当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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五章 『運命の糸』

237話 『守るよりも笑顔を選ぶ』

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「ゆーくん!?」

「ホリさん!」

 建物の中へ入ったまほまほくんは、一歩離れてついてくる少女を肩越しに振り向き見て、それから人混みの向こう、正面に立っていたホリに視線を向ける。

 彼女は複数の子供達を連れて、立ち往生していた。
 おそらく、周囲の大人達の混乱に翻弄され、自分達の取るべき行動が分かっていないのだ。それは恐怖そのものだと、今の彼は心得ていた。

 今、ここでは侵略者ヴィジターからの攻撃を受け、混乱の最中にあった。その中で親身になってくれていた彼女と出会えたのは僥倖だ。

 騒がしくあちらこちらへと流れる濁流のような人混み、外に出てくる人々も何人かいたが、そのほとんどは軽装のままだ。外の気温はマイナス一桁~二桁ほど。いつどこでヴィジターが襲ってくるか、あるいはこの戦闘が終わるのかも分からない以上、自殺行為も甚だしい。

 とは言え、このままではついて来ている少女とはぐれてしまう。

 彼女を、人混みから守るように上着の中へ隠すように抱き抱えた彼は、その濁流の向こうへと体当たりをするような勢いでその濁流にその身を滑り込ませ、人の波に揉まれながらゆっくり、ホリの下へと向かう。

 ふと、胸辺りにじんわりと、生温かいもので濡れた感触があって、目を見開く。

「──どうした?」

「────」

「……怖いか?」

 進みながら、胸の中で彼女が頷いたのを胸元の感触で確認すると、まほまほくんは苦虫を噛み潰したような顔をして、足を前に進める。

「安心してくれよ。俺が、全部、倒す。倒せるから、安心しろ」

 濡れた感触が、更に広がった。
 それでも前を向いて、進む。

 ※※※

「良かったぁ……無事だったんだね!」

 彼女の前まで、人の波を抜けて辿り着いたまほまほくんは、抱き抱えていた少女をひとまず、その場に立たせる。少女はもう涙は流していなかった。

「ああ、うん。でも、今から行ってくるから、この子の面倒頼めるかな?」

「……いいよ。頑張って」

「ん。頑張ってくるよ」

 目元を赤くする少女は、ホリにそっと背中から包み込むようにそっと手を回され、胸元で交わるホリの手に、重ねるように自分の手を置くと、まほまほくんを見上げた。
 深呼吸をする彼は、既に少女の方を向いていない。

「それじゃあね」

 そう言って、彼は一人、行ってしまった。

 建物内のヴィジター、あの一つ目犬の仲間と思しきものを探し出し、退治し、建物内の人々の安全を確保する。それが、当面の目的である。

 そもそも、『七つの大罪』の情報を収集するべくここに来たのだ。情報を持っているかもしれない人々を放っておいてしまえば、ヴィジターに襲われ、惨殺されてしまうかもしれない。

 そうなる前に、敵を叩く。まずは、人混みが雪崩込んでくる上階へと進んだ。
 彼ら彼女らは懸命に外に出ようとしてしまっているので、何があるのか分からない外に不用意にたくさん出てしまう前に、彼がケリをつけなければ、全滅の可能性が高くなる。

「────」

 人の波を、流れに逆らって進み続け、およそ五分くらいが経った頃。

 自然と、その足が止まった。

 目の前には、開けた視界と、寒いくらいに涼しい風の心地良さがぎしぎしと体に滲む、廊下での出来事だった。人混みは、既に背後。目の前には、惨殺された数人の姿。

「ああ……残念だ」

 そう呟く瞳は瞼に伏せられるものの、熱はこもっていなかった。
 声に反応して、外で見た一つ目犬と同じ姿形のヴィジター達四匹が彼へ振り向く。

「……恐怖に勝てなきゃ、死ぬ」

 ぼそりと、言い聞かせるような口調で呟いた。その後、人差し指を立てて、大きく目を見開いて、大きく息を吸い込む。姿勢を低くする、一番前で死肉を貪っていた一つ目犬。

「やらなきゃ、死ぬ──」

 極彩色が、指先に集まる。
 大きく見開いた瞳には、低く唸る一つ目犬の姿。

 光を巻き取るように極彩色の球体が作り上げられ、それは、破裂するかのように幾つもの光を発射。それは螺旋を描いて一つ目犬へと飛んで行った。それと同時にもう片手の人差し指を立てる。

 光の前に、脇腹から生えた筋肉が表出した腕で死体を翳して盾にする。が、螺旋を描いていた光が死体に触れる直前、一つ目犬と死体を取り囲んで一度、点滅。
 その一つ奥にいた一つ目犬。仮に、一つ目犬Bが走り出す。

 一つ目犬の体を貫き、内部で膨張、そして、破裂。

 次いで、それに驚き、音のした方を警戒して咄嗟に飛び上がった一つ目犬Bへと、立てていた指を向け、そこに溜められた極彩色の光の玉は、その標的を定める。

 一つ目犬Bの意識は破裂した一つ目犬へと向いていて、彼の挙動には一つとして気が付いている様子は無く、その隙に、再び虹色の光を発射。

 ぐるぐると螺旋を描く光の群れは、真っ直ぐに空中に飛び上がっていた一つ目犬Bへと突き刺さり、その内側で暴れ回るかのような膨張をし、それに耐え切れなくなったその肉体が風船が割れるような音と、トマトを潰した音とを混ぜたような、ぐしゎッ、というような音を立てて弾け飛んだ。

「あと半分……」

 目を見開いたまま、戦いが始まってから、瞬きを一度もしていない。
 一度も奴らから目を離さずに、彼は次弾を指先に装填し始めた。

 その隙に、二匹は走り出す。

 目標は彼、まほまほくん。仲間を殺された恨みか怒りか。そういったものを感じさせるような顔も、声もしていないが、二匹は少しの時間差で彼へと走っている。

 まず、二匹の内最初に来た一つ目犬Cの体当たりを横に躱す。
 次に来る一つ目犬Dへ目を向け、次の行動の選択を──

 ──プツッ、と。

 顔の中央からそんな音が聞こえたのと同時に、顔面が、筋肉が表出した一つ目犬Cの脇腹から生えた腕によって殴られたことを自覚する。

「ァ、が──ッ!?」

 頭から弾かれて体が浮き上がり、廊下を跳ねて数メートルを離される。床に全身を打ちつけながら、最後に頭を打って背中から廊下に倒れたまほまほくん。
 指先に溜めていた極彩色は、見れば、フッと音も無く消え去った。
 それを見届け、顔をしかめながら再び立てた指先に光を集め始めた。

 しかし、それを許さぬ追撃が彼を襲う。

 立ち上がった彼の顔面を時間差でやって来た一つ目犬Dが踏みつけにし、体制を崩した所で一つ目犬Cが膝裏を脇腹から生えた腕で掴み、振り回して壁に叩きつけた。

 既に鼻血が、破裂したかのように顔に散る彼は、壁に叩きつけられた際に肺の空気を全て吐き出させられる。そうして、再び指先の光が途切れるまほまほくんは床に倒れ伏した瞬間に咳き込み、肺に空気を送り込もうと大きく息を吸い込む。

 頭を握られ、持ち上げられたまほまほくんは、猛撃を喰らってなお、戦意の消えない瞳で目の前の一つ目犬を睨みつける。そこには怒りだけがあった。

 理不尽な強さ、理不尽な暴虐、理不尽な恐怖、苦痛、絶望。多くの害を成してきた彼らに、まほまほくんはその心を怒りによって奮い立たせる。

 恐怖に負ければ、死ぬ。

 戦わなければ、死ぬ。

 恐怖と、戦え。

 恐怖に、打ち勝て。

 最後に笑うのは、勝つのは──

「──恐怖に、勝った奴だ」

 その時、彼の指先から、極彩色の、極細の糸が、一本だけ、垂れるようにして飛び出していた。それは、光に反射しなければ目に見えないほど細く、張れば、カッターのように物を切る事もできる、万能な糸だ。

 普段は細胞すらもくぐる事のできるこの糸で脳に直接糸を突き刺して記憶を読み取るのだが、今回ばかりはそうではない。

 記憶を読み取ろうと、状況は打開できない。

 ぽたりと、赤い雫が床に零れた。
 頬から垂れた雫を目で追い、その糸の存在に気が付いた。

 そして、彼はにわかに笑ったのだった。

 血みどろの顔で、鼻の潰れた顔で、嗤う。嘲笑う。

 その姿を見るのは一つ目犬二匹のみ。それ以外は、誰もいない。
 小馬鹿にしたようなその笑みを、彼は絶やさず、けたけたと嗤い続けた。

「──逆に頭が、鮮明になってるよ」

 顎を伝う血。それが床に向かって落ちていく。
 一つ目犬とまほまほくん、二人の姿を映しながら。

 そこに映る姿は、血みどろのまほまほくんの方が、一つ目犬を脅しているようであった。

「俺の力は、体から出る、不可視に近い、糸を操ること。細胞の隙間に滑り込ませて、脳みそいじって、記憶を読むなんてよくある話。それの応用で、体温調節機能をこじらせて、体温を上げて、破裂させる。──そもそも、脳みそをいじれるならこうすりゃ良かったんだ」

 指を前に。その姿勢に再び警戒心を顕にする一つ目犬達。前屈みになり、低く唸り、彼が切り裂いたかのように大きく口を開けてにっこりと笑った。
 ──次の瞬間、手前にいた一つ目犬は、背後の同族へ向けて、その牙を首筋へと押し当て、勢い良く噛みついた。噛み潰し、擦り潰し、引き千切るかのような動作で。

「──今、コイツはラジコンだよ」

 それは、独り言。

「味方に食い殺される気分はどうだ? ハハッ……」

 顔は笑わず、淡々とした言葉だけで笑い飛ばした風に声を出し、彼は仲間を食い散らかす一つ目犬を、その動きを止めるまで眺めていた。
 肉を食いちぎる音。骨を折る音。ぷちゅりと、バキッと、びちゃっと、ガリッと。

 絶え間なく続く嫌悪感を抱かせるその音をしっかりと聞きながら、感情の消えた表情で、その光景を凝視してその場に立ち尽くした。

 生々しく、吐き気を催す音が辺りに響くこと数十秒。

 ──ずっと見開いた目が、ふと、我に返る。

「──ぁ」

 自分の、掌を見る。

 両手、そこに、血が滴り落ちるがそこに視線は向かない。視線は掌にできる血溜まりではなく、掌そのものに注ぎ続けられていた。

 喉が、震える。

 再び前を見て、仲間を喰らう一つ目犬の後ろ姿をその目に映す。

 何度も何度も、見直してはその顔に脂汗をかいて──

 ──そして、濡れた自分の胸元を見た。びっしょりと濡れていた跡があった。今は、血が滲んでしまっているが、それでも、そこが濡れていたことは血の滲み具合から分かる。

「──忘れないようにしてたはずだろ? 『人を傷つけるな』って。これじゃ俺は、アレと、同じじゃないか……」

 目の前を見る。そこには一つ目犬の姿。

 数分前を思い返す。血の滲んでいる胸元は、あの時、抱きかかえていた時、彼女が決して涙は見せなかったが確かに涙を流していた証左だ。
 振り返る。その時、自分は何をしていたのか。怒りと憎悪に囚われ、見向きもしなかった。

 そして、彼女の心を傷つけていた。

 ちょうど、今目の前で、仲間の悲鳴をもろともせずにその血肉を貪る一つ目犬のように。彼女の心を抉り、その傷をじくじくと押し広げるかのような所業を、やってしまった。

 配慮とか、そう言うものではなく、自分の信条を違反した事に、何よりも腹が立った。
 固く拳を握り、掌を見つめていた少年は、前を向く。

 怒りも、恐怖も、後悔も、全てを飲み込んで腹の奥底に留めて、立てた人差し指を一つ目犬へ。奴は、ぐずぐずに溶けるようにして消えていく仲間の残骸を踏み潰したり、咀嚼したりしながら、やはりその死へも冒涜を続ける。

 ……気が付かなければ、将来、同じ事をやっていたかもしれない。

 しかし、それだけは、何がどうなろうとも阻止せねばならない。絶対に。
 他人の死を冒涜していい者など、この世には誰もいないのだから。

 そして、されていい者も、誰一人としていない。

「……怒りに、囚われるな」

 起き上がる怒りの熱情に体を焼かれそうになるが、それを、内側だけで抑え込んだまほまほくんは、その指先に極彩色の、覚悟を刻んだ光を集める。

「俺は、決めたぞ」

 シュルルルル、と回転するような動きを見せる光の玉。

「──この力は、人を守るためじゃなくて、人を笑顔にするために使う」

 ぱしゅ、と。

 気の抜けるような音がして、極光の螺旋が一つ目犬の胴体を捉える。それからすぐ、ぶくぶくとまるで葡萄のように膨れ上がって、破裂した。

 静まり返った廊下。そこで、まほまほくんは一つ、ため息を吐く。

 どこか憂鬱な、けれど、そこまで重くはない、軽快なため息だった。

「謝りに行くか」

 そう、自分の心に決着を着け、踵を返したのだった。

 ──次の瞬間には、彼は背後から口元を押さえられ、その意識は刈り取られていた。




[あとがき]
 次回は12月29日です。
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