76 / 127
南大陸ヴェスタ
しおりを挟む
五日目の朝。水平線に、南大陸の輪郭が現れた。
緑の山々。白い砂浜。青い海に浮かぶ島々。北の大陸とは全く異なる景色が広がっている。
ヴェスタ港は活気に満ちていた。大小の船が停泊し、荷揚げの人夫が声を上げ、市場では色鮮やかな果物と香辛料が並んでいる。北の大陸より陽光が強く、人々の肌は浅黒い。
ヴェルディアは航海の後半で体力を取り戻していたが、まだ顔色が優れない。
「まず宿を取ろう。ヴェルディアを休ませる」
港近くの宿屋に部屋を取り、ヴェルディアをベッドに寝かせた。リーシャが回復魔法で体の調子を整える。
「神経の疲労はまだ残っています。二、三日は安静にした方がいい」
「分かった。——その間に、俺は情報を集める。ジークの居場所と、海の魔物の件だ」
レイドは港の情報屋を当たった。南大陸ではジークの名は知られていた。傭兵ギルドを立ち上げ、ヴェスタから内陸に入った町レグスに拠点を構えているという。
「ジークの傭兵ギルド? 知ってるよ。腕の立つ傭兵が集まってるって評判だ。仕事は選ぶが、引き受けたら確実にやる。——ただ最近、海の件で忙しいらしいぜ」
「海の件?」
「南の沿岸で、正体不明の生物が出没してるんだ。漁師が何人もやられてる。ギルドに討伐依頼が来てるが——普通の傭兵じゃ太刀打ちできないって話だ」
レイドは宿に戻り、リーシャに報告した。
「ジークが海の件に関わっている。レグスにいるなら三日で着く」
「ヴェルディアさんの回復を待って出発ですね」
「ああ。——それと、海の魔物は一匹じゃないらしい。沿岸部で複数目撃されている」
「封印のほころびが——確実に広がっているということです」
リーシャの碧眼が曇った。世界は救われたはずだった。だが——三千年の歪みは、一つの奇跡では消えない。
ヴェルディアが目を覚ましたのは翌日の昼だった。体の調子は戻っているが、表情が暗い。
「レイド。一つ——思い出したことがある」
「何だ」
「深淵の眷属。——あの存在を封じたのは、五つの柱ではない。柱よりも古い封印だ。神々が世界を創った時に——世界の外側に追い出した存在。柱はその封印を補強していたが——本来の封印は、柱とは別の仕組みで動いている」
「柱とは別の仕組み」
「神殿だ。五つの柱が建つ前に——世界の五箇所に神殿があった。その神殿が、深淵の眷属を封じる錠前になっている。柱が壊れたことで——神殿の力も弱まった。泉の柱は世界の均衡を回復したが、神殿の力は——回復していない」
「つまり——封印が緩んでいる」
「そうだ。今すぐ全てが解放されるわけではない。だが——時間の問題だ。神殿を訪れ、封印を確認し、必要なら補修しなければならない」
三人は顔を見合わせた。
旅の目的が——また一つ増えた。景色を見る旅。世界の傷を癒す旅。そして——古代の封印を守る旅。
「まずはジークに会いに行こう」レイドが立ち上がった。「一人で抱え込むのは——もう終わりだ」
ヴェルディアが頷いた。リーシャが地図を広げた。
南大陸の旅が——本格的に始まろうとしていた。
◇
同じ頃。北の大陸、王都。
アルヴィンは大聖堂の執務室で書類に目を通していた。聖教会の改革は遅々として進んでいる。千年の組織を変えるのは、剣で敵を斬るより遥かに難しい。
「アルヴィン様」セレナが部屋に入ってきた。「南の大陸から報告です。沿岸部で正体不明の海洋生物が出没しているとのこと。被害が拡大しています」
「聖教会の南大陸支部は」
「独自に対処しようとしていますが——能力が不足しています。また、南大陸支部の一部が王都の決定に反発し、独立を宣言する動きがあります」
アルヴィンの碧眼が鋭くなった。
「独立?」
「マルティウスの信奉者が、南大陸に逃れて勢力を立て直しているという情報もあります」
アルヴィンは椅子の背にもたれた。聖剣が壁に掛けられている。金色の光は安定しているが——抜く時が来るかもしれない。
「レイドたちは南に向かったと聞いたが」
「はい。港町カレンから船に乗ったと、情報網が報告しています」
「なら——あいつに任せよう。南のことは。俺はここでやるべきことをやる」
セレナが微笑んだ。
「信頼されているのですね。レイドさんのこと」
「……信頼とは違う。あいつは——やると言ったらやる。それだけだ」
アルヴィンの口角が僅かに上がった。かつて「裏切り者」と呼んだ男を——今は信じている。変化は——いつも痛みを伴うが、時に心地よいものでもある。
「エドモン」
「はい」壁際に控えていたエドモンが応じた。
「南大陸への使者を準備しろ。聖教会の南大陸支部に——改革の意志を伝える。従わないなら——」
「勇者として、参りますか」
「その必要がないことを祈るが——備えは必要だ」
エドモンが頷き、部屋を出た。
アルヴィンは窓の外を見た。王都の空は晴れている。だが南の空には——雲が見える。
嵐は——まだ終わっていなかった。
大聖堂の鐘が正午を告げた。千年間、同じ音を響かせてきた鐘。だがその音の意味は——今、変わりつつある。信仰の象徴から、真実の象徴へ。変化は遅い。だが——確実に、世界は動いている。
緑の山々。白い砂浜。青い海に浮かぶ島々。北の大陸とは全く異なる景色が広がっている。
ヴェスタ港は活気に満ちていた。大小の船が停泊し、荷揚げの人夫が声を上げ、市場では色鮮やかな果物と香辛料が並んでいる。北の大陸より陽光が強く、人々の肌は浅黒い。
ヴェルディアは航海の後半で体力を取り戻していたが、まだ顔色が優れない。
「まず宿を取ろう。ヴェルディアを休ませる」
港近くの宿屋に部屋を取り、ヴェルディアをベッドに寝かせた。リーシャが回復魔法で体の調子を整える。
「神経の疲労はまだ残っています。二、三日は安静にした方がいい」
「分かった。——その間に、俺は情報を集める。ジークの居場所と、海の魔物の件だ」
レイドは港の情報屋を当たった。南大陸ではジークの名は知られていた。傭兵ギルドを立ち上げ、ヴェスタから内陸に入った町レグスに拠点を構えているという。
「ジークの傭兵ギルド? 知ってるよ。腕の立つ傭兵が集まってるって評判だ。仕事は選ぶが、引き受けたら確実にやる。——ただ最近、海の件で忙しいらしいぜ」
「海の件?」
「南の沿岸で、正体不明の生物が出没してるんだ。漁師が何人もやられてる。ギルドに討伐依頼が来てるが——普通の傭兵じゃ太刀打ちできないって話だ」
レイドは宿に戻り、リーシャに報告した。
「ジークが海の件に関わっている。レグスにいるなら三日で着く」
「ヴェルディアさんの回復を待って出発ですね」
「ああ。——それと、海の魔物は一匹じゃないらしい。沿岸部で複数目撃されている」
「封印のほころびが——確実に広がっているということです」
リーシャの碧眼が曇った。世界は救われたはずだった。だが——三千年の歪みは、一つの奇跡では消えない。
ヴェルディアが目を覚ましたのは翌日の昼だった。体の調子は戻っているが、表情が暗い。
「レイド。一つ——思い出したことがある」
「何だ」
「深淵の眷属。——あの存在を封じたのは、五つの柱ではない。柱よりも古い封印だ。神々が世界を創った時に——世界の外側に追い出した存在。柱はその封印を補強していたが——本来の封印は、柱とは別の仕組みで動いている」
「柱とは別の仕組み」
「神殿だ。五つの柱が建つ前に——世界の五箇所に神殿があった。その神殿が、深淵の眷属を封じる錠前になっている。柱が壊れたことで——神殿の力も弱まった。泉の柱は世界の均衡を回復したが、神殿の力は——回復していない」
「つまり——封印が緩んでいる」
「そうだ。今すぐ全てが解放されるわけではない。だが——時間の問題だ。神殿を訪れ、封印を確認し、必要なら補修しなければならない」
三人は顔を見合わせた。
旅の目的が——また一つ増えた。景色を見る旅。世界の傷を癒す旅。そして——古代の封印を守る旅。
「まずはジークに会いに行こう」レイドが立ち上がった。「一人で抱え込むのは——もう終わりだ」
ヴェルディアが頷いた。リーシャが地図を広げた。
南大陸の旅が——本格的に始まろうとしていた。
◇
同じ頃。北の大陸、王都。
アルヴィンは大聖堂の執務室で書類に目を通していた。聖教会の改革は遅々として進んでいる。千年の組織を変えるのは、剣で敵を斬るより遥かに難しい。
「アルヴィン様」セレナが部屋に入ってきた。「南の大陸から報告です。沿岸部で正体不明の海洋生物が出没しているとのこと。被害が拡大しています」
「聖教会の南大陸支部は」
「独自に対処しようとしていますが——能力が不足しています。また、南大陸支部の一部が王都の決定に反発し、独立を宣言する動きがあります」
アルヴィンの碧眼が鋭くなった。
「独立?」
「マルティウスの信奉者が、南大陸に逃れて勢力を立て直しているという情報もあります」
アルヴィンは椅子の背にもたれた。聖剣が壁に掛けられている。金色の光は安定しているが——抜く時が来るかもしれない。
「レイドたちは南に向かったと聞いたが」
「はい。港町カレンから船に乗ったと、情報網が報告しています」
「なら——あいつに任せよう。南のことは。俺はここでやるべきことをやる」
セレナが微笑んだ。
「信頼されているのですね。レイドさんのこと」
「……信頼とは違う。あいつは——やると言ったらやる。それだけだ」
アルヴィンの口角が僅かに上がった。かつて「裏切り者」と呼んだ男を——今は信じている。変化は——いつも痛みを伴うが、時に心地よいものでもある。
「エドモン」
「はい」壁際に控えていたエドモンが応じた。
「南大陸への使者を準備しろ。聖教会の南大陸支部に——改革の意志を伝える。従わないなら——」
「勇者として、参りますか」
「その必要がないことを祈るが——備えは必要だ」
エドモンが頷き、部屋を出た。
アルヴィンは窓の外を見た。王都の空は晴れている。だが南の空には——雲が見える。
嵐は——まだ終わっていなかった。
大聖堂の鐘が正午を告げた。千年間、同じ音を響かせてきた鐘。だがその音の意味は——今、変わりつつある。信仰の象徴から、真実の象徴へ。変化は遅い。だが——確実に、世界は動いている。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
ちゃんと忠告をしましたよ?
柚木ゆず
ファンタジー
ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。
「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」
アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。
アゼット様。まだ間に合います。
今なら、引き返せますよ?
※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる