当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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四章 進む道の先に映るもの

188話 『八つ当たり』

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 班員の下に戻って来たレイは、滝本に見つかって手を振られ名前を呼ばれる。
 そこには、レイ以外の班員全員が集まっていて、皆レイを待ち侘びた面持ちでジッと見つめてきた。その視線に急かされるように、レイは滝本の下へと小走りする。

「遅かったね?」

 そう滝本に問い質され、レイは「えっとねー」と少し前の出来事を思い出し、胸の奥がじんわりと温かくなってくるのを感じ、そこに手を当てて確かめながら、小さく頷いた。

「少し、知り合いと会ってたんだ。ごめんね?」

 両手を顔の前で合わせて、伺うように滝本の瞳をじっと見つめる。
 その視線に、滝本は「うっ」と喉を詰まらせるような声を出して、数回の瞬きの後顔を背けて、手に拡げていた修学旅行のしおりを閉じた。

「いや、構わないさ」

 そう言って、一呼吸を置いてレイに目線を戻した。

「しかし、もう少し早く戻って来てもらえると嬉しかったよ」

「次から気を付けます」

「ああ、是非そうしてくれ」

「りえちゃん……」

 レイに笑いかけた滝本の袖を引っ張り、レイと距離を取らせたのは和田だった。
 彼女はレイを訝しげに眺めて、それから滝本の耳に手を当ててひそひそと話し始めた。

「りえちゃん、もうちょっと警戒しよーよ」

「ん? どうしてだい?」

「だってさ……」

 その先を少し言いづらそうに言葉に詰まらせ、滝本はその態度に既視感を覚えた。それは、不安と嫌悪が入り混じったような声音で。

「──ああ、なるほど。分かったよ。できるだけ、君を心配させないよう心がけよう」

 その言葉を聞き、それからちらりと警戒するような目線をレイに投げて、目が合うと同時に目を逸らした。その、イロモノに対するような、扱いに困っているような、そんな態度に、レイは目を伏せる。

「……約束だよ?」

「ああとも。約束だ」

 そう約束して、和田は滝本から離れた。

「さて、お墨付きが貰えた所で、次に向かう場所だ。次は商店街の方へと足を運ぼうという話になった。剣崎くんはそれで構わないかい?」

「うん、いいよ」

「よし分かった。では向かおう」

 にこりと笑いかけた滝本に、レイも笑みを返して見せる。
 歩き出した滝本に東と吉田がはしゃぎながら続き、その少し後ろを萌葱が続く。それを眺めていたレイに和田が「なあ」と声をかけた。

「えっと、どうしたの?」

「これ以上、りえちゃんに──滝本さんに、付き纏うな」

「えっ?」

 瞬きをして、驚きに頭が追いつかない様子でレイが声を上げると和田は顔を憎らしげに歪めて「良いな?」と確認するように、忠告するように言った。

「絶対に、近づくなよ」

「はい……」

 その気迫に気圧され、怯えるようにそう答えた。突き刺さるような視線と、言葉の数々。それらが纏わりつくようにレイの体をその場に立ち尽くさせる。
 レイの様子を少しだけ眺め、和田は冷たく、吐き捨てるような目を向けながら滝本らの下へと小走りで走って行った。

 その様子を眺めていた杉浦は、レイの横を通り過ぎる際、ちらとレイの顔を見た。品定めするような鋭い目付きが、レイを捉えていた。その目は、どこか諦めたような怒りに満ち満ちていて、その刺々しさに咄嗟にレイは腰を引いた。

「──なんだよ」

「えっ、あ……」

 自分でも分からなかった咄嗟の行動。それに良い顔をしなかった杉浦はため息交じりに「ちょうどいい」と振り向いて、レイに尋ねる。

「お前にとって、ミッチーは、どんな存在だったんだよ……」

「ぼくにとっての、ミズキさん……?」

 静かに細められた目がその質問を是として、レイに再び問いかける。

「どうなんだ……」

「ぼくにとって、ミズキさんは、恩人だよ」

「おん、じん……?」

「うん。恩人」

「……なら、恩を返そうとは思わなかったのかよ」

「思ったよ」

「だったら……!」

「──でも、いなくなった人には、何も返せない」

 諭すようなその口調に、杉浦は歯を噛んだ。

「でも、その人のために何かをしようとする事は、できるから」

 その、一切揺るがない瞳に、杉浦は苦々しく悔しげに顔を歪めて「もういいっ」と逃げるように、煮え切らない表情のままレイに背中を向けた。

 もう随分と遠くなっていた滝本達の後を、レイは追いかけた。

 ※※※

 ──手に持った食器の上を冷水が滑り落ちて行くのを眺めながら、ネネは小さくため息を吐いた。ニュースを聞くために点けたテレビの内容すら、あまり入って来ない。

 それと言うのも、幾つかの理由によるものだと自覚はしているのだけれど、それでもやっぱり、落ち着かないと言うか、肩が重たいと言うか。とにかく、気が滅入っていた。

 ちらりと、テレビを視界に入れた。気分転換でもしようかと考えて、首を振ってやめた。心身ともに疲れ切っているのがもう分かっていた。それでも、やめられない。仕事があるから。

「……はあ、そうね。歌でも歌おうかしら」

 リビングに小さな鼻唄が響いて、ネネは目を閉じながら泡立つスポンジを手に持つ食器に擦りつける。鼻唄を歌い、ネネはリズム良く爪先で床を鳴らして食器を洗っていった。

 テレビから天気予報が流れてくる。それによると夕方から雨が降ってくるらしく、洗濯物は早めに取り込もうと思った。

「落ち込んでてばかりいても仕方ないわ。一呼吸一呼吸」

 一度深呼吸をして、滅入っていた心を少し落ち着かせた。
 すると、目の前──否、ほぼ真横、自分の手元を覗き込むようにして立っていた少女の姿を視界の端に捉えて、ネネは大きく目を見開く。

「きゃあぁっッ!!」

 その姿に見覚えがあって。けれど、絶対に、もう動く所は見られない、もう触る事も、話す事もできない彼女が、ここにいるはずもなくて。
 ネネは深呼吸をして、胸に手を当てて、青天の霹靂に見舞われたその顔は、しばらくの間消えることは無かった。

「どーしたのネネさん!?」

 慌てて二階から下りてきたレイカに「きっ、気にしないで」と返して、ネネは信じられないとばかりに瞬きを繰り返して大きく、深く、息を吐いた。

「ちょ、ちょっと──ええ。ちょっと、驚いただけよ」

 何度か胸を撫で下ろして、ネネはレイカにそう笑いかけた。

 確かに、見えた。そこには、いるはずのない少女の姿が。
 死んだはずの、岩倉ミズキの姿が。

 でもそれは、決してあり得ないことで、だから、何も言わない。
 だって今はもう、彼女の姿はどこにも見えないのだから。

 ※※※

 慌てて走るその姿は、まるで風のようだった。
 少しだけ、彼女は呼吸のリズムを自ら乱して口を閉じ、その中を唾で湿らせる。
 次に開いた時に出て来たのは締め上げられるような苦しみを訴えてくる肺から出された空気だった。その直後に息を思いっきり吸い込み、吐いて、走り続ける。

 いつもならもう少し早かったはずなのに──少し、舞い上がっていたのかもしれない。そうは思いつつ、ホリは動かす足を早める。

 遅刻するかしないかの分水嶺に立たされている彼女は、それはもう急いでいた。
 点滅する青信号を全力で渡り、道を歩く大人たちの横を風になって通り過ぎ、声すらもまともに出せないくらい、必死に走り続けた。

 そんな彼女の猛進を、目の前で赤に変わった信号が食い止める。

 土煙を上げんばかりの勢いで急ブレーキをかけて立ち止まったホリは、膝に手をついて肩で呼吸どころか虫の息も良い所だった。

「あ……」

 その彼女が顔を上げた所、少し向こうにしずかと思しき背中が見えて、そのまま呼吸を忘れて茫然とその背中に見入っていた。普段の柔らかさよりも、その小ささが目立つような後ろ姿に、ホリは一度瞬きをした。

 そして呼吸を忘れていた事に気づき、息を飲んだ。

 口に手を当てて咳き込む。噎せてしまったが、ホリはすぐに深呼吸をして、できるだけ呼吸を整えながら背筋を真っ直ぐ伸ばして目を閉じた。

 大きく息を吸って、吐く。

 見上げた空はとても青くて、ホリは何か、良い事があるかもしれないと、根拠無くそう思った。目を開けると、それと同時に信号が青に切り替わる。

「やっ、おはよう、川田さん」

 手を挙げて、小走りで近づいて行くと、やはり彼女はしずかだった。

「んー? あー、ホリさんだー」

 笑みを向けてくる近寄りやすさに、ホリも笑顔を返した。

 ──やっぱり、良いことあった。

 そう、心の中で呟いた。

 ※※※

 例えば、もうすぐ、はたまたは今、全てが無くなってしまうかもしれない、そんな出来事を前に、人は平静を保ってはいられなくなると、レイはそう思う。
 それは、何度も見てきた光景の一つで、自分もそうなったから、分かる。

 失ってしまうのが怖いとか、目の前の圧倒的な力に怯えるとか、そんな理屈めいた事は考えてなどいない。その時はただ、受け入れられなくなるか、ただただ頭の中が白く染まってしまう。現実から目を背けて逃げてしまうから。

 ──地震が終わり、レイはすぐに立ち上がった。

 辺りを見回すと、しっかりと班員が揃っていた。しかし、滝本は周囲の人々の動揺に呑み込まれ、自身もパニックに陥ってしまっていた。

 一度目も、こんな感じだったっけ。

 少し考え事をしてから、滝本に「ねえ、滝本さん」と声をかける。

「な、なんだい……?」

「ぼくね、思ったんだけど……」

 少し躊躇いがちに顔を背けたレイを胡乱げに見て、滝本は深く、深く息をついた。
 その瞳を閉じながら、疲れたように手を差し伸べて小さく頷く。

「──言ってみてくれ」

「あのね、先生達の所に戻った方が良いんじゃないかなあ、って……」

「……そう、だな。うん。そうしよう。分かった。うん、そうだ。それが良い」

 そう何度も頷いて、滝本は班員達をそれぞれ集めた。

「少し取り乱したが、すまない。どこから聞こえてきた声か分からず、かつその放送内容に困惑してしまった。班長として情けなく思う。──しかし、そもそも、私達は学生なんだ。あんな放送があったからと言って、何かができるわけでもなし。ならば一度、集合場所に向かおうではないか。──きっと、皆そうするだろう」

 どこか自分を言い包めているような、そんな語調で、滝本はそう語る。
 語り終えるが早いか、滝本は歩き出した。そんな滝本の様子に、それぞれの面々は芋づるのように付いていく。しかし、和田だけは違った。彼女はレイを睨みつけて葉を軋ませる。

「……りえちゃんに、何吹き込んだの……?」

 そのあからさまな敵意にレイは薄ら笑いを浮かべて、和田に返した。

「ぼくはただ先生達の所に戻った方が良いんじゃないかなあって、そう言ったんだよ」

「──ほんと、あんた信用できない」

 悪態をついて、和田は滝本を追いかけた。





[あとがき]
 レイくんにとってミズキちゃんは、まるで光のような存在だったのだと思います。
 ちなみにこれは設定ではなく作者の感想です。
 次回は五月二十日です。四章書き終わったら毎日更新にしようかな。そうしよう。
 少なくとも五章入るまでは……。
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