勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

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追跡者たちの夜

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 王都の地下から逃げ出した翌朝、レイドは学院の一室で目を覚ました。

 窓から差し込む朝日が、簡素な部屋を照らしている。リーシャの教授が提供してくれた研究室の仮眠室だ。壁一面に本棚が並び、机の上には魔力研究の器具が散らばっている。

 隣のベッドで、リーシャがまだ眠っていた。昨夜の力の行使で消耗し切っている。銀髪が枕に広がり、蒼白だった顔に少しだけ血色が戻っている。呼吸は穏やかだ。

 レイドは静かにベッドから起き上がった。左手を見る。紋様は昨夜より少し明るくなっている。使っていないのに。ヴェルディアの衰弱が進むにつれ、紋様の反応が強くなる。

 廊下に出ると、リーシャの教授——白髪の老婦人——が待っていた。

「レイド君。困ったことになったよ」

「何が」

「昨夜、大聖堂の地下に侵入者があったという報告が聖教会から出された。浄罪の目が学院にも調査に来ている。リーシャの名前は出ていないが——時間の問題だ」

 レイドの背筋が冷たくなった。

「学院から出られますか」

「裏門は使えない。浄罪の目が張っている。だが——」

 教授が薄く笑った。学者の顔に、悪戯っぽい光が宿っている。

「学院には、浄罪の目も知らない出入り口がいくつかある。地下の資料庫から、市場の地下倉庫に繋がる通路がある。三百年前に密造酒を運ぶために掘られたものでね」

「使えますか」

「古いが、通れる。——気をつけて」

 教授がレイドの手を握った。老いた手に、力が込められている。

「リーシャは私の一番優秀な教え子だ。あの子を危険に晒すのは本意ではない。だが——世界の危機が本当なら、私にできることはする」

「ありがとうございます」

「礼は要らない。——世界を救いなさい」


  ◇


 リーシャが目を覚ましたのは昼過ぎだった。

「おはようございます。……いえ、もう昼ですね」

「体の調子は」

「魔力が半分以下に落ちています。回復には二日ほどかかります」

 リーシャが上体を起こし、自分の手を見つめた。

「でも——確かに感じました。柱の残滓に触れた時、私の中の『守り手』が反応した。完全な覚醒には至りませんでしたが、第三段階の入り口には立てたはずです」

「もう一度触れれば覚醒できるか」

「可能性は高い。ですが、同じ場所は使えません。聖教会が地下を封鎖しているはずです」

「他の大聖堂は」

「五大聖堂は大陸に五つ。王都のものが最大ですが、他の四つにも柱の残滓がある可能性があります。最も近いのは——南のファレスト聖堂。ここから馬で四日」

 四日。往復で八日。ヴェルディアの衰弱を考えると、一日でも惜しい。

「まず学院から出よう。浄罪の目が来ている」

 リーシャの表情が引き締まった。教授が教えてくれた地下通路を使い、二人は学院を脱出した。暗く狭い通路を抜け、市場の地下倉庫に出た。酒樽の隙間から外に出ると、昼下がりの市場の喧騒が二人を包んだ。

 商人の声。荷車の音。子供の笑い声。日常の中に紛れ込み、二人は市場を抜けて王都の南門に向かった。

 南門の手前で、ミラが待っていた。

「おかえり。——大変だったみたいだね」

「どこまで知ってる」

「大聖堂の地下に侵入者ありって、朝から大騒ぎだよ。浄罪の目が王都中を走り回ってる。——あたしの囮は上手くいったけど、問題はこっちじゃなくて」

 ミラの猫目が鋭くなった。

「ガレスが捕まった」

 レイドの足が止まった。

「何だと」

「正確には拘束されてる。冒険者ギルドで情報を集めてたら、浄罪の目に身元を確認された。レイド・アシュフォードのパーティーメンバーとして。——異端審問の関連で、身柄を抑えられた」

 血の気が引いた。ガレスが捕まった。仲間が聖教会に拘束されている。

「殺されるか」

「今のところは尋問だけ。だけど、レイドの居場所を吐かされるのは時間の問題だよ」

 レイドの拳が握られた。左手の紋様が脈動する。怒りが体を走った。

「助けに行く」

「待って」ミラが腕を掴んだ。「今行ったら罠だよ。ガレスを餌にしてリーダーを誘い出す——典型的な手口。浄罪の目はそこまで馬鹿じゃない」

「だがガレスを放っておけない」

「放っておかないよ。あたしが行く」

 ミラの目が座っていた。猫目の奥に、鋼のような決意が光っている。

「あたしの顔は浄罪の目にバレてない。半エルフの情報屋として動けば、ギルドにも潜り込める。ガレスの居場所を確認して、脱出の手筈を整える」

「ミラ……」

「リーダーはリーシャと一緒にファレストに行きな。守り手の覚醒が最優先でしょ。——ガレスのことは任せて」

 レイドはミラを見つめた。かつて裏通りの情報屋だった半エルフの少女が、今は仲間のために命を懸けようとしている。

「……頼む」

「了解。——ガレスにはあたしから言っとくよ。『おっさん、捕まるなんてカッコ悪いよ』って」

 ミラが唇の端を上げた。軽口。だがその目は笑っていなかった。

 三人がそれぞれの道を行く。レイドとリーシャは南へ。ミラは王都の闇へ。

 仲間が散らばっていく。一人では動けない。だが全員がそれぞれの場所で、それぞれの役割を果たしている。

 ——信じろ。仲間を。

 ヴェルディアの言葉が、また蘇った。

 レイドは南門をくぐった。リーシャが隣にいる。背後に、王都の大聖堂の尖塔が遠ざかっていく。

 左手が脈動した。遠い魔王城で、ヴェルディアが世界を支え続けている。

 時間がない。急がなければ。


  ◇


 王都を出て半日。街道を南に走りながら、リーシャが馬上で口を開いた。

「レイド。昨夜の地下で——聖教会の兵士が来た時。あなた、左手を使おうとしましたね」

「……ああ」

「使わなかったのは、私が止めたからですか。それとも、自分の意志で」

 レイドは少し考えた。

「両方だ。お前の言葉がなければ、使っていた。だがお前の言葉があったから——別の方法を考えられた」

 リーシャが微笑んだ。馬上で銀髪が風になびいている。

「それでいいんです。一人で全てを解決しようとしないこと。それが——二周目のあなたの強さです」

 街道の先に、平原が広がっていた。秋の風が草原を揺らし、金色の波が地平線まで続いている。だがところどころ、草が枯れて黒い斑点を作っている。地脈の枯渇の痕跡。

「ファレスト聖堂まで四日。その間に——理論を完成させます。次は中断させません」

 リーシャの碧眼に、学者の覚悟と守り手の使命が重なっていた。

 二人は馬を走らせた。南の空に雲が湧き、遠くで雷の音が聞こえた。嵐が近づいている。

 だがその嵐は、天気だけのものではなかった。王都から、浄罪の目の追跡隊が出発したという報せを——二人はまだ知らなかった。

 レイドは振り返った。王都の方角に、大聖堂の尖塔がまだ見えている。あの尖塔の下で、ガレスが囚われている。ミラが救出に向かっている。ジークが情報戦を続けている。

 全ての仲間が、それぞれの戦いを戦っている。

 レイドの胸の中で、紋様が脈動した。微かに——だが確かに。仲間たちの鼓動と重なるように。

 馬の蹄が、街道の土を蹴った。南へ。世界を救う鍵を求めて。
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