魔法至上主義の世界で『筋力』だけカンストした男が拳一つで全てを覆す

ポポリーナ

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試験場の異物

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 石灰と古い紙の匂いが、鼻腔の奥を刺す。

 グランドール魔法学院・第一試験場。天井から降り注ぐ魔法光が、円形の広間を昼のように照らしている。壁面には歴代の大魔導士の肖像画が並び、その視線が中央の測定台を見下ろしていた。

「——ここですよ」

 セレナが立ち止まり、重厚な扉を指した。

「おお、すげえ広いな! 体育館みたいだ!」

「体育館……? まあいいでしょう。いいですか、これから特例入学試験が行われます。学院長以下、貴族議員も列席しています。くれぐれも——」

「おう、任せとけ!」

「……最後まで聞いてください」

 セレナの眉間に、早くも皺が刻まれる。

 試験場の上段席には、十数名の列席者が揃っていた。金糸の刺繍が施されたローブ、宝石を散りばめた杖——一目で権力者とわかる面々が、値踏みするような目を向けてくる。

 その中央に、白髪の老人が腰を下ろしている。

 学院長ヴァルター・グリムハルト。腕を組み、鋭い眼光を鉄心に据えたまま微動だにしない。

「では、特例入学試験を開始します」

 試験官の声が、試験場に反響した。手元の羊皮紙が微かに震えている。

「まず——魔力総量の測定を」


  ◇


 試験場の中央に、人の背丈ほどもある魔法水晶が鎮座していた。

 淡い青色の光を内側から放ち、近づくだけで肌がピリピリと痺れる。純粋な魔力の塊だ。

「この水晶に両手を触れてください。魔力量に応じて、針が振れます」

 試験官が水晶の横に設置された計器を示す。目盛りはゼロから一万まで刻まれ、一般人で百、優秀な魔法使いで三千、大魔導士クラスで五千を超えるという。

「おう、触ればいいんだな!」

 鉄心は水晶に手を置いた。

 ——沈黙。

 計器の針は、ピクリとも動かない。完全なるゼロ。

 上段席から、忍び笑いが漏れた。

「やはりノーマジックか」

「時間の無駄だな。学院長も何を考えておられるのやら」

 ひそひそと交わされる囁きが、石壁に反響して試験場全体に広がる。鉄心の耳にも当然届いている。

「次に、属性適性を測定します」

 試験官の声が、わずかに同情を含んでいた。

 火・水・風・土・光・闇——六属性の適性石が並べられる。鉄心が順に手を触れるたび、試験官は同じ言葉を繰り返した。

「——反応なし」

「反応なし」

「反応なし」

 六回の沈黙。六回のゼロ。

 上段席の嘲笑は、もはや隠そうともしない哄笑に変わっている。

「最後に、基礎詠唱テストを——」

「おう! 魔法ってやつだな!」

 鉄心は目を輝かせ、試験官から渡された初級魔法の詠唱文を読み上げた。声は試験場に朗々と響く。発音は完璧——だが、何も起きない。指先に光一つ灯らない。

「……いやー、魔法って難しいな!」

 鉄心は頭を掻いて笑った。

 場は冷え切っている。列席者の何人かは、すでに席を立とうとしていた。

「形式上、身体能力測定も行います」

 試験官が事務的に告げる。「行います」という言葉の裏に「意味はありませんが」という響きが貼りついていた。


  ◇


 握力測定用の魔道具が運ばれてくる。

 拳大の金属球で、握った力に応じて内部の魔法回路が数値を算出する仕組みだ。一般人で五十、騎士団の戦士でも二百が上限とされている。

「握ってください」

 鉄心が金属球を右手で包み込む。

 ——瞬間。

 魔道具の表面に浮かぶ数字が、凄まじい勢いで跳ね上がった。

 百。三百。五百。八百——

 表示が四桁に突入した直後、金属球の表面に亀裂が走った。数字の明滅が痙攣のように速まり、内部の魔法回路が焼き切れる甲高い音——そして鉄心の指の間から、ぐしゃりと潰れた金属が零れ落ちた。

 飴細工を握り潰すように、拳大の魔道具が歪な塊に変わっている。

 鉄心は開いた掌を見下ろした。潰れた金属片が床に転がり、からからと乾いた音を立てる。

 ——また、壊しちまった。

 前世でもそうだった。体育の授業で跳び箱を踏み抜き、腕相撲で机ごと引っ繰り返し。加減しているつもりでも、この身体はいつも「普通」の枠からはみ出す。笑って誤魔化す癖は、あの頃からだ。

 その思いが、笑顔の端をほんの一瞬だけ翳らせた。

「すみません、壊しちゃいました? 弁償しますか?」

 鉄心が申し訳なさそうに頭を下げる。声はいつもの調子に戻っている。

 上段席の哄笑が、ぴたりと止んだ。

「——打撃力測定に移ります」

 試験官の声が裏返っている。

 測定用の魔法人形が運び込まれた。人型の石像で、表面に衝撃吸収の魔法陣が幾重にも刻まれている。上級魔法の直撃にも耐える設計だ。

「この人形に、全力で一撃を」

「全力でいいのか?」

「……はい」

 鉄心は腰を落とした。ガルドから受け取った拳甲「鉄拳」が、魔法光を鈍く反射する。

 ——一歩。

 踏み込みの衝撃で、石畳にひびが走った。

 拳が人形の胸部を捉えた。衝撃吸収の魔法陣が一瞬だけ青白く輝き——光が、弾けた。

 音が遅れてやってくる。重く、低い破裂音。内臓を揺さぶるような振動が試験場の床を伝い、列席者の足元まで這い上がった。人形は胸部から放射状にひび割れ、一拍の間を置いて、砂のように崩れ落ちた。

 細かな石の粉が、試験場を霞のように漂う。列席者の何人かが、咄嗟に防御魔法を展開して身を守る。

 誰も、笑っていなかった。

「そ、速度測定に移ります!」

 追跡魔法の術式が展開される。対象の移動速度を自動追尾して計測する高精度の魔法だ。

「あの印まで走ってください——」

 試験官が指を差した瞬間、鉄心の姿が消えた。

 いや、消えたのではない。速すぎて目が追いつかなかったのだ。五十メートル先の印の前に、鉄心はすでに立っている。

「——追跡魔法が、対象をロストしました。測定不能です」

 試験官の報告が、静まり返った試験場に落ちる。

「す、すべての身体能力項目が測定限界を超えています……」

 試験官は蒼白な顔で上段席を振り仰ぐ。手にした羊皮紙が、がたがたと揺れていた。


  ◇


 沈黙が、石の壁に染み込んでいく。

 上段席の列席者は、誰一人として言葉を発しない。先ほどまでの傲慢な笑みは消え、代わりに理解の及ばないものを前にした人間の——原始的な怯えが、顔に張りついている。

 椅子が、ぎしりと鳴った。

 ヴァルターが立ち上がる。白いローブの裾が、かすかに揺れた。

「…………っ」

 声にならなかった。

 老魔導士の唇が動く。何かを——拒絶の言葉を紡ごうとしたのだろう。だが声は喉の奥で潰れ、代わりに長い息だけが押し出された。その目が、一瞬だけ焦点を失う。測定台の上の男ではなく、もっと遠い何か——あるいは、遠い過去の何かを見ているような。

 鉄心は首を傾げ、試験場の中央から見上げた。

「あの、壊しちゃった分、本当に弁償した方がいいっすか?」

 悪気のない声が、張り詰めた空気を揺らす。

 ヴァルターの右手が、肘掛けを握りしめていた。指の関節が白く浮き上がっている。——だがそれは怒りだけではなかった。その手は、微かに震えている。まるで、見てはならないものを見た人間のように。

 セレナは試験場の隅で、測定データを羊皮紙に書き写す手を止めなかった。数値の横に、小さな注釈を書き加えている。

 ヴァルターが口を開きかけた、その時——

「学院長」

 上段席の端から、一人の貴族議員が立ち上がった。金縁の眼鏡の奥で、細い目が愉快そうに光っている。

「この男を入学させましょう」

 ヴァルターの眉が跳ね上がった。

 貴族議員は口元に薄い笑みを浮かべ、鉄心を見下ろした。品定めするように——いや、商品の値札を確かめるように。

「——『見世物』として、実に面白い」

 ヴァルターの表情が、一瞬だけ歪んだ。排除したいと願っていた異物を、今度は玩具として扱おうとする声。その不快が、老魔導士の顔に陰を落とす。

 だが鉄心は、言葉の意味を理解していなかった。

「おう! 入学できるのか? やったな!」

 満面の笑みで拳を握る男の周りで、思惑の糸が、静かに絡まり始めていた。
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