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守りたいものの名前
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朝日が宿屋の窓から差し込み、テーブルの上の白紙を照らしていた。仲間の候補を書き出すために広げた紙。だが、ペンを取った手が動かない。
レイドは椅子の背にもたれ、天井の染みを数えた。三つ、四つ——途中で数えるのをやめる。
——リーシャ。
一周目の記憶が、瞼の裏にこびりついている。崩壊する魔王城。瓦礫の下敷きになった銀色の髪。駆け寄ろうとした足は、既に力を失っていた。
手のひらを見下ろす。ペンを握る指が白くなるまで力が入っている。レイドは意識して力を抜き、紙の上にペン先を置いた。
リーシャ・フォルトナ。
名前を書いた瞬間、胸の奥がきしんだ。
一周目で彼女はアルヴィンのパーティーに所属し、聖教会の指揮下で動いていた。レイドとは別の道を歩み、世界崩壊の渦中で命を落とした。
今度は手元に置ける。守れる距離に。
だが——それは、危険の只中に引きずり込むということでもある。
窓の外で鳩が鳴いた。朝の王都は穏やかだ。石畳を行き交う人々の声。荷馬車の車輪が軋む音。何も知らない人々の、何も壊れていない朝。
レイドはペンを置き、立ち上がった。窓辺に寄り、額を冷たいガラスに押しつける。
——感情で決めるな。
冷たさが思考を研ぎ澄ます。リーシャの魔法と分析力は、魔王ヴェルディアへの接触において不可欠だ。魔力の根源に関する異端の研究。六属性の均衡理論。それを理解できる人間は、この世界に片手で数えるほどしかいない。
そしてリーシャ自身が望んでいる。「学院で調べたいことがある」と言った彼女の目には、学者としての飢えがあった。
——利用するのか。あいつの知識欲を。
拳を握りかけて、やめた。テーブルに戻り、リーシャの名前の下にもう一つ、名前を書き加える。
ガレス・ブロンド。
ペンが止まる。ガレスは今、傭兵ギルドにいるはずだ。一周目では——ジークのパーティーに加わり、魔王城攻略戦で盾となって散った。
レイドは紙を折り畳み、懐に入れた。
「リーシャ」
宿屋の階下で朝食を取っていたリーシャが、顔を上げた。テーブルの上には半分食べかけのパンと、開きっぱなしの古い文献。
「来てくれ」
リーシャの瞳が揺れ、次の瞬間、静かに輝いた。答えは聞くまでもなかった。
◇
傭兵ギルドの扉を開けた瞬間、革と油と汗の匂いが鼻を突いた。
広間には筋骨隆々の男たちがひしめき、奥の賭博卓では怒号が飛び交っている。サイコロが木のテーブルを叩く乾いた音。誰かが椅子を蹴倒し、別の誰かが笑い飛ばす。
レイドは人混みを縫って進んだ。リーシャが半歩後ろについてくる。彼女は小さく眉を寄せたが、何も言わなかった。
カウンター脇のベンチに、赤毛の大男が座っていた。ガレス・ブロンド。巨大な盾を壁に立てかけ、木のジョッキを片手に何かの書類を睨んでいる。
「ガレス」
呼びかけると、赤毛の男が顔を上げた。商隊護衛の時と同じ、裏表のない笑顔が広がる。
「おお、こりゃ驚いた。勇者殿じゃねえか。こんなむさ苦しい場所に何の用だ?」
「話がある」
「ガハハ、そう固い顔するなよ。まあ座れ」
レイドはベンチの向かいに腰を下ろした。リーシャが横に立ち、周囲を観察している。ガレスの視線がリーシャに移り、「おっ」と声を上げた。
「連れがいるのか。学院の魔法使い……だよな?」
「リーシャ・フォルトナです。よろしくお願いします」
「ガレス・ブロンドだ。よろしくな、お嬢さん」
ガレスのジョッキが空になる。彼は一つ息をつき、書類をテーブルに置いた。レイドの目がそれを捉える。傭兵ギルドの契約書——ジーク・ヴァンガードの名前が記されている。
「……ジークから、声がかかってるのか」
「ああ。報酬は悪くねえ。パーティーBの前衛が欲しいとよ」
ガレスの声には、しかし熱がなかった。指先が契約書の端を弾く。判を押していない余白が、その迷いを映している。
「条件は?」
「金貨三百枚の前金に、魔王討伐後の恩賞。傭兵稼業じゃ一生拝めねえ額だ」
「それでも迷ってる」
ガレスの目が細くなった。ジョッキをテーブルに置く音が、周囲の喧騒の中でやけに響く。
「……あんた、人の腹ん中を読むのが上手いな」
「傭兵をやっている理由を聞いてもいいか」
沈黙が落ちた。ガレスの大きな手が、膝の上で拳を作る。
「前に一度だけ、守れなかった奴がいる」
声のトーンが変わった。豪快な笑みは消え、赤毛の男の目には、古い傷のような翳りが宿っている。
「護衛の仕事でな。俺がもう少し速ければ、もう少し強ければ……って、そういう話だ。詳しくは聞くな」
レイドは何も言わなかった。隣でリーシャが僅かに息を呑む気配がした。
「それ以来、俺は金で動く。金なら計算できる。損得なら割り切れる。守りたいとか、そういう面倒な感情は——」
「ガレス」
レイドは遮った。真っ直ぐにガレスの目を見る。
「報酬じゃなく、守りたいものがあるなら来い」
ガレスの瞳が揺れた。
「俺のパーティーに金貨三百枚は払えない。恩賞も約束できない。だが——」
言葉を選ぶ。一周目の記憶が背中を押す。魔王城の最深部で、崩れる天井を盾で受け止め、仲間を逃がして散ったガレスの姿。あの時この男が守ったのは、金貨でも恩賞でもなかった。
「守りたいものを守れる場所なら、用意する」
ギルドの喧騒が遠くなった気がした。ガレスはしばらく動かなかった。拳を握り、開き、また握る。
やがて、赤毛の男は契約書を手に取った。二つに折り、四つに折り——ゆっくりとテーブルの端に押しやった。
「……あんた、ずるいぜ。そういう言い方されたら、断れねえだろうが」
口元に、不器用な笑みが浮かぶ。
「俺はあんたを信じる。理屈じゃねえ——勘だ」
差し出された手を、レイドは握り返した。ガレスの掌は分厚く、剣胝に覆われている。その温もりが——一周目と同じだった。
——こいつを、今度こそ死なせない。
背後で足音が近づく。振り返ると、痩せた男がにやにやと笑いながら立っていた。眼鏡の奥の目が、値踏みするように細められている。
「へえ——ガレスを持っていかれたか」
フェリクス・オーウェン。ジークの傭兵仲間にして、パーティーBの魔法使い。
「いい人材を横取りとは、やるじゃないか。勇者殿」
「横取りじゃない。本人が選んだ」
「それは失礼。ただ——」
フェリクスの声が低くなる。
「ジークはあまり、おもちゃを取られるのが好きじゃないんでな。覚えておくといい」
言い残して、フェリクスは人混みに消えた。レイドの背筋を、冷たいものが走り抜ける。
「……なんだありゃ。感じ悪い野郎だな」
ガレスが不快そうに鼻を鳴らした。リーシャが小さく首を傾げる。
「フェリクス・オーウェン。ジークの右腕です。あの人の報告次第で、ジークの対応が変わるでしょう」
その通りだった。レイドは頷く。一周目でもフェリクスは情報屋としてジークを支えていた。あの目は——ただの皮肉ではない。品定めだ。
◇
銀の猪亭の二階席は、夕暮れの橙色に染まっていた。
炙り肉の脂が炭火の上で弾け、エールの泡がジョッキの縁からこぼれる。階下では吟遊詩人がリュートを爪弾き、酔客たちが調子外れに唱和している。
「で、乾杯ってわけだ!」
ガレスがジョッキを高く掲げた。
「パーティー結成おめでとうだぜ! ガハハ!」
リーシャが控えめにジョッキを掲げる。
「これからよろしくお願いしますね、ガレスさん」
「おう、任せとけ! 盾役はこのガレス様に——」
「まだミラがいない。斥候と弓を担える人材を探す」
レイドの冷静な声に、ガレスが目を丸くした。
「もう次の手を考えてんのか。あんた、本当に二十歳か?」
「……よく言われる」
エールが喉を流れ落ちる。苦みの中に、麦の甘さが僅かに残った。
リーシャが古い文献を開き、ガレスに魔力循環の基礎を説明し始めている。ガレスは「難しいことは分からねえが」と笑いつつも、真剣に耳を傾けていた。
その光景を見ながら、レイドの胸の奥に鈍い痛みが走る。
——仲間か、駒か。
ガレスの過去を利用した。「守りたいもの」という言葉で、この男の傷を突いた。報酬ではなく感情で動かした。それは——仲間への誠意か、それとも手駒を確保するための話術か。
ジョッキに映る自分の顔が歪んでいる。エールの揺れのせいだ。そう思うことにした。
「レイドさん」
リーシャの声で我に返る。
「どうした」
「何か、気になることでも? さっきから窓の外ばかり見ていますね」
指摘されて初めて、自分の視線が窓に向いていたことに気づく。通りに面した窓。薄暗くなり始めた路地。
レイドは首を振りかけて——止まった。
路地裏に、人影が二つ。
一人は聖教会の白い法衣を纏った従者だった。フードを目深に被っているが、胸元に刺繍された聖印が街灯の光に一瞬だけ浮かび上がる。その手から、もう一人の手に小さな封書が渡される。
受け取った人物が顔を上げた瞬間、レイドの指がジョッキの取っ手を握り潰しそうになった。
傭兵ギルドの腕章。見覚えのある顔——昼間、ギルドのカウンター裏で書類を整理していた男だ。
密書の受け渡しは数秒で終わった。二つの影は、何事もなかったように別々の方向へ消えていく。
「レイドさん?」
「……なんでもない」
嘘だった。なんでもないはずがない。
聖教会が傭兵ギルドと繋がっている。勇者パーティーの情報が、教会に筒抜けになっている可能性。ガレスの引き抜きも、フェリクスの皮肉も——全てが監視の網の中にあるとしたら。
ガレスが豪快に笑い、リーシャが微笑む。テーブルの上にはエールと炙り肉と、束の間の温もり。
レイドはジョッキを口元に運び、一息に呷った。苦いエールが喉を灼く。
窓の外では、最後の夕陽が路地裏の闇に沈んでいった。
レイドは椅子の背にもたれ、天井の染みを数えた。三つ、四つ——途中で数えるのをやめる。
——リーシャ。
一周目の記憶が、瞼の裏にこびりついている。崩壊する魔王城。瓦礫の下敷きになった銀色の髪。駆け寄ろうとした足は、既に力を失っていた。
手のひらを見下ろす。ペンを握る指が白くなるまで力が入っている。レイドは意識して力を抜き、紙の上にペン先を置いた。
リーシャ・フォルトナ。
名前を書いた瞬間、胸の奥がきしんだ。
一周目で彼女はアルヴィンのパーティーに所属し、聖教会の指揮下で動いていた。レイドとは別の道を歩み、世界崩壊の渦中で命を落とした。
今度は手元に置ける。守れる距離に。
だが——それは、危険の只中に引きずり込むということでもある。
窓の外で鳩が鳴いた。朝の王都は穏やかだ。石畳を行き交う人々の声。荷馬車の車輪が軋む音。何も知らない人々の、何も壊れていない朝。
レイドはペンを置き、立ち上がった。窓辺に寄り、額を冷たいガラスに押しつける。
——感情で決めるな。
冷たさが思考を研ぎ澄ます。リーシャの魔法と分析力は、魔王ヴェルディアへの接触において不可欠だ。魔力の根源に関する異端の研究。六属性の均衡理論。それを理解できる人間は、この世界に片手で数えるほどしかいない。
そしてリーシャ自身が望んでいる。「学院で調べたいことがある」と言った彼女の目には、学者としての飢えがあった。
——利用するのか。あいつの知識欲を。
拳を握りかけて、やめた。テーブルに戻り、リーシャの名前の下にもう一つ、名前を書き加える。
ガレス・ブロンド。
ペンが止まる。ガレスは今、傭兵ギルドにいるはずだ。一周目では——ジークのパーティーに加わり、魔王城攻略戦で盾となって散った。
レイドは紙を折り畳み、懐に入れた。
「リーシャ」
宿屋の階下で朝食を取っていたリーシャが、顔を上げた。テーブルの上には半分食べかけのパンと、開きっぱなしの古い文献。
「来てくれ」
リーシャの瞳が揺れ、次の瞬間、静かに輝いた。答えは聞くまでもなかった。
◇
傭兵ギルドの扉を開けた瞬間、革と油と汗の匂いが鼻を突いた。
広間には筋骨隆々の男たちがひしめき、奥の賭博卓では怒号が飛び交っている。サイコロが木のテーブルを叩く乾いた音。誰かが椅子を蹴倒し、別の誰かが笑い飛ばす。
レイドは人混みを縫って進んだ。リーシャが半歩後ろについてくる。彼女は小さく眉を寄せたが、何も言わなかった。
カウンター脇のベンチに、赤毛の大男が座っていた。ガレス・ブロンド。巨大な盾を壁に立てかけ、木のジョッキを片手に何かの書類を睨んでいる。
「ガレス」
呼びかけると、赤毛の男が顔を上げた。商隊護衛の時と同じ、裏表のない笑顔が広がる。
「おお、こりゃ驚いた。勇者殿じゃねえか。こんなむさ苦しい場所に何の用だ?」
「話がある」
「ガハハ、そう固い顔するなよ。まあ座れ」
レイドはベンチの向かいに腰を下ろした。リーシャが横に立ち、周囲を観察している。ガレスの視線がリーシャに移り、「おっ」と声を上げた。
「連れがいるのか。学院の魔法使い……だよな?」
「リーシャ・フォルトナです。よろしくお願いします」
「ガレス・ブロンドだ。よろしくな、お嬢さん」
ガレスのジョッキが空になる。彼は一つ息をつき、書類をテーブルに置いた。レイドの目がそれを捉える。傭兵ギルドの契約書——ジーク・ヴァンガードの名前が記されている。
「……ジークから、声がかかってるのか」
「ああ。報酬は悪くねえ。パーティーBの前衛が欲しいとよ」
ガレスの声には、しかし熱がなかった。指先が契約書の端を弾く。判を押していない余白が、その迷いを映している。
「条件は?」
「金貨三百枚の前金に、魔王討伐後の恩賞。傭兵稼業じゃ一生拝めねえ額だ」
「それでも迷ってる」
ガレスの目が細くなった。ジョッキをテーブルに置く音が、周囲の喧騒の中でやけに響く。
「……あんた、人の腹ん中を読むのが上手いな」
「傭兵をやっている理由を聞いてもいいか」
沈黙が落ちた。ガレスの大きな手が、膝の上で拳を作る。
「前に一度だけ、守れなかった奴がいる」
声のトーンが変わった。豪快な笑みは消え、赤毛の男の目には、古い傷のような翳りが宿っている。
「護衛の仕事でな。俺がもう少し速ければ、もう少し強ければ……って、そういう話だ。詳しくは聞くな」
レイドは何も言わなかった。隣でリーシャが僅かに息を呑む気配がした。
「それ以来、俺は金で動く。金なら計算できる。損得なら割り切れる。守りたいとか、そういう面倒な感情は——」
「ガレス」
レイドは遮った。真っ直ぐにガレスの目を見る。
「報酬じゃなく、守りたいものがあるなら来い」
ガレスの瞳が揺れた。
「俺のパーティーに金貨三百枚は払えない。恩賞も約束できない。だが——」
言葉を選ぶ。一周目の記憶が背中を押す。魔王城の最深部で、崩れる天井を盾で受け止め、仲間を逃がして散ったガレスの姿。あの時この男が守ったのは、金貨でも恩賞でもなかった。
「守りたいものを守れる場所なら、用意する」
ギルドの喧騒が遠くなった気がした。ガレスはしばらく動かなかった。拳を握り、開き、また握る。
やがて、赤毛の男は契約書を手に取った。二つに折り、四つに折り——ゆっくりとテーブルの端に押しやった。
「……あんた、ずるいぜ。そういう言い方されたら、断れねえだろうが」
口元に、不器用な笑みが浮かぶ。
「俺はあんたを信じる。理屈じゃねえ——勘だ」
差し出された手を、レイドは握り返した。ガレスの掌は分厚く、剣胝に覆われている。その温もりが——一周目と同じだった。
——こいつを、今度こそ死なせない。
背後で足音が近づく。振り返ると、痩せた男がにやにやと笑いながら立っていた。眼鏡の奥の目が、値踏みするように細められている。
「へえ——ガレスを持っていかれたか」
フェリクス・オーウェン。ジークの傭兵仲間にして、パーティーBの魔法使い。
「いい人材を横取りとは、やるじゃないか。勇者殿」
「横取りじゃない。本人が選んだ」
「それは失礼。ただ——」
フェリクスの声が低くなる。
「ジークはあまり、おもちゃを取られるのが好きじゃないんでな。覚えておくといい」
言い残して、フェリクスは人混みに消えた。レイドの背筋を、冷たいものが走り抜ける。
「……なんだありゃ。感じ悪い野郎だな」
ガレスが不快そうに鼻を鳴らした。リーシャが小さく首を傾げる。
「フェリクス・オーウェン。ジークの右腕です。あの人の報告次第で、ジークの対応が変わるでしょう」
その通りだった。レイドは頷く。一周目でもフェリクスは情報屋としてジークを支えていた。あの目は——ただの皮肉ではない。品定めだ。
◇
銀の猪亭の二階席は、夕暮れの橙色に染まっていた。
炙り肉の脂が炭火の上で弾け、エールの泡がジョッキの縁からこぼれる。階下では吟遊詩人がリュートを爪弾き、酔客たちが調子外れに唱和している。
「で、乾杯ってわけだ!」
ガレスがジョッキを高く掲げた。
「パーティー結成おめでとうだぜ! ガハハ!」
リーシャが控えめにジョッキを掲げる。
「これからよろしくお願いしますね、ガレスさん」
「おう、任せとけ! 盾役はこのガレス様に——」
「まだミラがいない。斥候と弓を担える人材を探す」
レイドの冷静な声に、ガレスが目を丸くした。
「もう次の手を考えてんのか。あんた、本当に二十歳か?」
「……よく言われる」
エールが喉を流れ落ちる。苦みの中に、麦の甘さが僅かに残った。
リーシャが古い文献を開き、ガレスに魔力循環の基礎を説明し始めている。ガレスは「難しいことは分からねえが」と笑いつつも、真剣に耳を傾けていた。
その光景を見ながら、レイドの胸の奥に鈍い痛みが走る。
——仲間か、駒か。
ガレスの過去を利用した。「守りたいもの」という言葉で、この男の傷を突いた。報酬ではなく感情で動かした。それは——仲間への誠意か、それとも手駒を確保するための話術か。
ジョッキに映る自分の顔が歪んでいる。エールの揺れのせいだ。そう思うことにした。
「レイドさん」
リーシャの声で我に返る。
「どうした」
「何か、気になることでも? さっきから窓の外ばかり見ていますね」
指摘されて初めて、自分の視線が窓に向いていたことに気づく。通りに面した窓。薄暗くなり始めた路地。
レイドは首を振りかけて——止まった。
路地裏に、人影が二つ。
一人は聖教会の白い法衣を纏った従者だった。フードを目深に被っているが、胸元に刺繍された聖印が街灯の光に一瞬だけ浮かび上がる。その手から、もう一人の手に小さな封書が渡される。
受け取った人物が顔を上げた瞬間、レイドの指がジョッキの取っ手を握り潰しそうになった。
傭兵ギルドの腕章。見覚えのある顔——昼間、ギルドのカウンター裏で書類を整理していた男だ。
密書の受け渡しは数秒で終わった。二つの影は、何事もなかったように別々の方向へ消えていく。
「レイドさん?」
「……なんでもない」
嘘だった。なんでもないはずがない。
聖教会が傭兵ギルドと繋がっている。勇者パーティーの情報が、教会に筒抜けになっている可能性。ガレスの引き抜きも、フェリクスの皮肉も——全てが監視の網の中にあるとしたら。
ガレスが豪快に笑い、リーシャが微笑む。テーブルの上にはエールと炙り肉と、束の間の温もり。
レイドはジョッキを口元に運び、一息に呷った。苦いエールが喉を灼く。
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