勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした

ポポリーナ

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亀裂

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 四度目。五度目。六度目。修復作業は続いた。

 日ごとに青い領域は広がった。三割。四割。五割。結晶球の表面を碧の光が取り戻し、赤い脈動が後退していく。リーシャの技術が日々向上し、修復の効率が上がっている。

 だがイルヴァーンの声も——日ごとに明瞭になった。

 五度目の修復時。リーシャが結晶球に触れた瞬間、声が響いた。

「『ヴェルディア。聞こえているだろう。封印が半分に達した時——お前に見せたいものがある』」

 ヴェルディアの顔が強張った。

「無視しろ。集中を——」

「『お前は——まだ覚えているか。私が深淵に落ちた日のことを。あの日、お前は私の手を掴もうとした。だが——届かなかった』」

 リーシャの手が震えた。声が——結晶球を通じて、広間全体に響き始めている。リーシャの魔力回路だけでなく、結晶球自体が声の媒介になっている。

「聞こえるようになった——」ガレスが盾を構えた。「俺にも聞こえる」

「全員に聞こえている」ジークが剣の柄に手をかけた。

 ヴェルディアの唇が白くなっていた。拳を握り、爪が掌に食い込んでいる。

「黙れ、イルヴァーン」

「『ああ——聞こえているな。私の旧友よ。三千年の間——お前のことを考えていた。お前が一人で世界を支え、苦しみ、それでも崩壊を止めようとしていたことを。——哀れだと思った』」

「哀れだと——」

「『お前は世界を支えるために全てを犠牲にした。友を。感情を。人間としての日々を。そして最後に——私を封じた。友として最も親しかった者を。——その痛みを、三千年間抱えてきたのだろう』」

 ヴェルディアの琥珀色の瞳が——揺れた。その揺れを見て、レイドが前に出た。

「ヴェルディア。聞くな」

「分かっている——」

「『封印を強化しても——無駄だ。私は三千年かけて、この封印の構造を隅々まで理解した。内側から壊す方法を——もう見つけている。お前たちが修復しても——また削る。永遠に。お前たちの命が尽きるまで』」

 リーシャが歯を食いしばり、修復を続けた。碧の光が震えながらも結晶球に注がれ、赤い領域が後退していく。五割五分。六割——。

「『だが——交渉の余地はある。ヴェルディア。かつてのように、話し合おう。封印の鍵を渡せ。私は——世界を壊すつもりはない。ただ——出たいだけだ』」

「嘘をつくな」ヴェルディアが声を絞り出した。「お前は——三千年前にも同じことを言った。『話し合おう』と。そして——エルナを殺した」

 広間が静まった。エルナ。三千年前の仲間の名前。ヴェルディアが初めて口にした、失われた者の名。

「『エルナか。——あれは不幸な事故だった。私は——』」

「事故などではない!」

 ヴェルディアの叫びが広間に反響した。結晶球の赤い脈動が一瞬止まった。ヴェルディアの全身が震えている。琥珀色の瞳に——三千年分の怒りと悲しみが渦巻いていた。

 レイドがヴェルディアの肩を掴んだ。

「ヴェルディア。こっちを見ろ」

 琥珀色の瞳がレイドに向いた。焦点が合っていない。三千年前の記憶に呑まれかけている。

「ここにいる。今、ここにいる。三千年前じゃない。——俺がいる。リーシャがいる。ガレスがいる」

 ヴェルディアの震えが——少しずつ収まった。瞳の焦点が戻る。

「……ああ。——すまない」

「謝るな。——リーシャ、あとどれくらいだ」

「六割を超えました。もう少し——」

「無理するな。六割でいい。明日に回せ」

 リーシャが手を引いた。六割二分。赤い脈動が残り四割弱。

 帰り道、誰もイルヴァーンの言葉について触れなかった。

 だがレイドは考えていた。イルヴァーンの言葉——「封印の構造を隅々まで理解した」「内側から壊す方法を見つけている」。あれが本当なら、修復しても再び削られる。永遠のいたちごっこになる。

 それを——どう解決する。


  ◇


 宿に戻った夜。レイドはヴェルディアの部屋を訪ねた。

 ヴェルディアは窓辺に座り、暗い海を見つめていた。食事に手をつけた形跡がない。

「食え。体力がなくなるぞ」

「……食欲がない」

「そうか。——だが食え。明日も行くんだ」

 レイドがパンと干し魚を差し出した。ヴェルディアが受け取り、小さく一口齧った。

「エルナのこと——聞いてもいいか」

「……五人目の術者だった。一番若く——一番優しかった。イルヴァーンの封印を施す時、最前線で結界を支えた。その時——イルヴァーンが結界の隙間から手を伸ばし、エルナの首を——」

 ヴェルディアの声が途切れた。干し魚を握る手が震えている。

「もういい。分かった」

「三千年間——あの瞬間を忘れたことはない。目を閉じれば浮かぶ。エルナの目が——光を失う瞬間が」

 レイドは何も言わず、ヴェルディアの隣に座った。二人で暗い海を見つめた。灯台の光が回り、海面を照らしては消える。

「イルヴァーンは——嘘をついていたか。あの声は」

「嘘と真実を混ぜるのが——あの存在のやり方だ。出たいだけだ、というのは——嘘だ。だが、封印の構造を理解しているというのは——本当かもしれない」

「修復しても削られるなら——」

「封印の構造を変える必要がある。三千年前と同じ封印では——いずれ破られる。新しい封印を——」

「新しい封印?」

「考えがある。だが——まだ確証はない。修復を完了させてから、話す」

 レイドが頷いた。

「分かった。まず修復を終わらせる。——残り四割だ」

 ヴェルディアが干し魚を噛んだ。咀嚼する音が静かな部屋に響いた。

「レイド」

「何だ」

「お前がいて——助かった。あの場で。三千年前は——一人で声に耐えた。今は——お前の声が聞こえた。だから戻れた」

「いつでも呼べ。何度でも引き戻す」

 窓の外で、海が暗く脈動していた。深淵の底で——イルヴァーンが三千年の闇の中で待っている。
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