ふかし

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 スーパーで買い物中、あなたに何が好き? と訊かれたので、ハンバーグと答えると、それが今晩の正解になった。
 お会計はこちらが持つと言ったのだが、あなたは譲らなかった。良いミンチを買っていたので、値段が心配だったのだ。
 あなたのハンバーグは、とても美味しかった。肉汁が溢れ、口のなかに喜びが広がった。特製の卵スープも絶品だった。もしも、恋をしているのなら、プロポーズを考えただろうか? と思案した。
 「ねえ、今度テレビ出るの。バラエティー、初めてじゃないけど、緊張する」とあなたはテンションが高かった。
 「良かったね、録画しようかな」と私。
 「リアルタイムで観てよ! ちょっとテレビ関係のひとと飲む機会があってね、DVDもいま売れてるし、チャンスと思って売り込みかけたの」
 「それは大胆だ」と冗談めかして言うと、急にあなたは暗い顔になった。
 「私、初めてそういうひとと寝たの、枕営業ってやつ」
 「そうか、無理矢理じゃないならいいんじゃない?」
 「残念、叱って欲しくて言ったのに」
 「ああ、じゃあ、コラ!」とおどけた。
 「もうそんなんじゃない。真剣に」
 「無理矢理なレイプみたいなものじゃない限り、悪いとは思わないから、怒るのは厳しいかな」
 「なんか冷たい」
 「そう? そんなつもりはないんだ。ごめんよ」
 「ねぇ、枕したことある?」と目を光らせた。仲間を欲しているのだろうと思われた。
 仕事関係の女性とも幾人か関係を持ったことがあったので、返事に窮した。
 「考えてるってことはあるってことでしょ?」とあなたは嬉しそうにした。共犯意識というのだろか、ひとにはそういう弱さがある。それは十全に理解していたが、何故だか嫌悪のようなものが湧いた。
 「あつしさん、他にも女のひといるでしょ? でも私は、あつしさんと出逢ってから他のひととはなかったの。そういうこともあって今回はこういうことしちゃったのかもって。あつしさん一筋じゃなくて、他の人にも気持ちを分散させたいなって、そういうのがあったのかもって、ちょっと思うんだ」と沈んだ調子で言った。
 俺と付き合って、もうそういうことはやめろ、という言葉を待っているのだろうか、と私は考えた。
 けれども、枕営業を私のせいにまで発展させた、その態度に心が冷えていくのを思った。
 「ああ、そういうのもあったかもしれないねぇ」と柔らかに言ったが、とても冷たかっただろう。
 彼女は気を取り直したようで、「で、私の他に何人いるの?」とはしゃぐように訊いてきた。
 「わからない」とポツリと答えて、冷淡すぎたか、と悔いたが、もう心が冷めてしまっているので、致し方なかった。
 「ねぇ、怒ってる? 何に? 枕営業?」と不安そうな顔を見せる。
 「いや、それは気にしてない」というと、彼女は残念そうにし、「じゃあ、何?」と問うてきた。
 答えに困っていると、彼女の目が鋭くなっていくように見えた。他の女性とも関係していることを責められているようだった。お前には関係ないだろう、と残酷な言葉まで、ちらと頭をよぎった。
 「ねぇ、黙ってないで」と追われたので、もう逃げ場はなかった。
 「枕営業、納得してやったんでしょ?」と私。
 「やっぱり、そこにひっかかってたんじゃない」とあなたは笑った。こちらに少しは嫉妬心があると知れて嬉しい、というような勘違いも起こしていそうだった。
 「いや、そういうわけじゃないけど、俺にも枕営業したことがあって欲しいって思ったでしょ? それがなんか醜いなって思っちゃったんだよね」
 「そんなこと考えてたの? 怖~い、そんなことないよ、考えすぎだって」と口では言うが、表情が追いついていなかった。
 「自分の人生なんだから、自分で決着つけなくちゃ、だめだと思うよ」とかなり冷たかっただろうか。
 「あつしさんは何も分かってない」と今にも泣きそうになった。
 好きだ、付き合ってくれ、ほぼそう言われているのだろうということは分かっていたが、それを直接的な言葉にはせず、相手に委ね、そこに期待感まで持っているのは、流石にずるいと思われた。
 けれど、「わかってないかもしれない」と私は逃げた。
 「そうやって、いつもケムに巻く」と追われた。
 ついに、涙が溢れた。
 「ひどいよ、ひどいよ、私のこと何にも考えてくれてない」とその言葉を耳にしたところで、君も俺のことを何も考えてくれていない、という言葉を思ったが、それを伝えても、食事などの家事を幾度もしたことを引き合いに出し、それに比べて…、という話になるのは目に見えていたので、黙っていた。
 私は椅子から立ち上がり、そばへより、頭を撫でた。
 「そうやって、誤魔化さないで」と言われてしまったからには、もう終わりだった。
 「枕営業したところまではいいよ。でも、俺のせいにしたでしょ? 本当にああいう気持ちがあったとしても、それも君の判断でしょ? 分散させるとか、させないとか」
 「本当に何も分かってない」とヒステリー気味な声が上がった。私は、それがとても苦手だ。なので非情になってしまった。
 「もしかして、そういうことはもうやめてくれ、俺と付き合おうみたいな言葉を待ってた?」
 「待ってちゃ悪い?」と挑むような目でこちらを睨みつけてきた。それでも涙は止まらない。
 「相手の言葉を待つっていうのは、あまり好きじゃない」
 「こっちの身にもなってよ! 待つしかないじゃない! だって、付き合ってって言って、付き合ってくれた? くれないでしょ? ほら待つしかないじゃない」と声を高めた。
 「そうだね、付き合いはしなかったね」
 「ほら、だったら待つしかないじゃない」とあなたは勝ち誇ったように言った。
 それは、付き合えるかどうか分からなくても、自分の方から動き続け、どうにか相手を口説き落とすしかない、という考え方の私には分からない話だった。なので、納得し得ない事象だったが、この嵐がやむなら、もうなんでも良いという気持ちになっていた。
 「ねぇ、黙ってないで、何を考えてるか、話してよ!」
 つまり謝ってよ、もしくは考え改めて、わたしと付き合ってよ、ということなのだろうと思われたが、私の心は冷えに冷えていたので、「時間が早く進まないかなって考えてる」と酷なことを言った。
 あなたは立ち上がり、「もう帰る、もう会わない、DMなんかしなきゃ良かった最低」と言って、玄関に向かった。
 私はその背を目でも追わなかった。
 鍵を締めるために、出て行ったことさえ分かれば良いと考えていたので、耳だけ生かしておいた。
 あなたが出ていく音がした。
 玄関へゆき、鍵をかけた。
 リビングへ戻り、音楽をかけた。
 まるで何事もなかったかのようだった。
 ナナさんの、遊びすぎには注意しなさい、という言葉が頭に浮かんだが、遊びとはなんだろう、本気とは、とその定義が見えなかった。
 ドアを何度も叩く音がした。
 「ねぇ、なんで追いかけてこないのよ」
 その音はしばらく、やまなかった。

           
                 《完》
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