勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

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旅立ちの朝、握り返した手の温度

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 軍楽隊のファンファーレが、王城の広場を震わせた。

 石畳の上に整列した四つの勇者パーティーを、群衆の歓声が包み込む。旗が翻る。聖ランヴァル王国の白銀の獅子紋、傭兵ギルド連合の交差剣、氷嶺帝国の蒼い雪華。そしてレイドのパーティーには——旗がない。

「なんかあたしら、浮いてない?」

 ミラが小声で呟く。

「気にするな。旗なんて飾りだ」

「飾りにしちゃ、周りの目が冷たいんだけど」

 ミラの指摘は正しかった。群衆の視線は、アルヴィン率いる勇者Aパーティーに集中している。金の髪が朝日を受けて輝き、聖剣を腰に佩いたその姿は、まさに絵物語から抜け出した英雄そのものだった。隣に立つセレナの白い法衣が、風にはためく。

「レイドさん」

 リーシャが隣に並んだ。銀髪を一つにまとめ、旅装に身を包んでいる。

「各パーティーのルート選択が発表されるようですね。事前に聞いていた通りでしょうか」

「ああ。おそらくな」

 壇上に立った王国の宰相が、羊皮紙を広げる。

「——勇者アルヴィン・レグルスのパーティーは、聖道を進み魔王領を目指す!」

 歓声が爆発した。聖道。王都から魔王領へ続く最も正統なルートであり、歴代の勇者が歩んできた道。アルヴィンにこれ以上ふさわしい選択はない。

「勇者ジーク・ヴァンガードのパーティーは、南回廊ルート!」

 ジークが片手を上げて応える。傭兵ギルドの地盤が広がる南方は、物資と情報の補給に困らない。実利的な男らしい判断だ。

「勇者カイル・ドレイクのパーティーは、北嶺ルート!」

 レイドの肩が、一瞬だけ強張った。

 ——北嶺。あの場所には、一周目で魔物の大暴走が起きた地帯がある。

 カイルの若い顔に、野心が滲んでいる。最も危険なルートを選ぶことで、他の勇者との差別化を図ろうとしているのだろう。功を焦っている。

「カイルの奴、無茶するねえ」

 ガレスが腕を組み、眉をひそめる。

「北嶺は傭兵時代に何度か行ったが、冬場は魔物の気性が荒くなる。今の時期なら——まあ、死にはしねえだろうが」

 レイドは答えなかった。死にはしない。だが、壊滅寸前にはなる。一周目の記憶が、焼けつくように脳裏をよぎる。

「——そして、勇者レイド・アシュフォードのパーティーは、東回廊ルート!」

 歓声は、先ほどの三パーティーに比べて明らかに控えめだった。東回廊は地味なルートだ。大きな街も砦もなく、農村が点在するだけの穏やかな道——少なくとも、表面上は。

「東回廊、ですか」

 リーシャが確認するように呟いた。学院の地図で見た限りでは、戦略的な価値が薄い。だが彼女は何も問わなかった。レイドには考えがある。その信頼が、レイドの胸を静かに軋ませる。

 ——このルート上に、魔王領への秘密の入口がある。それが、東回廊を選んだ本当の理由だ。

 式典が終わり、群衆が散り始める。各パーティーが最終準備に入る中、セレナがこちらへ歩いてきた。

「レイド様」

 白い法衣の裾を片手で押さえ、セレナが軽く頭を下げる。翡翠の瞳が、穏やかな光を湛えていた。

「道中のご無事を祈らせてくださいませ。神の御加護が、皆様の旅路を照らしますように——」

 祈りの言葉が、途中で途切れた。

 セレナの唇が微かに震え、視線が一瞬だけ泳ぐ。何かを言いかけて、飲み込んだように見える。

「……セレナ?」

「いえ、何でもありませんわ。失礼いたしました」

 微笑みを取り繕い、セレナは踵を返した。その背中を見送りながら、レイドは眉根を寄せる。

 ——祈りが詰まった。一周目では、そんなことは一度もなかった。


  ◇


 出発前夜。王城の中庭に、夜気が満ちていた。

 月光が白い石の回廊を照らし、噴水の水音が静寂に溶けている。薔薇の香りが微かに漂い、昼間の喧騒が嘘のように、世界が凪いでいた。

 レイドは柱に背を預け、星空を見上げていた。明日の出発に備えて仲間たちは宿に戻っている。ガレスは早々に酒を飲んで寝たし、リーシャは地図の確認に没頭していた。ミラは——どこにいるか分からないが、おそらく最後の情報収集に出ているのだろう。

「こんな夜更けに、一人とは珍しい」

 回廊の向こうから、聞き覚えのある声が響く。

 アルヴィンだった。

 月明かりの下、聖剣を腰に帯びたまま歩いてくる。金の髪が夜風に揺れ、碧い瞳が穏やかな光を湛えている。壇上で見せる威厳ある勇者の顔ではない。どこか砕けた、年相応の青年の表情だ。

「眠れないのか」

「少しな」

 レイドは声を制御した。心拍が跳ね上がるのを、息を止めて押さえ込む。

 ——この男が、一周目で俺を殺した。

 聖剣の一閃。胸を貫かれた時の、あの焼けるような痛み。だが今、目の前にいるアルヴィンには殺意のかけらもない。

「明日でそれぞれの道に分かれるな。東回廊を選んだのか。意外であった」

「派手なのは性に合わない」

「ふ、そうか。お前らしい」

 アルヴィンが噴水の縁に腰を下ろした。レイドも、少し距離を置いて座る。噴水の水が月光を受けて銀色に煌めき、二人の影が石畳に長く伸びた。

「レイド。一つ聞いてもよいか」

「なんだ」

「お前の目が気になっている」

 レイドの指先が、膝の上で動きを止めた。

「目?」

「認定式の時から感じていた。お前の瞳には——何か、重いものが映っている。同い年の勇者の目ではない。まるで、戦場を幾つもくぐり抜けた者のような——」

 アルヴィンが言葉を切った。首を振り、苦笑する。

「すまない、変なことを言った。出発前で気が立っているのであろう」

「……気にするな」

 心臓が、肋骨の裏側で暴れている。見抜かれている。全てではないにしろ、アルヴィンの直感は鋭い。あの純粋さの裏に、人を見る目がある。だからこそ、一周目では勇者Aパーティーを率いて魔王の元まで辿り着けた。

「レイド」

 アルヴィンが立ち上がった。月を背にしたその姿が、逆光で暗く浮かび上がる。

「我々は別の道を行く。だが、目指す場所は同じだ。魔王を倒し、この世界を救う。その志に変わりはないはずである」

 手が差し出された。

 大きく、力強い手。聖剣を握り、民を守り、一片の迷いもなく正義を振るう——その手。

「共に戦おう。ルートは違えど、同じ戦いだ。もし困ったことがあれば、遠慮なく頼ってくれ。勇者は一人で戦うものではない」

 レイドは、その手を見つめた。

 一周目の記憶が、波のように押し寄せる。この手が聖剣を掲げた瞬間。「世界のために」と叫んだ声。胸を貫かれた時の、裏切りとも呼べない——だってアルヴィンは正しいと信じていた——あの痛み。

 握り返した。

 温かかった。指の節が硬く、剣だこが掌にあたる。生きている人間の体温だ。まだ誰も殺していない、汚れていない手だ。

「ああ。共に」

 声が掠れなかったのは、もはや演技の技術ではなく、ただの意地だった。

 アルヴィンが満足そうに頷く。その笑顔には、裏も駆け引きもない。純粋な友情と信頼だけがある。

 ——だからこそ、お前を止めなければならない。

 握った手を離した後も、掌に温もりが残っていた。それが消えるまで、レイドは拳を握り続けた。


  ◇


 東門の城壁に、朝靄が絡みついていた。

 城門が軋みながら開く。重い鉄と石が擦れ合う音が、まだ薄暗い街路に反響した。冷たい朝の空気が頬を刺し、石畳に染みた夜露が靴底を湿らせる。

「うわ、寒。もうちょい遅く出発できなかったわけ?」

 ミラが外套の襟を立てながらぼやく。

「斥候が一番先に文句言ってどうするんだ」

「斥候だからこそ言うの。コンディション管理は大事っしょ」

 ガレスが豪快に笑った。

「ガハハ、俺なんか傭兵時代は夜明け前に叩き起こされてたぜ。これくらい朝飯前じゃねえか」

「おっさんと一緒にしないでよ」

「おっさんって、まだ二十五だぞ俺は!」

 リーシャがくすりと笑みを漏らす。その表情には、旅への期待と、言葉にならない不安が同居している。

「レイドさん、準備はよろしいですか」

「ああ」

 レイドは一度だけ振り返った。

 朝靄の向こうに、王都の輪郭が霞んで見える。尖塔の先端だけが朝焼けに染まり、まだ眠りから覚めきらない街並みが、白いヴェールの中に沈んでいた。

 ——次にここへ戻る時、俺は何者になっているのだろう。

「行こう」

 四人が東門をくぐる。背後で、城門がゆっくりと閉じ始めた。

 その音が消える前に——レイドは気づかなかった。

 王城の最も高い塔の窓辺に、一つの影が立っていることを。

 大司教マルティウスは、朝靄に溶けていく四つの小さな背中を見下ろしていた。皺だらけの手で杖を握り、濁った目が細められる。

 傍らに控える従者が、低く問うた。

「大司教猊下、いかがなさいますか」

 長い沈黙が落ちた。塔の上を吹き抜ける風だけが、マルティウスの法衣の裾を揺らしている。

「あの少年を見張れ」

 老人の声は、乾いた冬の枯れ枝のようだった。

「……神託に名のない勇者は、異端の兆しだ」

 従者が深く頭を垂れ、音もなく姿を消す。

 マルティウスの視線は、東門の向こうに消えた一行を追い続けていた。朝靄が晴れ始め、東回廊へと続く街道が細く長く伸びている。

 その道の先に何があるのか——知っているのは、まだレイドだけだった。
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