コントローラー

安野穏

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前編

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  あたしは、俯きがちに路地を歩いていた。荷物などほとんど入ってない背中のディバックが、今日ばかりは異様に重く感じられる。実を言うと、誰にも会いたくない一心で、こそこそと細い路地ばかりを選んで歩いているのだ。入り組んだこの細い路地を抜ければ、じきに大きな通りに出る。あたしは立ち止まり、ため息を吐きだしながら、空を見上げた。どんよりとした自分の心とは対称的に、くっきりと爽快に澄み渡ったどこまでも青い空が、燦燦と降り注ぐように目を射る。もう、ため息しか出てこない。

-キラン、キラ、キラ………

 見上げたあたしの目に、まぶしいくらいに輝く物が、ゆっくり、ゆっくりと落ちてきた。まるで、天使が落とした羽根のようだ。あたしは、何の気なしに片手を広げた。広げた自分の手に、スンナリと銀色の物体が乗った。重力をしっかり無視したものは、どうやら、銀色に輝く銃らしい。

(ジュウ?)

 あたしは手の中の物をマジマジと見つめた。綺麗な銀色に輝く、不思議と軽いその物体を慌てて鞄にしまい込んだ。キョロキョロと辺りを伺う。よかった! 誰もいない! ここは日本なんだぞぉ!

 こんな物を普通の女子高生のあたしが、手にしていいわけないじゃないか。どうしよう! 警察に届ける?その入手先を聞かれたら、どう答えればいい?空から降ってきました。なんて、お間抜けな言葉が通じるものかぁ! ヘナヘナと地面に座り込んで、あたしはボカボカと頭を叩いた。

(もしかして、あたしって犯罪者!)

 自分の胸が、その言葉にドキンと飛びはねた。ヒェー、どうしたらいいのよ! サアッ、一気に血の気が引いて顔色が蒼ざめた。あたしは不幸だ! テストの成績が悪い上に、こんな物を拾って犯罪者の仲間入りをするなんて!


-ガッシャーン!

 通りから大きな音が聞こえた。あたしは立ち上がると反射的に走って、通りに飛びだした。二台の車が真正面からぶつかって、運転していた人たちが頭から血を流しているのが見える。周りには他にもう一人いるだけ。

「おじさん、救急車を呼んであげてよ」

 あたしは、隣にいた背の高い男の人の服を掴んで頼み込んだ。男は迷惑そうな表情をしたが、可憐な女子高生(もちろん、あたしのこと)が頼んだせいなのか、近くの公衆電話に入っていった。

 あたしは恐々と、内心は興味津々で車に近寄った。メチャクチャに壊れた車の後部座席から、一人の人相の悪い男が窓を蹴破って、ヨロヨロと這い出してきた。

「おじさん、今、救急車呼んだからジッとしてた方がいいよ」

 男の頭から流れだした血が、顔に赤いスジを幾つも作り、少しよろめいた足取りで男は頭を押さえながら、あたしに近寄ってきた。

「おまえの名前は?」

「ゆ、柚木空」

「ユズキソラ? ソラ、ソラというのだな、よかった、これを頼む。後で取りに行くから」

 男はあたしの手の中に小さなボタンみたいな物をポトンと置いた。あたしはキョトンとして男を見た。

「それを持っていることを誰にも知られるな!わかったな!」

 男の声は、低重音で優しく言えば、ドスがきいていた。もしかしてこの人って、危ない人? あたしは怯えながら、夢中でボタンを制服のポケットに突っ込んだ。

-ピーポー、ピーポー………

 聞き慣れた音響効果が、急に耳に響いてきた。白い車体が到着したらしい。車内からグレイの制服を着た人たちが、パッと飛び出してきた。壊れた車から、次々に血だらけの男の人を救出すると、またあの音響効果を響かせながら去って行った。

「お嬢さんが第一発見者ですか?」

 あたしはビクンと身体を震わせた。目の前に、にこにことした笑みを浮かべた優しそうなお巡りさんが立っていた。強ばっていた顔がゆるんだ気がする。

「違います。あたしはそこの路地を歩いていて、大きな音がして飛び出しただけです。もう一人背の高いおじさんがいて、その人の方が一部始終を見ていたんですけど?」

 いつのまに現れたのか、この事故を物珍し気にながめる人の群を見渡した。さっきのおじさんはどこにもいない。あたしは途方に暮れた。

「あれ? いなくなっちゃった」

 仕方なく、あたしはお巡りさんに捕まって根掘り葉掘り聞かれる羽目になった。と言っても、現実に事故を見ていたわけでないあたしの証言なんて、何の役にも立ちやしない。最後に、住所と名前を聞かれてやっと開放された。メチャクチャに壊れた車は、ちょうどレッカー移動させられているところ。

 内心、あたしは、ヒヤヒヤしていたのだ。カバンの中身を見られたらどうしよう。そればかり考えていた。全身を支配していた緊張が、お巡りさんと共に去っていく。開放されたときには安堵してそこに座り込みたいくらいだった。

「ミソラ!」

 聞き慣れた声にキョロキョロと人込みの中を見回すと、陸ちゃんの心配そうな顔が見えた。あたしは、陸ちゃんのそばに夢中で駆け寄った。コツンとあたしの頭を軽く小突いた陸ちゃんは、グレイのトレーナーとスリムなGパンを着ていた。いつのまに家に帰ったんだろう? あたしが学校を出たときには、まだ校舎に中にいたはず。陸ちゃん愛用の黒の通学用自転車が、まだ自転車置き場に置いてあったのだから。

「どうしたんだよ、こんなところで」

「うん、事故よ、事故。目撃者があたししかいなくて、スプラッタ状態で大変だったのよぉ!」

 ちょっぴり大げさに言うと、陸ちゃんは軽く笑いながら、あたしのオデコをつっついた。

「気を付けろよ。何にしても、おまえが事故に遭わなくて良かったよ」

「とっくに帰っていると思ってたのに、こんなところで道草くって、母さんが心配している。早く帰ろう」

「うん」

 あたしは、自転車の後ろに乗り込むと、陸ちゃんの背中にオデコをつけた。冷たい秋風が、あたしたちの周りを加速して飛びはねていく。本当はいけないことなんだけれど、ついあたしは兄に甘えていつもの二人乗りをしてしまう。さっきのおまわりさんに見つかったら大目玉だ。

「寒くないか?」

「うん、陸ちゃんが風よけになっているもの。平気、平気」

 あたしの声に陸ちゃんが大声で笑う。

「ミソラはちゃっかりしてるな」

「エッヘヘヘ!」

 あたしは後ろで舌を出した。

 あたしには二人、兄弟がいる。今、あたしを自転車に乗せて走っているのが、兄の陸。海王寺学園高等部の二年生。学園始まって以来の秀才。性格は冷静沈着。科学部と天文部の部長を兼任していて、眼鏡を掛けた知性派。女の子のファン数知れず。未だに付き合う子はいない。堅物を売り物にしている。

 もう一人は弟の海。海王寺学園中等部の三年生。中高一貫教育のせいで、高校受験がないことをいいことに遊び回っている。スポーツ万能。特に水泳部のホープ。得意競技はバタフライ。海ちゃんが泳いでいると、時々、人魚が泳いでいるんじゃないかって思う。陸ちゃんと違って、プレイボーイを気取っている。休みの日に同じ女の子とデートしたことがないんじゃないかって思うくらいに、次々に女の子を変えている。

 あたしはその真ん中に挟まって、何の取柄もないゴクゴクフツーの女子高生。お陰で空と言う名前なのに、《ミソッカスの空》縮めてミソラと言う余り芳しくない名前で呼ばれている。学校は同じ海王寺学園高等部の一年生。三人集ると自衛隊トリオなんて呼ばれている。別に親が自衛隊ってわけじゃない。陸海空の三拍子揃ったところはあそこしかないからだ。

 それにしても、うちの親はよくやるよ。陸ちゃんは、この十月に十七才になったばかり。あたしは来年の三月に十六才になる。年子だけど、ここまではいい。問題は海ちゃんの誕生日が十二月ってこと。後、二ヵ月であたしと海ちゃんは同じ年になる。もし万が一あたしの誕生日が五日ほど遅れていたら、情けないことに海ちゃんとあたしは同じ学年になっていたというこの事実。

「仕方ないでしょう。海は早産だったんですもの。八ヵ月で生まれてしまったのよね」

 母親はケラケラとそう笑う。そう言う問題じゃない! そのせいでどんなにあたしが恥かしい思いをしているのか、うちの親も陸ちゃんも海ちゃんも知らない。あたしは年頃の女の子なんだ。親の無計画な出産に心を痛めて当然じゃないか! と、文句はここまでにしておいて、話を元に戻そう。



 あたしは鞄から銀色の銃らしき物と、手渡されたボタンのような物を机に並べた。事件の匂がする。やっぱり、警察に届けるべきかな?迷っている。

「おい、ミソラ、今日テスト返されたんだろう。見てやるから開けていいか?」

「あ、うん、今、着替えているから待って!」

 あたしはあわてて、二つを鞄にしまい込んだ。それから、グリーンのブレザーを脱ぐと、ハンガーに掛けた。スカートとベストはグリーンと黄色のタータンチェック柄。白のYシャツに赤い幅広のリボン。これが海王寺学園高等部の女子の制服。この辺では可愛い制服として有名。別に制服が可愛いから通っているわけではない。あたしたち兄弟は幼稚園からずっと追いかけっこをしている。陸ちゃんの通ったところをあたしと海ちゃんが追いかける。ただそれだけのこと。

 あたしは、いつも通りに紺のトレーナーに首を通した。視界が遮られたのはほんの一瞬のこと。次の瞬間、あたしの目の前に、事故のときに一一九番の電話を頼んだおじさんがいた。

「キャー!」

 当然のリアクション。不審者がいきなり目の前に現れたら、か弱き女子高生としては悲鳴を上げるのが当然だろう。あたしは一応女の子なのだから。

「ミソラ、どうした?」

 陸ちゃんが、ドアを開けて立ち止まった。自分の妹の首に、知らない男の腕が背後から回され、羽交い締めされていれば、当たり前だと思う。男のもう一方の手には、空から降りてきた銀色の銃と同じ物が握られ、その銃口は、あたしの頭にピッタリと押さえ付けられていた。情けないことにあたしは、トレーナーを首に入れただけの格好で、夏のビキニの水着みたいに肌をさらけ出している。恐怖よりも、こんなみっともない格好を陸ちゃんに見られた方が恥かしいよぉ! あたしは真っ赤になった。

「おまえは誰だ! なぜ、ミソラを狙う!」

 陸ちゃんの声は、あくまで冷静さを装っている。あたしの叫び声で、下から母親が階段を上がってくる足音も聞こえてきた。

「空? 陸どうしたの?」

 お母さんが、娘の状況を見て息を飲んだようだ。悲鳴を上げたり、倒れたりしないところが一般の母親とは違う。

「あなたは空をどうする気?」

 一呼吸してから、なるべく落ち着いた声でお母さんはそう聞いた。男の腕があたしの首をグイグイと絞め上げてくる。息苦しくてたまらない。次第に辺りが霞んできた。

「おい、ミソラを離せよ」

 いつのまに来たのだろう? 海ちゃんの声だ。あたしは、霞んだ目で声の方を見た。海ちゃんの身体がフワンと宙に浮いて………

「海!」

 陸ちゃんの声。パシーィーンと何か弾けた音、あたしはその音を最後に意識を失った。



「ハァー、ウゥー」

 わけのわかんない叫び声を出してあたしは気が付いた。大きく深呼吸をする。

「ミソラ、気が付いたか?」

 最初に、あたしの目に飛込んできたのは、陸ちゃんと海ちゃんの心配そうな顔。あたしは自分のベッドに寝かされていた。

「うん」

 あたしは不安そうに二人を見る。ドアが開いて、お母さんがトレイにマグカップを三個載せてきた。

「空、気が付いた。温かいココアを入れてきたから飲みなさい」

 あたしは起き上がって、自分の猫の絵の付いたマグカップを受け取る。ココアはちょうど飲み頃で、体中に温もりが伝わってくる。娘が落ち着いたのを見ると、母親は部屋を出て行った。

「陸ちゃん、あのおじさんは?」

 陸ちゃんのマグカップには熊の絵が付いている。その中身はコーヒーらしく、キツイ匂いが漂っている。陸ちゃんは甘いものが苦手で、コーヒーもブラックの濃いのを好む。あたしの質問に、陸ちゃんは海ちゃんと気まずそうに顔を見合せた。

 海ちゃんのマグカップには犬の絵が付いていて、海ちゃんはあたしの机に乱暴にそれを置いた。海ちゃんはあたしと同じココア。海ちゃんは陸ちゃんと反対にあたしと同じで、甘いもの大好き派。

「ミソラ、あいつと知り合いか?」

 ブスッとした顔で、海ちゃんはあたしに聞いた。あたしは目で陸ちゃんに助けを求めた。海ちゃんの目が怖いからだ。

「海、恐い顔をするなよ」

 陸ちゃんは海ちゃんの頭を小突くと、あたしに寄り添うようにベッドの端に腰掛けた。

「ミソラ、知っているなら教えてくれるか?」

「うん、今日の交通事故であたしと一緒に事故を目撃した人。でもね、陸ちゃん、警察の人が来る前にあの人いなくなっちゃったの」

 また、二人は顔を見合せる。陸ちゃんは頭に手を当てて考え込む。海ちゃんは相変わらず腕組みして、恐い目であたしをにらむ。

 あたしは俯いてイジイジしてしまう。あたしの方が年が上なのに、海ちゃんはあたしを姉だと思っていない。あたしが高校生になってから何かと言うと突っかかってくる。近頃の海ちゃんは苦手!

「まあいい。海、俺はミソラの勉強を見るからここはいいよ」

 海ちゃんはふてくされたように部屋を出ていった。

「近頃、海ちゃん、怒ってばかりで恐い」

 あたしは陸ちゃんに訴えた。陸ちゃんは、あたしの言葉に取合わない。

「ほら、時間がなくなる。さっさとテストを出せよ」

「うん」

 仕方なく、起き上がると机の脇に落ちている鞄を拾い上げた。いつのまに着せられたのか、あたしはベージュのキュロットスカートをはかされていた。とりあえずほっとした。

「全く、ミソラ、いいかげんにしろよ。何でこんなのがわからないんだよ」

 あたしは鉛筆を持って俯く。机の上には所狭しとテスト用紙を中心に参考書やノートが広げられている。陸ちゃんは呆れたような表情を出来の悪い妹へと向ける。こんなとき、当の本人は小さくなって消えたくなる。

 陸ちゃんと海ちゃんの間で、どうしてあたしはこんなにミジメなのだろう? 近頃、実を言うと本当に陸ちゃんと海ちゃんと兄弟なのかな? って考えているのだ。

「何を考え込んでいるんだ?」

 あたしの頭を陸ちゃんがポンと叩く。あたしは恐る恐る陸ちゃんを見ながら、両手で叩かれた頭を押さえた。

「ごめん!」

 妹の情けない顔に、陸ちゃんは吹き出した。



 窓辺に頬杖を付いて、また、ため息を吐きだした。あたしが高校生になってから、急にあたしたちの関係が変わってきている。今まで仲良し三兄弟でいたのに、どこかギクシャクし始めている。海ちゃんがプレイボーイを気取り始めたのも、あたしに突っかかるようになったのもあたしが高校生になってから。陸ちゃんはあたしに変わらない態度でいてくれるけど、それが物足りないと思い始めたのはこの夏。あたしの友達の須藤陽子が陸ちゃんに熱烈な恋をしてから。陸ちゃんは誰とも付き合う気何かないと言いながら、あたしのたっての頼みで一度だけ陽子とデートした。その日一日中、自分が段取ったのに、あたしの胸はチクチクと痛み続けた。陸ちゃんはあたしのお兄さんなのに?

「フウゥー」

 あたしは、長いため息を吐き出した。やり切れないよぉ!

「どうして子供のままでいられないのかな?」

 あたしは目を閉じた。中学生まではあたしたち三人はいつも仲良し兄弟で、どこに行くのも必ず一緒にいた。陸ちゃんと海ちゃんといつまでも三人でいられると信じていた。

-カタン!

 窓の外から小さな物音が聞こえた。あたしは窓を開けた。ベランダに一匹のシマリスが迷い込んでいた。愛くるしい顔をしたこの小さな生き物は、人に慣れているらしくあたしの手に飛び乗ってきた。

「可愛い」

 そっと、リスの背中を指先で撫でてみた。リスはピョンと跳ねて、あたしの背中に飛び移った。サーカスか何かみたいに、小さな身体であたしの体中を飛び回っている。リスの動きがくすぐったくて、憂鬱気分だったのに、自然に笑いだしていた。

-アッタ!

 不意に頭の中に、声が飛込んできた。シマリスの目がキランと金色に光っている。ゾクッとしたあたしは、バシッと手で肩の上にいた獣をはね退けた。リスはクルンと一回転して、事故のときの怪我をしたおじさんに代わった。おじさんには怪我の跡が一つもない。

「お嬢ちゃん、そうそう、確かソラという名前だったね。君に預けたものを返してもらいに来た。あれは君には必要のない物だ。おとなしく返してくれれば君には何も危害を加えないよ」

 おじさんが音もなく、スッとあたしに近寄ってきた。ニコニコと微笑んでいる男の目が、暗闇の中にいる猫みたいに細く光っている。あとずさった身体がドンと机にぶつかった。これ以上、下がることはできない。あたしはとっさに机の上に置いた鞄を抱え込んだ。

-返さないで!

 あたしの頭に大きな声が響いた。えっ? 何? 何? 頭の中に響く声には、聞き覚えがある。その声がキーワードになったのか、カチャ、ピワーンという音が、頭の中で鳴響いた。環境同化システムの疑似記憶が封鎖され、あたし本来の記憶が呼び戻される。頭の中を覆っていたモヤが一気に晴れていく気分だ。


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