勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

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最後の修復

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 三日目の朝が来た。

 結晶球の黒い染みは、二割を切っていた。青い光が安定した脈動を繰り返し、広間の空気に柔らかな振動が伝わっている。昨夜の地震は一度もなかった。

「状態は良好です」フェリクスが計測器を読んだ。「封印強度は安全域に入っています。あと一押しで——完全修復が可能です」

 リーシャが立ち上がった。二日間の修復で疲労が蓄積しているが、碧眼には光が戻っている。

「やりましょう」

 レイドが頷いた。広間の入口を見た。

 ヴァレリウスが——立っていた。護衛二人を伴い、広間の端に静かに座っている。約束通り、手は出していない。だが目は結晶球から離さなかった。三日間、ほとんど眠らずに観察し続けていたと、傭兵が報告していた。

「始めるぞ」

 配置は前日と同じだ。ガレスが四隅に構え、天井の崩落に備える。ジークと傭兵が通路を守る。フェリクスが計測する。

 リーシャが結晶球に両手を翳した。レイドがその背に手を当て、魔力を注ぎ込む。ヴェルディアが指示を出した。

「表面の染みを一つずつ溶かしていきます。核は安定しているので——今日は急ぐ必要はない。丁寧に」

 碧の光が広がった。リーシャの魔力が結晶球の表面を撫で、黒い染みが端から溶けていく。一割八分。一割五分。一割。

 時間がゆっくりと流れた。

 一時間が過ぎた頃、ヴァレリウスが立ち上がった。護衛が身構えたが、ヴァレリウスは手で制し、結晶球に向かって歩いた。

「近づくな」ガレスが盾を構えかけた。

「待て」レイドが言った。

 ヴァレリウスは結晶球の三歩手前で足を止めた。鋭い目が——結晶球の脈動を見つめている。

「この光——聖教会の聖印と同じだ」

 ヴェルディアが僅かに目を向けた。

「同じ根源です。聖教会の力は——元を辿れば、この封印と同じ源流から来ている」

「嘘だ」

「嘘ではない。三千年前、五人の術者がこの封印を施した時——その力の一部が人間に受け継がれた。それが聖印の起源です」

 ヴァレリウスの顔が強張った。聖教会の教えでは、聖印は神から授かった神聖な力だ。それが封印の——魔王が関与した仕組みの副産物だと言われて、受け入れられるはずがない。

 だが——結晶球の光は確かに、聖印の光と同じ色をしていた。

「……聖印を持つ者が来れば——封印の修復に役立つと」

「ええ。サルディスのアウグストゥスがそれを証明しました。聖印の力は、結晶球と共鳴する」

 ヴァレリウスが沈黙した。拳を握り、歯を食いしばっている。信じたくない。だが目の前の光が、言葉より雄弁に語っている。

 リーシャの修復が続いた。黒い染みが五分を切った。結晶球の青い光が広間全体を満たし、天井の亀裂にまで染み渡っていく。

「あと少しです」ヴェルディアが言った。

 リーシャの額に汗が浮いていたが、表情は穏やかだった。レイドの魔力が背中から流れ込み、二人の力が一つになって結晶球に注がれる。

 最後の染みが——溶けた。

 結晶球が澄んだ青い光を放った。一点の曇りもない。脈動が——安定した。大地の振動が止まり、広間が静寂に包まれた。

「完了です」フェリクスが深い息をついた。「封印強度——最大値。完全修復です」

 リーシャが膝をついた。レイドが支える。ヴェルディアが二人の肩に手を置いた。

「よくやった」

 ガレスが大盾を地面に置いた。金属の音が広間に響いた。

「四つ目——終わったな」

「ああ。残りは一つだ」

 ジークが通路から戻ってきた。

「外は静かだ。地震が完全に止まった。——傭兵が喜んでる」


  ◇


 修復から三時間後。広間の端に、二つの集団が向かい合っていた。

 レイドたちと、ヴァレリウスの一行。

「約束通りだ」レイドが口を開いた。「修復は終わった。——話し合おう」

 ヴァレリウスは腕を組んだまま、結晶球を見ていた。青い光が穏やかに脈動している。三日前の黒い染みと苦悶の明滅が嘘のようだ。

「……認めよう。お前たちがやったことは——本物だ。封印は修復された」

「ああ」

「だが——問題はここからだ。この神殿は聖教会の遺産だ。管理する権利は我々にある」

「権利か」ジークが鼻を鳴らした。「権利を主張するなら、維持する力も見せろ」

「ジーク」レイドが制した。

 ヴァレリウスの目が細くなった。

「傭兵に口を挟まれる筋合いはない」

「まあ聞け」レイドが前に出た。「ヴァレリウス。お前の言い分は分かる。聖教会の遺産だというのも——一理ある。だが、この封印は修復しただけでは終わらない。定期的な監視と、必要に応じた補修が要る。それには魔力と知識が必要だ」

「我々にも聖印を持つ者がいる」

「知っている。——だからこそ、提案がある」

 レイドはヴェルディアに目配せした。ヴェルディアが前に出た。

「封印の管理には三つの要素が必要です。結晶球の状態を読み取る知識。補修を行う魔力。そして——日常的な監視を行う人手」

「つまり」

「我々が知識と技術を提供する。お前たちが人手と日常の管理を担う。——協力関係だ」

 ヴァレリウスの眉が動いた。

「サルディスのアウグストゥスにも、同じ提案をしたのか」

「した。アウグストゥスは受け入れた。今、三つ目の神殿はサルディス支部が管理している」

「アウグストゥスが——」

 ヴァレリウスの表情が変わった。アウグストゥスは聖教会の強硬派として知られた人物だ。その男が受け入れた提案。

「聖教会の新しい使命として——封印の管理者になる。お前たちが目指しているのは、マルティウスの教えの復活だろう。だが——マルティウスの教えは嘘の上に建っていた。お前たちも——それを感じ始めているはずだ」

 ヴァレリウスの拳が震えた。

「黙れ。マルティウスは——」

「マルティウスは世界を壊そうとしていた。知っているだろう。王都で何があったか」

「知っている。だが——枢機卿には枢機卿の正義が——」

「ヴァレリウス」レイドが静かに言った。「お前の仲間を見ろ」

 ヴァレリウスが振り返った。背後の信者たちが——結晶球を見つめていた。恐怖ではない。畏敬だ。封印の光に、信仰に似た何かを見出している。

「お前の仲間は——信仰を求めている。祈る対象を。守るべきものを。この封印は——その答えになれる。嘘ではなく、真実の信仰として」

 ヴァレリウスは長い間黙っていた。広間に結晶球の脈動だけが響いている。

「……条件がある」

「言え」

「管理権は我々にある。お前たちは——技術支援者だ。命令はしない」

「構わない」

「そして——アウグストゥスとの連絡手段を作れ。サルディスと我々で——情報を共有する」

「できる。フェリクスの通信網を使えば——三日以内に情報が届く」

 フェリクスが頷いた。

 ヴァレリウスは結晶球を見上げた。青い光が顔を照らしている。憎悪に満ちていた瞳に——別の感情が混じり始めていた。

「……マルティウスの教えは嘘だった。だが——信仰は嘘ではない。この光は——本物だ。ならば——俺たちが守る」

 レイドが手を差し出した。ヴァレリウスは——しばらく見つめた後、その手を握った。

 握手は短かった。だが——確かだった。


  ◇


 翌朝、一行は神殿を発った。

 谷の入口でヴァレリウスが見送りに立っていた。信者たちが神殿の周囲に陣を張り、管理の準備を始めている。

「次の神殿は」ヴァレリウスが聞いた。

「五つ目だ」レイドが答えた。「海の中にある」

「海の——中か」

「ああ。一番厄介なやつだ」

 ヴァレリウスは僅かに目を伏せた。

「……レイド・アシュフォード」

「何だ」

「お前を——憎んでいた。マルティウスを陥れた男だと。だが——」

「だが?」

「お前は——逃げなかった。俺たちの前に立ち、結晶球を見せ、手を差し伸べた。マルティウスは——そうしなかった」

 レイドは何も言わなかった。ヴァレリウスが背を向けた。白い法衣が朝日に揺れた。

「次の封印も——守れ。俺たちはここを守る」

 一行は谷を出て、東回廊への道を歩き始めた。

 四つの封印が修復された。残るは一つ——海中の神殿。

 ガレスがレイドの隣に並んだ。

「海の中か。——俺は泳げるぜ。漁師の息子だからな」

「深海だぞ。泳いでどうにかなる深さじゃない」

「……まあ、そうだろうな」

 リーシャが馬上で地図を広げた。

「海中神殿の位置は——ヴェルディアさん、分かりますか」

 ヴェルディアが少し考えた。

「北大陸の東岸。かつて——深淵の眷属が最も多く出没した海域だ。港町があったはずだが——三千年前の話だ。今も残っているか分からない」

「フェリクスの情報網で確認できます」フェリクスが言った。「東岸の港町なら——レヴァルスの交易港が最大です」

「そこに行こう」レイドが決めた。「まず情報を集める。海の中の神殿に——どうやって降りるか」

 山岳地帯を抜け、東回廊に出た。街道を東に向かう。風が変わった。山の冷気が薄れ、潮の匂いが微かに混じり始めた。

 四つの封印を修復してきた旅。アウグストゥス。ヴァレリウス。聖教会の残党を——一人ずつ、味方に変えてきた。

 だが最後の一つは——海の底にある。地上の戦いとは全く違う。

 レイドは空を見上げた。雲が東に流れている。海の方角だ。

「ヴェルディア」

「何だ」

「海中の神殿は——他の四つと何が違う」

 ヴェルディアは少し歩いてから答えた。

「深さだ。他の四つは地上か地中にある。だが五つ目は——海底の、さらに下にある。最も深い場所に、最も強力な封印を施した」

「最も強力か。——劣化は」

「分からない。海の中では、地上からは封印の状態を感知できない。三千年間——一度も確認していない」

「三千年間確認していない——」

 ガレスが声を上げた。

「おいおい。それ——一番ヤバいやつじゃねえか」

「だから——一番最後に残した」ヴェルディアが静かに言った。「準備なしに行ける場所ではない」

 街道を東に進む一行の上を、海鳥が一羽横切った。潮風が強くなっている。

 最後の封印が——海の底で待っている。
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