凱旋の少女たち

しろてつや

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第0章 ~プロローグ~

1、同い年の侵入者

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 コンコン、という、窓を叩く音。
 金髪の少女はその音を聞くと、カーテンを開け、窓を開いた。

「…貴方、また来たんですの?」

 そこにいたのは、これまでにもう何度ここへ忍び込んできたのかも分からない、同い年の侵入者だった。

「うん、どうしても顔が見たくて。…嫌だった?」

 少年は真っ直ぐに少女の目を見つめ、機嫌を伺うように声をかける。

「……別に嫌じゃありませんけれど。警備に見つかっても知りませんわよ。」

「巡回の時間を教えてくれたのは君じゃなかったっけ?」

「……バカな人。……それで、今日は何しに来たんですの?」

 少女は呆れたように溜め息をつき、そう尋ねる。

「うん、……ほら! 南の洞窟に生えてる珍しい花を持ってきたんだ! 洞窟の奥の方にしか咲かない花らしくて、蛍がこの蜜を吸いにくるから、光っているように見えるんだって!」

 少年は嬉しそうに肩から下げたカバンをゴソゴソと探り、一束の花を取り出した。
 大事そうに束ねられたその花は、白い花びらを満開に咲かせ、とても可憐な表情を見せていた。
 …しかし少女は、その花よりも少年の言葉に対して驚きの声を上げる。

「なっ…! 南の洞窟って、危険な魔物が多く生息しているって聞きますわよ! またそんなところに貴方一人で…!?」

 少女は激昂する。
 少年が足を運んだ南の洞窟というのは、凶暴な魔物が住み着いているということで有名だった。鉱石などの資源や薬の調合のための薬草やキノコが採れるということもないらしいので、物見遊山でも普通は決して近づくことのない場所だ。
 わざわざそんな場所に行くなんて、何を考えているんだ!

「あははは。でも、ちゃんと武器も持っていったし、魔物は火で追い払ったから大丈夫!」

 少年はまるでことも無げにケラケラと笑う。
 …よく見ると、花を差し出すその腕にはいくつかの切り傷があった。

「その怪我…! 魔物から受けた傷ですの!? ちょっと見せなさい!」

 少女はその怪我を認めると、窓から身を乗り出して少年の腕をぐいっと引っ張る。

「い、いたたた…。」

「本当にバカな人。ほら、私が治してあげますから…!」

 そう言って少女は、窓の傍らのサイドボードに置かれていた分厚い書物を片手に持ち、ページを開いて詠唱を始めた。
 すると少女の身体全体が薄い膜のような柔らかな光を纏い、それに呼応するかのように本のページに書かれた文字や幾何学模様のインクがわずかに光りだす。
 そして患部に添えた手からより強い、…けれども優しい光が発せられ、その温かな光はみるみるうちに少年の傷を癒していく…。
 次の瞬間には、まるではじめから怪我などしていなかったかのように、少年の腕は健康的な肌を取り戻すのだった。

「へぇー、いつ見てもすごいなー。ありがとう。」

「貴方って本当にバカですのね! こんな花を採りにいくためにそんな危険を冒すなんて、…もしもっと強い魔物が襲ってきたら、こんな怪我じゃ済みませんのよ!」

 まるで他人事のような少年の態度に、少女はさらに悪態をつく。……その様子はまるで、言うことを聞かない子供を親が叱っているかのようだった。

「でも、これくらいで済んだじゃん。」

「それは結果論ですわ! 私は貴方の無鉄砲な行動に対して怒っていますのよ!」

「いちいちうるさいなぁ…。でもほら、この花はセシリアのために採ってきたんだから、受け取ってよ。」

 少年は少女の言葉を遮るように、ぐいっと花束を差し出す。

「う……。」

 少女は少年のその言葉に興を削がれ、不満げな表情ながらも差し出された花束を渋々と受け取る。
 …華奢な茎に白い花びらを付けたその花は、まるで諭してくれているかのように穏やかだった。

「…………。」

「綺麗でしょ? その花、夜になると蛍が集まってくるんだ。『花の宝石』って呼ばれているらしいよ。」

「……この屋敷に蛍なんていませんし、庭に植えていても庭師に剪定されるのがオチですわね。」

「あっ、そうか…。…それじゃ、花瓶にでも生けといたら!」

「…部屋の中に蛍が入ってくるわけないじゃありませんの。」

「うう…、それなら……。」

 冷静な少女の返答にしどろもどろしながら次の言葉を探す少年。
 少女はその様子を見るなり、少し意地悪が過ぎたかもしれないと思い、そっぽを向いてぽつりと呟いた。

「………………でも、…綺麗ですわ。」

 それを聞いた少年は、にこりと笑顔を見せる。

「でしょ?」

 …まったく、この男はなんでこうなのだろうか。
 こちらがどれだけ怒っても、まるで暖簾に腕押しのようにのらりくらりとその言葉を受け流す。そんな真っ直ぐな目で見られたら、いちいち声を荒げるこっちがバカみたいじゃないか…。

「…はあ、もういいですわ。それよりミシェル、話を聞かせてくださいな。街の外のこと。」

 少女は観念したかのように溜め息をつき、そう尋ねる。
 少年は待っていましたと言わんばかりに、この花を採ってくるまでの体験を嬉々として話し出すのだった。






 少年が少女の部屋を訪れてから、30分ほど経っただろうか。
 もうすぐ警備の巡回がやってくる時間のため、少年は少女の部屋を後にした。
 少年が塀を越えて見えなくなるまで、少女は窓の外を見つめ続けた。

「……バカな人。」

 ぽつりとそう呟き、少女はカーテンを閉めてベッドへと倒れ込む。
 その胸には少年から受け取った白い花束を抱き、仰向けのまましばらく天井を見上げていた。










「……リア、セシリア。起きなさい、セシリア。」

 …暗闇の中、自分を呼ぶ声が聞こえる。静まった水面に石を投げるかのように、その声は私の意識を波立たせていく。

「セシリア。」

「…………はっ!? え、あ……。」

 目を開け、飛び起きる。
 そこには見慣れた壁に見慣れた家具。……どうやら、私は眠ってしまっていたようだった。
 そしてベッドの傍らには、私の名を呼ぶ主の姿があった。
 ……お父様だった。

「あ、お父様…。…寝てしまっていたのですわね。」

「起きたか、セシリア。…もうすぐ晩御飯の時間だ。食堂に来なさい。」

 父は低く優しい声でそう言うと、背を向けて歩き出す。
 私はぼーっとした頭でその背中を目で追いながら、ふとあることを思い出す。
 …………花がない!
 さっきまで手に持っていたはずの、ミシェルにもらった白い花束がどこかへ行ってしまっていたのだ。

「お、お父様! 白い花束を見ませんでしたか? 私が手に持っていたと思うのですが。」

「ああ、あの花ならそこの花瓶に挿してある。…綺麗な花じゃないか。」

 父はそう言いながら、部屋の隅にあった花瓶を指差す。
 …そこには、さっきミシェルにもらった花束が飾られていた…。

「…ああ、ありがとうございます。」

 私は思わず胸を撫で下ろす。
 …しかし、安堵したのも束の間だった。頭が覚醒してくるにつれ、あの花束がそこにあるということに対してある不安が湧き上がってきたのだ。
 あの花束は、本来この屋敷には植えられていない花だ。そんな花をどうして私が持っていたのかということについて尋ねられたら、私は何と答えればいいのだろうか。
 警備の目をかいくぐって屋敷に侵入してきたミシェルのことを言うわけにはいかない。……うまく誤魔化さなくては…。

「……もう食事の準備ができる。早く来なさい。」

 …しかし父は、そう言い残して部屋の外へ出たのだった。
 ……どうやら、ミシェルのことを咎められるかもしれないという心配は杞憂だったらしい…。

「………………。」

 よく考えれば、父が庭に植えられている花の種類などをいちいち把握しているはずがない。
 父が花を花瓶に移してくれたのだとすれば、特に気に留めないのも当然だ。
 私は頭を振って、食堂へと急いだ。



 食堂へ行くと父と母がすでに食卓に着いており、給仕が飲み物を注いでいるところだった。
 いつもと違ったのは、食卓の末席に1人の男が座っていたことだ。

「やあ、セシリア。久しぶりじゃないか。また大きくなったな。」

「ニクラス司祭! お久しぶりですわ。」

 柔かな笑顔で来客席に座っていた恰幅のいい男は、アウラ教の司祭を務めるニクラスだった。
 彼と顔を合わせるのは半年ほど前、今日と同じように我が家で食卓を共にしたとき以来だ。
 私は会釈をしながら食卓へ着く。

「セシリア、魔法の練習はしているか?」

「もちろんですわ。治癒魔法の成績なら相変わらず学校でもトップでしてよ。」

 ニクラスの問いかけに、私は胸を張ってそう答える。
 魔法には沢山の種類があるが、自分はその中でも怪我を治す治癒魔法の分野に関しては誰にも負けないという自信があった。先ほどのミシェル程度の怪我ならばあっという間に治してみせる。その成績は、自分の通う学校でもトップクラスなのだ。

「そうか、それはいい。君のような優秀なヒーラーを育てることができて、私も鼻が高いよ。」

 ニクラス司祭は満足そうに微笑む。
 私の修めた治癒魔法は、彼らの属するアウラ教会が所有する魔導師養成所にてその基礎を学び、修練の末に得たものだ。学校でトップになれたというのはもちろん私の優れた才能と血の滲む努力あってのものだったが、その私の素養を見定め、養成所への入所を斡旋してくれたニクラス司祭には感謝しきりだった。
 養成所を卒業し、学校も初等部から中等部へと進級してからはなかなか会う機会もなく、こうして話を交わすのがとても新鮮に感じる。
 私とニクラス司祭はしばらく近況報告や世間話に花を咲かせ、両親は時おり相槌などを挟みながら、私たちの様子を微笑ましく眺めていたのだった。

「ところで、そろそろご神託の時期ですわね。今年はどんなお告げが降るのでしょうか。」

 私はふと思い出し、司祭へと尋ねた。
 ご神託とは、毎年春の時期になると告げられる女神様からのお告げだ。その内容は様々で、向こう1年間の天候や災害の有無、お金の回り方などなど、私たちの生活に関わる事柄について女神様がヒントを与えてくださるのだ。
 女神様のお告げとはいえ、もちろんその内容は百発百中という訳ではない。しかし日頃の生活の中で一つの指標を示してくれるそのお告げは、とてもありがたいものだった。
 毎年この時期になると街中がその話題で持ちきりになり、そのご神託に直接関わるアウラ教の司祭であるニクラスともなれば、当事者の一人としてその影響はとても大きかった。
 私にはよく分からないが、ご神託を受けるための儀式や、その準備というものが色々とあるらしい。

「そうだね、もうすぐご神託だ。去年はとても素晴らしい御言葉を頂いたよ。こればっかりは女神様の御意志次第だが、良いお告げだといいね。」

 ご神託を受けるのはアウラ教の巫女様だ。巫女という肩書きはアウラ教の中でも特別なものであり、女神であるアウラ様の存在を体現する象徴である。その発言の影響は敬虔なアウラ教徒だけでなく、私たち貴族や市民にまで及ぶ。
 アウラ教の関係者だけでなく、実質的に私たち国民にとっての象徴であるとも言える、とても尊いお方なのだ。
 もちろん、ご神託は女神様のご意志であるので、いくら巫女様と言えどその内容についてどうこう言えるわけでもない。しかしご神託を受けた巫女様の言葉は市民や商人たちの生活にも影響を及ぼすので、私たちも無関心ではいられないのだ。

 私たちはしばらくご神託の話題で食卓を賑わせたが、食卓にデザートが並びだした頃にその話題が父のお仕事のことへと移ってしまったため、私は難しい言葉の飛び交う大人の話に少し退屈してしまうのだった。



 食事を終えると、込み入った大人の話をするからと言われ、私は食堂から追い出された。
 私は一人廊下を歩き、自分の部屋へと向かった。
 部屋へ入り、ベッドへぽすりと腰掛ける。

「…ふう、少し話し疲れましたわね。」

 ベッドの側のカーテンを開けると、外からは月の光が差し込んだ。
 月は半月より少し満ちたくらい。私はぼんやりと空を見上げるのが好きで、こうして空を見ながら物思いにふけるのが密かな癒しの時間だった。
 空はいい。昼には澄み渡るような青と眩しい太陽、夕方には燃えるような夕日、そして夜には月と満面に輝く星たち。その時刻や季節によっていつも違った顔を見せてくれる。

「…………ミシェル…。」

 ぽつりと、少年の名を呟く。…きっと今ごろ、彼も同じ空を見上げているのだろうか。
 ……しかし、彼の知る空は、私の知っているそれよりもはるかに広く、そして、自由だ。
 私が知っている空は、せいぜいこの屋敷の塀の中から見える範囲か、あるいはこの街から見える程度。…彼のように、街の外へ出て色々な空を見ることができたらどれだけいいことだろう。
 昼間に彼が教えてくれた街外れの洞窟の話を思い出す。
 …きっとそこには私の知らない景色があって、危険な魔物たちがいて、光り輝く白い花が生えていて…。
 彼の話す言葉は、私にとってまるで絵本の中の世界のようだった。
 西にある港町へ行き、海で泳いだということ。泳いでいるところへ水生の魔物が近づいてきて、危うく食べられそうになったということ。街外れの森の中を探検して、ホワイトウルフの巣を見つけたということ。そしてその森の中で、迷って帰れなくなってしまいそうになったこと。
 いつも楽しげな体験をしては、同じ数だけの危険にあって、毎度私のところへお土産を持ってやってくる。
 そしてそんなバカな男の子の話すことを、毎回呆れつつ、毎回楽しみにしている私。

 ……いつか、彼と一緒に街の外へ出てみたい。
 彼の話す絵本のような世界に、私も飛び込んでみたい。
 珍しいものを見て、ちょっとだけ危ない目にあって、そして息を切らして逃げ回る。そんな刺激のある体験を、私も。


 …だが、貴族の一人娘として生まれた私にとって、それは到底叶わない夢なのだ。






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