1 / 9
罅、軋轢
プロローグ
しおりを挟む
電車が通る、風圧で身体がぐらついた。落としそうになったスマホを指先で握りしめると爪が酷く痛んだ。
「しにたい」
この音には何の意味もない、“しにたい”であって“死にたい”ではない。
無意識に、ただ漠然と漏れ出す口癖なのだ。
今日も、二時間と少しの残業をした。脚がむくみ、首が痛い。頭が重く、眼の奥がぼんやりとする。
———あの頃は良かった。
夢の中を泳いでいたかのような日々、息が止まる程のときめきを毎日飲み干し、恋をしていた。
躓くことに慣れたと言うよりは上手い転び方を学んだだけの地続きの人生は過去に憧憬を抱くばかりで、日々の小さな幸福や親しい人達との関わりなどといった程度のことでは傷を癒すことが出来なくなっていた。
“あの頃”を指している、当時からの気の知れた友人と遊んでも当然その頃に戻る事なんて出来ないし、むしろ年齢ばかり重ねてどうしようもなくなった自分に嫌気が差すようにもなってきている。
「忠義くん」
上狛忠義———フィクションの存在だ。
『罅、軋轢』というフリーホラーゲームに登場するキャラクターの一人で、犬神の呪いで繁栄した一族の出自である。
非常に容姿端麗、人間離れした美貌と表される顔立ちのキャラクターなのだが、人間離れとは文字通りで彼は人間ではない。彼の双子として産まれた正義とは違い数百年の栄華の代償として今代の嫡男である忠義は異形の化物として生を受けた。
非の付け所のないと言われる彼の実際の姿はシナリオ内で腐り落ちたモグラと表現されており、目はなく耳はただの穴がそこに在り、全身が短くごわついた毛に覆われていて頭部の形も顔の造形も“モグラ”そのものなのだ。その上、所々肉が壊死しており生きたまま蛆が湧き肉を食らい醜い体毛が禿げて悪臭を放っている。耳の中の蛆虫が床に落ちる描写は“みんなのトラウマ”などと揶揄されている。
そんな上狛忠義に私は恋をしている。
どうしようもなく、恋をしている。
どうしようもない、恋をしている。
叶いもしない願いは妄想に過ぎない。
彼は人間ではない、それは作中上の設定のみの話ではなく、液晶内に、紙面に、平面上でのみ生きることが出来る二次元のキャラクターなのだから当然の話だ。
十代の頃ならまだしも私は今年で二十四歳になる立派な大人だ。物事の分別は付いて然るべき年齢なのに、どうしようもない幼稚さが、初めて忠義くんを見たときの鮮烈さが、少女期が縋り付いて離れない精神性が燻り続けていた。
あぁ、電車が停まる
ホームと車内の隙間は他の路線よりも広く開いており、浮腫んだ脚に響くほど勢いをつけて中へ飛び込んだ。
通常のラッシュ時より空いているに安心してシートに座ると大凡の目安にアラームをかけて私はしばしの眠りについた。帰ったらまずはシャワーを浴びて、そして冷凍のデリを温めて食べよう、今日はお酒も飲んでそして罅、軋轢をプレイよう。まるでノルマのように取り決めた。
大丈夫、楽しみだと思える。私はまだ、頑張れる。
「しにたい」
この音には何の意味もない、“しにたい”であって“死にたい”ではない。
無意識に、ただ漠然と漏れ出す口癖なのだ。
今日も、二時間と少しの残業をした。脚がむくみ、首が痛い。頭が重く、眼の奥がぼんやりとする。
———あの頃は良かった。
夢の中を泳いでいたかのような日々、息が止まる程のときめきを毎日飲み干し、恋をしていた。
躓くことに慣れたと言うよりは上手い転び方を学んだだけの地続きの人生は過去に憧憬を抱くばかりで、日々の小さな幸福や親しい人達との関わりなどといった程度のことでは傷を癒すことが出来なくなっていた。
“あの頃”を指している、当時からの気の知れた友人と遊んでも当然その頃に戻る事なんて出来ないし、むしろ年齢ばかり重ねてどうしようもなくなった自分に嫌気が差すようにもなってきている。
「忠義くん」
上狛忠義———フィクションの存在だ。
『罅、軋轢』というフリーホラーゲームに登場するキャラクターの一人で、犬神の呪いで繁栄した一族の出自である。
非常に容姿端麗、人間離れした美貌と表される顔立ちのキャラクターなのだが、人間離れとは文字通りで彼は人間ではない。彼の双子として産まれた正義とは違い数百年の栄華の代償として今代の嫡男である忠義は異形の化物として生を受けた。
非の付け所のないと言われる彼の実際の姿はシナリオ内で腐り落ちたモグラと表現されており、目はなく耳はただの穴がそこに在り、全身が短くごわついた毛に覆われていて頭部の形も顔の造形も“モグラ”そのものなのだ。その上、所々肉が壊死しており生きたまま蛆が湧き肉を食らい醜い体毛が禿げて悪臭を放っている。耳の中の蛆虫が床に落ちる描写は“みんなのトラウマ”などと揶揄されている。
そんな上狛忠義に私は恋をしている。
どうしようもなく、恋をしている。
どうしようもない、恋をしている。
叶いもしない願いは妄想に過ぎない。
彼は人間ではない、それは作中上の設定のみの話ではなく、液晶内に、紙面に、平面上でのみ生きることが出来る二次元のキャラクターなのだから当然の話だ。
十代の頃ならまだしも私は今年で二十四歳になる立派な大人だ。物事の分別は付いて然るべき年齢なのに、どうしようもない幼稚さが、初めて忠義くんを見たときの鮮烈さが、少女期が縋り付いて離れない精神性が燻り続けていた。
あぁ、電車が停まる
ホームと車内の隙間は他の路線よりも広く開いており、浮腫んだ脚に響くほど勢いをつけて中へ飛び込んだ。
通常のラッシュ時より空いているに安心してシートに座ると大凡の目安にアラームをかけて私はしばしの眠りについた。帰ったらまずはシャワーを浴びて、そして冷凍のデリを温めて食べよう、今日はお酒も飲んでそして罅、軋轢をプレイよう。まるでノルマのように取り決めた。
大丈夫、楽しみだと思える。私はまだ、頑張れる。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
3
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる