちょび髭の先生が軽快に明るく、そう言った。流暢に話す英語を聞きながら、彼女は頬杖を着いて机を鳴らす。その目の向く先はぴこぴこと揺れるおかしなちょび髭。目だけで周りを見てみると何人か、机に突っ伏して震えている。
耐えられなかったらしい。とは言え、それを眺めていた彼女もそろそろ限界が近かった。そのせいで内容が全くと言っていいほど頭に入って来ない。時間は後残り少ないと言うのに──……。
『I'm fain.how about you?』
『I'm sad.』
『That's why?』
『My friend has sick now』
『realy? your friend is fine?』
『So……Yes──』
先生が一人で話していた会話がチャイムに区切られて「本日はここまで」と日本語が聞こえ、彼女──しずかは大きなため息と共にぐったりと机にその身を預けた。
「宿題は来週までにこのページの会話文を覚えてくる事。テストをするからちゃんと勉強して来いよー」
はーい、とあちこちからばらばらに聞こえてきて、しずかもそれらに便乗して間延びした返事をした。早速身を起こし、小学校低学年の頃から使い込んでいるピンク色の筆箱の中にシャーペン、消しゴムを入れて、教科書とノートを閉じ、それらを鞄に直して次の時間の準備を始める。
「しずかちゃーん……!」
英語の教科書を抱えながら来たレイカを見て、しずかは一度だけ瞬きをした。
「どこが分からないのー?」
「全部分かんないーっ!」
うにゃー! と叫んで、レイカはしずかに教科書を開けて見せる。
涙目のレイカに、しずかは「んー……」と指を唇に当てて首を傾け、そのページをジッと見つめる。レイカが同じように教科書を上から覗き込むと、しずかはレイカに視線を向けた。
「暗くて見えないよー」
「にゃわっ!? ごめん!」
ササッと顔を上げて、そわそわと足を鳴らしながらそれを待つ事数秒。「石田さん、どこが分からないの?」と隣から聞かれ、驚きに目を剥きながら瞬時に左を向く。
「やっ」
「ホリさんかぁ……。ビックリしたよ!」
ツッコミを入れ、ほっと一息つくと、「ごめんごめん」と後頭部を撫でながら遠慮がちに笑う。しずかは鞄の中から次の時間の教材を取り出して机の上に揃えた。
「──それと、どの部分が分からないの?」
「全部! 何言ってるのかもーちんぷんかんぷんで!」
「あはは……。それなら、まずは単語を覚えた方が良いと思うよ。それだけでなんとなく何を言いたいかとか、意味は分かるし。後はー……そー、だね。うん。単語の並び方に注意することだね」
「並び方?」
「うん、そう。英語って名詞、動詞──えっと、あと一つなんだったかな? まあ、それ以外でいっか。その三つの順番で普通の文章は作られてるって、五月の頭頃に言われてたでしょ?」
「う、うぅぅぅ……?」
「じゃーね、もういっそ、文章は名前! 動き! それ以外! この三拍子で覚えよう!」
少し胸を反らして自慢げに三本指を立ててそう提言する。
「ふおおおおおっ! ヤバいっ! 天才だあっ!」
目を燦爛と光らせて絶賛するレイカに真顔で「それは誇張し過ぎだよ」と淡々とツッコミを入れた。
「そーいえばー、ホリさんは分かったのー?」
「うん、まあー……」乾いた笑みを浮かべて目を背ける「分かった、よ……?」
「絶対分かってないじゃん! ──まあ、私も人の事言えないけど……」
「次終わったらお昼ごはんだよー。それまでがんばろー」
「そ、そうだね! 私はもうちょび髭になんて負けない! 私は、私はこの学校の先生達に勝ってやる!」
めらめらと熱く滾る炎を瞳に宿し、拳を固く握って振り上げるレイカを数秒眺め、ホリはハッと口を開ける。
「──あっ。先生達の個性、って意味か」
「強いよねー、先生の個性ー」
「ちょび髭、お菓子先生、ぴょん太先生、あと、三年の数学の先生が特にすごかったような……?」
「四天王だ!」
「だね。すごいや。先生の個性強すぎ問題だね」
「でもー、お菓子先生は優しいから好きだよー」
「お菓子先生ってたしか、修学旅行に行ってるんだっけ?」
「そーそー。三年生の修学旅行について行ってる」
「私も行ってみたかったなー」
遠い目をしてぼやいたレイカはしゃがみ込んで机の上に広げられたしずかの教材の上にほっぺたを乗せて唇を尖らせる。その頭を撫でるしずかを見て、それからホリは天井を見上げた。
「──私も旅行、行きたかったなぁ……」
「いつか皆で行ってみようねー、旅行ー」
見てみると、しずかは笑っていた。その答えに曖昧な笑みを返すと、レイカがピンッ、と起き上がり手を挙げて「はいはいはいっ!」と元気よく挙げている手を何度も主張する。
「どーぞー、レーカちゃん」
「私! ハワイのワイキキビーチ行ってみたいっ!」
「なら私は沖縄かなぁ。お婆ちゃん家あるから」
──いいなぁ……。
ぼそっと聞こえてきた声にホリは目元を強張らせてレイカの顔に意識を割く。
もの寂しげなその目が見えて、少し顔を近づけた。
「えっ? なんて?」
「沖縄に、家族がいて、いいなあって思っただけっ!」
「えええ……?」
「てか話がズレちゃったけど、ちゃんと覚えてるよっ。名前! 動き! それ以外!」
「偉いねー、レーカちゃんはー」
柔らかな笑みを浮かべてレイカの頭を撫でるしずかの手にレイカが気持ち良さそうに首を竦めた。瞬きをして、温かい目でそれを眺めていると、少ししてチャイムが鳴った。
「あっ、早く席に戻らないと。じゃーね、石田さん、川田さん」
「私も席戻んないと……!」
「じゃーねー」
軽く手を振って二人を見送ったしずかは目を閉じて小さく息を吐いた。そっと、胸に手を当てる。とくん、とくんと、静かな音を肌で感じながらしずかは手を下ろした。
ゆっくりと瞼を上げると、同時に先生が教室に入って来た。
「きりーつ」
日直の声が耳に届く。先生が教壇に到着する。
「れい。お願いします」
お願いします、と何人かの声が聞こえてきて「ちゃくせーき」と日直の子が言う。
皆して席に着いて、少し遅れてしずかも席に着いた。
「授業を始めるぞー。まずは──」
しずかは目を閉じて、深呼吸をした。
目を開け、指定されたページを開いて、授業に参加する。
あと少し、と口中で呟きながら。
※※※
──風を切る音が連続して白銀に煌めく剣閃の嵐がハダチを襲う。
「当たらねえよ」
「当てます!」
背中の翼を羽ばたかせ、加速しながら後方へと逃れ距離を取ったハダチはその羽根を何本か毟り取ってダーツの矢の如く軽々と投げ放つ。
その羽根を刀で落として身をよじって躱し、ハダチとの距離を詰めて再び剣戟の嵐を振り掛ける。加速していくその猛追、猛攻の全てを、嵐のように荒々しい剣戟を全て避けながら、ハダチは夕の後方で茫然としているナツミを視界に納めてため息をついた。
「くっ、あああああ──ッ!」
「まだまだ全てが遅えぜ。動きも見え見えだぜ。そんなもんじゃ、オレには絶対に勝てねえぜ。この程度じゃあまだアイツ──石田レイの方がッ」振り下ろされた刀を腕で横に弾いて、不敵に笑う「強かったぜ?」
──それを眺め、はたと我に返ったナツミは再びしゃがんでレイに声をかける。
「ごめんね、お兄ちゃん……! えと、その……そ、そうだっ。これを抜いちゃえば──お兄ちゃん?」
返事の無いレイの顔を覗き込んで、ナツミは瞠目する。震える手で、その体をゆるゆると揺らし、それでも反応の無いレイに呼び掛ける。
お兄ちゃん、お兄ちゃんっ。
けれど、それでも目を覚まさない。動きを見せない。
「あ、ああ……」
「──ぅ」
その呻きを聞き逃さず、ナツミはすぐにレイの体を揺する。乱暴に、強引に、無理矢理にでも目を覚まさせるように。頬を軽く叩いて、背中を揺らして、お兄ちゃんと、必死に呼びかけて。
「ぁ、ぅぁ」
「っ。起きて、お兄ちゃん! お願い、お願い……!」
右目を朧げに開き、「ナツ、ミ、ちゃん」と弱々しく、ぼそっと言った。
「良かった……! そ、そうだ! 今、この羽根、抜いてあげるからね……! もうちょっとだけ頑張って!」
言うが早いか、咄嗟に目の前にあった腕に突き刺さっている羽根を何本か一斉に毟り取る。それにレイは顔をしかめて、痛々しげに口を開いて叫びそうになり、けれど声には出さなかった。涙が溢れる。声にならない悲鳴が濡れ始める。息を呑む。それでもまだ雷が突き刺さるような激痛の嵐は鳴り止まない。
歯を食いしばり、ガリッ、と削れるような音が口中で鳴るのを感じ取り、それでも力を込める事をやめられないレイは、必死で激痛の暴行を受け入れようと努力する。
「おわ、った……!」
歯を食いしばっていてもガクガクと口元が震えるレイは、涙で濡らした目を背中に向けようとして、その前に震えた息を吐き出す。
ナツミが安堵に笑みを浮かべるが、それでもレイはまだ流れる涙を止められずにいた。
「お兄、ちゃん……?」
「ぁ、ぁぅあ」
「な、なに……? どうしたの? 言って? お願い、なんでもするから……!」
だから、と幼い瞳に涙が浮かぶ。
「──死なないで、お兄ちゃん」
「ぁ──」
──お姉ちゃん。
ナツミの姿に少女の姿を幻視した。ぶどうの髪留めを頭に付けた少女の姿を。
その姿を見て、レイは瞬きする。その口が、もう一度動く。
お姉ちゃん、お姉ちゃん。
見た事のないはずの、記憶のどこにもない姿。なのに、とても身近に感じられて、その言葉が、体の中に広がっていくのが分かる。温かな光に包まれるような、優しく抱き抱えられるような、そんな温もりが体に広がる。
「──そ、うだ」
あなたの大好きな■■ちゃんなら、どうしてるかしらね?
頭の中で、その声が響く。
その言葉を覆い隠していたモノを引き剥がすように、レイは起き上がろうとする腕に力を込めて、立てる。
大好きな、お姉ちゃん──……。
「そう、だった」
何よりも大切だったお姉ちゃん。ずっと側にいて支えてくれていたお姉ちゃん。寂しい時、嬉しい時、苦しい時、楽しい時、悲しい時、温かな時を、ずっと一緒にいてくれたお姉ちゃん。その記憶に蓋をして、その信頼に目を背け、無意識にその真似をしようとしていたお姉ちゃん。
──死なないで、お姉ちゃん。
あの時に願った、最後のお願い。最後の希望。それはもう叶わない事だけど、それでも叶ってほしかったと思った、名残惜しくて、手放したくなくて、消えてしまうのが恐ろしくて、お姉ちゃんがお姉ちゃんで無くなっていくのが怖くて。
──……。
願ったものが手に入らなくても、逃げちゃだめなんだ。
目を背けずに、それを受け入れて、噛み砕いて、飲み込んで、前に進む。
それがきっと、正解なんだ。
起き上がって、レイは自分の前に立つ少女の影を見る。
「──ありがと。何度もぼくに、逃げ道を作ってくれて」
黒い衣を纏う彼女は、安心したように微笑んでいた。その笑みは全てを抱き締めてくれるような、とても柔らかくて、温かくて、穏やかな笑みで。
「あの時に言ったこと、嘘になっちゃった。ごめんね」
彼女は首を横に振り、それからすっと、その細い腕をレイに向けて伸ばした。
「こんなぼくに、まだ力を、貸してくれるの……?」
こくん、と少女は頷く。そのあどけない笑顔にレイも手を伸ばし、少し躊躇うように一度だけ引いて目を背け、ちらりと見たその顔が、何も後ろめたいことなど無い、温かな微笑みに包まれていて。知らず、その手を握った。
「ぼくは、お姉ちゃんみたいに、なんでもできるわけじゃないよ?」
少女の笑顔は、変わらない。
「──うん。やってみる」
その少女が倒れ込むようにレイの胸に飛び込んできて、すっと、その体の中に溶けていった。その信頼を、その優しさを噛み締めるように自分の体を抱き締めて、背を丸めて体を抱くレイの口元には、笑顔が浮かんでいた。
「ぼく、皆を守るよ。あの時出来なかった事を、やるんだ」
そう呟き、レイは、抱き締めていた腕をゆっくりと解いて、前を向く。
「お兄、ちゃん……?」
右側からかけられた声に、そちらへ向いた。そこには、驚いた顔のナツミがいて。
「ナツミちゃ」
抱き締められた。
その温もりに、耳元に聞こえてくる嗚咽に、レイはもの寂しげな微笑みを浮かべる。
「ありがとう、ナツミちゃん」
背中を撫でて、その嗚咽を耳から遠ざけるように強く抱き締めてくるナツミの耳元で、レイは諭すように語る。すぐにはやめられないな、と思った。
「でも、喜ぶのは、もう少し後にしよ。──まだ、終わってないから」
耳の後ろで息を飲むのが聞こえて、レイは抱き締めてくる彼女の腕をそっと紐を解くように解き、肩を優しく持って、その涙で潤いだ幼い目を温かな気持ちで見て立ち上がる。
瞬間、足下に飛ばされてきた物に目を向ける。倒れている女性がえほっ、ごほっ、と肩を上下させながら咳き込んで、ゆっくりと丸まっていくそれは夕だった。
四つん這いになる夕から目を離し、レイは夕が飛ばされてきた方を見据える。
「あー、弱かったぜ」
飛ばされてきた方をレイが見ると、そこには刀を拾い上げたばかりのハダチがそれを背後に放り投げて、ケケケと悪者に徹して不敵に笑う。
「──死ぬぜ?」
「殺せば?」
優しく、けれど冷え切った目を細めるレイに、冷たく突き刺すような目線を送り──次の瞬間、一言も発さずにレイの四肢に即座に毟り取った羽根を投げ放った。
[あとがき]
レイくんが遂に……っ!
ちなみに、黒い服の女の子は精霊さんです。上手く書けた、かな?
滑ってたらゴメンね!それじゃまた次回!
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精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
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