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第1話 最終回。ただし前世が。

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 ベタな始まりで申し訳ないが、俺の名は高槻義雄。ブラック企業に勤めていた三五歳の独身男だ。

 始まりは唐突だった。世の中で言うところの突然死というやつだ。いや、過労死か。いきなりの人生最終回を迎えた訳だ。

 月の残業時間が百時間越えの状態が一年続いたある日の通勤途中の駅構内、倒れたままピクリとも動かない自分の体を茫然と見下ろしている俺。そう、幽体離脱ってやつだよ。

 ホームに向かうエントランスで、うつ伏せに倒れ込んだ俺の身体を遠まきに眺めながらも止まる事のない通勤者の流れは、まるで川の流れの様にも見える。うん、命名【社畜川】とか……他人事のように眺めている現実感の希薄さに自分ごとながら軽く驚いていると、誰かが呼んだのだろう、駆けつける駅員。

 そこからAEDを使った駅員による救命措置から救急搬送。付き添う俺の目の前で繰り広げられるERでの医師による心肺蘇生とか近場で見ると緊迫感がこっちにも伝わってくる。  
 いやあ臨場感がすごいな。

 で、ん~そろそろ本体に引き戻されてもいい頃かな? その後は完全看護の休日を十分エンジョイして、職場復帰。俺のありがたみを会社に思い知っていただいての待遇改善というあたりを落としどころでどうだろう?  臨死体験とか次の飲み会のネタとしてはなかなかいい掴みになりますなあ。などとのんきに構えつつ俺は横たえられた身体に自分を重ねた。

 ……戻る気配が無い。え?

 今の俺に生理的な反応が可能ならば顔面を嫌な汗が覆い、見た目に血の気が失せていっているのは間違いない。

 総じて幽霊の顔色が悪いのは、そんなところか……いやいや! ヤバイヤバイヤバイ!! これダメなやつだ!! ここはやはりアレだ!

「戻れ、戻れ、戻れ、戻れ、戻れ、戻れ、戻れ、戻れ、戻れ、戻れ、動け、戻れ! 今戻らなきゃ、今やらなきゃ、俺が死んじゃうんだ! もうそんなの嫌なんだよ! だから、戻ってよ!!」

 いや、一度は言ってみたかったんです。でも、戻らなきゃ意味がないんですけど!

 必死に身体を掴もうとする俺の手が虚しくすり抜ける。

「頑張れ俺!! 死ぬなぁ俺!!」の必死の応援虚しく、抜け出た身体に戻る気配は全く無く、搬送されたERに駆けつけた家族につたえられた医師の「ご臨終です」の無情な言葉。生命活動を終えた俺(本体)を囲んで、家族と共にその場に崩れ落ちるインビジブルな俺。

 泣きじゃくる妹。母さんの「義雄ー!」という悲痛な叫びに感化され、俺まで一緒に「義雄ー!」って、俺が俺に叫んでどーする!?

 で、返事がない。ただの屍のようだ。

 イヤイヤイヤ! ここに至ってボケてどうする? クソッ! このまま俺の人生が終わるなんてありえない! 

 俺はまだここにいるぞ、簡単に諦めるなよ!!と、腹たつくらい手際よく心電図のケーブルを外す看護師に詰め寄り、当直医の若い医者の耳元で必死に訴えかけるも俺の声は届かない。

 くっそー! ならばここはオカルト的常套手段で医者の身体を乗っ取って医療行為を続けちゃる!!

「うおりゃあ!」

 医者の身体に勢いよく飛び込むと俺と医者が重なって……ああ、気持ち悪いよねビジュアル的に、医者の身体から俺の手足が生えてら。
 しばらく重なってうねうねと動いてみるけどシンクロ率0%はかわらない。

「くっ、自分の体に戻れん奴が他人の身体を乗っ取れる訳もないか……ならば!」

 分かった様な分からんような納得をした俺は、親子の絆に一縷の望みを託し、悲しげに俺を見つめる親父に文字通り、魂の叫びをぶつけてみる。

「せめて俺のPCを、HDを破壊してくれ!あのフォルダのmp4データだけは母さんと妹の目の触れないところへ!! 頼む、父さん!!」

《ピキーン!!》
 何かに驚いたように、顔を上げあたりをキョロキョロと見渡す親父。届いたのか!? 俺の願い!

 ……願いは届かなかった。いや、むしろ変なパスが繋がったらしい。

 その夜、親族一同が集まっての通夜の席。親父によって亡き息子を偲ばんと、俺の遺体の枕元に持ち出されたのは、なにそれ? 俺のノートPCじゃん!! なに? 俺のアパートから持ってきた!? おい、何開いてるんだよ! えっ? パスワード知ってる? 直感? 親子の絆? ドヤ顔で何言ってんだクソ親父!! ウソだろ?

 えっ? な、何を考えてやがるクソ親父! ピンポイントにカーソルを合わせられた【経済原論】のフォルダ。止めろ! それに触るな! という俺の叫びも虚しく開かれるフォルダ。ダブルクリックされるmp4ファイル名【くっころ】

 親族一同の前でお披露目される俺の…あああああああああああああぁあっ!?

 瞬時に一掃される悲しみに支配されていた空気。

「あらあら義雄ちゃんたら…」苦笑いする叔母さん。細められたまぶたから覗く冷めた瞳。それ、人に向けて良いものじゃないですよね?

 思いを共有するところがあるのだろう、複雑な顔でそっと部屋を抜け出す従兄弟。いや、分かっているなら動画を止めてくれよ!!

 妹のそばにいた幼い姪っ子が大人たちの隙間を抜け、モニター前に身を乗り出すや画面を指差して嬉しげに叫んだ。

「エローーーーーーっ!!」

 追い討ちをかけるように、かわいがっていた姪っ子によってピンポイントで投下された爆弾はナパーム弾ばりの強烈な破壊力を生み出し、周囲を席捲した。

 堰を切ったように大爆笑する親族一同。母さんが顔を両手で覆う。

「産まなきゃ良かった……」

 すっと、幽鬼の様に立ち上がった妹が、周囲の爆笑に気を良くしエロ連呼する姪っ子の手を引き、冷めきった表情で俺を見下ろす。

「……死ねばいいのに」

 妹よ、俺は既に死んでいる。だがあえて言おう。

「くっころ……」

 大事な事だから度々言うけど俺は死んでいる。とはいえ、あと四十九日もここにいたら確実に俺の精神が死ぬ。なんせ俺の部屋は未だ手付かずなのだよ。これからどれだけ魂にダメージを受け続けなければいけないんだよ!? 親族の上空30cmあたりで激しくのたうちまわり俺は叫んだ。

「もういいです! だれか俺をここから連れ出してください! なんでもしますから!」

「ほう。渡りに船とはこのことじゃ」

「え? だれ?」

 耳元に響く、まったく聞き覚えのない老人の声に問い返した時、身体を、いや、魂を引き上げられるような感覚と共に俺の視界がホワイトアウトする。そのあまりのまぶしさと薄気味の悪い浮遊感、例えるなら車なんかでくだり坂に意図せず入った時の「ヒュン!」てやつだ。そう、玉ヒュンだ。俺は思わずかたく目を閉じた。

 やがて、地に足が付いたような感覚にゆっくりと目を開けると、俺の視界には今までと違う世界が広がっていた。

 先ほどまでいた通夜の席と打って変わった静寂な世界は色味のないどこまでも広がる空間となっており、俺はその場にあぐらをかいていた。

 何者かの気配を感じ、顔を上げると、目の前には古代ギリシャとかの賢者のような風貌の見知らぬハゲの爺さんがニコニコしながら立っていた。

「ここはーーどこですか?」
「ほう、自分、意外に落ち着いておるのう?」

 先程の修羅場を経て、深く傷ついた俺の心を癒すかのような微笑みをたたえ、語りかけてきた爺さん。

「まあ、あそこで晒し者になっている自分を見続ける事に比べれば、ここの雰囲気はホッとしますよ」

 俺は心のブラックボックスにしまい込んだ悪夢に遠く思いをはせるように、一息ふうと息を吐くと言葉を続ける。

「死者に鞭って打てるんですね……で、流れでなんとなくわかるんですけど、何か用ですか? 神様」
「聡いなお主。うむ、そこはかとなく達観、いや、諦観しておるような……どうじゃお主、死んだついでに他所の世界を救ってくれんか?」
「えーあーいーですよぉー」
「えっ? 早っ!!」

 
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