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二章 無意味の象徴
73話 『決死』
しおりを挟む──ドアが閉まっていく。よかった……。ぬいぐるみ、怖かった……。
閉じたドアをクーちゃんの後ろから、そっと見詰めていた。閉じてからあまり時間は経ってはいないけれども開けようともしてこなさそうだ
だれ、だったんだろう……。
少し、疑問が浮かんできて少しだけどうしようか迷った。──開けようか、このままでいようか。一人は、退屈で、少し寂しいかもしれない。……でも、怖い。
決めた。
……お昼まで待てば、お父さんが帰って来る。だから、それまでここで待っていよう。
※※※
「──ッ!」
「ヤベェッ、マジッ、しぬッ!」
エミ、コーイチ、ナツミの三人は決死の覚悟で走り続けている。少し前に明らかに動きを停めたコカトリスに風を食らい、走り出した三人
──予想通り、ヤツは尻尾を左右に唸らせて大きな声で鳴いた。響き渡る高い音に足を止めて耳を塞ぎかけたコーイチ達は、耳が痛むのを堪えながら少しでも遠くへ離れようとした。だが、それはあまりにも残酷だ
遠くの方からコーイチ達へ向かって、もう一匹のバケモノが来た。高さは大体、大人の男が二人分くらいの高さで全長は──と言いたい所だがヤツはあまりにも長過ぎる。長過ぎて計測すらままならない
そんな大蛇が──バジリスクが、誘われるようにしてコーイチ達へ迫ってきたのだ
絶望の漆黒が導かれて真正面から躍り狂うようにして口を大にして迫ってくる。そして背後からは少しずつ、だが確実に不躾な死の音階が音を徐々に低くして来るのだ
コーイチは愕然とした。ヤツらを本気で怒らせてしまったと、そうなれば敵うはずが無いと。ヤツらは今までのヤツらとは根本的な所から違う。今までのヤツらも確かにバケモノだった。だが、そいつらもコレと比べたらただのザコだ。こんなバケモノは人間が敵うソレじゃない。もっと別の、何かだ。それが分かった途端にコーイチの顔中から汗が流れ出ていく。それと一緒に絶望も流してくれたらどれ程助かっただろうか。ヤツらは刻一刻と迫って来ている
ヤツらから逃げる為には誰かが死なないといけないのか。
……またかよ。
「よッ! ヨコっ! いけッ! はやッ──! クッ!!」
バチッと背中を蹴られてコーイチは戸惑いを見せながら、振り返り背中を蹴った張本人を見ながら動き始めた脚で遠退いて行く
「バッ! 速く来いって!」
どれだけ声をかけても走ってくる気配が無い
「私っ!」エミは突然、大きな声を出した「人が嫌いだったけど! アンタのことは! 割りと好きだった!」
「んなこたぁ良いって! 速く来い! 喰われんぞ!」
「ナツミちゃん! 助けてあげて!」
コーイチが振り向くと──瞬間、エミが歯を見せて笑っていた。その瞳から零れ落ちた涙の粒は彼女と共に、散った
「いやああああああああああああああああああああああッッッ!!」
※※※
──最後に見たのは、少しだけ憧れた、マンガの主人公のような男の子だった。
「おじさん」と、幼い少女の口が開く「どうしておじさんはひとりなの?」
それはね……。私が、不甲斐なかったからだよ。
その時は何を言っているのか分からなかったけど、今なら少し分かる気がした。アナタの不甲斐ない所、見た事、思い出したから。
小学校に入ってまだ間も無かった頃、学校から帰る時、毎日のようにおじさんの所に遊びに行っていた事を憶えている。勉強を教えてもらったり、一緒に遊んでもらったり、お話したり、テレビを見たり、たくさん遊んだ。
「こんな遅くまでどこ行ってたの!? お母さん、とっても心配してたのよ!?」
遊んでいる途中で寝てしまって、少し帰りが遅くなった事があった。おじさんに送ってもらって帰って来たけど、すごく怒られてしまった。しかも、その事を言ったら「もう会っちゃダメ」って言われて、意味が分からなかった。お母さんは理由なんて教えてくれなくて、なのにおじさんの事は嫌いみたいで、とても怖かった。お父さんが帰って来てからもまだ怒られて、おじさんの事を執拗に聞かれた事をとても鮮明に憶えている。何か嫌な予感がして私は何も喋らなかった。
「バイバイ! エミちゃん!」
「うん! バイバイ!」
友達、みたいだけど、あんまり一緒に居たくない人と別れた後、私はいつも通りおじさんの家に行くつもりだった。
「エミ」
お母さんが、学校に迎えに来ていなかったら。
──次の日も、お母さんは学校に迎えに来た。その次の日も次の日も次の次の次の次の次の日も。全然、おじさんの所に行けなくて毎日が詰まらなかった。いつしか、私はおじさんの所に通わなくなっていた。そして──
「ェ……ちゃ、ン……」
それを今日、肩の上でナツミちゃん達のお母さんが何かを言うまではすっかり忘れていた。
「ワタシ、を、置い、て……って……」
私を、おいて行かないで!!
泣きそうになった。あの時の私が言った言葉を戒めるような微かな諦めの声が、頭の中を反芻して、思い出せた。
私が通うのを辞めたのは、おじさんのあの姿を見たからだ。お酒ばかり呑んで、赤くなった顔で玄関で倒れていた。そして、私を怖い目で見たから。それを見てから、行くのをやめてしまった。
だけど、つい最近の事だった。家が火事になって、死にそうだった。死ぬと思った。その時は、まあ、良いか。みたいに思っていたけど、助かった。救けられた。叔父さんに。
部屋の中で最初に見た時、誰だかすっかり忘れていたのに、叔父さんは変わっていなかった。叔父さんはそのせいで、脚が使えなくなった。家を出る時に、叔父さんが押してくれたから。また救けられた。
振り返った時、私は笑っていたと思う。何すんの? と、言いながら。消防隊の人が来るのが遅かったら叔父さんは死んでいた。叔父さんも私も助かったけど叔父さんは脚が動かなくなって、右手が麻痺した。顔は殆ど焼けて、声も禄に出せないような、そんな酷い事になっていた。
お母さんが死んじゃった事よりも、傷付いた。
その日からだったと思う。私は、叔父さんに恩返しをしたかった。だけど何をしたら良いのか分からなかったから、毎日会いに行くことにした。病院のベッドで寝たきりの叔父さんを見る度に心が傷んだ。それでも元気を振り絞って、色んな事をたくさん話した。
学校での事、たくさん友達ができた事、テスト、ゲーム、叔父さんは笑ってくれていたと思う。そうだと嬉しい。
──いつも通り、叔父さんの所に行こうとしたらカエデさんに出会った。バイトを募集しているらしくて、内容よりも時給一五〇〇〇円の方に目が行った。
だけどそれは、命の危険がある危ない仕事だと聞いてしまった。それでも、私は叔父さんの為に何かをしたいと思った。
もしかしたらその時は本当に命に危険があるなんてこれっぽっちも思っていなかったのかもしれない。
まさかこんな事になるなんて、思ってもみなかった。
※※※
「──割りと好きだった!」
何を言っているんだろう。アイツ、今日会ったばっかの私なんかを見てそんな泣きそうな顔すんなよ。マンガの主人公……みたいなヤツ、コーイチ。やだなぁ……死ぬの。ごめんなさい、叔父さん。だけど、もう間に合わないよね。
だって、横見たら暗闇が広がってて──…………。
叫び声みたいなものが、最後に聴こえた。
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