勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

文字の大きさ
73 / 127

ラトリアの夜

しおりを挟む
 ラトリアは東回廊と南街道の交差点に栄えた交易町だった。

 石畳の通りに露店が並び、商人たちの掛け声が飛び交っている。香辛料の匂い。鍛冶屋の槌の音。酒場から溢れる笑い声。世界が終わりかけていたことなど嘘のような、活気のある町だ。

 だが三人が宿屋を探す間に、レイドは町の空気の裏側に気づいていた。

 聖教会の紋章が、至るところに掲げられている。酒場の壁。門番の詰所。市場の入口。王都では聖教会の権威が揺らいだが、地方ではまだ健在だ。

「宿を取ろう。三人部屋はあるか」

 最初の宿屋は満室だった。二軒目は空室があったが、宿主がヴェルディアを見て顔を曇らせた。

「あんた——見ない顔だね。この辺りの人間じゃないだろう」

「旅の途中だ」

「聖教会が変な通達を出してるんだよ。黒髪の女に気をつけろってな。魔族の残党がいるらしい。——あんたの連れ、黒髪じゃないか」

「ただの旅人だ」

 宿主は渋い顔をしたが、金貨を見て態度を変えた。三人は二階の部屋に通された。

 窓を閉め、レイドが溜息をついた。

「聖教会の通達か。——マルティウスは捕らえたが、地方の聖教会は別だ。組織が大きすぎて、王都の変化が末端まで届いていない」

「あるいは——届いていても、認めたくないのでしょう」リーシャがベッドに腰を下ろした。「千年の教義が嘘だったと受け入れるのは、信者にとって自分の人生を否定されることに等しい。反発は当然です」

 ヴェルディアが窓際に立ち、町の灯りを見下ろしていた。

「私が——この町に混乱をもたらしているのか」

「お前のせいじゃない」

「だが事実だ。魔王だった女が人間として歩いている。それが許されない場所がある」

「許されない場所を——許される場所に変えるのが、この旅の目的の一つだ」

 レイドの言葉に、ヴェルディアが振り返った。琥珀色の瞳が、少し驚いている。

「旅の目的? 景色を見に行くのではなかったか」

「それもある。だが——世界を見れば、世界の問題が見える。問題が見えれば、できることがある」

「……お前は結局、何かを救わずにはいられない性分だな」

「うるさい」

 リーシャが小さく笑った。


  ◇


 夜。レイドは一人で町を歩いた。

 リーシャとヴェルディアは部屋で休んでいる。レイドは情報を集めるために、酒場に向かった。

 カウンターに座り、安い麦酒を頼んだ。隣の席で商人たちが話している。

「王都で大変なことがあったらしいぞ。聖教会のマルティウスが捕まったとか」

「嘘だろ。マルティウス様は千年の秩序を守る聖者だぜ」

「嘘じゃねえよ。勇者アルヴィンが自ら捕らえたって話だ。教義に嘘があったとか何とか」

「信じらんねえな。俺は五歳の時から聖教会の教えで育ってきたんだ。それが全部嘘だって? 冗談じゃねえ」

「俺だってそう思うよ。だが——確かに最近、世界がおかしかったのは事実だろ。地震に魔物の暴走に、井戸水の濁り。あれが聖教会のせいだって言われたら——」

「聖教会のせいじゃなくて、魔王のせいだろ。魔王が世界を壊そうとしてたんだ」

 レイドは麦酒を飲みながら、黙って聞いていた。

 真実は公表された。だが——真実を受け入れるのには時間がかかる。一つの嘘が千年続けば、それは人々の生活の一部になる。信仰は嘘だと言われても、その信仰で救われた日々は本物だ。

「難しいな」レイドは呟いた。

「何がだ」隣の商人が聞いた。

「——何でもない」

 酒場を出ると、夜の通りに人影があった。聖教会の法衣を着た若い男。二十歳前後。丸い眼鏡をかけ、手に書物を抱えている。

「あの——失礼ですが、旅の方ですか」

「ああ」

「聖教会ラトリア支部の司祭見習い、ルーカスと申します。少しお話を聞かせていただけませんか」

 レイドは警戒した。聖教会の人間。だが——この若者の目に敵意はない。好奇心と、少しの不安がある。

「何が聞きたい」

「王都で起きたこと——本当ですか。教義が嘘だったと。マルティウス枢機卿が捕らえられたと」

「本当だ」

「では——魔王は悪ではなかったと」

「ああ」

 ルーカスの眼鏡の奥の目が揺れた。信仰が揺らぐ恐怖と、真実を知りたい渇望が混在している。

「私は——信じたいのです。聖教会の教えを。でも——最近の世界の異変を見ると、何かが間違っていたのではないかと。皆が目を逸らしていることに——答えが欲しいのです」

 レイドはルーカスを見つめた。かつてのセレナと同じ目だ。信仰と真実の間で引き裂かれる者の目。

「答えは——自分で見つけるものだ。だが一つだけ言える。嘘の上に建てた安心は、いつか崩れる。真実の上に建て直した方が、時間はかかるが——長く持つ」

 ルーカスが深く頷いた。

「ありがとうございます。——もう一つ。聖教会のラトリア支部で、強硬派が集会を開いています。王都の決定を認めず、独自に魔王の残党を狩ると。明日の朝——」

「何をする」

「大聖堂広場で、魔族排斥の演説を行うと。町の人々を煽って——」

 レイドの表情が硬くなった。

「教えてくれて助かる。——ルーカス。お前は聖教会の人間だが、真実を知ろうとしている。それは——正しい」

 ルーカスは頭を下げ、夜の闇に消えた。

 レイドは宿に戻り、リーシャとヴェルディアに伝えた。

「明日の朝、早く出よう。——この町は、まだ準備ができていない」

「逃げるのか」ヴェルディアが言った。

「今は——逃げる。だが逃げ続けるわけじゃない。まず南に行く。ジークのいる場所なら——少なくとも安全だ」

 ヴェルディアは窓の外を見つめた。ラトリアの灯りが瞬いている。

「三千年守った世界が——私を拒んでいる」

「拒んでいない。知らないだけだ。——知れば、変わる」

「お前は——楽観的だな」

「楽観じゃない。経験だ。アルヴィンも最初は俺を裏切り者と呼んだ。今は握手している」

 ヴェルディアは暫く黙り、それから小さく笑った。

「……そうだな。時間が必要なのは、私も同じか」

 夜が更けた。明日の朝、三人は南に向かう。聖教会の影を避けながら。世界の傷を一つずつ、確かめながら。

 窓の外で、夜風がラトリアの旗を揺らしていた。聖教会の十字架と、商業ギルドの天秤の紋章。二つの旗が風の中で絡み合い、やがて離れていく。

 世界は変わり始めている。だが変化は——いつも痛みを伴う。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

処理中です...