勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

文字の大きさ
23 / 127

銀髪の追跡者

しおりを挟む
 リーシャの碧い瞳は、宿屋の部屋に広げた紙束を見つめていた。

 窓の外は雨だった。宿場町の石畳を叩く雨音が、規則正しいリズムで部屋に染み込んでくる。机の上の蝋燭が揺れるたびに、紙の上の文字が影に呑まれ、また浮かび上がる。

 レイドが「先行偵察」と告げて出発してから、三日が過ぎていた。

 紙束はリーシャが書き溜めた研究ノートだった。地脈の乱れの観測データ。農村の土壌分析結果。北嶺の魔物暴走の記録。そしてレイドの行動を時系列で並べた一枚の図表。

 全てが、一本の線で繋がろうとしている。

 リーシャはペンを取り、図表の余白に書き加えた。

 ——魔王の存在が世界の魔力循環を維持している。その力が弱まると地脈が乱れ、魔物が暴走し、作物が枯死する。

 ここまでは研究データから導ける仮説だった。だがその先に、もう一つの仮説がある。

 ——レイドは、この真実を最初から知っていた。

 学院で読んだ異端の論文。魔力の根源に関する古い文献。そこに記されていた一節が、脳裏を離れない。

 ——「均衡の柱を砕きし時、天地は裂け、万物は還る」

 マルティウスが神託で読み上げた文言と、ほぼ同じ。だが論文の方には続きがあった。

 ——「柱なくして均衡なし。均衡なくして世界なし」

 聖教会が抹消したはずの知識の断片。

 リーシャは椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。雨音が遠くなる。

「……レイド。あなたは何を知っているの」

 呟きは、誰にも届かなかった。


  ◇


 翌朝、リーシャは決断した。

 食堂でガレスとミラが朝食を取っている。ガレスは黙々とパンを食べ、ミラは皿の上の干し肉を猫のようにつまんでいた。二人の間に、いつもの賑やかさがない。

「二人とも、聞いてください」

 リーシャがテーブルに地図を広げた。碧眼に迷いはなかった。

「レイドを追います」

 ガレスの手が止まった。ミラの猫目が細くなる。

「先行偵察と言っていましたが、三日経っても戻りません。レイドの行動パターンを分析した結果、彼が向かった先は——東回廊のさらに先です」

「東回廊の先って……魔王領じゃねえか」ガレスが眉を寄せた。

「その可能性が高いです」

 ミラが干し肉を飲み込み、口を開いた。

「あたしの情報筋からも裏が取れてるよ。レイドは東回廊の外れで目撃されてる。一人で、人間の領域の境界に向かって歩いてた」

 ガレスの大きな拳がテーブルを叩いた。食器が跳ねる。

「あの馬鹿。一人で魔王領に突っ込んだのか」

「ガレス。落ち着いてください」リーシャが地図を指した。「東回廊を通って追えば、二日で追いつけます。私の地脈感知があれば、レイドの魔力の痕跡を辿れます」

「行くぜ」ガレスが即答した。「あいつが何を考えてようが、仲間が一人で危険に飛び込んだなら迎えに行く。それが俺たちだろう」

 ミラが肩をすくめた。

「はいはい、異議なし。あたしも猫の好奇心が疼いてるし」

 三人は荷物をまとめ、宿場町を発った。雨は上がり、空には薄い雲が広がっている。風が東から吹き、草原の匂いを運んでくる。

 街道を歩きながら、リーシャは自分の胸に手を当てた。鼓動が速い。学者としての冷静さを保とうとしているが、胸の奥では別の感情が渦巻いている。

 ——レイドを、一人にさせない。

 それは論理ではなかった。データでも仮説でもない。ただ純粋な、感情だった。

 あの日、修練場で再会した時から感じていた違和感。レイドの目の奥に宿る、老成した暗さ。まるで何十年も生きた人間のような、疲弊した瞳。

 あの目を、もう見たくなかった。


  ◇


 東回廊を早足で進むこと一日半。

 ミラの耳が動いた。

「止まって」

 ミラの声に、ガレスとリーシャが足を止めた。街道の脇の林に身を隠す。

「前方に人の気配。——四、五人。武装してる」

 リーシャが目を凝らした。街道の曲がり角の先に、鎧の光が見える。旗印は——

「アルヴィンのAパーティーだ」ガレスが低く唸った。

 旗を掲げているのは、見覚えのある寡黙な騎士。エドモン・グレイシア。アルヴィンの先遣隊を率いて、東回廊の通行を制限しているのだ。

「あそこを通らないと先に進めない」リーシャが地図を確認した。「迂回路は——」

「ないよ」ミラが首を振った。「北側は崖、南側は毒沼。正面突破か、許可を得るしかない」

 リーシャは数秒考え、鞄から一枚の書状を取り出した。王立魔法学院の身分証と、学術調査の許可証。

「私に任せてください」

 リーシャは林から出て、堂々とエドモンの前に歩み出た。

「王立魔法学院のリーシャ・フォルトナです。東回廊先方の地脈調査のため、通行許可を求めます」

 エドモンの冷たい目が、リーシャを見下ろした。鉄色の鎧が陽光を反射し、その体格はガレスに匹敵する。

「勇者アルヴィンの命により、この先への一般通行は制限されている」

「学術調査は一般通行に含まれません。これは王立学院の正式な許可証です」

 リーシャが書状を差し出した。エドモンが受け取り、目を通す。沈黙が数十秒続いた。

「……確認する。少し待て」

 エドモンが部下に伝令を飛ばした。その間にリーシャはガレスとミラに目配せし、小さく頷いた。

 十分後。エドモンが戻ってきた。

「通行を許可する。ただし——」

 エドモンの目が、リーシャの背後のガレスとミラを見た。

「勇者Dパーティーのメンバーだな。アルヴィンに報告する」

「どうぞ」リーシャが涼しい顔で答えた。「学術調査の同行者です」

 封鎖線を越えた後、ミラが口笛を吹いた。

「やるじゃん、リーシャ。あの鉄仮面相手に一歩も引かないとは」

「学者は論理で戦います」

 だがリーシャの手は、鞄の取っ手を握りしめて白くなっていた。

 東回廊をさらに進む。日が傾き始め、木々の影が長くなった頃、ミラが再び耳を立てた。

「別の追手。——後方から。ジークの手勢だと思う。フェリクスの匂いがする」

 リーシャの碧眼が鋭くなった。

「急ぎましょう。レイドが使ったはずの隠し通路を見つけます」

 地脈感知の魔法を発動する。碧い光がリーシャの指先から流れ、地面に沈み込んでいく。数秒後、地脈の流れの中に——不自然な窪みを見つけた。

「ここです。地脈が途切れている場所がある。——人工的な空洞です」

 三人は街道を外れ、岩壁の裂け目に入った。奥に、苔に覆われた石の扉がある。レイドが通った形跡——足跡と、扉の苔が擦れた痕。

 ミラが扉を押し開けた。黴と湿った石の匂いが流れ出す。暗い通路が、地下へと続いている。

「この先が——魔王領ね」

 三人は通路に足を踏み入れた。

 通路を進むにつれ、空気が変わった。湿度が上がり、肌に纏わりつくような重さが増していく。そして——リーシャの体に異変が起きた。

 胸の奥で、何かが震えた。

「リーシャ?」ガレスが振り返った。

 リーシャの手から碧い光が漏れていた。魔力が、制御なしに溢れている。通路の壁に漂う紫黒の瘴気と、リーシャの魔力が——共鳴していた。

「これは——」

 リーシャは自分の手を見つめた。碧い光と紫の瘴気が、指先で渦を巻いている。痛みはない。だが体の奥底から引き出されるような、不思議な感覚。

「私の魔力の根源は——これと、同じ……?」

 ミラとガレスが息を呑む中、通路の出口から冷たい声が響いた。

「勇者の仲間がもう一組?——主は忙しくなるわね」

 紅い瞳が、闇の中で光った。ナージャだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

処理中です...