当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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四章 進む道の先に映るもの

207話 『優位性を持て』

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 ──正面に降り立ったその姿は、背中の翼も相まって、天より遣わされた審判のようにすら感じられた。何も知らない第三者が見れば、あるいはそう錯覚していたかもしれない。

「今度こそ、お前らをぶっ飛ばすぜ!」

 ──罪人を罰する、天使だと。

「……やらせないですよ」

 声を低くして告げたミズキの覚悟に、隣に立つ少女も頷いてそれに賛同する。
 黒い翼を広げたまま、ハダチは二人の様子を見て、嫌悪を顔に出す。

「そんな奴、守る価値あんのかよ」

「……は?」

「そこで伸びてるその男、守ってやる価値なんかねえだろ」

「……あるですよ。守る理由なら、幾らでも。理由があれば、価値も出てくるですよ」

 ハッ、と。

 ミズキは鼻で笑い、見下すように軽く顎を上げて挑発まがいの嘲りを見せる。
 それは、怒りと侮蔑を内包した明らかな敵意の表れで、

「あなたはそんな事すら分からないようですけれどね?」

「チッ……。そうかよ……っ!」

 その意図を感じ取ったハダチは姿勢を低くして足腰に力を蓄え、ミズキへと迫──る直前に「待ってください」と第三者からの声がかかる。

「あ?」

「ハダチくん、よくやりました。偉いですよ」

 その声は、果たして不気味さを纏い、耳に届いた。
 静まり返るこの部屋の中、静かな、けれど確かに耳に届く足音にミズキは振り返る。

 黒い壁があり、その端から見える、部屋の正面奥。大階段に、一つの影が見える。それは長い髪を揺らし、黒い壁から少しずつその姿を現していき──、楽しげな笑みを浮かべた女性の姿が、そこにはあった。

「まさか彼女が来てくれるとは……ふふっ、しかもこんなに早く。どうやって勘付いたんでしょう。まさか、あの紛い物の力でしょうか?」

 まあ、別に構いませんが、と添えて、女性は、カエデは、そう語る。

「何しに来たんだよ」

「かえでたまだ!」

「カエデ……?」

 突如として現れた第三者に、ミズキは眉をひそめる。
 そして、それが纏う嫌悪感にも、殺意にも似た感情で、顔をしかめた。

「こんにちは、精霊さん。私はカエデ。七つの大罪、傲慢の罪を背負うただの女です。よろしくお願いしますね?」

 にこりと人当たりの良い微笑みで挨拶して来る彼女の姿にも、どこからか不気味なほど溢れて来るうずうずするような、ぞわぞわするような感覚に、顔にシワを刻む。

 一目見て、白熱していく思考に身を委ね、腕を振り上げる。
 瞬間、振り上げた腕が視界に一瞬だけ入って我に返る。

 首を傾げるその顔に、その笑みに、憎しみのような感情を覚え、ミズキは胸の内を冷やしながら目を細め、口中で呟く。

 なんなんですか、アレは。

 胸を焼く感情を抑えつけて、ミズキは息を吐いた。

「私は、ただの精霊です。よろしくです」

 ※※※

 頬を撫でるくすぐったい感触に、目を覚ました。
 目を開いても、どこまでも広がっていく闇が見えて、頬を撫でる感触に目線だけを横に向けると、揺れる白い花がその花びらで頬を優しく叩いていた。

 どこまでも続く暗澹とした闇の中、立方体の面の一つ、そこにレイは仰向けに寝転がっていた。

 一旦、自分の状況を整理しようと瞬きをして、それから上半身を起こした。

「ここは……」

 一面に咲く真っ白な花が、無い風に揺られているような、そんな風に揺れている。
 その光景を目の当たりにし、ここがどこか、すっと飲み込めた。ただ──

「ここは、ぼくの後悔の世界じゃ、ないんだったよね」

 ふと、レイは前回ここにやって来た時のことを思い返す。
 悪辣な狂笑、純白のワンピース、瞑ったままの左目。およそ身体的な所は自分と全く同じであった彼女の姿が脳裏に蘇る。結局彼女が何者であったかは分からずじまいで、

「昔を思い出した今でも、あの子の事は分からないな……」

 たしか、と心の中で呟きながら、レイは立ち上がって歩き始める。
 側面に、彼女は立っていた。その側面がどれだったかはあまり覚えてはいないものの、きっとこっちだろうと言う目星はなぜかついていた。

「あ……」

 側面を見下ろしたレイは、目が合った彼女の、嬉しそうな、楽しそうな笑みに目を見開いた。うっすらと頬を染め、両頬に手を当てて寝転がる彼女は、あの時の脅すような狂笑ではなく、もっと好意を抱いているかのような──、

「きゃはっ……!」

「っ……!」

 咄嗟に後ろに下がったレイは、自分の立つ面の終わり、そこを警戒してじっと見つめる。
 ごくりと、渇いた喉が口の中の生唾を掻き集めて持って行く。

「きゃはははははっ。れぇぇぇぇぇええええいいいいい!」

「っ!」

 来る、と直感し、レイは身構える。

「キャふふふ、アハあっ。返事しろよなぁ、おオいぃぃっ!」

「え、あ、はい……」

「くすくすくすくす。あっハア……」

 返事をしたにも関わらず、返ってくるのは笑う声のみ。
 何もしてこない所を見て、レイは首を傾げた。

「え、何……?」

「おもしろぉ……くすくすくす」

「え、何……?」

 ただただ返ってくるだけの笑いに、ついついオウム返ししてしまうレイ。
 面を越えて来ない彼女に、少しばかりの安堵を覚えて、レイは固くしていた身を、張り詰めていた肩を、少しだけほぐした。

「そ、れで……」

「替われよお……」

「……ぇ」

「替われよなぁぁぁ!」

 アはっ、と。

 慄くレイを無視して、見えない彼女が息を吐くように、楽しそうに笑う。嘲笑う。
 嘲笑じみた高笑いが、きゃはは、と鼓膜を刺激するたび、恐怖にも似た感情が胸の内を支配して鷲掴みにする。

「守る守る守る守る……」

 その声は、まるで呟くかのように口から吐かれた。
 上手く聞き取ることができず、口から疑問が突いて出た。

「え……?」

「できねえだろおっ? 分かってんだろぉ!? なあレ~イぃぃいいいっ!」

「──っ!」

「守る、守る。……守れてねーんだよ! レイじゃ守れてねーから!」

「守ろうとは、してるよ……」

「だけども、守れてねーだろ。……キャはハッ」

「っ……」

 その言葉に返せるものも無く、レイは悔しげに顔をしかめて俯いた。
 確かに、これまでも、守る事なんて一つも達成できた事なんて無かった。
 一度目はミズキの命を救えず、
 二度目はナツミとナツメの二人を仲直りさせる事ができず、
 三度目は二弥の立ち直る機会を作り出せなかった。

 今思い返せば、そう言った機会は幾らでもあったはずなのに。

 彼女達の、平穏も、幸せも、守る事すらできずにただ壊すだけ。彼女達に残せたのは安心と幸福ではなく、不安と絶望だけなのではないのか。

 そんな邪推が脳裏を過った途端、頭を駆け抜けていく様々な、あるはずの無い場面の数々。ミズキが恨みを込めた目で自分を睨む姿、ナツミ、ナツメの双子が怒りを湛えた顔で自分を罵倒する姿。──そして最後に、二弥の悲しみと憐れみを混ぜたような目が、軽蔑するかのように冷たく突き刺して来る。

 彼女達に責められている気がして、心が圧し潰されるような圧迫感を胸に味わい左胸を両手で力強く、引き千切らんばかりの勢いで鷲掴みにする。

「だって、そんなの……」

 あるわけが無い。

 そう言いたいのに、否定もできない。
 ぽろぽろと、涙が溢れ始めた。

 やめてよ。

 四人が周りに立ち、口々に責め立てているような気さえする。
 彼女達に責め立てられる毎に苛まれていく、蝕まれていく、食われていく心が、傷だらけになって、深く、その芯を削り取っていく。

「やめ……や、ぁ……」

 段々とか細くなっていくその声に言葉を重ねるように続く罵詈雑言。どうして助けてくれなかったですか、お兄ちゃんのせいで私達離れ離れになっちゃった、お母さんとももう会えない、もう誰とも会いたくなくなったよ、お兄ちゃんのせい、レイくんのせい、お兄ちゃんの、お兄ちゃんのせい、あなたのせい、あなたが悪い、あなたが憎い、お前のせい、お前が悪い、お前が憎い、お前が悪いお前が憎いお前が悪いお前が憎いお前が悪いお前が悪いお前が悪いお前が憎いお前が憎いお前が憎い──……

「──だから」

 ……──だから、罵詈雑言の中で聞こえてきたその声は、まるで光にでも当てられたかのように感じて、レイはいつの間にか俯いていた顔を、救いを求めるような顔で、上げた。

「替われよなぁ、そこお」

 世界が、後ろ向きに傾いていく。

「レイが守るなら、ワタシは壊す」

 傾いていく世界の中、しかし、姿が見えない彼女の声だけが、嫌にハッキリと耳に届いてくる。その声の主の姿を視界に入れようと重力を無視して体を前に、前に四つん這いになって進み、

「ワタシはあ、キライなものを全部全部壊して消して、幸せになるぅ~……」

 キャは、と壊れた笑いが、一つ向こうの面から聞こえてきて──

「このメイリィちゃんが、ぜぇ~んぶ壊して幸せになるの!」

 世界が動くのをやめて、視界が垂直になる。が、周囲が闇の中ではさして変化もも見られず、重力が面の方を向いているので落ちる事もなく、レイは呆気にとられたようにその場にぺたりと座り込んだ。

「交代だぁ……アはっ♪」

 嬉しそうな声が、聞こえてきた。

 ※※※

「おや?」

 カエデは眉を上げてぱちくりと瞬きした。
 まるで信じられないものでも見たかのように、不思議な出来事を目の当たりにして、夢心地のような、そんな目でカエデはミズキを見た。

「精霊さんにまともに挨拶を返されたのはいつぶりでしょうか。ふふ、礼儀正しくて、私は好きですよ。ありがとうございます、ちゃんと返事していただいて」

 にこりと笑うその顔に怖気と虫唾が同時に走る。
 逸りそうになる感情にブレーキを掛けて、ミズキは小さく吐息して答えた。

「早く、要件を言って欲しいです」

「まあ、そうなりますよね……。分かりました。要件とは何、簡単ですよ。私達について来てほしいのです。それだけですよ」

「ッ!? どーゆう事だよそりゃあよ!」

「ハダチくんには話してませんでしたが、彼は──いいえ、彼女は、勇者である可能性が現時点で最も高いのです。なので、こうして経過を見てきてるわけですよ」

 諭すようにハダチに告げたカエデはまるで仕事を円滑に終わらせたかのような得意げな顔で、嬉しそうな顔で、ミズキに手を伸ばす。
 その友好的な態度にそっと肩の力を抜こうとして──

「キャは……♪」

 突如聞こえてきた見知った声に振り返る。

「レイ、くん……?」

 水の玉から頭だけ出した、雪だるまのような形、強いて言うなら水だるまの状態で、レイはゆっくりと右の瞼を持ち上げた。
 それはまるで、寝起きのような、少しとろんとした目だった。
 辺りをさっと見渡し、レイは一言告げる。

「ぜぇ~んぶ、殺しちゃえ……♪」

 瞬間、水だるまが弾けて、中から飛び出したレイが、とん、と軽い音を響かせて床に着地する。
 その壊れた殺意で漲る右目は、視界に映ったハダチへと向けられて──

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……」

 そして、呪詛のようにそれだけをハダチに向けて告げるのだった。





[あとがき]
 メイリィ、と言う名前は、レイくんの『戸籍上名義』からアナグラムして、そこから連想した名前です。アナグラムって楽しかったな……。
 それではまた次回!
 明日で連続更新おしまいだけど、まだまだ話は続くよ!
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